16話 オンリーワン
ここ最近にしては珍しく晴れた。快晴だ。
青い海に陽光がきらきら反射している。
(綺麗だな。)
空港にかかる大橋の上を、ハンドルを握りながらそう思い、外の景色に目をやる。
今日は絵梨香が帰ってくる日。
絵梨香を乗せた飛行機が発着するこの空港は、海の先を埋め立てて作られ、陸地からはこの大橋を渡って行けるようになっている。
その橋から眺める海が、日の光を受け、まるで春の海のようにきらめいている。
橋を渡り、近代的な造りの広い空港の駐車場に車を停めると、まっすぐエントランスに向かって歩く。エントランスの前には、何台かのタクシーが列を作り、乗客を乗せたり、降ろしたりしていた。
タクシーの列を通り過ぎ、発着ロビーへ向かおうと建物の内部へ入ろうとした時、絵梨香を迎えるため、空港で待ち合わせをしていた隆博がタクシーから降りるところへ出くわした。
「悟。」
「ぴったりだな。」
彼は約束の時間に遅れることなんて、まずない。
手に小さなボストンバックを抱えている。
駐車場に停めてある俺の車に置いてこようか、と尋ねると、〝いいよ。面倒だ。〟と答えた。
「仕事は?何日かはいれるんだろ。」
抱えている荷物は、滞在するためのものだと思い尋ねると、
「ああ、仕事はきりがついたし、絵梨香ちゃんからも手紙もらってるからね。一緒にクリスマスとか過ごそうって。」
「絵梨香は何がしたいとかって?」
「別に、何も書いてはなかったけど。」
そして、隆博は思い出したように、
「荷物、すまなかった。大変だったろ。」
「いや、たいして。」
そう答えると、前を行きかけた俺の腕を急に掴んで、
「悟、僕マンション売ってきたんだ。」
「は?」
大勢の人でごった返すロビーの真ん中、人の話声や空港のアナウンスやらで、隆博が言った事がはっきり聞こえなかった。立ち止まった俺の足に、旅行客のスーツケースの角がごちんと当たった。
「痛っ。」
それを見て隆博がおかしそうににやにやするので、
「何?よく聞こえなかったよ。」
声を荒げると、俺の耳元に思いっきり顔を近づけて、
「だからさ、マンション売ってきたんだよ。売り払ってきたって。住むのはそっち、新宿に一部屋仕事部屋を借りた。」
「引き払ったって?」
「そうだよ。だからこっちに住むって。悟がそうしろって言ったんじゃないか。」
「ああ、そう、そう言ったけど。」
急に物事がリアリティを帯びてきた。送ってきた荷物、今日、又こうやって絵梨香を迎えに一緒に空港に来ている。もうそこまで自分が望んだ状況が近づいて来ているのに、まだどこか信じられずに、夢を見ているように思っている。
「それにしてもやることが早いな。」
急に照れくさくなって、そっけなくそう言ってしまい、後でちょっと後悔した。
そんな俺をちらっと、一瞥すると、隆博はテイクアウトのコーヒーをふたつ買って、デッキに出ようと言った。冬の寒さのせいか、デッキに出て飛行機の発着を眺める人はまばらだ。
彼の後を追い、
「いいのか。」
そう、問うと、
彼はにっこり笑って、
「別に構わないさ。仕事は東京の方がやりやすいし、ま、別に住むところや仕事なんていいんだよ。何をしたって生きていける。あんたとならニースでもアンゴラでも行くよ。ジャンキー相手に薬の密売人をしたっていい。」
「何だそれ?」
「お前には似合わん不良な言い方だな。」
「あはは、そうか?」
彼はいやに陽気だ。大人しく見えるやつほど大胆な決断をする。し、驚くほど早い。
「だいたいアンゴラってどこ?」
「どこでもいいよ。」
「大事なことは、あんたはこの世にたったひとりだっていうことだ。悟の代わりは誰にも出来ないってことだよ。」
デッキの柵に寄りかかるようにして、コーヒーを飲みながら彼は続けた。
「そう、世界でたったひとりなんだからね。あんたは。だから何を失ったっていいって言ってるんだよ。」
わかるか?そう言いたそうにあいつは俺の顔を覗きこんだ。
ああ、わかるよ。そして、それが言って欲しかった言葉だ。
ずっと長い間、そう子供の頃からかもしれん、ずっと待っていた言葉だ。
〝自分は誰かにとってこの世でたったひとりの存在で、誰も代われない。そして自分にとってもその相手がオンリーワンだっていうこと。〟
誰かに言って欲しかった。そう思ってずっと生きてきた。
俺の顔を覗きこんだあいつの肩を手で押しやると、急に恥ずかしさが込み上げてきた。
いつもそうだ。臆面もなく子供のように、ストレートに自分の気持ちをぶつけてくる。そんな隆博の気持ちが嬉しくて、何か言葉を発しようと思うのだが、照れくさいという気持ちが先に立って何も言えない。だけどやつは、そんな俺の様子を黙って見ている。
そう、いつもそう。余裕のある笑みをかすかに浮かべて。
デッキの柵の後ろを何機かの飛行機が行ったり来たりしていた。コーヒーを飲み終えて時計を見ると、そろそろ絵梨香を乗せた飛行機が到着する頃だった。
「もうそろそろだ。行こうか。」
そう言って、あいつの顔を見るのが精一杯だ。
「ああ、そうだね。」
デッキを離れようとした俺の肩を、誰かかが叩いた。