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枯淡  作者: 水原伊織


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5/19

5.織の部屋に招かれた日

織と初めて関係を持ったのは、半年ほど前のことだった。


----


LINEを交換して別れた日の、次の週の金曜日。

裕介は家に帰ったあと、ためしに織へメッセージを送ってみた。


〈今、なにしてますか?〉


しばらくして、短い返信が届く。


〈書いてる〉


その素っ気なさに、裕介は思わず笑った。

そこから、ぽつぽつとやり取りが続いた。


織が、自分の住む市内の駅の近くのマンションに暮らしていることも、その会話の中で自然と分かった。

裕介は思い切って言ってみた。


〈どこかで会って話しませんか?〉


少し間を置いて、返事が来た。


〈家でいいよ〉


その一言に、裕介はしばらくスマホを見つめたまま動けなかった。

軽い誘いのつもりだったのに、思っていたよりもずっと近い距離で返ってきた気がした。

そして、それがすべての始まりだった。


----


次の日、織の住むマンションのエントランスに着くと、

すでに織が外で待っていた。


六月下旬。

朝から空気は重く、肌にまとわりつくような暑さだった。


自宅を出るとき、裕介は「友達の家に泊まってくる」と嘘をつき、車で家を離れた。

マンションの近くのコインパーキングに車を停め、少し歩いてここまで来た。


織は、夏らしい軽い服装をしていた。

風が吹くたびに布が揺れ、そのたびに目のやり場に困るほどの色気があった。


「暑かったでしょう」


織はそう言って、日差しの中でもどこか涼しげに立っていた。

裕介は、胸の奥がざわつくのを抑えられなかった。


昨日まで“ただの知り合い”だったはずの女性が、今は自分を待っている。

その事実だけで、背中に汗がにじんだ。


----


織の部屋に入った瞬間、裕介は思わず足を止めた。

思っていたよりも広い。

玄関を抜けると、右と左に一部屋ずつ扉があり、その先には、リビングとダイニングがゆったりとつながっている。

リビングの隣には、ふすまで仕切られた和室まであった。


「……上条さん、ひょっとして、誰かと住んでますか?」

思わず口をついて出た言葉だった。

織は振り返り、淡々と答える。

「いえ、独りよ」

「…いや、広いなと思いまして」


裕介は慌てて言い直した。

本当に誰かが住んでいるような気配はない。

整いすぎてもいないし、散らかってもいない。

生活の匂いが薄い、静かな部屋だった。

織は軽く笑った。


「仕事部屋が欲しくてね。広いほうが落ち着くの」

その言葉に、裕介はようやく息をついた。

だが、部屋の広さよりも、ここに自分が立っているという事実のほうが、よほど現実味がなかった。


ふとリビングのテーブルに目をやると、空き缶やペットボトル、食べ終えた皿がそのまま置かれていた。

ひとりで飲んでいたのだとすぐに分かる散らかり方だった。


「上条さん……飲んでました?」


織は振り返り、軽く首を傾ける。


「織でいいよ。……うん、飲んでた」

昼間から酒を飲む女。

裕介は、決して幻滅したわけではなかった。

むしろ、どこか憧れていた女性像に近かった。

美しい見た目。

整った身体。

生活習慣には少し乱れがある。

けれど、経済的にはしっかり自立している。

まるで、小説の中で読んだ“自由な女”のヒロインのようだった。

そのアンバランスさが、裕介にはたまらなく魅力的に映った。


----


二人で缶ビールを開け、軽く乾杯した。

都合がよかった。

今日は“友達と飲みに行く”という設定で家を出てきたのだ。

缶を合わせる音が、妙に現実味を帯びて響いた。


織がふと思い出したようにCDをかける。

流れてきたのは、裕介が昔から好きだったバンドの曲だった。


「俺も、これ好きですよ。ベース弾けます」


思わず口にすると、織は目を丸くしてこちらを向いた。


「え、そうなの?」


その反応が嬉しくて、裕介は自然と自分のことを話し始めていた。

高校を卒業してからバンドを続けていたこと。

フリーターをしながら、夢と現実の境界をうろついていたこと。

今でも細々と続けていること。


織は、缶を片手に、

「それで?」「それで?」

と、子どものように興味津々で聞いてくる。


その瞳に吸い寄せられるようだった。

無防備な視線と、夏の服からのぞく肌の白さ。

そのすべてが、裕介の心を静かに、しかし確実に引き込んでいく。

気づけば、彼女の部屋の空気に、自分の呼吸が馴染んでいくのが分かった。

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