3話 墓前
「3回忌を済ませて、やっと少しはほっとしたところだ。」
そう言って良二さんは、おぼつかない手つきでお茶を入れてくれた。
笑顔を見せてくれたが、どことなく寂しげな雰囲気は隠しきれない。
「だいぶ、慣れました?」
「慣れんとなあ。しょうないし。」
駅前でタクシーを捕まえて商店街へ。絵梨香と来た以来、4年ぶりだ。
例の金虎堂へタクシーを横づけし、お供え物を買って、良二さんの家まで直行した。ぽつん、ぽつんと民家が田んぼの中に見え隠れする様は、4年前と殆ど変わらない。大きな庭と蔵のある良二さんの家にタクシーを止めると、あの時と同じように顔をくしゃくしゃにして良二さんは玄関から飛び出してきた。
そして、俺たちが続けて降りてくると、俺たちふたりの顔を交互に穴が開くほど見比べ、また顔をくしゃくしゃにした。
俺たちは仏前に、先程買った金虎堂のそば饅頭と梅ゼリーを飾った。栗蒸しようかんは時期外れで、夏の間には店頭に並んでいなかった。
それを謝りながら、線香を上げて数珠を手にする。
(文さん。)
かける言葉が何も浮かんでこない。頭を下げた。
俺が仏前を参り終わって居間で良二さんと話していても、隆博は何やら仏前でまだ頭を下げている。
「しかし、ふたり揃って来てくれるなんてびっくりした。大学生の時以来やな。」
良二さんは言った。
「でも、隆博がたまに来ていたなんて、さっき聞いてびっくりしました。」
「うん。いろいろあったんやなあ。あの子も。つらいこともたんとな。」
離婚の事も和可ちゃんが死んだ事も、彼は知っているようなくちぶりだった。
「でも、ふたり揃って来てくれて、わしも感慨深いわ。文が生きとったらどんなにか喜んだやろうな。おまんらのこと心配しとったで。特に悟のことが、ほんま気がかりやったみたいでな。」
俺は頭を下げた。
「今日、ふたりで来られたのも絵梨香のおかげなんです。」
思い切って、今までの話をすると、
「そうか。ええ娘を持ったもんやなあ。」
「でも。」
これからの事、絵梨香の先の事、自分の胸の中にひっかかっている、まだ終わっていないんじゃないだろうかという思いがぬぐえない乃理子との関係の事、隆博の傷の深さを思うと、手放しで喜べることじゃない。俺はうなだれた。
「ええアドバイスをしてやれたらいいやろうなと思うけど、わしにはなんもうまいことが思いつかん。ただ、自分で自分の内面によう向き合うことや。いろんなことは、そっから見えてくるやろうし、なんかのスタートきるときには、ほんとの自分と折り合いをつけてからやないと、やっぱうまくいかんのじゃないかなあと思うだけや。」
言葉少なに良二さんはそう言い、裏から水の入ったやかんと線香を手に持ってきた。
「墓の方も行くやろ?」
「はい。」
隆博も一緒になって3人で裏山から細い山道を辿り、文さんの墓がある場所まで歩く。
前を歩く少し前屈みになった良二さんの背中が、過ぎた年月を感じさせた。
蝉の鳴き声がすぐ耳元でした。裏山の緑に囲まれた道を歩くと土の感触が気持ちよく足の裏に響く。コンクリートの歩道された道ばかり歩く毎日だと、こんな土の感触が懐かしく、ひどく心地良い。裏山は覆われた緑のせいか涼しく、歩いていると汗もかくのだが、ひんやりとした木陰を吹き抜ける風が汗に当たって気持ちがいい。15分程歩くと墓所に辿り着いた。
いくつかある墓の中でも、目立って真新しい墓が文さんの墓だった。
「ええやろ。この御影石。」
墓に、上の方から水をかけながら良二さんが言った。
「立派な石ですね。」
隆博が続ける。
「文にはえらい世話をかけた。もっといろんなとこへ連れて行ったり、おいしいもん食べさせたりしてやりたかったけど、出来んかった。せめて、墓石くらい最高のもんをと思ってな。」
見ると、良二さんの目にうっすら涙が浮かんでいる。文さんのことを思う朴訥な優しい表情に、こちらまでもらい泣きしそうだ。
苔むしたような古い墓が建ち並ぶ一角にある文さんの墓。真新しい漆黒の御影石が夏の光に反射して、それが何だかひどく寂しく感じた。
俺たちは焼香を済ませ、また来た道を戻った。
先を行く隆博の背中を見ながら、良二さんと並んで歩いていると、
ふと、良二さんが、
「これからどうするんか、だいたい腹ん中は決まっとるか?」
と、尋ねてきた。
何のことだろう?
良二さんの顔を見ると、顎をしゃくるように前方を歩く隆博を目で指した。
「あ…。それは。」
言いよどむと、
「ワシも文と同じや。おまんらが心配でならん。」
黙っていると、
「隆博くんがひとりで来だしたんが、変やなあと思っとたんやが、文と話ししとるんを聞いてだいたいのことはわかったし。最初はびっくりしたけど、悟がそれで幸せになるんやったら、ワシは何でもええ思ってな。」
彼は昔のように豪快に笑った。それを見てほっとした。
自分を肯定して、自分を受け入れる。そして、それを理解してくれる人がいる。少しずつでも多くの人が、自分を理解して傍にいてくれる。それが自信につながる。そして、自分も幸せになっていいんだって思えるようになる。
俺は何も言えず、ただ黙って頭を下げた。