11話 その人のこと今も好き?
事故の後、退院してリハビリを受ける毎日の中でこう思った。
無理してこれ以上暮らせない。乃理子はくっついたり離れたりしながらも、結局あいつと別れる事はなかった。
絵梨香が中学に入るのを待って離婚した。それからすぐニューオリンズに赴任の話があって、俺は絵梨香を連れて日本を離れた。
その頃からだろうか。絵梨香があいつの書いたものを読んでいる事を知ったのは。
あいつの部屋の本棚に何冊かそれをみつけた。あの7年前の賞の授賞からあいつの作家としての歩みは順調で、何冊か本を出し、そのどれもがそこそこの評価を受けていた。翻訳家としての名前も知られるようになった。絵梨香が彼の本を読んでいるのは、あの事があったからなのか、それとは関係のない次元で彼の作品に惹かれたのか。それはわからなかったし、それを問う勇気もなかった。
まさか、手紙をやり取りしているなんて。それは作家といちファンとのやり取りなのか。隆博が絵梨香のことを俺の娘だと知っていてやり取りしている事なのか。
「でもあれは嘘だった。あれはママの恋人。偶然出会った学校のお友達なんかじゃない。ママはパパから離れていった。それに。」
彼女は言葉を区切った。
「・・・パパも嘘をついた。」
その言葉を聞いて、胸がちくりと痛んだ。絵梨香が何について言っているのかわかったからだ。
「でも、パパとママが離婚したことは仕方のないことだし、それを受け入れようとして私も一生懸命だった。」
そして吹っ切ったように、
「でも、今はパパと一緒だし、ママもママで幸せならそれでいいと思う。気持ちが離れてしまったふたりと一緒に住むのは私も嫌だし。」
「でも、あれから絵梨香はママに一度も会っていない。」
「うん。」
「ママは絵梨香には会いたいんだぞ。一度くらい会ったら。」
「わかってる。」
「でも、今パパに話したいのはママのことじゃないの。」
「パパ、ごまかさないで。その人のこと今も好き?」
娘に、まさか自分の娘にそんな事を問われるなんて。どんな顔をしていいのか。たぶん、俺は困ったような泣きそうな変な顔をしてただろう。
とっさに答えた。
「何を聞くんだ。あいつはただのパパの大学の後輩で、そりゃあいいやつだったけど、それが…。」
とにかく返事に困ってしまった。絵梨香は切れ長の細い目をこれ以上大きく開くことは出来ないというほど大きく見開き、じっと俺の目を見ていた。
どうやってこの場を切り抜けるか。まさか娘にそんなことを。
今でも好きか?ああ、今でも好きだ。
「パパ。」
絵梨香がじれた。
しかし、自分の娘に自分が同性を好きだということを告白するのはかなり勇気がいることだ。もし、肯定されなかったら?自分の一番大事な家族に否定されたら。自分の存在が肯定されないということはひどくつらいことだ。
自分の子供の頃を思い出した。怒りに任せて俺を殴る親父の顔が浮かんだ。あの時の腹の傷がまた痛むようにうずきだした。今から思うと、父親に暴力を振るわれたこと。それはお前の存在なんて認めていないんだって言われているように思えた。
何にでも一番になりたかった。親父を見返してやりたいという思いと同時に、自分を認めてもらいたい、そんな思いが大きかったに違いない。
肯定されたい、そう思って今まで頑張ってきたんだ。今だからわかる。
でも、本当のことを告白して、もし絵梨香に肯定されなかったら。
どうしようか。
「パパ。」
また絵梨香がじれたように俺の腕を掴んで揺すぶった。
「絵梨香。好きってそれはどういう…。」
「どういう意味かっていうこと?恋人としてということよ。」
「あの、相手は男だぞ。結婚して家庭もあるし。今さら会ってどうなる?パパは絵梨香さえいればいい。」
「絵梨香はパパの恋人にはなれないわよ。」
「わかってる。だからがんばってるんじゃないか。」
それは離婚してニューオリンズへ来てから、俺がつきあっていたガールフレンドの存在の事だ。
「でも、サラもスーザンもジュリアも…うまくいかなかったじゃない。」
「やっぱ同じ日本人がいいかな。だからうまくいかなかったんだよ。」
そう言って笑うと、
「リエコは日系人だったわ。」
つい最近別れた日系2世の彼女の名前を言われた。
「はあ。」
視線を芝生の上に落とす。
「パパはいつもがんばっている。だけどパパは今のままでいいの?仕事頑張って、絵梨香の面倒をみて、絵梨香のことだけ考えてくれている。でも、それでいいの?パパは自分のことそれで幸せなの?」
「パパ、日本に帰って彼に会って。」