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彼の娘  作者: 大島 有
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6話 内面

せっかちな俺と反対で、おっとりとマイペースなやつ。一緒にいると空気までゆっくり流れるように感じる。それがひどく乾いてかさかさになった気持ちを和ましてくれる。

怒ったり、悲しかったり、感情が不安定に動く時は、早口でまくし立てるように言葉が多くなるが、それ以外のときは言葉少なで、殆ど自分から話すことはなく、話しても、おっとりとした口調でゆっくり言葉を選びながらしゃべる。よく通るその声が耳に聞きざわりが良く、自分も気持ちが安定する。

それにこんなふうに、何か事があったとき、いらいらした俺をあやすように気持ちをなだめてくれる。いつもそうだ。

駅の反対側の通りにあるその古びたタバコ屋にあいつは入っていった。

店先で待っていると、アイスクリームを買ったらしく、コーンのついたソフトクリームを手渡してくれた。

「何?これ?」

「食べながら歩こ。」

いい大人が、子供みたいに歩きながら買い食いか。

「小学生の時、学校の帰りに駄菓子屋さんって寄らなかったか?」

「懐かしいな。」

「そんな感覚だ。これ。友達と一緒に、こうやって菓子やアイスを食べながら家に帰ったなあ。」


学校の帰り、いつも寄った店があった。学校のすぐ裏にある駄菓子屋さんで、例に漏れず、腰の曲がったようなおばあちゃんが店番をしていた。菓子を選び、お金を渡すと、よく見えない目で何度も数えては、金庫の中にしまっていた。

たまに、おばあちゃんの機嫌のいい時があると、おまけして、あめやガムを余分にくれたりした。店先の地べたに座って、よくこうやってアイスクリームとか食べたなあ。

子供の頃を思い出すと、懐かしいようなくすぐったいような変な気持ちになる。

「たまには童心に帰るのもいいかもなあ。こういうのって、素の自分になる時なのかな。」

「素の自分?」

「そうだ。大人になって年を重ねていくと、素の自分に戻る時ってなかなかないだろ?」

アイスクリームを食べながら隆博がそう言った。

だって、いろんな場面で自分を作っている。そうも言った。

自分を演じているっていう感覚がひどく重く感じるときがある。


「ここ最近、特にレナと別れてから、そう思うことが多い。自分の本が売れれば売れるほど、本当の自分から離れていくような気がする。特に僕は、どちらかというとひとりでこもって作業に没頭したいタイプだし、その方が楽なんだ。でも、そんなことばかりも言っていられない。取材や出版社との打ち合わせ、会社にも行かないといけないし、その場面、場面でオンの自分を演出しなければならないことが続くとひどく疲れる。たまには人の目を気にしないで、こうやって子供みたいに買い食いして歩いたり、酔っ払ってその辺の路地で寝込んでくだ巻いたり、裸足でその辺を歩いてみたいとか、時々無性にそういう思いに駆られることがある。」

「疲れているんだよ。忙しすぎるんだろう。」

「忙しすぎるってこともないけど。そうだなあ、こういうこともあった。レナと別れてからあまり間が経っていない時なんか、僕が寂しいだろうって、つれたちが心配して、夜な夜な飲みに誘ってくれたりして、それはそれで嬉しいんだけど。ありがたいなあって思って出かけるんだけど、何ていうのかな、そこでも自分を作っているような気がする。」

「人に気を使うタイプだからなあ。お前。」

「時々素の自分って何だろうって思うことがある。年を重ねれば重ねる程、いろんな場面でオンの自分でいなければならない。そういう場面は増えていく一方だし。」


俺は隆博と違ってあまりそういうことを意識することはない。仕事はずっと忙しく、部下が増えれば増えるだけ責任も重くなるし、家ではやはり親としての顔でいるし、だけど、オンの自分も自分だと思っているし、それを演じているという意識はない。

彼は、ひとりでこもって自分の世界に没頭しなければならない仕事だという違いがあるし、もともとの性格が繊細で自分の内面を大事にしたいタイプだからだろうが。

作家や翻訳家としての顔を知られれば知られるほど、プライバシーも削られていく。そいうことにどちらかといえば懸念する人間だ。

「逃げてる?」

「いや、誰だって子供のように自由にしてみたい時ってあるさ。俺はお前みたいに自分のことをあまり考えない無頓着なタイプだから。」

ふと良二さんの言葉が浮かんだ。

〝自分で自分の内面によう向き合うことや。〟

(内面か。)

やはりあまり考えた事がないかもしれない。自分に向き合ってじっくり考えるより先に行動している。でも、自分の内面に向き合って、ゆっくり自分と対話する事はやはり大切な事だ。


「でも、やっぱり楽だ。」

数メートル先に、目的地の寺の仁王門が見えてきた。民家が点在するだけで、何もない通りのそこだけがいやに目立つ大きな仁王門だ。

通りを渡ろうとして、信号機の前で止まると同時にあいつがそう言った。

「楽って?」

「悟と一緒にいること。」

「俺と一緒にいることが楽?」

「ああ。多分あんたと一緒にいる時の自分は素に戻ってると思うよ。」

こういうこと言ったら、こういうことやったら、相手はどう思うだろうって、無意識にほんと短い瞬間の時間の中で、考えていることが多いんだ。だけど、それを考えなくてもいい。考えずにおこうと意識してやっているんじゃなくて、ほんとに何も考えてないんだ。そしてそれが凄く心地いい。こんな気分を味わったのは何年ぶりだろう。

そう続けて、俺に視線をしっかり合わせてにっこりとした。

あ、そんなふうに思ってるんだ。

胸の奥のほうが暖かくなった。お湯に浸されたみたいに。

「楽ねえ。」

照れくさくてなんて返していいかわからず、信号を先に渡り始めた。

自分が話しかけたことについて、言葉があまり返ってこないことをあいつはあまり気にしていないようだ。人に問われても自分の内面の感情をあまりうまく言葉にすることが出来ない。もどかしいと思う時もある。うまく伝えられない人間だということをあいつは知っている。それだけでもひどく楽だと思う。そういう人間だとわかってもらっていることに対してだ。


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