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彼の娘  作者: 大島 有
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17話 ふたりで弾こう

「パパとの共通の趣味なの。」

自分の場合は無理やり母親の押しつけで習わされたものだったけど、絵梨香は小さい時から歌を歌ったり、楽器を奏でたりするのが大好きだった。幼稚園に上がった頃から試しにピアノを習わせたら、楽しかったらしく上達も早かった。自分も弾けるので教えたり、一緒に連弾したりするうちに2人の共通の趣味は音楽になった。絵梨香はいろんなジャンルの音楽が好きだけど、中でもジャズに惚れこんだらしく、将来はジャズシンガーになりたいらしい。それで、大学の専攻も音楽にして、アメリカでもジャズの専攻のあるインディアナ大学の音楽部に通うことにした。


「そうか、音楽はいいよね。」

「隆博さんは?」

「僕は楽器は全く駄目なんだ。何かしら楽器が弾ける人ってほんと尊敬するよ。」

「なんだかそんなふうに見えないわ。芸術家タイプなのに。」

「そうかな。」

「でも、君たちは親子揃って芸術家タイプだね。」

「そうねえ。私は芸術家タイプかもしれないわ。だって学校を出て、普通に会社に就職して、それなりの年になったら結婚するっていうような人生には、あまり興味がないかもしれないわ。何か自分で産み出したいのよ。形のないところからいろんな何かを。パパは芸術家タイプっていうか、私と違ってひどいリアリストだと思うけど、でも共通の趣味があるって良いことね。パパと音楽の事でいろんな話が出来るし。」


「そういえば、絵梨香ちゃんはジャズを勉強したいって手紙に書いてあったね。」

隆博がそう言うと、絵梨香は目を輝かせて、

「そうなの。秋から大学で専攻して勉強するのよ。とても楽しみなの。」

「それでね、ニューオリンズはジャズの本場でしょ。もっともジャズクラブに通いつめていてジャズが好きになって、ジャズシンガーになりたいって思ったんだけど。」

「ああ、だから週末はジャズクラブへ?」

隆博が聞くと、

「そうなの。パパにいろんなライブへ連れて行ってもらったわ。」

「パパと私には共通の楽しみがあったから、そんなに寂しくなかったわ。」

本当に?

彼女の顔を覗きこむと、

「ほんとはもっとパパと一緒に過ごしたかったわ。来月から向こうだしね。」


そうだなあ。あまり一緒にいる時間ってなかったかもしれん。知らないうちに成長して、あっというまに親元から離れていくんだから。

向こうで親しくなった会社の同僚夫妻は大のジャズファンで、ある時誘われてジャズのライブを見に行った。音楽が好きな絵梨香を連れて行ったらとても気に入って、ちょっと子供には大人っぽすぎるジャンルかなと思ったんだが、意外に彼女の感性に合っていたらしい。ピアノは幼稚園の頃から習わせていたが、その頃から声楽も同時に習い始めた。シンガーになりたいと言い出したのはその頃からで、ちょうど近所に声楽を専門に教えている先生がいたので、渡りに舟だった。

好きなこと、彼女がやりたいと思ったことは何でも叶えてやりたかった。子供にいろんな可能性やチャンスを与えるのは親として当然の事だから。

そんな話をすると、〝まったく親ばかだなあ。悟がそんなに子供に入れ込むような親になるなんて全く想像がつかなかったよ。〟と、隆博は笑った。


「とにかく本場で聞くジャズってほんとに凄いのよ。絶対はまるわ。」

「ニューオリンズは、今でもお葬式でジャズが演奏されるような音楽の街で、中心地のフレンチ・クォーターには沢山のジャズバーが建ち並び、中でもプリザベーションホールでは、いろんな演奏家の昔ながらのスタイルの演奏が毎晩楽しめるの。」

「楽しそうだね。」

隆博があいづちをうつと、

「街の通りのいろんな所から音楽が聞こえてきて、そこに居るだけで楽しくなる。そんな街なの。」


ジャズの起源は19世紀の終わり。

アメリカの南北戦争終結後(1865)、不要になった軍楽隊の楽器が安く出回り、港町ニューオリンズの黒人層がこれを手にして、軍楽隊をまねた合奏を楽しんでいたのが始まり。それがやがてヨーロッパのメロディや和音と、アフリカのリズムが混ざり合って、独特のジャズのメロディが出来た。

俺たちが住んでいたニューオリンズは、紅燈街ストリーヴィルを中心にジャズがダンス音楽として、さかんに演奏されるようになったが、それが一時期、第一次世界大戦(1917)によるストリーヴィル閉鎖がきっかけとなって、ジャズの中心はミシシッピ川を北上して、シカゴ、ニューヨークへ移った。

それでもシカゴへ行かなかった演奏家たちが、別の仕事をしながら、お祭り、週末のダンスホール、お葬式、商店や選挙の宣伝など、あらゆる機会で雇われるようになり、地域に根づき、独特の発達を遂げたのがニューオリンズジャズだ。

歌のジャンルは黒人霊歌、ラグタイム、マーチ、ミュージカルソングなどで、黎明期のジャズを基本に南部らしい豊かな生命力を感じさせるグルーブ感、名人芸ともいえる節回し、合奏の本質ともいえるインタープレイ(会話的演奏)の魅力をもって演奏される。

絵梨香は、ニューオリンズジャズを発端に、スゥイング・ビックバンドからビバップと呼ばれるモダンジャズまで、あらゆるスタイルのジャズに魅せられていた。


食後のコーヒーを入れながら絵梨香が思いついたように、

「パパ、要さんのお店へ行かない?」

「要んち?」

「だって、こっち戻ってきてからまだ一度もお邪魔してないわ。」

誰?何の店?って、あいつが聞いてきたので説明をする。

要というのは俺の大学の時の同級生で、乃木坂で小さなクラブをやっている。

3年前、まだ東京にいる時にたまたまそいつと街でばったり出会って、何やってんだって聞くと、こっちへ出てきて店をやっているというので、絵梨香を連れて行ってみた。

乃木坂の繁華街からちょっと離れた、薄暗く狭い路地に数件並んでいる飲み屋の一角にやつの店があった。未成年者を連れてくるべきではなかったと、その時はちょっと後悔したが、だいたいあいつはどこへ連れて行っても物怖じしないやつなので、心配は無用だった。

ま、親同伴だしいいかって思って。絵梨香に言わせると、そういうところが普通の親とは違うんだって。それもそうかな。未成年者をバーやクラブに連れて行ったり、酒を飲むのも黙認していたり…。まあだいたい自分が今まで自由にやってたし、あいつの年には親元から離れてたからな。

で、やつの店にはちょっとしたステージがあって、時々いろんなジャンルのミュージシャンのライブをやっていた。やつ自身もサクスフォーンの奏者だ。

絵梨香はそんな店の雰囲気と要のことが気に入ったらしい。こっちへ戻ってきてからも、アメリカへ行く前に一回連れて行けとうるさかった。

「そうだなあ。別にいいけど。」

と言うと、

「隆博さんもいいでしょ?」

彼女は甘えた様子でやつの腕に手を廻した。

「僕は構わないよ。」。

あいつも優しい眼差しで絵梨香に答えた。

「やった。」

「私着替えてくる。」

そう言って絵梨香は自分の部屋へすっ飛んでいった。


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