5.織の部屋に招かれた日
織と初めて関係を持ったのは、半年ほど前のことだった。
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LINEを交換して別れた日の、次の週の金曜日。
裕介は家に帰ったあと、ためしに織へメッセージを送ってみた。
〈今、なにしてますか?〉
しばらくして、短い返信が届く。
〈書いてる〉
その素っ気なさに、裕介は思わず笑った。
そこから、ぽつぽつとやり取りが続いた。
織が、自分の住む市内の駅の近くのマンションに暮らしていることも、その会話の中で自然と分かった。
裕介は思い切って言ってみた。
〈どこかで会って話しませんか?〉
少し間を置いて、返事が来た。
〈家でいいよ〉
その一言に、裕介はしばらくスマホを見つめたまま動けなかった。
軽い誘いのつもりだったのに、思っていたよりもずっと近い距離で返ってきた気がした。
そして、それがすべての始まりだった。
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次の日、織の住むマンションのエントランスに着くと、
すでに織が外で待っていた。
六月下旬。
朝から空気は重く、肌にまとわりつくような暑さだった。
自宅を出るとき、裕介は「友達の家に泊まってくる」と嘘をつき、車で家を離れた。
マンションの近くのコインパーキングに車を停め、少し歩いてここまで来た。
織は、夏らしい軽い服装をしていた。
風が吹くたびに布が揺れ、そのたびに目のやり場に困るほどの色気があった。
「暑かったでしょう」
織はそう言って、日差しの中でもどこか涼しげに立っていた。
裕介は、胸の奥がざわつくのを抑えられなかった。
昨日まで“ただの知り合い”だったはずの女性が、今は自分を待っている。
その事実だけで、背中に汗がにじんだ。
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織の部屋に入った瞬間、裕介は思わず足を止めた。
思っていたよりも広い。
玄関を抜けると、右と左に一部屋ずつ扉があり、その先には、リビングとダイニングがゆったりとつながっている。
リビングの隣には、ふすまで仕切られた和室まであった。
「……上条さん、ひょっとして、誰かと住んでますか?」
思わず口をついて出た言葉だった。
織は振り返り、淡々と答える。
「いえ、独りよ」
「…いや、広いなと思いまして」
裕介は慌てて言い直した。
本当に誰かが住んでいるような気配はない。
整いすぎてもいないし、散らかってもいない。
生活の匂いが薄い、静かな部屋だった。
織は軽く笑った。
「仕事部屋が欲しくてね。広いほうが落ち着くの」
その言葉に、裕介はようやく息をついた。
だが、部屋の広さよりも、ここに自分が立っているという事実のほうが、よほど現実味がなかった。
ふとリビングのテーブルに目をやると、空き缶やペットボトル、食べ終えた皿がそのまま置かれていた。
ひとりで飲んでいたのだとすぐに分かる散らかり方だった。
「上条さん……飲んでました?」
織は振り返り、軽く首を傾ける。
「織でいいよ。……うん、飲んでた」
昼間から酒を飲む女。
裕介は、決して幻滅したわけではなかった。
むしろ、どこか憧れていた女性像に近かった。
美しい見た目。
整った身体。
生活習慣には少し乱れがある。
けれど、経済的にはしっかり自立している。
まるで、小説の中で読んだ“自由な女”のヒロインのようだった。
そのアンバランスさが、裕介にはたまらなく魅力的に映った。
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二人で缶ビールを開け、軽く乾杯した。
都合がよかった。
今日は“友達と飲みに行く”という設定で家を出てきたのだ。
缶を合わせる音が、妙に現実味を帯びて響いた。
織がふと思い出したようにCDをかける。
流れてきたのは、裕介が昔から好きだったバンドの曲だった。
「俺も、これ好きですよ。ベース弾けます」
思わず口にすると、織は目を丸くしてこちらを向いた。
「え、そうなの?」
その反応が嬉しくて、裕介は自然と自分のことを話し始めていた。
高校を卒業してからバンドを続けていたこと。
フリーターをしながら、夢と現実の境界をうろついていたこと。
今でも細々と続けていること。
織は、缶を片手に、
「それで?」「それで?」
と、子どものように興味津々で聞いてくる。
その瞳に吸い寄せられるようだった。
無防備な視線と、夏の服からのぞく肌の白さ。
そのすべてが、裕介の心を静かに、しかし確実に引き込んでいく。
気づけば、彼女の部屋の空気に、自分の呼吸が馴染んでいくのが分かった。




