冥府の死者
茫漠とした砂の大地。原初の赤い土が眠るこの砂漠は、古くから聖域として時の支配者の手元に置かれている。
仰げば星の海が浮かび上がっている。星辰のもと、砂は星の光を取り込んで寄り集まる。やがて小さなヒトを象った人形が生まれ、夜の風が強く吹き込んだ。
風と共に黒い影が乗り移る。その人形には魂が注ぎ込まれた。強大すぎるがゆえに人の器では溢れてしまう魂は、自ら作り上げた人形によって、漸く顕現を果たしたのだ。ゆっくりと目を開ける。周囲を見ると、同じように人形の残骸が埋まっている。すべて元の自分であり、同時にすべてが欠損している。人形は初めて、魔法の適性が高いといわれる少女型で制作された。やや肉体の制約を感じ、”それ”は鬱陶しく感じてしまう。
砂混じりの大気を吸い込み、そしてため息とともに吐いた。器の臭いと老化の前兆。そして、世界の全景を一心に感じ取る。
「やれやれ、前回よりも醜悪らしい」
観測者【プルート】、25柱目の受肉である。
過去24度において、プルートら観測者はこの砂漠を離脱できていない。観測者と名の付く通り、彼女は審判の調査という天啓を受けて俗世へと顕現している。それはおおよそ200年ほど前の事である。以後、8年周期で受肉を繰り返しているが、そのすべてで現地の人間に殺害されている。中身を変えているにもかかわらず、どのような手を尽くしても観測者は悉く排除されてきた。そして今回も、歓待は凄惨さを極める。
「今度は女の子にしたのか?そんなもので慈悲の心が生まれるとでも?」
不敵な笑みを浮かべる男は、他よりも一歩踏み出してプルートへ近づいている。黒龍の持つ死毒すら防ぎ切る地上最強の皮衣を袈裟懸けし、清澄な闘気を見に纏う長身の男。その顔立ちと立ち姿に、プルートは何となく見覚えを感じ取った。上から観測している時のものだ。
「毎度同じ試行を繰り返しているわけではないよ。これもその一種さ。今回も中身が違う、前回のアルクメネは、単純に相性が悪かったね」
器に肉体を閉じるという過程で、前任者は蒸発して死亡した。
「そうか、ならその意味はない。地獄へお帰り願おう」
周期的に復活しているため、人間側にとってそのタイミングは予想しやすい。それが預言者によるものなら尚更だ。おかげで、プルートの目の前には、人類史上最強格の存在が待ち構えている。プルートは観測者であり、観測者。危害を加える気は一切ないはずなのに、降臨者とかいう名前にグレードアップして敵対されている。
「キミは……以前にも観測した顔だ。8年という年月が経っても、キミは変わっていないようだね」
仁王立ちで立ちはだかる男を見て、プルートは穏やかな口ぶりで語りかける。六大英雄の生き残り、【千里眼】クロウリーは、人間の身において唯一確実な未来予測が可能な存在。プルートが前回死亡した元凶でもある。
「そりゃどうも。俺は英雄だからな」
「『我々』は天理より命令を賜りこの地に降り立った。この争いに意味はないと、何度も伝えているのだけれど」
それに、プルート本体は冥界にあり、いくら人形を壊されようとなんの意味もない。永遠に受肉を繰り返すだけなのだ。同時に、人形に込められる力にも限界があるため、プルート単体が打開できるような性能を発揮できないこともある。
だからこそ、今回も変更を加えている。
「だからどうした。屍が」
「闇雲に外見だけ変えたわけじゃない。中身も変えている」
迫り来る敵を前に、プルートは何もしなかった。やがてクロウリーの黒剣が肉薄する。ここまで来てもなお、プルートに反応は見られない。ただじっと空の一点を仰ぎ見るのみ。
クロウリーの長剣は手ごたえ虚しく空振った。プルートがすれすれで身を翻して回避したのである。プルートは剣士ではない。距離を詰められると途端に不利に転ずるため、跳躍と共に距離を取った。
「あんまりやられっぱなしだと、上に怒られてしまうからね」
「それは気の毒だ。8年前よりも、俺は強い」
英雄の剣はそれぞれ特殊な材質で鋳造されており、また保有する効果も異なる。クロウリーの黒剣、【サイフォディアスの右手】は、文字通り上位悪魔の右手を原型としており、突き刺したものに例外なく死を与える。8年前には所持していなかった魔剣。
「お互いの成長度合い、試してみる価値はありそうだ」
