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彼の娘  作者: 大島 有
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3話 アクシデント

要は天井を見上げて、うーんとうなり、

「そや、おまんやれ。」

「何で?」

急にそんなこと言われてびっくりして返すと、

「おまん弾き語りとかやっとたんやろ、高校生の時。」

ああ、それか。だいぶ昔の話だ。


親父とそりが合わなくて家を飛び出し、そのたびに連れ戻される俺を、母方の叔父の隆司が見るに見かねて後見人を名乗り出てくれた。その叔父さんに世話になりながら、一人で暮らし奨学金で高校を出た。

その頃、生活の為に学校の目を盗み、夜な夜なクラブでピアノの弾き語りをして、食い繋いでいた。あれも生活のためにやむを得ずやっていたみたいなもので、要みたいに音楽を極めるとか、そういう芸術的な側面でやっていたものとは違うような気がするし、第一、急にそんなこと言われても。

俺たちが言い合っているのを聞いて、絵梨香がどうしたのかと聞いてきた。


「そや、おまんら親子でやれや。」

「要さん、何のこと?」

絵梨香が不思議そうに聞くと、要は彼女に事情を話していた。

それを、隆博は興味深そうに視線を投げてよこした。

(何?)

(ううん。)

首を振る。

すると、

「いやん。楽しそう。パパ、やろうよ。」

絵梨香が振り返って俺の顔を見た。

「は?」

「いいじゃない。要さん困ってるし、すぐにバンドの人来るわよ。1曲か2曲くらいなら。」

彼女は乗る気だ。

「ええやん、彼女シンガーになりたいんやろ。勉強になるし、ステージで歌う度胸つけとかないかんし。」

要も後押しした。

いや、しかし…

俺の戸惑いを見透かしたように、絵梨香が言った。

「パパ、連弾しよ。左は私やるから。」


そう、あの事故以来、左の薬指と小指がうまく動かない。普段の生活ではあまり困ることはないが、パソコンのブラインドタッチとピアノを弾くときは指が少し痙攣したように震える。

あの時、トラックに跳ね飛ばされて頭をしたたか打ち、本当だったら死んでいたような大事故だったが、奇跡的に助かり、でも左半身に麻痺が残った。そのリハビリに俺は1年費やした。殆ど前と同じような状態に回復したけど、左の2本の指の麻痺は残った。そして、ほんと親しい人がじっと見ないとわからない程度だけど、走る時に少し左足が遅れるように引きずることもある。だから、ピアノも家で趣味程度に弾くくらいなら何ともないが、こんな人前でなんて。うまく出来なかったら要に恥をかかせることになっちまう。

俺の不安と心配をよそに、絵梨香は

(大丈夫よ。私がついているんだから。)

そう、目で合図してきた。

時計が9時をだいぶ回っても始まらない様子に店の客はざわつきはじめた。

要が胸の前で手を合わせて頭を下げた。

「うん。わかった。」

観念すると、絵梨香が

「パパあれやろ。あれならよく練習したじゃない。」

彼女が提案した曲は、C.Potterの〝Don’t’ fence me in〟

1944年にC.Potterが映画「ハリウッド・玉手箱」の主題歌として書いた曲で、ロイ・ロジャースが馬に乗って歌ってヒットし、古い歌だが今でもカントリー・グループのスタンダードで、このカントリー調の曲をC&W(カントリー&ウェスタン)調に歌うのが楽しい。歌詞をよく聴くと、ネィティブアメリカンの哀愁が漂う曲だが、明るくてリズミカルなメロディは歌っていると楽しく自由な気分になる。お気に入りの一曲だ。


要がカウンターから出て、ステージの上のピアノにスタンドを立て、マイクをセットした。そして、

「皆さん、えろうすんまへん。ライブが遅れてしもうて。実はプレセリアのメンバーがちょっとした事故におうてしもうて少し遅れます。大変申し訳ありませんが、それまで僕の友人がちょっとしたステージをやらせてもらいます。素人やでお聞き苦しいかもしれまへんが、ちょっとお耳を拝借させてください。」

そう言って、頭を下げると、客の間から拍手が起こった。

要はにやにやして、こっちを向いた。

(お聞き苦しい素人にやらせないで、何でお前がやらん。)

心の中で悪態をついた。嫌がる人のことひっぱり出しといて。

ま、お客さんたちも拍手して待っているし、気を取り直して、ピアノの前に座る。長いベンチシート型の椅子に絵梨香は俺の左側に座り、身体を密着させた。柔らかい感触を感じてどきっとした。

(パパ腕じゃま。)

そう目で合図して、俺の左腕を自分の腰に巻きつける。俺の胸に抱きかかえられる格好になった。思春期にさしかかって難しい年頃になってから、こんなふうに絵梨香と身体を触れ合わせたことがなかった。彼女から女性特有の甘い香りがした。父親の癖に娘に対してどきどきした。いつの間に彼女は少女から女性になったのだろう。毎日一緒にいるのにそんなことまで気がつかない。娘に女性を感じたくないのかもしれない。それは彼女が成長して親元を離れていく日が近い事を実感させるのかもしれない。いつまでも小さな絵梨香でいて欲しい。そう思う。でも、時は待っていてくれない。いつか絵梨香も俺の元を離れていく。

そんな俺の思いを知ってか知らずか、絵梨香は無邪気に

(最初のパートはパパがソロでやってね。〝give me land. lots of land〟からふたりでね。)

俺に指示をする。

何だか涙が出そうになった。何故だろう。

(せーのーで。)

彼女が俺の目を見た。

呼吸を合わせてキイに指を滑らせる。


Wild cat Kelly looking mighty pale

Was standing by the sheriff’s side.

(野良猫ケリーはひどく青ざめて保安官の傍に経っていた。)


左のパートは彼女がやってくれる。安心して任せる。

キイを叩きながら、彼女が子供の頃を思い出した。

よくいろんな曲を連弾してふたりで楽しんだ。絵梨香は物覚えが速く、教室で習ってくる歌をすぐ覚えた。そして、パパこれ知ってる?と楽譜を抱えては部屋へやってきて、一緒に弾こうといつもねだった。それを思い出して最近もたまにこうやってふたりでピアノを楽しむ。あの事故以来指がうまく動かない。でも、絵梨香はこうやって俺と会話してくれているのだろう。優しい子だ。


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