6話 陽が当たっている時も、翳っている時も
客が数人入ってきて、店は急に活気がつきはじめた。
様子を察して、帰ろうと立ち上がった俺を扉のところまで見送り、
要が、
「言いにくいこと話してくれておおきに。」
(俺の方こそ・・)
言いかけようとすると、手を振ってそれを遮り、
「おまんにえろう信用されてるんや思えて、嬉しいで。」
ああ、この男に話してよかったと、心の底からそう思った。
ふたりで顔を見合わせると、笑いが沸いてきた。
「あはは、でも、何でわかった?」
隆博のことだ。
要は鼻まで下がった眼鏡のフレームを指で押しやりながら、
「おまんのあんな顔、初めて見たからや。」
ええ?
「ほんとはもっと弱いヤツやったんやなあって。」
どんな顔してたんだろう?
そう言うと、
こんな顔や。
そう言って、彼は顔をくしゃくしゃにして、泣きそうな、はにかんだような表情を作った。
ドアを開けようとノブの取っ手に回した俺の手を掴んで、彼は続けた。
「あとなあ、堀江くんの問題は、堀江くん自身が解決して乗り越えないかん問題や。それを第三者がどうのこうのできる問題やない。おまんがそこまで首を突っ込んで、悩むことないで。」
「そうだろうか。」
「ああ、変えれるんは、自分の考えと行動だけや。」
「あと、これだけは忘れんといてや。おまんに陽が当たっているときも、翳っているときも、同じ場所に俺はおるで。」
そう言って、またにっと歯を見せ、俺の手を離した。
家に帰ると絵梨香が帰っていた。
朝早く出かけたきり、どこに行ってるのか、いつ帰るのか、電話を入れてもメールをしても返事がなかったので、しょうがなく放っておいたのだが・・・
「遅くまでどこ行ってた?」
玄関で靴の紐を解きながら声をかけると、
「パパこそ、遅くまでどこ行ってたの?」
要んとこだよ。
そう言うと、ふうん、と玄関からリビングに続く廊下の柱にもたれかかったまま鼻を鳴らした。
絵梨香は自分の行動を話すつもりはないらしい。黙って俺の行動を見ている。
彼女の顔を見ると、泣いていたのかな。瞼が少し腫れているような・・・
「泣いた?なんかあった?」
ううん、彼女は首を振った。
キッチンへ行って水を飲んでいると、何か話したそうに絵梨香は俺の後を追って、キッチンへ入って来た。
「どうした?」
彼女は、1週間後に渡米を控えていた。
荷造りは済んだのか?買い物があるなら明日ならパパ、一緒に行けるけど。
明日は休みだったので、そう声をかけると、
「パパ・・。」
「うん?」
「私、ママに会う。」
え?
聞き間違いか?俺、酔っ払ってるから。
「何?」
聞きなおすと、
「ママに会ってもいいよ。もう日本にいれるのも少しだから。」
彼女の顔を見つめた。眠いのか、泣いたのか、瞼が少し腫れている様子が気になったけど、何だか素直な目をしていた。本当に素直に母親に会ってもいいと思っているような様子に感じ取れた。びっくりはしたが、つとめて冷静に答えた。
「ママに電話するよ。」
次の朝、乃理子に電話を入れると、彼女は信じられないと非常に喜んだ。あんなふうに嬉しそうな乃理子の声を聞いたのは何年ぶりだろう。電話の向こうで泣いているのか、声をつまらせ、つまらせ、こう言った。
「私は今日でも構わないわ。絵梨香の気持ちが変わらないうちに、早く、1分でも早くあの子に会いたいわ。」
「今日?」
時計を見た。朝の8時を回っている。
彼女は続けた。家の場所と、そして夫は出張でいないと。
じっと部屋の隅でその様子を伺っていた娘の顔を見た。
(どうする?)
絵梨香は黙って頷いた。
昼過ぎ。
外で食事を済ませ、地下鉄と郊外線を乗り継いで、乃理子の家がある町までやって来た。
都内から電車で30分ほどの郊外のベッドタウン。
小さな家が密集した住宅街だ。
彼女の家がある高台の団地を目指して、緩やかな坂を上る。
絵梨香は、乃理子の家に近づくにつれ口数が少なくなってきた。彼女なりに緊張しているのだろう。そういう自分自身もだ。
4年前、離婚して以来一度も乃理子に会ってない。
建売だと思われる同じようなデザインの家が、何軒か並ぶ通りに彼女の家があった。すぐそこに乃理子の家が見えてきた。何を思ったか、絵梨香は急に行き先とは逆に方向を変え、近くにあったカントリー調の建物のカフェに飛び込んだ。
「おい、絵梨香。」
慌てて彼女の後を追い、店に入る。
テーブルに座った絵梨香の前に腰を下ろすと、間髪いれずウェイトレスが注文を取りに来る。
ちょっと待って、と目で合図して、
「絵梨香。ママ待ってるぞ。」
「わかってる。」
「こんなとこ入って。」
絵梨香はうつむき、
「ちょっと心の準備。」
「心の準備?」
「何だかどんな顔してママに会ったらいいのか。わかんなくなってきた。」
「絵梨香が緊張してるのわかるよ。パパだってどういう顔して会ったらいいかわからない。」
「うん。」
「パパ、先にママに会ってきて。」
「え?」
「私ここでお茶でも飲んで、心の準備してから行く。」
「でも・・・」
絵梨香は落ち着かないように、視線をきょろきょろと動かし、戸惑っているふうが見てとれた。
ちょっと途方にくれたが、すぐに俺は気を取り直して、
「わかった。後で呼びに来るよ。」
そういい残して、彼女を店に残し、先にひとりで乃理子の家に向かうことにした。