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破綻した世界は幸福か否か  作者: 波風そらいろ
第二章 扉の先に広がる世界
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四 はじめまして

 ショッピングモールに面した大きな交差点の向こう側に、その公園はあった。

 入り口から少し進んだ先、ちょうど木々の間に隠れるように置かれたベンチに座っている、


「ちょっといいかな?」


「突然、ごめん。翠さ……その鳥のことなんだけど、実は俺たちが飼ってる鳥で」


「え、」


 颯吉たちの声に反応して、薄緑色の鳥を膝にのせた少女が顔を上げる。


 淡い栗色の髪に、榛色(はしばみいろ)の瞳。

 容姿の要素は海鈴と似ているが、決して(うり)二つというわけではない。


 ――それでも、これだけ雰囲気が似てるのなら、この子は間違いなく――、


 ひざ丈のスカートに薄手のカーディガンを羽織る少女は、明らかに海鈴よりも年下だ。

 髪をおろしている彼女に対し、少女の方は両側をおさげにしてヘアゴムでまとめている。


 海鈴と颯吉のことをしばし見つめていたかと思うと、少女は翠を抱えたまま勢いよく立ち上がる。


「ほ、ほんとに……? お姉さんたち、この子の飼い主さん!? よかったあー。迷子のポスターを作ろうって、お母さんと話してたんです!」


 心からの安堵を声にのせて笑い、両の手のひらにのせた翠をこちらへと差し出す姿を見た颯吉と海鈴は――なにを言うでもなく、ほぼ同じタイミングで顔を見合わせていた。


 仮にこれが海鈴であれば、確証もないのに「はいどうぞ」と見知らぬ人に差し出したりはしないはずである。

 てっきり、本当に飼い主なのかと疑われることを予想していた颯吉は、喜ぶよりも先に少女のことが少し心配になった。


「……声をかけた俺が聞くのもなんだけど、そんな簡単に信用していいの? 本当に俺たちが飼ってる鳥かも、まだ確認してないよね?」


 言ってしまったのでもう遅いのだが、今のはなんか怪しい人のセリフじゃないか? と内心でツッコミを入れる。


 目の前の少女――区別するために、颯吉は脳内で『ミレイ』に変換した――は、その問いかけに曇り一つない笑顔を見せると、


「大丈夫ですよー。だって、お兄さんたち……この子のことが心配で、ここまで追いかけてきたんですよね?」


 確かめるようにまっすぐ見つめられ、迷うことなく肯定する。

 たとえ世界の管理者だとしても、今の翠は分身の小さな鳥の姿なのだ。この日本で使える力に制限があるからこそ、颯吉たちワタリビトに協力を求めたという経緯もある。


 そして、同じく真剣な面持ちで「もちろん」と返す海鈴からも、気持ちは十分(じゅうぶん)に伝わったらしい。


「うん、やっぱり。この子のことを誘拐するような人たちなら、そんな顔はしないと思うんです」


 柔らかく微笑んだミレイは、先ほどからやり取りを大人しく聞いていた翠に目を向ける。


「この子の名前って、なんですか?」


「ああ、(すい)っていうんだ。色合いがほら、翡翠みたいでさ。ちなみに、性別は男……いや、オスだよ」


「ふふっ、すっごく綺麗で凛々しいでしょ?」


 どこか誇らしげな海鈴にうなずくと、少女は「翠くんって言うんだねー」とその小さな頭を優しく撫でた。





 あれから、颯吉たちはベンチに座りお互いに自己紹介をしていた。


「翠のことを保護してくれて、ありがとう。俺は、今居颯太(いまいそうた)――二十三歳で、社会人だよ」


 本当はこの世界ではまだ働いていないのだが、不信感を与えないために嘘をつく。


 名前に関しては、今の翠の管理者権限で認識を大幅に加工することは難しいそうで、


『二人には、本来の名前とほんの少し違う名前を名乗ってほしいんだ。漢字を一文字変えるとか、読み方を変えるとかで、大丈夫だからさ』


 翠いわく。戸籍や身分証明書の記載は本名のままだが、ミレイたちと関わる際は名乗った方の名前で認識されるように、周囲の人間やシステムに認識の細工をしてくれるらしい。


「私からも、本当にありがとう! 日向井海鈴(ひむかいみすず)、高校二年生だよー。よろしくね!」


「……えっ、私と同じ!?」


 わかりやすく反応するミレイに、海鈴はあえて不思議そうに首をかしげてみせる。


「あれ? あなたの名前って」


「私も、日向井海鈴(ひむかいみれい)って書くんです! あっ、下の名前は海鈴(みれい)だから、そっちの読み方は違うんですけど。今、中二です!」


 興奮した様子で身振り手振りで説明するミレイに、颯吉と海鈴は思わずほっこりとした雰囲気になる。

 それと同時に、怪しまれないためとはいえ本来のものとは異なる名前を名乗ることに、颯吉は罪悪感も感じていた。


