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彼の娘  作者: 大島 有
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10話 父の告白

何故か、ふとあの時の事故の事を思い出した。

絵梨香と一緒に事故に遭い、半死半生になって病院のベッドで寝ている時のことだ。

集中治療室から出て一般病棟へ移された頃。

奇跡的に一命を取り留めたが、左半身に麻痺が残り、うまく体が動かせない俺の面倒を乃理子と葉月が交代でみてくれていた。

その日は、葉月が朝早くから葉山から出てきてくれ、体を拭いてくれたり、食事の介護をしてくれたりしていた。

昼食を食べ、昼過ぎになると、とりたてて何もすることもなく、

葉月に、

「俺はいいから。出かけたら?」

と言った。

「そうね。ちょっと買い物に出てもいいかな?」

葉月は乃理子の替わりに、2、3日東京の家に泊まって看病してくれるつもりで出て来たらしく、身の回りの物で買い忘れた物があると言い、買い物に出かけた。

昼過ぎになると医師の回診もなく、検査や傷の処置なども午前中に終わっているので、看護婦が来ることもない。

病棟はひっそりと静けさに包まれる。

その静けさに誘われるように睡魔に襲われたが、ぐっすりと寝込むわけでもなく、うとうとしていた。

眠っては覚め、眠っては覚め、を繰り返しているうちに、ひどく後頭部の辺りが痛くなってきた。体が熱くて喉が渇く。

(熱が出始めたかな・・・)

とぼんやり思った。

まだ時折熱が高くなる時がある。

(体がだるい。)

(水が欲しい。)

そう思ってうとうとしていると、ひんやりとした手が額の上に乗せられるのを感じた。

(葉月が帰ってきたか。)

「…葉月…。水…。」

「水か?ちょっと待ってろ。」

答えた声の主が男だったので、

(葉月じゃない…)

熱で朦朧とした頭でその声の主の顔を見ると、

親父だった。


「…親父…。」

親父が吸い口で水を持ってきた。

黙ってそれを飲ませようとする。

「…何で親父がいるんだ?」

それには答えず、俺を抱きかかえるようにしてベッドから起こして、吸い口を口のすぐ側まで持ってくる。

その水を飲んだ。

熱で熱くなった喉元に流れ込む水の感触がひどく心地良かった。

親父は水を飲ませると元の位置に俺を寝かせ、

「大丈夫か?具合は?」

と聞いた。

「熱があるみたいだ。看護婦を呼ぼうか?」

「いや、いい。よくあることなんだ。」

「そうか。」

親父は所在なげな様子でベッドの周りをうろうろし、やがて近くにあった丸椅子を引き寄せ腰を下ろした。

親父が時折覗いてくれる事はあった。でも、母親と一緒のことが多く、こうやってひとりきりで来るなんて初めてだった。

俺も戸惑っていたが、親父も同じだったみたいだ。

話をするわけでもなく、花瓶の花に目をやったり、目をしょぼしょぼさせて、鼻を手で掻いたりしていた。それをぼんやりベッドの上で見ながら、

(何か話しでもあるのか?)

と思っていると、

「今話しても大丈夫か?」

親父がおもむろに口を開いた。


「ああ。」

「こうやってふたりで話をする機会がなかなかなくて、言えずじまいでここまで来てしまったんだが、話したいことがずっとあったんだ。」

「・・・うん。」

親父と面と向かって話をするなんて何年ぶりなんだろう。

親父は、お前とゆっくり話をしたかったんだが、高校の時からお前は親元を離れて暮らし初めて、社会に出たら海外へ行ったきりで話すチャンスがなかった。

そう言った。

もっとも子供の頃のことがあって、俺は親父のことを憎んでいたし、とにかく離れたくて仕方がなかった。あの頃、話をしようといわれても、多分俺は親父の話をまともに受け答えする事など出来なかったと思う。結婚して絵梨香が産まれて、それで共通の話題が出来たせいもあって、少しずつ疎遠になっていた親子関係が復活した。それでも、子供の頃に受けた心の傷は消えることはない。俺はずっと親父には一線を引いていた。表面上は何とか体裁を整えてはいたが、腹を割って話すことなどあるわけもない。

言おうか言わまいか、親父は迷っているように、口を開いたり閉じたりしていた。そして思い切ったように、

「悟にずっと謝ろうと思っていた。すまない。許して欲しいって。」

「…」


何を急に言い出すんだろう。

昔の親父は、この年代の人間にしたら珍しく、180センチは越す大柄な男で、手も足も大きく、いかつい風袋は子供の俺にしたら巨人を見るようで恐いという印象しかなかった。自分にも人にも厳しい性格で、自己の主張を曲げない屈強な精神を持つ男だった。今は、だいぶ歳も取って気弱になったのか、昔に比べたら人の話も聞くようになった。顔に刻まれた深い皺が老いた印象をより際立たせる。

そんな親父がしゅんと、背中を丸め気味にして俺に許しを乞うている。

黙っている俺を無視して、親父は続けた。

「子供の頃、お前にずっと手を上げていた事を許して欲しいと、ずっと思っていた。謝らなくては、謝らなくては、とそのことだけが胸の中でつかえになっていた。」

(そのことか。それをあんたが謝るなんて。)


昔の子供の頃を親父はずっと悔いていたみたいだった。

初めて俺に手をあげた時の事を話し始めた。

子供の頃の事で、しっかりした記憶が残っていない。

塾に通わされ始めた頃の事だった。親父は教育熱心な人間で、物心つく年には、いろんな学習塾に通わされていた。それを嫌々通っていた。

ある時、友達との遊びに夢中になっていて、塾が始まる時間をすっかり忘れていた。気づいた時は遅く、その事を親父に咎められ、塾なんかもう行かないと反抗した事に、親父は思い余って手を上げた。

「しまった、と思ったが遅かった。あの時の悟の火がついたような怒りに燃えた目が忘れられなかった。」


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