8話 温泉街
タクシーで15分程走ると、温泉街にたどり着いた。
運ちゃんに泊まる旅館の名前を言おうすると、
「あー。パパ。ここで止めてもらって。」
絵梨香が叫んだ。
「何で!」
「だって、可愛いお店があるー!」
旅館が建ち並ぶ温泉街の入り口に差しかかろうとしたタクシーの車窓から、絵梨香はいろんな土産物屋などが建ち並ぶ通りを目ざとく見つけた。
絵梨香の好きそうな、和風のモダンな造りのお店が立ち並んでいる。
細々とした雑貨店や、カフェや土産物屋。
「そんなの宿へ着いてから、又見に出かければいいだろう!」
怒ると、
「だって、今見たいんだもん。見ながら歩いていけばいいじゃない。」
お店しまっちゃうかもと、頬を膨らませる。
早く、宿について一杯やりたいんだよ。
言いかけようとすると、
「すいません。ここでいいです。」
隆博が勝手にタクシーを止めた。
「おい。」
「いいじゃないか。絵梨香ちゃんが見て歩きたいって言うんだから。」
甘い。甘すぎる。
隆博は、タクシーの運ちゃんにお金を払いながら、荷物だけ先に旅館へ届けておくよう頼んでいた。
〝隆博さん、優しい。〟
タクシーを降りて、嬉しそうにやつの腕に自分の腕を巻きつける。
しょうがないなあ。
だいぶ西日も傾きかけている。それでも歩きかけると、夕暮れの涼しい風が心地良い。
何もない山あいに、ぽつんと湧いて出たような賑わいをみせる通りだった。
思ったより客もいるみたいだ。
まるで明治時代か大正時代にタイムスリップしたようなノスタルジックな雰囲気が、当たり一面に漂う空間。石畳の道の両脇には木造を主とした建物が並んでいる。レンガを積み上げて造った建物もある。金属やコンクリのような冷たい感触を示す建物がない。どれも手作りのような暖かい趣がある。通りには光々とした電飾もなく、ほのかな柔らかいガス灯の灯りが、薄暗くなった通りを包んでいる。
「すごい、いい雰囲気。」
絵梨香が機嫌の良い声をあげた。
隆博に寄りかかるように、しっかり腕を組んで歩く姿に、どうなの?とつっこみたくなる。お前の恋人か?
〝きゃ、これ可愛い。〟
〝あ、これも。〟
などといいながら、あれこれと店を覗く彼女の後を追いながら、
早く一杯やりたいなあ。と、そればかり考えていた。
絵梨香が、黒い木造の門構えがたいそう立派な、老舗らしい和菓子屋で立ち止まる。
ショーケースを覗きながら、
これ、美味しそう。
目を輝かせている。
彼女は和菓子が大好きだ。ケーキやシュークリームなどの洋菓子も好きだが、最近、和菓子に凝っている。和菓子は、そのどれもが手の込んだ細工を施され、季節感を出している。彼女に言わせれば、和菓子は夏には夏の、秋には秋の、それぞれの季節の旬の物を素材に使うことで、移り変わる季節を感じさせる風情がある。そして、目でも楽しめる良さがあるのだと言う。
「パパ、買って。旅館で食べよ。」
買ってもらう時だけ、甘い声を出すんだから。
どれがいいんだ。
店に入り、ショーケースを覗き込んでいると、隆博が一時、外の看板を眺めながら何か考え込んで、そしておもむろに店に入って来た。
「何、どうした?」
「ああ、この店って。」
隆博が言いかけた時、店の奥から白い作業着を来た男が、トレイに新しい菓子を乗せて店内に入って来た。
「いらっしゃい。」
彼がこちらを向いて俺たちに声をかけた。
どっかで見たような。
と思うが早いか、隆博がすっとんきょうな声をあげた。
「裕樹!」
裕樹?
「何や。お前。こんなとこで何してるんだ。」
白い作業着の男が隆博にそう言った。
「お前こそ、何でこんなとこにいるんだ?」
隆博も笑いながらそう返す。
「ひさしぶりだな。知らんうちに有名な作家になってびっくりしたぞ。」
「恥ずかしいよ。そんなこと。」
「それより、何でこんなとこにいるんだ。」
「ここ俺の店。支店。」
「あ、そうか。どこかで見たような店の名前だと思っていたら。」
「支店めぐり?」
「まあ、そんなとこ。」
楽しそうに会話をするふたりを見て、絵梨香が、
(誰?)
目線を送ってきた。
それに気づいた隆博が、
「悟。裕樹だよ。覚えてる?」
裕樹って誰だっけ?
考えていると、あれ、ひょっとして、思い浮かんだ顔があった。
「あ、同じワークショップだったよな?」
そう、そう。
同じワークショップだった。思い出した。
「隆博。ひょっとして水木先輩?」
作業着に白い帽子の男が俺の顔を覗きこむ。
裕樹だ。
思い出した。
東京に本店がある和菓子屋のチェーン店の跡取り。
俺たちが泊まるこの温泉街にも一軒、そしてここから車で30分ほど走った市街地にも大きな支店が一軒ある。
関東地方を中心に、関西、四国方面にも何軒かの店を構える大規模な和菓子屋。
そこの老舗の跡取りらしく、責任感が強く真面目で、しっかりしたやつだった。
がっしりした顎のラインにそれがよく表れている。
太くしっかりした男らしい眉に、切れ長の涼しげな目元。