第4章「時間」 1話 乃理子からの電話
翌日、出社するとデスクの上には書類が山積みになっていた。
(3日休んだだけで、これかよ。)
うんざりしながら、目を通していると、
「休暇はどうだった?」
ジェリーか。
「娘と温泉に行ったよ。楽しかったな。」
手短に答える。
ジェリーも忙しそうな様子を見て、
「そうか。じゃ、また後でゆっくり聞かせてくれ。」
そう言って席を離れた。
書類の山に忙殺されながらも、浮かぶのは隆博の手紙の内容。
あれから携帯へも家へも電話してみた。
一方的だ。
自分が言いたいことだけ、言って。
だけど、電話に出ない。話をしようにも、しようすがない。
いらいらしながら、書類を片付ける。
ある程度片づけて、一息入れようとコーヒーを入れに席をたつ。
そこへ、携帯が鳴る。
画面を見ると、
(あ。)
乃理子からだ。
「もしもし。」
「・・あなた?」
「ひさしぶり・・元気か?」
「ええ、元気よ。」
乃理子は時々、電話をしてくる。その内容は絵梨香のことだ。
どうしているのか、元気なのか。変わった事はないかとか、そんなこと。
休憩スペースまで歩いていき、椅子に腰を下ろす。
「絵梨香のことか?」
「・・・」
乃理子が電話してきたのはわかっている。
絵梨香の大学の入学式は2週間後。
それまでに母親に会いに行くよう話がしてあるのだが、絵梨香がうんと言わない。
その返事にじれて乃理子が電話をかけてきたのだと、察した。
乃理子はあれから、例の男と所帯を持った。今はふたりで東京の郊外に小さな家を買って暮らしている。俺の事はもうどうでもいいんだろうが、娘のことが気にかかるらしく、定期的にこうやって連絡がある。本当は絵梨香と話がしたいんだろうが、絵梨香自身が、母親と話をしようとしない。
「わかっている。今日、帰ったらもう一度話をしてみる。」
そう答えると、ほっとしたように、
「お願いね。ほんの少しの時間でいいの。あの子と話がしたいの。どうしても。」
そう言って電話が切れた。
自分の問題は後回しだ。
絵梨香は、もう2週間もしたら米国へ渡らないといけない。
その数日前には一緒に渡米して、学校の手続きやいろんな準備をしないといけないので、また4日ほど休みをもらうことになっている。
ホームスティさせてもらうことになっている、叔父の所へも挨拶に行かないといけないし、叔父はこちらで面倒みるから、来なくていいとは言ってくれたけど、親としてそうも言っていられないし。
仕事をまた超特急で片付けないと。
悩んでいるひまなんてなさそうだ。
夜、家に帰ると、絵梨香は自室でテレビを見ていた。
半開きになっているドアをノックする。
「あ、パパ、帰ってたの。」
俺が帰ってきたのに気がつかなかった様子だ。
薄いグレーのボーダーの上下の部屋着をきて、ぼんやりソファを枕にしてそのままの姿勢で、顔だけこちらへ向けて返事する。
「飯、食ったか?」
「うん。」
「パパのキッチンにあるから、チンして食べて。」
それだけ言うと、またテレビの画面に目を戻した。
あれから、絵梨香は元気がない。口数も少ないし、あまり出かけようともしない。もうすぐ、大学入学のため渡米しなければならないのに、荷造りもあまり進んでいない様子だ。
「元気ないな。真奈美ちゃんと遊びに行ってこれば。また、向こうへ行くと会えなくなるし。」
彼女の中学時代の友人の名前を出す。
「・・うん。」
気がなさそうだな。
キッチンへ向かって、絵梨香が用意してくれた食事を暖める。
食べるのを後にして、話を先にしようと思った。
もう一度、彼女の部屋へ行き、
「絵梨香にちょっと話があるんだけど。」
声をかけると、
「何?」
と、彼女はテレビを消して、俺の方へ向き直った。
彼女の前に腰を下ろして、今日、乃理子から電話があったことを伝える。
「その話?」
やはり、気がなさそうだ。
「今、そんな気になれない。」
「でも、今ママに会っておかないと、又何年も会えなくなるぞ。」
「会いたいのはママの方で、私は別に会いたくないもの。」
横を向く。この話をすると、絵梨香はいつもこうやってむすっとした表情を見せる。まあ、また今度でいいかと、自分も先延ばしにしていたから、自分も悪い。でも、このままではいかんなと、いつも思っていたから、今日は思い切って、もう少し彼女を説得しようとした。
「何故ママに会いたくない?パパとママが別れたとしても、ママは絵梨香にとってたったひとりしかいない母親なんだぞ。」
彼女は爪をいらだたしそうに噛みながら、こう言った。
「どうしてママに会わなきゃならないの?私はパパと一緒に暮らす事を選んだんだし、ママはママで今は幸せなんだから、それ以上何を望むの?」
「でも・・」
口を挟もうとすると、
「ママは浮気したのよ。私とパパを捨てたのよ。パパが死んじゃうかもしれないって時、ママは私達の側にいなかったのよ。」