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彼の娘  作者: 大島 有
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5話 どんな顔をして?

(ああ、たぶんあれが人生の中で一番後悔した事だった。乃理子にすべてを知られたことより何より、 自分が人生の中で一番愛してやまない者に悲しい思いをさせたことが。

 あの小さな子が母親の不実を知ったこと。そして、父親である自分の本当の姿を知られたことを。)

あの時の事を思い出すと、目の前が真っ暗になる。あれから何年経った?

そうだ、7年だ。


電車のつり革につかまりながらぼんやりそんな事を思い出していた。

地下鉄の駅を3つ過ぎ、自宅のマンションがある街へ着く。5番出口を出て改札をくぐる。真夏のむわっとした熱気が自分の身体を取り巻くのを感じる。

目の前に高層マンションが立ち並び、駅前にはコンビニや居酒屋などの何件もの店が立ち並ぶ。その店の灯りの前を足早に通り過ぎ、自宅のマンションがある通りまで出る。洋風の庭園をこしらえたエントランスを抜け、吹き抜けのあるロビーまで歩く。

大理石の壁に碁盤の目のように張り巡らされたキーボックスに、18階の自分の部屋のルームキーを挿しロックを解除する。ボタンを押すとすぐに降りてきたエレベーターに乗って部屋へ向かう。

さて、エレベーターを降りた足が止まる。


やはり、まだ心の準備が出来ていない。

どんな顔をして部屋へ入っていけばいいのか。何を言ったらいいのか?

歳を取ったな、と思う。以前の自分なら躊躇するということがなかったように思う。

何かを考えて躊躇する前に、もう足が出ていた。周りの友人はそんな俺をせっかちなやつだと笑った。そう、あいつもよくそう言って呆れた顔をした。

部屋の前まで行き、ドアノブに手をかける。深呼吸をする。さて。

すると、勢いよくドアが開いた。思わずドアと激突しかける。


「パパ!」

絵梨香か。

「いきなりびっくりするだろう!」

「だって、遅いんだもん。何してたのよ!」

「仕事だよ。仕事!」

「もう、こっちは待ちくたびれて、お腹ペコペコだよ。」

絵梨香はむくれて口を尖らせる。

真っ黒な黒髪を腰の辺りまで伸ばし、耳には5個もピアスの穴をあけている。

先日、ねだられて買ったばかりの銀のクロスチェーンのついたピアスが揺れている。

身体にぴったりした黒にショッキングピンクのロゴが入ったTシャツを着て、ローライズのこれも身体にフィットしたスキニーのデニム。それに、ラインストーンの一杯ついたベルトをしている。

今時の女の子。

アメリカではさほど思わなかったが、日本に戻ってくるとさすがわが娘ながら派手で少し浮いているかも。

「また、そんなへそが見えるようなシャツを着て。」

説教をすると、

「うるさいわね。ほっといてよ。」

「おじさんになったわね。パパも。若い子のセンスがわかんないんでしょ。」

生意気そうな顔でにやりとする。


絵梨香は乃理子に似て、切れ長の目で薄い唇の典型的な東洋人の顔つきをしている。シャープな感じの顔つきにこれも母親譲りのふっくらとした頬をして、それがまたアンバランスで彼女の独特な魅力になっている。

「悪かったね。パパはまだ若いつもりなんだけどな。」

そう言って、かばんを絵梨香に持たせ、玄関を上がろうとしてドキッとした。

見慣れない男物の靴。

「絵梨香…。その…来ているのか?」

恐る恐るわが娘に後ろから声をかけてみる。

彼女が振り向き、大きな声で答える。

「もう、パパが遅いから待ちくたびれちゃってるわよ、隆博さん。」

そして、

「なーんてね。2人でご飯作って、作り終わったとこ。パパ、グッドタイミングよ。」

と片目をつぶってみせた。

「また、お前は。客人に飯なんか作らせるなよ。食べに行けばいいのに。」

そう言いながら、ダイニングから対面キッチンを挟んで続きになっているリビングのドアを開けると、

「お帰り。」

ワインのコルク蓋を開けようとしていた隆博と目が合った。


俺は言葉が出なかった。

何でって?

自分自身ものすごく緊張して、会ったら何て言おうか、絵梨香にはどんな顔をしようか、いろんなことをあれこれ考えて帰ってきたのに、あいつはずっと前からここにいたかのような顔で、普通の日常風景のように、穏やかで落ち着いた声で俺に〝お帰り〟って。

「…すまない。また飯なんか作らせちまって。」

やっと、そう言った。

そうすると、

「だろ?」

俺の後からリビングに入ってきた絵梨香と、顔を見合わせて笑っている。

絵梨香はおかしそうに笑い、

「ほんとだ。」

その2人の雰囲気を見て、俺が何とかこの場をなごませようとか、どんな共通の話題を探し出したらいいのかとか、そんな心配などしなくてもいいような感じに受け取れた。

まるで、だいぶ前からの知り合いだったかのような雰囲気が2人の間に流れている。

「だろ?って。何?」

「パパがね、料理が全然だめで、いつも隆博さんに作ってもらっていた話を聞いたのよ。

で、そん時にいつもパパが〝飯を作らせて悪い。〟って言うんだけど、ちっとも悪いって思ってないみたいで、遠慮なくばくばく食べて、これよりあれを作ってくれとか、俺の嫌いな物が入っているとか、注文つけるんだって。」

「そういう昔話をするなよ。娘に。」

そう言って、あいつを横目でにらんだが、やはり穏やかそうに笑っているだけだ。

「それより、早く着替えておいでよ。」

「ああ。」

「そうよ。早くご飯にしよ。お腹すいちゃったよ。」

絵梨香が続ける。

「ああ。わかった。」


自室でスーツを脱ぎ、着替えながら思った。

7年ぶりか。あの時より、また少し頬がこけたような感じがするが、相変わらず歳より若く見える。元々マイペースで独特の雰囲気を持つやつだったが、それに飄々とした感じが加わっているような気がするな。でも、繊細で優しげな雰囲気は昔と同じだ。

隣にいるだけでふんわりとした暖かい優しさを感じる。それだけで安堵する。よく通る声。落ち着いた物腰。本人は嫌だと思っている長いまつげの影が作る表情が感受性の豊かさを思わせる。

また、あいつの顔が見られるなんて。

夢みたいだ。


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