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彼の娘  作者: 大島 有
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4話 懐かしい人

家に戻り、広い土間を上がると、ひんやりとした空気を感じた。

「外は暑いけど、中に入るとひんやりしますね。」

「クーラーがいらんなんて、東京もんには考えられんやろ。」

居間に上がり、冷酒をグラスに注いでちびちびやっていると、簾の向こうから心地良い風が流れてきた。

「夏は良二さんちへ避暑に来るといいなあ。」

そう言うと、

「いつでも来たらええ。子供ん時みたいに。」

そして、俺たちの顔を見比べて、

「ふたり揃ってやぞ。」

そう言った。

その言葉を胸の中でかみしめた。

隆博は黙って、良二さんのグラスに酒を注いでいる。その表情から何を思っているのか読み取ることが出来ない。


「良二さん最近はどうしてるの?」

近況を尋ねると、

「まあ、ぼちぼち働いて、百姓やって、相変わらずや。」

目をしょぼしょぼさせた。その仕草がひどく年を取ったように見えてせつなくなった。

「文があんなことになってから、魂が抜けたみたいになってしばらくぼーっとしとったけど、いつまでもそんなことしとったらあいつに叱られそうやしな。近所のもんで集まって碁を打ったり、酒を飲んだり、後は、たまにボランティアで、夏休みや冬休みに、里山遊びに来る子供んらに、遊びを教えたりしとるよ。」

「それはいいですね。」

隆博があいづちを打った。


〝やまびこのいえ〟というNPO法人の団体が主催する自然スクールみたいなものが近所にあって、そこでは昔の遊びや自然の中でのいろんな体験を通して、子供の情緒教育の一端を担うことを目的として活動している。

知り合いに頼まれたらしく、良二さんはそこでボランティアを時々しているらしい。

ようは、俺が子供の頃、良二さんに教えてもらったような遊びを教える事をしているらしい。里山に入って、オリエンテーリングをしたり、星を見たり、木の実や虫を取ったり、川では魚を釣ったり、泳いだり、キャンプやバーベキュー、冬はクロスカントリーやスノーシューを履いて雪の中をハイキングしたり、そんなこと。これが都会の子供たちには、目新しく、いろんな発見をしたり、仲間作りや、友達と協力したり、団体生活を学んだり、そんないろんな勉強になるみたいだ。良二さんはその雑事のお手伝いや、子供たちにいろんな遊びを教えたりしている。

「楽しい?」

「子供がおらへんかったでなあ、まったく子供たちが可愛いし、楽しい。一緒に遊んどるだけみたいなもんや。」

「悟が隆と一緒に、来よったころのことを思い出すわ。」


「そういえば叔父さんは?」

隆博が聞いた。

「65歳で定年になって、定年になった途端、趣味人が輪をかけて趣味人になってしまって。」

俺がその続きを話した。

「そうそう、それで今写真にはまってんだよ。」

「へえ、そうなの。」

「海外でいろんな写真を撮って旅行したいんだって。優雅だろ。シニアなんとかっていうのあるだろ。定年になった年寄りが海外移住したいっていうの。そのプレ移住みたいなショートスティの制度を使って今インディアナ州にいるんだ。」

「まだ、年寄りっていう年じゃないだろう。相変わらず口が悪いんだから。」

そういわれれば今の時代60代なんて、まだ年寄りのうちに入らないな。

「インディアナ州って、絵梨香ちゃんが行く大学のあるとこだろ。」

「ああ、偶然でね。2,3年いるらしいから、そこへ絵梨香を預ける事にした。」

「すごい偶然。でも叔父さんのとこなら安心だね。」

「まったく、助かったよ。ひとりで住まわせるのも不安だし、学校の寮に入れようかどうしようかと思っていたところだったから。」

「絵梨香大きくなったやろ?」

良二さんが聞いた。今日、連れて来られないことを事前に話してあった。良二さんの所に連れてきたのは、あいつが10歳の頃が最後。その後、事故したり離婚したりで落ち着かなかったし、そしてすぐ又海外だったから。

「もうすぐ親の身長抜くね。あいつは。」

「そうか。まだ小学生だったからなあ。もう17歳なんて早いなあ。」

そして良二さんは、

ああ、そういえばあれ見てみい、と居間の中央に位置する柱を指差した。

その柱には身長を測ったときに刻んだ跡がある。

俺のだ。

へえ、これ悟の?何歳くらいのとき?

