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破綻した世界は幸福か否か  作者: 波風そらいろ
第一章 狭間の向こう側
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二 巡り合い

「いやあ、驚かせちゃったよねえ」


 口調と同様、のほほんとした雰囲気の目の前の人物に視線をやる。

 身長は颯吉より高く、百八十センチ台半ばといったところか。全身真っ白なローブ姿のその男は、文句のつけようがないくらいの美丈夫(びじょうふ)だった。


 おそらく、日本人ではない。では海外の人なのかと問われると、それも違うと言わざるを得なかった。はっきりと言い表すことはできないが、男のまとう雰囲気はどこか普通の人間とは異なると感じたのだ。


 ――いや、まさか。

 人間じゃないなんて、さすがにありえないだろ。


 先ほどのひび割れた空間が脳裏をよぎったことで、現実離れした可能性をどうしても捨てきれない。


 陶器のように透き通った色素の薄い肌色に、白に近い薄い緑色の柔らかな髪。加えて――宝石の翡翠(ひすい)に似て綺麗だと言えばそこまでだが、どうにも異質な存在感を放つ瞳。


「これ、僕のお気に入りのお店のなんだ。今回は、日本じゃなくてハワイで買ったんだけどね。どれも美味しいから、ぜひ食べてみて!」


「えっと、ありがとうございます……?」


 その声は男性的ではあるが、どこか空を漂う綿雲(わたぐも)のような軽さがあった。それでいて耳心地がよく、こちらを安心させる穏やかな響きをしている。


 それはつまり、この人物が味方であると錯覚しそうになるということで。


 彼は笑顔で颯吉に向かって手招きをすると、一部分だけ(たたみ)となっているスペースに置かれた座布団へと案内する。


 自然とその流れに乗っかりそうになったところで、颯吉は思わず声を上げていた。


「あの! その前に……ここ、どこなんですか? 俺を連れてきたのって」


 ――さっきまで、人気(ひとけ)のない通りを歩いてたはずなのに。

 どう考えたって、おかしい。怪しいとかいうレベルじゃないだろ。


 振り向く際に身じろいだためか、風もないのに男が身にまとう白いローブの袖先がゆらりと揺れる。

 この空間が白一色ということもあり、その存在は目を離せばたちまち周りの景色に溶け込んでしまうように思えた。


 投げかけた問いに対して、男は涼やかとしか言いようがない笑顔を浮かべてみせると、


「ここは、僕の住まいみたいなものでね。君を呼んだのも、もちろん僕さ。一か八かの賭けだったけど、成功したみたいでよかったよ」


 ――あ、完全にこの人が犯人だ。


 あっさりと自白する男に、颯吉の体が強張る。

 逃げるために足を動かしそうになるが、すんでのところで思いとどまった。


 ――まだ、俺を誘拐した理由を聞いてない。

 そもそも、いきなり多額の身代金を要求されたところで、迷いなく払えるような家ではないはずだ。


「なんで、俺なんかを」


「ん? あ、待って。もうすぐここにもう一人来るはずだから、そこでまとめて説明させてもらうね!」


「もう一人? ……ほかにも、誘拐してるってことですか!?」


 ――この男、友好的な態度とは裏腹に実はとんでもない犯罪者なのでは? 

 それとも、あと一人っていうのは仲間のことを言ってるのか?


 内心の激しい動揺が表情に表れていたのか、不思議そうな顔で男が颯吉のことを覗き見る。


「あれ? 君、もしかしてなにか勘違いしてる? ちょっと顔色が、」


「いや、この状況で考えることって、あなたが誘拐犯ってことしかないですから!」


 そう叫ぶなり、目の前の推定危険人物から離れるため、すぐさま男がいる場所とは反対の方向へと走り出した。

 足を動かしながら必死に辺りに目を凝らしてみるが、そこで衝撃的な事実が判明する。


 ――嘘だろ!? ずっと白い空間が続いてて、出口がどこにもない。

 これ、まさか逃げられないんじゃ、


 なにか打開策はないかと焦る颯吉のすぐ後ろから微かな笑い声が聞こえてきて、


「……」


 額に汗をにじませながら、ゆっくりと振り返る。

 いつの間に距離を詰めたのだろうか? 離れた場所にいるはずの男が颯吉のすぐそばにいた。


 ちょっとしたホラーのような展開に固まっていると、男はその整った眉を困ったように下げる。


「もー、誘拐犯じゃないってば! まあ、今までここに来たほとんどの人が最初は多少なりとも警戒してたし、無理もないんだろうけどさ」


 なだめるような口調の男だったが、颯吉からしてみれば『今までここに来た』という言葉は衝撃でしかない。


「まず、僕は人間じゃないんだよね。だから、誘拐犯っていうのは間違い。君に――いや、君たち渡り人(ワタリビト)に、どうしても頼みたいことがあってここに呼んだんだ」


「……え?」


 いきなり自分は人間ではないとカミングアウトしてきた目の前の人物に、いよいよ脳内は混乱を極めていた。『ワタリビト』という聞いたことのない呼ばれ方をしていることも気がかりだが、まずは――、


「もしかして、俺は神だ! とかいう中二病の方だったりしますか?」


 颯吉がなんともいえない視線を向けると、男は大げさに反応してみせる。


「ええー、酷くない!? 僕、そういう嘘はつかないよ? 厳密に言うと、神様っていうよりは君が生きてきた世界とは別の世界の管理者(かんりしゃ)なんだ。ここに来た人たちは、たいていが神様だって認識してたみたいだけどね」


 流れるような動作でいつの間にか手にしていた大きな鏡を颯吉の前に掲げる男に、


 ――鏡なんてどこにもなかったのに、どうなってるんだ?


