11話 屈折した愛情
親父は自分の幼い頃の話を始めた。
物心ついたころには両親は喧嘩ばかりしていた。薄暗い湿った、西日しか入らないような小さなアパートに住んで、父親は工事現場を点々とする日雇い労働者だった。中学をまともに出ていない父親にはさしたる就職先もなく、母親はまかないやスーパーのレジなどをして家計を支えていた。
臨時の日雇いの仕事で食いつないでいく生活に父親は疲れ、仕事が途絶えると、妻に暴力をふるい、酒に溺れた。どこかでよく聞いたような話だ。貧困が家庭を崩壊する。まさにその典型的な家庭だったらしい。
父親の暴力の矛先は時折、親父に向かった。親父は母親をかばい、それに必死に耐えて幼少の頃を過ごしたらしい。
小学校に入学して数年後。祖母は親父を連れて離婚した。
親父は母親とふたりで生活しながら、必死に勉強した。特待生で高校に入り、働きながら夜間の大学に通った。その後、専門機関で学び、今の仕事に必要な資格を取り専門知識を身につけた。転職をしてステップアップをはかり、今の会社ではどんどん出世し、最終的に専務を務めた後、昨年退職し、監査役として社に席を残した。
初めて聞くことばかりだった。
物心つく頃には、家は裕福だった。大きな家と広い庭。ガレージには何台もの高級車が並び、庭の大部分を占める花壇には季節の色とりどりの花が咲き、きちんと手入れされ、母親も祖母も質の良い上品な服を着、フラワーアレンジや、香道などをたしなんでいた。両親と祖母、1つ下の弟と、歳の離れた可愛い妹。俺はそれしか知らなかった。親父にそんな過去があることなど一度も聞いたことがなかった。
いきなり聞かされた意外な過去。親父のもうひとつの顔。
「俺はあの時、自分がされたことを悟にしたんだと、とても後悔した。従順でいつも大人しく親の言うことを聞く信幸と違って、お前は何かというと俺に反抗した。俺はお前のことをわかりたかった。でもどうコミュニケーションをとっていいのかわからなくて、またお前を殴ってしまった。いけない、こんなことをして父親として、俺は最低だとひどく後悔して悩んだ。俺は自分の子供の頃のような惨めな思いをお前たちにさせたくなくて、一生懸命になりすぎたのかもしれん。小さい頃から勉強を一生懸命して、いろんな知識を身につけて、いい大学、いい会社へ入れれば幸せになれるって。でも、ただの俺の押しつけだったに過ぎんかもしれん。」
「厳しすぎたかもしれん。お前の言うことを、お前の思っていることに対してちゃんと向き合いたかった。だけど、上手く自分の思っていることを伝えられなかった。お前のことをわかってやれなかった。いつも、思いだけが空回りして、気づくとお前に手を上げていた。後悔すればするほど、なぜか同じ事を繰り返す。お前の気持ちが離れれば離れるほど、焦りは増し、その焦りが怒りに変わった。小さい時の俺を見ているようで、苛立ちを覚えた。自分が自分にちゃんと向き合わず、親になってしまったせいなのかもしれん。俺は気が小さい臆病者だ。それを見たくなかったのかもしれん。」
親父は吐き出すようにそれだけ言うと、黙り込んだ。
静かな病棟には足音ひとつしない。
向かい側の同室の患者も、厚いカーテンを閉めて、眠り込んでいるようで、彼のかすかな寝息だけが部屋の中に充満していた。
沈黙が耐え切れなくなって、
「もう、そんな昔のこと・・・」
言いかけた俺の言葉を遮って、親父が続けた。
「腹の傷を・・・」
腹の傷。思い出すのが辛かった。今は別にそれに意識を向けようとすることもなかった。それだけ年月が経っていたのに、親父は話したかったことはそのことなのだと言わんばかりに、早口で続けた。
「あれはわざとじゃない。」
「わかっている。」
あれは小学校の高学年くらいの時だろうか。
家にちょくちょく隆司叔父さんが来ていた時期があった。
叔父には子供がなく、いつも俺たち兄弟を自分の子供のように可愛がってくれた。特に、俺をいつも連れまわし、夏休みなどの長い休みの時はキャンプや山登りなど、あちこち連れて行ってくれた。俺もそんな叔父に懐いていた。暴力を振う父親に、本来なら求めるべき優しい父親像を叔父にみていた。
その頃、叔父は来ると、家の応接間で父親と長い間話し込んでいる事が多かった。その内容まではわからない。後で聞いた話によると、俺を養子に欲しいと頼み込んでいたらしい。親父はそのことに頑として首を振らなかったらしい。
今思うと、俺に暴力を振るいながらも、どこかで俺に執着していたのだろう。それが愛情なのか、何なのか。わからないまま、年月が過ぎた。こうやってうなだれるように下を向いた白髪交じりの頭を見て思うのは、それは愛情だったのか?そう、屈折した愛情。それは、親父の心の中の暗い底の部分に見えては隠れ、現れては隠れを繰り返した、窓の外からちらちらと時折思い出したように差し込む光のような。
「まさか、百合江がそんなことをするなんて思いもしなかった。」
親父は当時の事をまだ自分の中で消化しきれていないようだった。
そう、あの頃。
叔父が俺を養子に欲しいと、足繁く家に足を運んでいた頃と重なる。
お袋が家を度々空けていたことを知っていた。
俺たちが学校から帰る時には、必ず家にいて迎えてくれた。
でも、母親の息せき切った上気したような顔と、普段家では着ないような見慣れない服装に、どこかへ出かけていたのだろうかと、子供心に不思議に思ったことがあった。
今思えばあれはお袋が外で誰かと会っていたのだと、理解できる。