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彼の娘  作者: 大島 有
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第1章 再会  1話:受賞作家

ボーイズラブの要素を含んでいます。

ご理解いただけない方は、ご遠慮ください。

(まだかな…。)

壁の時計を見る。6時を過ぎている。会議が長引いていた。

今日は定時で帰るつもりで、一週間前から仕事を前倒しにしてやってきたのに。

来週に予定していた会議が、部長の都合で急に先ほど招集がかかった。

携帯の画面を見る。絵梨香からは何の連絡もない。

「…それで…。」

「…木くん。」

「サトル」

隣に座っていたジェリーにひじで突つかれてはっとする。

部長がこちらを見ている。

「水木くん。先週の報告を。」

ぼんやりしていた。はっとして立ち上がり、スライドスクリーンの前に立つ。

もうこの仕事について何年になる。スライドを示しながら先月からの自分の担当地域の営業結果を報告する。手短に済ませて自分の席に戻ると、

「サトル。今日はぼんやりしているな。」

隣のジェリーが小声で話しかけてきた。

「いや、すまん。」

ジェリーが席を離れ、自分の担当地域の結果報告をしている間、それをぼんやり聞きながら又7年前のことを思い出していた。今日はそのことが頭から離れない。



7年前…。赴任先のベルギーから戻ってきてすぐの事だった。

都内のホテルである受賞パーティが開かれた。それは某出版社がその年の大作を募ったもので、うちの会社はそのスポンサーのうちの一社になっていて、急にそれに引っ張り出された。審査員のうちのひとりに、ある芸術評論家の米国人がいた。その彼の日本人通訳が急に体調を崩し出来なくなり、急遽そのピンチヒッターを頼まれた。日本語が全く出来ないそのMr. Jamesについて丸2日間、あちこち彼と移動していた。


そして受賞パーティの当日。

ホテルに着いた俺は、会場の準備などで忙しく動き回っていた。ジェームス氏を部屋に案内し、会場の準備を手伝うためにホールへ続くロビーを歩いていた時だ。ふいに前を行く男の姿が目に入った。黒の質のいいスーツを着て、髪の毛をきちんとセットしたその後姿を見て、パーティの関係者だと思った。

近くまで歩み寄って、はっとした。

(まさか。)

そう思った次の瞬間には、言葉が口をついて出ていた。

「隆博。」

怪訝そうに振り返ったその顔を見て確信した。

あいつだ。

「悟。何で…。」

どうしてここにいるんだというように、彼は瞬きを何回もした。

少し頬の肉が落ちて細面になっていたが、間違いないあいつだ。

「10年ぶりか。受賞おめでとう。」


2日前に知った。

通訳を頼まれて、パーティの趣旨を聞いた。ざっと目を通した受賞作家の中に見知った名前を見つけたからだ。彼はペンネームを使っていない。会えるのかと思った。懐かしさと嬉しさに、困惑が入り混じった複雑な心境だった。だけど、会わない方がいいのだとわかっていた。

だから、もし、偶然に会えればそれでいいし、大勢の人が出ているだろうから、人に紛れて会えなければそれはそれでいいと思っていた。

でも、心の片隅で本当は会いたいと、一言でもいいから〝おめでとう〟と声をかけたいという気持ちは消えなかった。

「…悟は…。」

「お前が、ずっと翻訳の傍ら本を書いていたのは知っていたよ。」

そう言うと、ああ、自分のことをずっと見ていたのかと、びっくりしたような戸惑った表情を見せた後、はにかんだように笑い、

「ありがとう。照れくさいよ。」

と言った。

「それで、悟は?」

「うちの会社が今日のスポンサーの内の一社なんだ。審査員の中にコリン・ジェームスっているだろ?通訳が体調を崩して出来なくなったんで、そのピンチヒッターで来ている。」

「そうか。」

俺が急に予期もせず現れたせいなのか、隆博は少し緊張したように顔を赤く上気させた。

「緊張する?」

「ああ、賞をもらうなんて初めてだからね。」

「がんばれよ。」

そう言うと、後方からパーティの関係者が隆博を呼びに来た。

すぐに行くと彼は返事し、関係者を先に行かせた。

名残惜しそうに立ち止まった彼を見て、

「いいよ。行けよ。」

と言ったものの、自分の中で何かがくすぶっていた。あいつも同じだったんだろう。もう少し話をしたいような顔をした。

それで、ついふっと思いついて。

「明日も彼の通訳で一日缶詰なんだ。今日も彼と一緒にこのホテルに泊まっている。」

そう言って部屋の階を告げた。夜なら彼から解放されているはずだからと。

隆博はそれを戸惑ったような表情で聞き、ああ、ともうんとも言わずあいまいに笑い、ロビーを歩いていった。その後姿を見ながら、自分がつい口走った事を後悔した。会わない方がいいと思っていたのに。それに…。


自分の脳裏に、10年前最後に別れた時の情景が浮かんだ。凍るような冷気。ちらちらと舞う粉雪。点々と燈る街灯の灯りの下を、何度も何度も振り返りながら歩いていくあいつの姿を。

あの時もこんなふうに見送った。姿が見えなくなるまで。でも、あの時と違ってあいつは俺を振り返らず真っ直ぐ歩いていく。背筋を伸ばして堂々と。

フォーマルな席らしく、質のよい上品なスーツを着て、ぴっちりと髪の毛を撫でつけた彼を見て、ほんとにもう一人前の大人なんだよな、と思った。10年前まだお互い学生だった。自分にとっては小さな弟のように思っていた。繊細で優しくて、頼りなくて、でもどこかしら芯が強くて、それに俺は頼って寄りかかっていたのかもしれない。もうお互い大人でちゃんとした社会人で、それぞれ家庭があって。これ以上会ったり、話をして何になるんだ。

自分の部屋の階を告げた事を、間違った事をしたかのようにその受賞パーティの間中後悔していた。

でも、たぶん本音は違ったんだろうな。


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