「そ、そんなこともあるんだな! 実は、俺たちは遠い親戚でさ。今は海鈴(みすず)ちゃんのご両親の都合で、お隣さん同士で暮らしてるんだ」


 話題を変えつつ、昨日のことを振り返る。


 ――翠さんたちと決めた設定だけど、ほんとにこれで押し通せるのかな。

 一応、今の俺たちは本来の姿とは違う感じに見えてるみたいだけど。


「今日は一緒に出かけてる途中で、スイさんとはぐれちゃったの」


「そうだったんですね。今居さんと、日向井さん……だと私とかぶっちゃうし、海鈴(みすず)さんって呼んでもいいですか?」


「もちろん! じゃあ、私もミレイちゃんって呼んでもいいかな?」


「あっ、そうか。海鈴(みすず)ちゃんの名字とかぶるし、俺も呼び方はミレイちゃんでも?」


「いいですよー! なんだか、年上のお友だちが増えたみたいで嬉しい!」


 弾けるような笑顔をこちらへ向けるミレイは――なるほど、確かに海鈴(みれい)と似て、明るく社交的な性格らしかった。


「そういえば、ミレイちゃんは一人で来てるのか?」


 そうではないことは知っていたが、一応確認しておく。


「あ、今日はお母さんと一緒で……そうだ! お母さん、翠くんのご飯とか寝床を用意しないとって、今買い物に行ってて」


「そうなの!? ごめんね。ミレイちゃんのお母さん、せっかく色々準備してくれてるのに」


「翠を保護してくれたんだし、買ってくれたものは俺たちがお金を出して引き取った方が……」


 自分のお金ではないので、確認を取るためにさりげなく翠の方を見やると――視線に気づいたのか、彼は颯吉に向けてこっそりとうなずいてみせる。


「ええっ、いいですよそんな……! お母さんも、お金のことより翠くんの飼い主が見つかったんだって、絶対喜んでくれますから!」


 大げさに手を振って断ろうとするミレイだったが、颯吉と海鈴にはここで引き下がるという選択肢はなかった。

 なにより、ミレイの母親とも知り合いになるチャンスなのだ。


「お金のことだけじゃなくて。俺たち、ミレイちゃんのお母さんにもお礼が言いたいんだ。……もちろん、迷惑でなければだけど」


「スイさんのことを保護してくれて、預かるための準備までしてくれてたんでしょ? そんなの、直接ちゃんとお礼を言わなきゃ!」


 途中で「さすがに、無理に会おうとするのは迷惑では?」と弱気になる颯吉とは対照的に、自身の母親と似た存在であるためか、積極的にミレイの母親に会おうとしている海鈴。


 そんな颯吉たち二人の熱意に目を丸くしながらも、少女は笑って了承してくれたのである。





 ポシェットから取り出した携帯で母親と話すミレイを、やや緊張しつつ見守ること数分。

 通話を終えて「お母さん、二人にぜひ会いたいそうです!」と元気よく振り返る姿に、思わずほっとする。

 ここで警戒心を(いだ)かれれば、海鈴の願いを叶えることは難しくなる。


「ありがとう、ミレイちゃん。じゃあ、俺たちも公園の入り口まで行こうか」


 ミレイの母親はちょうど買い物を終えたところらしく、購入したものを車内に置いてこちらに向かうとのことだった。


「そうですね! あの……翠くんと、もうちょっと一緒にいてもいいですか?」


「大丈夫だと思うけど。スイさん、いいかな?」


 返事の代わりとでも言うように、ベンチの端にいた翠が羽ばたくと、立ち上がったミレイの肩にちょこんとのってみせる。

 その行動に目を見開いて固まるミレイに気づいて、慌てて説明する。


「あー、えっと。翠、すごく賢い鳥なんだ! 本当に、俺たちの言葉がわかってるんじゃないかってくらいで」


「……! そう、そうなの! 私、いつもの癖で話しかけちゃったけど、家でもこんな感じだから!」


「そうなんですか!?」


 驚きから一転して目を輝かせる様子を見るに、どうやら上手く誤魔化せたようだ。

 一方で、無意識に行動してしまったらしい翠は、颯吉と海鈴の方を見て「ごめんねー、つい!」といった表情をしている。


 ――そっか、そうだった。俺たちは、あの空間で出会ったときと変わらない感じで接してるけど。

 周りから見て、それが普通とは限らないんだ。


 この二週間で薄れかけていた認識を、改めて手繰り寄せる颯吉だった。



 道中、とりとめのない話をしながら歩くこと数分。


 この公園の敷地面積は広く、遊具のスペースから少し離れた場所には噴水もある。

 今は昼前の時間帯でそれほど人は多くないが、もう少しすれば家族連れや子どもたちの姿で賑わうのだろう。


「あっ、お母さんだ!」


 もうすぐ公園の入り口に差し掛かるところで、声を弾ませたミレイが「お母さん、こっちだよー!」と叫んで手を振る。


 つられてそちらを見ると、大きな交差点を一人の女性が渡ろうとしているところだった。

