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彼の娘  作者: 大島 有
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20話 ふたりで話したこと

旅館に悟を一人置いて、僕たちは散歩に出かけたよね。

その時に絵梨香ちゃんはいろんな話をしてくれた。

帰国子女だということで、学校でずいぶんいじめられて辛かった事。

事故にあって、悟がずいぶん長いこと後遺症に苦しめられた事に対して、罪悪感を持った事や、父親に対するあんたへの思いや、結果的には浮気をして去っていった母親に対する思いや。

そんないろんなこと。


旅館街を遠くに眺めながら、脇を流れる川沿いを僕らはずっと歩いていった。

ふと彼女は立ち止まり、ぽつんと言ったんだ。

「私、パパのこと嫌いだったの。」

「何かあったの?」

「うん。」

「今はどう?」

彼女は笑って首を振った。

彼女が10歳の時、母親の浮気が発覚した事。悟が僕に偶然会った事。

そのことで揉めた両親を見て、彼女はすごく傷ついたと言った。

「それまで、パパの事が大好きだったの。いつも私のことを一番に思ってくれて、ピアノを教えてくれたのもパパだった。」

悟は、乃理子さんと絵梨香ちゃんにはっきりとは言わなかったみたいだけど、絵梨香ちゃんは頭のいい子だ。

すべてわかっていたみたいだ。あの当時から。

それを受け入れることが出来たのは、あの事故の後からだと言った。


「そうだろうね。」

僕は自分が当事者なのにも関わらず、ひどく冷静に彼女の話を聞いていた。

だいたいのことは、やりとりする手紙からも察する事は出来たけど、生の彼女の声から、本当にきちんとした感情を聞いたのはもちろん初めてだし、僕に話してくれて嬉しかった。

僕は彼女に言ったんだ。

「受け入れることが出来なくて、当然だ。母親は浮気している。父親は、既成事実はなくても、心の中でずっと浮気していたんだ。しかも、相手は男だ。結婚して、一緒に住んで、子供までいて、それでもふっきれない思いがあるなんて、絵梨香ちゃんにはまったく関係ないことだし、それで絵梨香ちゃんを悲しいめに合わせるなんて、本当はしてはいけないことなんだ。」

彼女はまた首を振って、

「それでも、パパはすべての人によくしようとしていたわ。」

そう言った。

「パパが陰で、そう、人の見えないところでいろんな努力をしていたことを知っていた。ママにも優しかったし、もちろん私にも。仕事で忙しくても、何とか家族で過ごす時間を作ってくれていたのも知っているし、パパは人の事ばかり考えていた。自分の望みや、本当の気持ちや、そんなものをずっと押し殺していたのよ。」


絵梨香ちゃんは、僕のことを知り、本を読んだ。それから、手紙のやり取りが始まったんだけれど、その頃の事を振り返り、

「パパはそのことに気づいていたのに、素知らぬふりをしていたわ。」

でも、悟が僕の出した物を読んでいたことを、絵梨香ちゃんはある日こっそり見たらしい。

「その時のパパの表情。懐かしい人を思い返すように、なんていったらいいのか、わかんないんだけど、今まで私が見たことのないような表情で、きっと、パパはこの人のことがほんとに好きなんだろうなって思ったの。

それをずっとパパは表面に出さないように、ずっと、そうしてきたの。」

絵梨香ちゃんはそれを、自分たちのために悟が何かを犠牲にしたのだと思ったらしい。そして、直後にあの事故だ。そして、離婚。


「うまくいかなかったけど、それでも、パパはママを愛していたと思う。」

「だけど、パパとママのことはもう終わったことだわ。ママはママで幸せにやっていると思うし、だからパパにだって。」

でも・・、言いかけた僕の言葉を彼女は遮った。

「心は自由だわ。それが本当にパパの幸せなら、私は応援していきたいの。」

そう言って、僕の手を取って、

「私のもう一人のパパになって。」

と言ったんだ。真っ直ぐ、僕の目を見てね。

奥さんと別れた事をパパから聞いたと、まだ、日が浅いし、そんなふうに思えないなら、またいつでもいいの。いつでもいいから、パパのところへ来て欲しい、そして私のところへ。そうつけくわえた。


僕らはまた黙って川沿いの道をゆっくり歩いた。

蛍が飛んでいるのを見て、〝絵梨香ちゃん、ご覧よ。きれいだな。〟そう、声をかけたけど、彼女は深刻な顔をして、じっと僕の返事を待っているようだった。

それで、言ったんだ。

「でも、僕は君からお母さんを奪ってしまった原因なんだよ。」

「あの時はそう言ったわ。でも、違うの。隆博さんのせいじゃないの。誰かのせいにしたかったの。でないと、自分が苦しくて悲しくてたまらなかったから。」

絵梨香ちゃんは、初めて僕に会った時のことを思い出してそう言った。

「だけど、結果的にはそうだ。」

「でも、それはママが・・・」

言いにくそうに彼女は、母親が浮気をして、それを終わらせることが出来なかった事が直接の原因だと言った。


「それに・・・」

「何?」

「ママは私たちが事故にあった時・・・いなかったの、パパが死んじゃうかもしれないって時に。」

その頃のことを思い出したのだろうか。彼女の目から涙がポロポロこぼれて落ちた。

彼女をなだめるように抱き寄せて、川沿いのベンチに腰を下ろした。

ママは・・、言いかけた彼女をぎゅっと抱きしめた。

わかっていたんだ。

母親がその時どこにいたのか。

それが引き金になったんだろうって、推測はついた。

彼女が落ちつくのを待って、もうひとつの原因。和可のこと。

僕は思い切って和可の話をした。

最初びっくりして、また泣きそうになりながら、目を潤ませていたけど、じっと黙って僕の話を聞いてくれた。

その表情がけなげで、いじらしくて、僕はまた和可を彼女に重ねて見ていたように思った。

それで、和可に対する思いをまだ自分の中で整理しきれていないこと、和可を絵梨香ちゃんに重ねて見ているかもしれない、それは君にとって失礼な事なんじゃないかと思っていることを伝えた。


「私に和可ちゃんを重ねてみることが、隆博さんにはつらいことだからなの?私といるのが嫌なの?」

そう聞いた。

つらいことか、そう、つらいといえばつらいことかもしれない。でも、それはある意味、喜びと裏返しだ。まるで、また和可と一緒にいるような、自分の娘と一緒に過ごす時間が戻ってきたようなそんな錯覚に陥る。その時間が嬉しいといえば嬉しい。

だけど、絵梨香ちゃんは絵梨香ちゃんだし、どこかで、きちんと線を引いて考え、自分が絵梨香ちゃんを、自分の娘のように独立して、彼女の存在と向き合えることが出来れば一番いいと思う。

だけど、やっぱりそれには自分の和可に対する気持ちを整理しないと無理なのかと思う。

今の時点ではいろんな思いがあって、それに対する自分の答えが明確に出ていない。こんな中途な気持ちのままで悟と一緒にいることなんて出来ない。


朝起きて、あんたの顔を見れば、このまま中途な気持ちのままでもいいか、そうやって自分の弱さに、いいかげんさに負けてしまうかもしれない。でも、ほんとはそれではだめなんだと思う。このことをもっと真剣に考えないといけないと思うし、情に流されるだけで、一緒にいても、僕たちお互いのためにもならない。

本当は一緒にいたい。それは嘘じゃない。

でも、今の時点では、僕は『ノー』と言うことしか出来ない。

すまない。わかって欲しい。)


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