 この人物が何者なのかますますわからなくなり、一歩後ずさる。

 しかし、目の前の鏡を見た瞬間、続けて動かそうとしていた足が止まった。


「ここに映っている景色に、見覚えはないかな?」


 鏡に映っていたのは――決して、自分自身の姿などではなかった。


 まだ辺りは薄暗く、昼間ほどはっきりと見えているわけではない。

 それでも、颯吉の表情が引きつらせるには十分だった。


「これ、俺がさっきまでいた……?」


 緩く笑みを浮かべた男がうなずくと、鏡が蜃気楼のようにゆらめいて消える。


「そう。簡単に言っちゃえば、君はこの鏡に映る世界から飛び出してきてるってことだ」


 告げられた内容に、やはり理解が追いつかない。

 ただ、今までの常識の範囲外の現象に直面していることだけは、確かだった。


「ある意味、誘拐っていうのも合ってるのかもしれないねー。世界を(また)いでるわけだし!」


 そう言ってなんてことはないように笑う目の前の存在を、ただ呆然と見つめることしかできなかった。





 男は畳のあるスペースまで戻ると、もう一人をこのまま待つべく座布団の上でのんびりとお茶を飲み始めた。

 白という色で埋め尽くされたこの空間で、その場所だけがなんとも浮いているように見える。座布団の前にある暖かな色をしたヒノキのちゃぶ台には、色とりどりの和菓子が入った(かご)とお茶まで用意されていた。


「君もどうだい?」と誘われたが、正直なところそれどころではない。

 誘いをやんわりと断り座っている男から少し離れた場所に立った颯吉は、とにかく頭の中を整理することにした。



「……?」


 ふいに聞こえた空間が軋むような聞き覚えのある音に、思考を中断して顔を上げる。


 一部を除いて白しか存在しない空間の上空。そこに、亀裂が走っていた。


「なんだ……?」


 颯吉がその部分を凝視している間にも、ひびは見る間に大きくなっていく。

 その隙間から漏れ出ているのは、この空間で目覚める前に見たものと同じ光で、


 ――いやあれ、さっき俺が吸い込まれたのと同じやつでは?


 気づいた瞬間、慌てて男に向かって叫んでいた。


「あの! なんか上の方の空間、おかしなことになってませんか!?」


 颯吉の呼びかけに、男はちゃぶ台に湯飲みを置いてその方向を見やると口元を緩める。


「ああ、よかった。もう一人の子も来たみたいだね」


 その言葉になにかを言おうとするよりも先に、亀裂は大きくなり――決壊した。


「――――っ!!!」


 叫び声を上げて落下しているらしいその人物を受け止めるため、颯吉は落ちてくるであろう場所まで急いで走り出す。

 だが、男がすぐさま手を振ったことにより、それまでの落下スピードが嘘のように落ちる。

 そうして、少女は危なげなく颯吉の目の前まで降りてくると無事に地に足をつけたのだった。


「……」


「あー、その」


 ――いや、めちゃくちゃ気まずいな。

 俺、普通に受け止めようとして、両腕を伸ばしてるままだし。


 いつの間にか立ち上がって颯吉たちの様子を見ていた男は、ほんの少し苦笑を浮かべていた。


「そのまま落っことすだなんてこと、絶対にしないからね? そうじゃなくても、そろそろ来るころだとは思ってたんだ」


「……勘違いしてた俺も、そりゃ悪いですけど。少しぐらいは、先に事情を説明しておいてください。さすがに心臓に悪すぎます」


 普段からあまり運動をしていなかったためか、まだ少し息が整っていない颯吉はなんともいえない表情で男の方を見やる。


「ごめんね? 僕もどんな形で来るかまではわからなくてさ。……不安にさせてしまったかな」


 男は眉を下げて申し訳なさそうな表情になると、颯吉をまっすぐに見つめて謝罪する。

 その態度は、間違いなく真摯といえるもので。軽く流されると思っていた颯吉は途端に申し訳ない気持ちになり、思わず謝り返していた。


「いや、その……! そういえば、俺もさっきお茶の誘いを断って一人で考え事してましたし。あのとき、ちゃんと話をするべきでした。すいません」


 そう言って頭を下げる颯吉に対して、彼は少し驚いたような表情を浮かべると、


「……颯吉くん。君、よくお人好(ひとよ)しだとかって言われないかい? 第一、いきなり巻き込んだのは僕の方だからね。最初に君に会ったときに、きちんと事情を説明しておくべきだった」


 柔らかく微笑んだ男は、「この話はこれでおしまい!」と軽く手を叩く。

 それから、彼は先ほどから静かに颯吉たちのやり取りを見守っていた少女へと向き直る。


「はじめまして。君が、もう一人のワタリビト――日向井海鈴(ひむかいみれい)ちゃんだね」


 そう声をかけられた少女は、おそらく高校生ぐらいだろうか。

 肩に軽く触れる長さの色素の薄い栗色の髪が、顔を動かしたことでふわりと揺れる。


 よく見ると、ヘーゼルナッツの色に由来する彼女の榛色(はしばみいろ)の瞳には、警戒の色がありありと浮かび始めていて――、


「……なんで、私の名前を知ってるんですか? それに、荷物は……、っ、誘拐!?」


「え? え? 違うよ? 違うってばー!?」


 どう見ても不審人物に対する態度で、その少女は焦りの表情を浮かべる男から少し距離を取っていた。


「やっぱり、誰でもその反応になるよな……」


 その光景を見て、颯吉は自然と肩の力を抜いていたのだった。


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