 三十代前半から半ばぐらいであろうその女性は、ミレイが手を振っているのに気づくと笑顔になる。


「あの人が……こっちに来てくれてるみたいだし、ここで待ってた方がいいかな?」


 その姿をじっと見つめる海鈴の感情は、うかがい知れない。

 声音はいつも通りではあるものの、本来ならば彼女が出会うことのなかった人物なのだ。


 ――いや、それはミレイちゃんもか。

 なにせ、別の世界の自分自身なわけだし。


「そうだな。信号もちょうど青になったし」


 横断歩道を渡り始めた彼女は、娘の近くにいる颯吉と海鈴にも気づいたらしい。

 会釈をされて、こちらもすぐに頭を下げる。


「さっきの電話でお母さん、翠くんも一緒に家でお茶でもどうかって」


 なんの含みもない純粋な笑顔に海鈴もいつもの調子を取り戻したようで、


「ほんとに、いいの? むしろ、こっちこそお礼を」


「……は?」


 その異変に最初に気がついたのは、颯吉だった。


 通りの向こう側で、誰かの叫び声のようなものが微かに聞こえてくる。

 次いで視界に飛び込んできたのは、ミレイの母親の背後から猛スピードで迫っている一台の――、


「えっ、今居さん!?」


「颯き……颯太さん、どうしたの?」


 会話に夢中になっていた二人は、まだミレイの母親が直面する未来を理解できていない。

 颯吉は二人が声をかける前にすでに駆け出していて、置いていかれた彼女たちは颯吉が向かった先を見て、ようやく事態の深刻さに気づいたようだった。


「っ、待って! 待ってよ、颯……太さんっ! そんなの、絶対間に合わない……!!」


 同じく走り出そうとするミレイを必死に抱き込んで止めながら、海鈴は颯吉に向かって声の限りに叫ぶ。


 颯吉自身、それはわかっていた。


 目の前にいるのならまだしも、車のスピードやここからの距離を考えれば、今から走ったところで間に合うはずがない。

 それでも、止まることはできない。今この瞬間に動かなければという、衝動にも似た感情だけが激しく渦巻いていた。


 横断歩道の信号は青に変わったばかりで、彼女以外に渡っている人物はいない。

 それは、手を引いて危険から遠ざけてくれる存在がいないことを意味していた。


 ――間に合え、間に合え、間に合えっ!!!


 蛇行運転を続ける黒のワゴン車が、まるで見えない糸で引き寄せられているかのように。

 いっそ不自然なほど、それは彼女へと一直線に向かっていた。


「――っ」


 周囲の喧騒から異変を感じ取ったのか、ミレイの母親が後ろを振り返り。

 自身に迫る死の気配を捉えた目が、恐怖や混乱、様々な感情で塗りつぶされていく。


 足も手もそれ以外も、体を構成するすべては彼女を助けるための要素とみなして駆け抜ける。


 ――もしかしたら、俺は今このときのために――。


「颯吉くん!」


 いつの間にか並んで飛ぶ翠の声も、今の颯吉には聞こえていない。


 その様子に目を細めて、薄緑色の翼を大きく広げて前方を見据える翠。

 家を出る前に認識の加工をしたときと同じく、淡い緑色の光が放たれ始めて――、


「――!」


 だが、彼の動きはそこで止まる。


 祝福の鍵(ギフトキー)から白い光が放たれると同時に、颯吉の体が今までの動きからは考えられないほどに加速したのだ。


 本来であれば決して届くことはなかっただろう、伸ばした手がミレイの母親の手に触れた直後、


「ぅ、ぐ……っ!!!!!」


 耳をつんざくブレーキ音が、その場に響き渡る。

 彼女を(かか)えて飛ぶ颯吉の体を、遅れて爆風とともに飛んできた車の破片が(かす)めていく。


 勢いのまま歩道の方へ転がった颯吉は、衝撃から守るように腕の中に抱え込んでいたミレイの母親へ視線を移す。


 ――よかった。助けられた。助け、られたんだ。


 彼女の体にも多少のすり傷はあるが、大きな出血はなく意識もある。ちゃんと、生きているのだ。

 安堵から腕を地面に下ろしたことで、体から急速に力が抜けるような感覚に陥る。


 一方で、ミレイの母親はあまりにも一瞬の出来事に呆然としていた。

 それでも、手をついて必死に立ち上がろうとするその顔が強張ったものから泣き出しそうなものへと変化し、


「……っ、大丈夫ですかっ!? いま、今すぐ救急車を……っ!」


 颯吉は安心させようとわずかに口を開くが、そこから声が出ることはなかった。

 どういうわけか、目の前の景色や周囲の音が遠ざかっていく。 


「――! ――っ」


「――!?」


 誰かがやってきて叫んでいるらしいことはわかるが、内容を認識することができない。


 やがて、その声すらも聞こえなくなり――意識は、いつの間にか途切れていた。


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