刀砕き①
水分凝縮機が作動を始めて、12時間が経過した。
溜まった水はバケツ一杯分。作業員らは、そのバケツを巨大な樽に移し替え、再びバケツをセットする。
「終わったぞシリウス。見張りご苦労さん」
西の空に太陽が見えている。まもなく日が沈む。
護衛のシリウスに、防具と呼べる物は一つもない。その代わりに、鋼鉄の腕輪がついている。簡単に逃げられないようにするための「保険」であり、四肢に取り付けられている魔法装置。
シリウスは無銘の長剣を鞘へ仕舞い、後ろの荷台に乗り込んだ。
一応は隷属関係なのだが、奴隷ほど凄惨ではない。防具も武具も買える程度には、シリウスにも金がある。貧弱な装備をしているのは、単純に彼にとって邪魔でしかないため。
「乗った。周囲の魔獣もいない」
駱駝の手綱を握り、再び駱駝車がゆったりと駆け出す。荷台に積んだ樽が重くなったせいで、砂に足を取られやすくなる。そもそも重くて進みが遅い。
水分の密輸人は、毎日プラントを回っては樽に水を入れている。これで金塊と交換できるというのは、大変良い儲け話である。
ちらりと樽の水を見ると、やや砂が混じっている。
「旦那。今回、なんか水質悪くないか?」
シリウスは水をじっと見つめてそう言った。この水は生活用水であるが、それ以前に飲み水である。濾過や煮沸は当然としても、濁りきった水はやはり価格が下がる。
「俺も思ってたぜ?砂嵐の影響だと思いたいけどな。最近ここらは質が悪い」
質の悪い水は当然安くなる。密輸業者にとって、水質はそのまま死活問題へと直結しているのだ。
「いい加減、プラントを開拓しなきゃならねえ」
「だが、他のクランから奪うほどの戦力がうちにあるか?」
そういって、密輸人らはシリウスを見る。その視線に気が付き、シリウスは顔をゆがめた。
「なんだよ、オレじゃあ不満?魔法も使えない雑魚だから、戦力として弱すぎると?」
どうやら本気で気を悪くしているシリウスを見て、密輸人はどっと冷や汗を流した。論点が違っているのだと、彼らは咄嗟に訂正した。うっかり不興を買えば、生き残るのはシリウスの方なんだ。ただ、それを真に受けず冗談交じりで言うことで、密輸人と護衛の上下関係を何とか取り繕わなければならない。
「誰がそんなこと考えるか。普通栽培車に護衛は四人だぞ?それを一人でやってるお前ははっきり言って異質だ。だがな、単純に数がいない。戦争はな、一人の英雄がいても勝てないんだ」
「オレは……英雄じゃない。逆賊の大罪人だ」
柄にもなく、シリウスは本気で反論しかけて、すぐに冷静さを取り戻した。胸元のネックレスは、すでに光を失っている。
「お前の出自はよく知らないが、とにかく頼りにしてる。だから無謀なことして失うのも痛い。ボスはそんな考えだろうな」
砂漠地帯に目立つ一本の墓標のような鉄塔。その近くに水分凝縮機が置かれている。太陽から得られる魔力で、ゆっくりと砂から水分を抽出している。太陽がある限り永久機関ともいえる機構は、古い時代の技術と――最新ではないが――帝国の魔法学の結晶。
この世界で、水分は黄金ほどの価値を持つ。
世界の4割の大地を領有している帝国は、その水分の市場を独占しているためだ。水がなければ人は死ぬ。ゆえに水分はどれほど価値を上げられても、買うしかない。
ゆえに、密輸業者が各地に潜んでいる。水分の市場独占を防止するための苦肉の策。その多くは帝国とは異なる国家と密かに契約した、半官半民の非政府組織である。
シリウスの所属するクラン【山東牛】も、カバルト共和国という小国と取引している業者である。
とはいえ、密輸業者にも勢力図は存在している。国をまたいで取引し、また巨大な組織の方が流通も安定しているためだ。【山東牛】は決して強力なクランではない。なんとか出涸らしを確保して食いつないでいる、弱小クランである。
日が傾き、夜へと近づく。今月は日勤の当番だ。そろそろ交代の時間も近い。最後に巡る水分凝縮機を控えて、駱駝車がゆったりと進む。
24時間分の水分は溢れてしまうため、二交代制で回る必要がある。砂漠の天候に左右されても、密輸業者は必ず水を回収する。
ふと、シリウスが別の気配に顔を上げる。
「何かいる。オレたちの進行方向だ。何か見えるか」
駱駝の御者が目を凝らして砂漠の縁を見る。黄昏の曖昧な輪郭と砂塵が、視界を曇らせる。
しかし、ぼやけた視界でも、その巨体を見紛うことはできない。
「あれは…………帝国の警備ゴーレムか?」
帝国の国力は、警備にすら影響が出ている。人件費を削減した結果、材料費が高いゴーレムが警備についている。それも人よりもずっと強力で、忠実な存在だ。灯台のように赤い光が回転を続けている。黄昏の砂漠を赤い光で照らしている。その赤い光とシリウスの目が合う。しかし、ゴーレムの方から眼を逸らされた。
「ここならまだ襲ってこない。旦那、今のうちに進路変えて倉庫に戻った方がよさそうだ」
「だが、不足分の水はどうする。まああんな化け物に命取られるよりは全然マシだが、どうにかして補填しないとな」
「最悪はオレたちから水分抜き取ることになるか」
