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彼の娘  作者: 大島 有
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13話 通ってきた道

「そうだ。今ならわかる。母さんにも辛い思いばかりさせた。」

最近の親父はめっぽう丸くなり、仕事をリタイアしてからは特にそんな傾向が強くなり、お袋を連れてよく旅行に行くこともある。母さん孝行だって言って。ほんとは自分だって楽しんでいるみたいだ。

「何で、そんな丸くなったんかね。あんたが。」

そう吐き捨てるように言うと、

「すまなかった。絵梨香を見ていると、自分の弱さや嫌な部分が否応なく見えてくる。絵梨香を可愛いと思うほどに、自分の醜さが見えてきたんだ。」

「今さらだ。今さらお前に許しを請うなんて。」

親父はまた白髪の混じったその頭を俺の前で垂れた。


「・・・絵梨香か。」

絵梨香が生まれた時の親父の喜びようを思い出した。

あの鬼のような親父があんなふうに顔をくしゃくしゃにして、半分泣いたようにして恐々産まれたばかりの孫を抱くとは、夢にも思わなかった。

あれがあの男の善の部分なのか。俺は病院の新生児室のガラス窓の外からその光景を醒めた目で見ていた。あれから17年か。


「もう、いいよ。親父。」

そう言うと、

「・・信幸より、葉月より、・・・お前に去られることが恐かった。何故かはわからん。ただ、お前がいなくなることが恐くて恐くてたまらなかった。事故に遭ったと聞いた時、隆司がもってきた養子の話を断った時のことを思い出した。お前に去られるのかと、またかと、恐くて恐くて、たまらなかった。だから、こうして生きていてくれることが俺にとっても嬉しくて、ただそれだけはどうしても伝えたかった。お前が俺の事を憎んでいてもいい。憎んだままでもいい。お前が助かったと聞いて、本当に心からほっとした。」

俺は黙って聞いていた。

それについて何て答えていいのか、見目わからなかった。

何も言葉が浮かんでは来なかった。


何か言ってやった方がよかったのか。

ベッドの上でぼんやり他人を見るように、親父の薄くなった頭を見ていた自分を思い出した。

ちりん、ちりん。

どこかで風鈴の音が鳴っている。

その音に、現実に引き戻された。

夜風を部屋に引き入れるように、内輪をぱたぱたと振った。

浴衣の襟元にじんわり汗が染みついている。

浴衣の前をはだけるようにして、内輪の風を自分の方に送っていると、はだけた胸元から、ふと自分の腹の傷跡が目に入った。

みみずばれになって幾重にも重なっている。

そっと手で触れてみる。

消え去ることはない。

自分が通ってきた道。

これが自分なんだ。

ため息をついた。

窓を閉めてクーラーを入れておこう。あいつらが戻ってきた時暑いだろうから。

それにしても、まだ、隆博も絵梨香も戻らない。裕樹もいつ来るのか。

クーラーのスィッチを入れる手を止めて、また、欄干に座ってビールを開けた。

良二さんも来てくれれば良かったのにな。

小さく丸くなった良二さんの背中が目の奥をよぎった。


「ええアドバイスをしてやれたらいいやろうなと思うけど、わしにはなんもうまいことが思いつかん。ただ、自分で自分の内面によう向き合うことや。いろんなことは、そっから見えてくるやろうし、なんかのスタートきるときには、ほんとの自分と折り合いをつけてからやないと、やっぱうまくいかんのじゃないかなあと思うだけや。」


良二さんの言った言葉の意味を考えてみた。

〝自分の内面に向き合うこと。〟

親父も自分の内面に向き合うことがないまま、あの年まで来たのか。

何を怖れて、何を恐がって俺に手を上げ続けたんだろう。

あの時俺に許しを請うたことはいったい何だったんだろう。

〝自分の内面。〟

俺も親父と一緒だ。

自分のことについてあまり考えた事がなかったかもしれん。

本当の自分を見たくない。

本当の自分って何だろう。

言い換えれば、俺も親父と同じコンプレックスの塊のような人間かもしれん。

親父の暴力を受け続けた事。親父を憎む以上に自分を憎んで蔑んでいた。

親から暴力を振るわれる最低な人間なんだって。

何にでも秀でようとした。それはそのコンプレックスを跳ね除けようとして、じたばたしていた結果かもしれん。

勉強もスポーツも、人以上の成績を上げたかった。その為には人の何倍もの時間をかけるのは当たり前だと思っていた。

弱い自分を見たくなかった。自分は強い人間なのだと思いたかった。

親父から暴力を受けている卑屈な弱い人間だとは誰も思いもしなかっただろう。

そう、いつも成績はトップクラス。スポーツも部活動にもすべていい成績を収めた。

女の子にもことかかなかった。いつも回りに人がいた。隆博が言うように、いつも人の輪の中心にいた。


隆博・・・。

隆博と初めて会った時の事を思い出した。

あいつは真面目で礼儀正しく、他のやつらとは何だか違う雰囲気を持っていて、目をかけてやりたいと思わせるような人物だった。

が、あいつ、俺の事

〝あんた誰?〟

って顔をした。

最初のワークショップで会った時。あいつに課題のことでコメントをしようと思って、声をかけた時。

意外だった。

隣にいた同級生のやつらが、

〝水木先輩知らないの?お前もぐりだな。〟

と呆れた顔をしたことを覚えている。

「・・すみません。僕、堀江といいます。」

そう言って俺の顔を見た時のあいつの目。

鎧をはがされたような気がした。素の自分を見透かされたような気がした。

あの時の衝撃ともいえる不思議な感覚は今でも忘れる事ができない。

遠くを見るような目。

でも、じっと見つめられると心の奥底まで見透されるような澄んだ目。


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