5話 寄り道
グラスに残った酒を飲み干すと、壁の柱時計が4時半を指し、ボーンと鈍い音を立てた。
だいぶ長いこと、話し込んで飲んでいたみたいだ。
「良二さん、そろそろ行かないと、絵梨香を迎えに。」
「そうか。」
「良二さんも一緒に。」
もう一度誘ってみた。今日はこの近くの温泉街に宿が取ってある。良かったら、良二さんも一緒に泊まらないかと誘ってみたのだが断られた。せめて夕食でも一緒にと思ってもう一度誘ってみたのだが、良二さんは遠慮した。
「ありがとう。また今度にするわ。」
そう言ってやはり首を振った。
「そうですか。」
「また来てくれ。待っとるでな。」
「はい。」
良二さんは泣きそうに目を細めて、顔をくしゃくしゃにした。
タクシーに乗り込み、頭を下げると、
「また揃って来いや。」
良二さんは繰り返した。
隆博はそれを神妙な顔つきで聞き、ありがとうございます。と頭を下げた。
走り始めたタクシーのサイドミラーに移る良二さんの姿を見ていると、何だかせつないような気分になった。
「ひとりで大丈夫なのかなあ。」
隆博がぽつんとつぶやいた。
「ひとりでもやってかないとしょうがないし。最後は誰でもひとりだよ。」
そう言うと、
「うん、そうなんだろうけど。」
また、行ってあげようと言うと、そうだね。と笑顔を見せた。
タクシーが駅前に着くと、携帯メールの着信音がなった。
〝パパ、ごめん。電車1本乗り遅れた。45分後しか電車ないからちょっと待ってて。〟
「また、あいつは。」
悪態をつくと、
「何?」
タクシーの運ちゃんにお金を払いながら、隆博がこちらを向いた。
「電車乗り遅れたんだって。ローカル線だから本数ないのに。」
と言うと、
「じゃあ45分あるってこと?」
タクシーがロータリーを回って消え去るのを眺めながら、
しまった。あのタクシーで先に宿へ行っててもよかったかな。と後悔した。
何せ、流しのタクシーなんていない田舎なんだから。駅前のロータリーにだって常駐しているタクシーなんていない。
「まあ、40分くらいなら時間つぶして、一緒にタクシーで宿へ行った方がいいよ。」
「だって。」
と言うと、
「待ってるのが嫌なんだろ。せっかちだな。どうせならこういう時間を楽しまなきゃ。」
あいつはそう言って、持っていた荷物を駅のホームのベンチにどさっと置いた。
荷物はここへ置いておけばいいだろ、どうせ持ってきそうなやつもいないし。
そりゃそうだ。コインロッカーなんてないし、駅員さんもいない無人駅だ。荷物を盗んでいきそうな人通りだってない。
このひとつ先の駅には、商店街があり、土産物屋も並ぶ通りもあるのだが、良二さんの家のすぐ近くのこの駅の周辺は、無人のこの駅がぽつんとあるだけで、周りには何もない。近くに古ぼけた看板が今にも落ちてきそうなタバコ屋が一軒あるだけだ。
この辺りの人たちはこのひとつ先の駅の周辺で買い物をしたり、用事を済ます。ローカル線が日に数本しか止まらない辺鄙な土地で、温泉だけが売りの宿が数軒並ぶひなびた温泉街だ。そして、そのひとつ手前のこの駅はさらに何もなく、殆ど乗り降りする人もいない。
「しまったな。だったらここじゃなく、ひとつ先の駅で待ち合わせすれば良かったかなあ。」
後悔したが遅かった。
だって、古びたタバコ屋が一軒あるだけで、時間をつぶすっていっても、喫茶店もパチンコ屋もない。
いらいらしてタバコに火をつけた俺を、じっと見ていた隆博が、
「散歩する?」
「へ?散歩?」
夕方になり多少涼しくはなったが、この夏の暑いさなか、歩き回るなんて。
「今タクシーで来る時に見つけたんだけど、大きなお寺があったよ。立派な仁王門があって、境内に三重塔があったよ。」
寺参りか。一番縁遠い行為だなあ。俺にとって。
そうは思ったが、おっとりと、そう言う隆博が楽しそうな表情を見せたので、それに魅かれて、
「そうだな。行ってみてもいいけど。」
それで、荷物を駅のホームに放っておいて、今来た道を戻り始めた。