やはり、微妙な反応だ。水分を無理矢理回収されるので、回収量が多いときは脱水状態に近い。シリウスも、水抜きは嫌いだった。少し考えて、よし、とシリウスは決意する。
「それじゃあオレが回収する。お前たちは先に倉庫に戻ってろ」
「……は?お前、あれを相手にするのか?」
業者を仕切る上長が、荷台から身を乗り出してシリウスへ問い詰めた。
「だが、あそこで最後の凝縮機だし、倉庫までは歩いていける距離だ」
「冗談よせ。逃げ切って全員で責任とるぞ」
密輸業者は護衛含めてチームで動くことが多い。護衛は様々な密輸業者と共に採取に出るが、シリウスは年齢のせいもあってか働きすぎると上長に叱られる。そのため大抵は顔見知りのメンバーと採集に向かう。
シリウスはもう一度ゴーレムを見る。赤いライトと視線が交錯するが、それだけでゴーレムは動じない。シリウスは自分の無力さに落胆した。あれくらいのゴーレムを、二つ返事で倒せるくらいにならなければ。たまたま運よく最後の水分凝縮機で遭遇したからよかったが、もっと前だとさらに水分の徴収量が増える。最悪死ぬ可能性もある。
「………………わかった。すまない。オレがもっと頼もしかったら――」
しかたなく、シリウスは受け入れて逃げようとした。その時、荷台の上に、突風が吹き荒れた。
黒い――矢。
シリウスの視界には、場違いな矢が見える。その先端は駱駝を指している。今にも移動手段を封じられようとしている。
さらにその矢が三本後から続いている。軌道上には、御者、そして密輸パーティのリーダー、そしてシリウス。
「……っ!」
その間隙に、一条の鎖が割り込んだ。矢は鎖によって断ち切られ、続く三本は駱駝の速力によって狙いを外す。荷台の天幕が断ち切られ、樽の一本に矢が刺さった。
「旦那ぁ、樽の水は抑えてくれ、水を無駄にはしないでほしい」
腰の長剣を、シリウスは抜こうとしない。代わりに一本の長い鎖を手繰る。その先端についた厳しい――大剣。
大剣をさらに一振り。後続の矢の雨を弾き飛ばす。
弓の射手なら余裕で狙える距離にある。シリウスの口元が歪む。弓を使うゴーレムなど聞いたことがない。それに、この荷台を守りながら射程を離脱するのもややリスクが伴う。
「やっぱりオレがアイツ斃した方が良さそうだ。水は歩いて持ち帰る。旦那、先に帰って増援呼んでくれ」
「…………クソっ、わかったよお前の好きにしろ。だけど死ぬなよ。普通に死なれたら困るしな」
「死なない程度に足止めするから、早く行ってくれ」
シリウスは荷台から飛び降りる。同時に駱駝の速度が上がった。射程圏内が不明だが、とにかく距離を取るしか方法はない。
――やはり、矢の数が増えている。
鎖を強く握り、鎖を持って矢を弾く。矢は黒鉄で、風を伴って襲いかかる。並の剣では二発で折れる威力だ。鎖と衝突するたび、甲高い音が砂漠に響き渡る。
シリウスは短く息を切って地面を蹴った。重い大剣をものともせず、軽快な足取りで砂漠を疾走する。
同刻、鋼鉄のゴーレムがモノアイの赤光を強める。ゴーレムは弓を引いているのではなく、腕に取り付けられたクロスボウにて矢を放っている。ほぼノータイムで装填される矢弾は、魔法によって自動的に生成される。
今度はこちらに向かってくる熱源に照準を定めた。
――放射。
黒鉄の矢には対魔の加護が封じられている。通常、魔法に加護を組み合わせることは不可能。ゴーレムという人外の属性を逆手に取り、鋼鉄のゴーレムはこれを可能にする。
同時に、大地から魔力を吸い上げることで、魔力の自己補完を実現しており、矢の速射を可能とする。
しかし、シリウスには届かない。
遺産である鎖は、これらの魔法を根本から退ける。同じ対魔でも、格が違う代物。
全て鎖にぶつけて回避し、距離がつまる。続いてシリウスが身体を高く跳躍させる。矢の雨を、空中で身を翻しながら潜り抜ける。そして鎖を手繰る。
「大剣ノ重量からしテ、あれほど高ク跳躍できるカ、カ」
ゴーレムが唸る。誤差修正をかけつつ、矢の射出を止めない。一向に当たらないためか、ゴーレムとの距離が縮まってくる。身のこなしが軽い……いや、何か欠けている。ゴーレムの思考回路が熱を帯びる。近接用の大剣を腕に着装する。
――大剣を、持っていなイ……
モノアイをシリウスから剥がし、代わりに熱源センサでシリウスの影を追跡させる。視覚を強化しつつ遠方までを暗視で俯瞰する。夕闇に紛れて、どこかに獲物が潜んでいる。
ゴーレムの判断は正しい。大剣を投擲している可能性。鎖を使っているのなら当然あり得る。
その時、突如としてゴーレムが横に揺らぐ。装甲を破られ、腰の回路が焼き切れている。ゴーレムは咄嗟に損傷個所を見下ろす。
そこに、大剣が食い込んでいた。
シリウスは手元に大剣を再び寄せ、ついにはゴーレムの間合いにまで達する。
「ソ、そうか…………」
クロスボウをパージ。金属の錬成により、両腕に大剣を着装した。シリウスの持つ大剣をベースに精製したものである。性能は落ちるが、形状としての利点と、耐久性は同格と言える。
――さっきの奇襲でほぼ無傷に近いな。
シリウスの手札はあまり残されていない。腰の長剣は、おそらく一回使うだけで砕かれる。
だが、口許は緩んでしまっていた。