そうやな、小学校6年やな。これは中学校卒業する時。

柱の跡をなぞりながら、良二さんが隆博に説明している。

この家に来ると、まるで自分の実家に来たようにほっとする。

考えてみれば変な話だ。家なき子じゃあるまいし、両親も兄弟も揃っているのに、何故かこの家に来ると、まるで自分がここで産まれて育ったような錯覚にも陥る。それほどこの家には愛着があった。

あちこちの傷や汚れは自分が子供の頃、ここで遊んでつけた跡だ。ずっとそのままそこにある。あちこちにいろんな思い出が残っている。そして、まるで血縁のように俺の事を可愛がってくれた文さん。また、思い出して泣きそうになった。


(大丈夫?)

あいつが視線を投げる。

(ああ。)

黙ってうなずく。

良二さんは台所から代わりの酒とつまみを持ってきて、俺たちに勧めた。

「昼間からこんなに飲んで大丈夫かな。」

「別にかまわんだろ。運転するわけじゃないし。」

良二さんはなみなみとグラスに冷酒を注ぐ。

「普段の生活で困ったことはないですか?」

隆博が聞く。


「そうやなあ、飯作ったり、洗濯したり、そういったことは慣れやな。慣れてしまえば、ひとり分の家事くらいどうってことはない。別荘地の管理や、百姓や、やることはいろいろあるし、そういうことにかまけているとあっという間に時間が過ぎる。ただ、夜になるとこれからのことを考えて気が弱ることがあるなあ。」

良二さんは遠くを見つめた。

「文と一緒の時はさほど思わんかったけど、こうやってひとりになると、相手がただそこにいて一緒に飯を食べたり、何でもない日常の話をしたり、またはなんも言わずふたりでいるっていう日常がな、ああ、えらい大事なことやったんやなあと思うことがある。失くして初めてわかることかもしれんが。将来の不安っていうより、そういう時間を失のうてしまったことが、寂しいなあと思うよ。」

良二さんの姪が近くに住んでいる。時々、覗いては食事を作ってくれたり、生活に必要なものを買ってきてくれたり、細々とした世話をしてくれるらしい。子供がいなかった良二さん夫婦にとっては、直接面倒をみる者はいない。だけど、そうやって親戚が近くにいて、時々様子を見に来てくれたり、わりと老人の多いこの地域では、その面の福祉が充実していて、定期的に町の職員が様子を伺いにまわっているみたいで、良二さんもその辺はあまり心配はしていないらしい。もっとも70歳を過ぎたばかりで、本人はまだまだ若いつもりだから。その辺は俺がまだ心配することもないみたいだけど、ふたりからひとりになるのはやはりこたえるらしい。

「ただなあ、所詮最後はひとりになるんだから。遅かれ早かれやけど。」

ただ、心の通じ合う相手とふたりで過ごした時間があってひとりになるのと、最初からひとりきりでいるのは違うな、と手元の杯を眺めながらそう呟いた。


その話をかみしめるように聞いていた。良二さんと文さんは仲の良い夫婦だった。そりゃ、たまには、喧嘩かもするだろうけど、ふたりの間には、ほのぼのとした、言葉には表すことはなくてもお互いを思いやる暖かい空気が流れていた。そんなふたりの所へ来るのが子供の頃の俺にとっては、とても気持ちが安らぐことだったのだ。


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