復活直後の生命維持により、プルートの備蓄していたなけなしの魔力が底を尽きる。それと同時に、魔導書第13番【解体審判書666】を手元へと招聘した。口では詠唱を重ねる。
『蒼穹へ堕ちろ――』
【天獄の門】
色彩は反転する。星空が色鮮やかに映るほど、地平は暗黒へと染まった。クロウリーはニッと笑みを作り、長剣を片手に駆け出す。地平の暗黒より、幾千もの異形が姿を顕す。そのどれもが名のある悪魔であり、とめどなく出現を続ける。魔導書の魔力が尽きようと門は開き続け、また世界を汚染する。
「多少は、強くなったようだな」
――だが、弱いな。
黒剣が光を纏い、勇猛にも吼えた。一振りで悪魔は裂断され、闇を閃光が引き裂く。クロウリーの一閃により、地平線までの数十の悪魔が屠られる。プルートは眉を顰める。聞いていたよりも、確かに強くなっているのだ。
それも詠唱などの奇蹟ではなく、ただの魔剣を用いた一振り。単純に膂力が尋常ではないと、プルートは瞬時に察知した。だからといって、彼女が取れる手段はない。すでに己が魔力は尽きており、魔導書に依存している。大量の悪魔によって物量で押し切れる算段だったのに、すでにクロウリーは半数以上の悪魔を殺しており、黒い大地には死骸が増え始めている。
更に速く、クロウリーが加速する。加速に連れてエネルギーも増加し、斬撃の生じる被害が指数関数的に増えていく。無数の悪魔を殺しておきながらも、一切の魔法を使っていないうえに、クロウリーは息切れすらしていない。大規模な魔法を放ったプルートは、すでに後が残されていない。
圧倒的に、クロウリーの優勢である。
多勢に無勢という言葉を、心の底から疑いたくなる思いだった。
プルートは嫌な予感を感じ取り、自身とクロウリーの間に強力な上位悪魔を再出現させる。そもそも上位悪魔を素材とした剣であれば、同じ悪魔とは相性的に微妙。天使や神のような弱点にはなり得ないが、火を火で燃やすことはできないようなもの。
「このまま焼き殺してやる」
だが、頼みにしていた眷属は、たった一つの斬撃で塵となる。斬撃が飛翔したのだ。もう一度目視でクロウリーを確認するも、魔法の一切は使われていない。プルートは目を細めた。
クロウリーの放った斬撃は悪魔を屠っても止まらず、なおもプルートに向かって襲い掛かる。悪魔は肉片すら残らず、焦げ臭いにおいだけが残る。
「ふむ」
プルートは煩わし気に手を横へと振り払う。その動作と同時に、巨大な黒い斬撃は消え、代わりに白い羽根となって宙を舞う。
――物質変換。恐ろしい速度だ。やはり、侮っていては死ぬな。
クロウリーはもう一度身を引き締める。
その何気ない斬撃は、クロウリーにとっての陽動でもあった。プルートはクロウリーの姿を一瞬だけ見失う。やや遅れて魔力の集中を感じた。
『深淵の光や穂脳――』
光が強まった。大気の流れが変わる。大きなエネルギーがうねり、上空の一点へと収束する。あれは空間を圧縮している。
それもただの光では無い。
――上位悪魔、と言ったね。
死毒でありながら、あれは神聖さが強い。悪魔は悪魔でも、あれは堕天使の方だ。プルートも冥王とか呼ばれることがあるものの、彼女は神であり神聖不可侵な存在である。要するに格落ちだが同じ原理。
だが、今のプルートは神では無い。器に詰まっている意志の断片。天使の呪いを受ければ、即死は免れない。
「悪いけど、少しだけ足掻くことにしよう」
そして一瞬の陽動が生じたタイムラグ。プルートが対抗魔法を出そうと、先に放たれるのはクロウリーの斬撃であり、高速詠唱のゴリ押しでも威力において劣る。
プルートの背後に円環と十二の星座が出現する。
「やるだけの価値はあるさ」
プルートの超常能力。効果は不明。空気が揺らぎ始め、魔力とは別のエネルギーが収束を開始する。
プルートの超常能力が拡張する。星座が淡い光を帯び黒く染まった大地は金色の輝きを取り戻す。かつての【始まりの大地】が、一時的に再現される。
同時に、クロウリーは詠唱を終え、斬撃を天より堕とした。
決して混ざり合うことのない黒と白が、その日反転する。
――【聖光よ、暗黒を拓け】
――【天理の虚像は不可視たる凶星を隠匿せん】
これは、死にゆく世界で足掻くことのみを赦された、儚い人類たちの記録に過ぎない。




