15.織が“母”に紹介した夜
「で、織が男を連れてくるのは初めてだけど、どうしたの?」
雪が軽く笑いながら言うと、織は少しだけ視線をそらしながら答えた。
「……紹介したくて」
「へえ、めずらしい。で、あなたは?」
「あ、はい。清水といいます。清水裕介です」
「……清水さん、ね」
雪は、グラス越しにじっと裕介を見つめた。
その視線は柔らかいのに、どこか底が読めない。
裕介は、二人が出会ったきっかけを簡単に話し、週末は織のマンションにお邪魔しています、と続けた。
「だから最近、部屋がきれいだったのね」
雪がそう言うと、織がむっとしたように眉を寄せる。
「この子、なあんにもしないでしょ?」
「……それは、もう裕介は知ってるから」
「知ってて、付き合ってるの?」
“付き合ってるのか”
その直球の問いに、裕介は言葉を失った。
なんと答えればいいのか分からない。
沈黙が、カウンターの上にゆっくりと落ちていく。
雪は、その沈黙の意味を察したようだったが、あえて追及せず、話題を変える。
「片付け、誰がしてるんだろうと思ってたけど……清水さんだったのね」
「ええ、まあ……自分で持って行ったゴミもありますし」
「お風呂場もトイレも綺麗になってて、びっくりしたわ」
「その……織さんが本を書いている間、時間を持て余してしまうので」
「そうだったの。……織、こういう男は他にいないよ」
「分かってるって」
雪は、ふっと息をつき、裕介のほうへ視線を戻した。
「あなたのような女には、きっとこういう人が必要ね」
その言葉は、褒め言葉とも、忠告ともつかない。
ただ、長年夜のカウンターに立ってきた人だけが持つ、静かな確信のような響きがあった。
「大したものは出来ないけれど、何か食べる?」
雪がそう言うと、織は小さく首を振った。
「今日は、裕介を紹介したかっただけだから」
「あら、そうなの」
「それに、そろそろお客さんが来る時間じゃない?」
時計は、午後八時半を少し回っていた。
「それも、そうね」
織が席を立つ。その動きにつられるように、裕介も立ち上がった。
「あの、また来てもいいですか」
裕介が遠慮がちに尋ねると、雪は短く、しかし柔らかく言った。
「勿論」
グラスに残っていたビールを、裕介は一息に飲み干した。
喉を通る冷たさが、妙に旨く感じられた。
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店を出ると、織は、駅の方に歩き始めた。
「織…次は?」
「買い物」
2月のこの時間は寒い。
自然と身を寄せ合う。
裕介は、織の腰に手を伸ばして、引き寄せて、歩いた。
「こういうの、してみたかった」
裕介がそう言うと、織は首を傾げる。
「…奥さんに、してあげたらいいのに」
「嫌がるんだ、人前でも、家でも」
「…そう」
それきり、何も言わない。
裕介は、かつては、この沈黙が苦手だった。
他の人といる時、例え家族であっても、何か言わなければ、と思ってしまう。
裕介は、家にいるときや、車の運転している時に、近くにいる彩や美があまり喋るほうではないので、つい気をつかって色々話したくなる。
大した反応など無いのだが。
織と居るときは、何故か、この沈黙が苦にならなかった。
常に、触れ合っているからなのかもしれなかった。
織のマンションにいる時は、交わっている時以外でも、大抵は、傍に寄り添い合っている。
常に、ベタベタしている訳では無いが、あっさりしている訳でもない。
織が書いている時も、裕介は傍にいて、膝枕をしてもらったり、時々キスをしたりなどしている。
その距離感が、沈黙を沈黙のまま許してくれた。




