月下の菊
もしも背筋の凍るような怖い話をお探しならば、他の話を読みに行った方がいい。なぜならこの話は誰かを怖がらせるために作られたものではなくて、僕自身が体験した出来事を書き留めただけのものだから、どうしたって幽霊やお化けが出てくる怪談話よりも怖さは格段に落ちる。
なによりも僕自身が自分が見たものを幽霊だとは思っていないのだから、このお話には幽霊やお化けの類は一切出てこないということになる。
それでもいいと思う人だけが読んで、そして僕の寂しさをわかってくれればいいと思っている。
さて、どこから話を始めるべきか――まずは事の始まりから話すのが筋だろう。
去年の冬、僕のバイト先の後輩が死んだ。バイクで走っているところを車にあてられて、しかも車の運転手は逃げてしまうという、いわゆるひき逃げだった。
朗らかで優しくて、よく気の回る好漢で、誰からも愛される、本当にいい子だった。まだ大学生という若さだった。
通夜で見たご両親の憔悴っぷりが、今も忘れられない。
そんな子だったから、バイト先でもみんなから可愛がられていた。パートのおばちゃんたちは我が息子であるかのように親切にしたし、若い子たちは兄弟であるかのように親密であった。
だから彼の死は痛ましく、しばらくは接客中の笑顔さえまともにできぬほどに、誰もがおかしくなっていた――そう、おかしくなっていたのだ。だから、死んだA君の面影を求めて、あらぬものが見えたつもりになっていた、ただそれだけのことだ。
彼が亡くなってすぐから、ウチの店で立て続けに怪異が起きた.怪異とはいっても大げさなものではなく、誰もいないバックヤードで人影を見たとか、休憩室の電気が勝手についたり消えたりといった、些細なものばかりだったけれど。
その程度、『気のせいだ』のひとことで片づけてしまうこともできるのに、みんなはそれら全部をA君のせいにしたがった。
たとえば貴重品ロッカーの怪――うちの店の休憩室には、従業員用の貴重品ロッカーがある。個人に割り当てられているわけじゃなくて、風呂屋の下足箱みたいに好きな番号に入れて自分で鍵を持ち歩くシステムだ。盗難防止のために、仕事中はこの中に財布やスマホなんかをしまっておく。
ところで、人間の習性というのか数字の好みなのか、毎日使っているうちに、自然と誰がどの番号のロッカーを使うのかが固定されてくる。僕が好んで使うのは5番ロッカーだ。
A君が好んで使っていたのは3番ロッカーだった。その3番ロッカーがある日、開かなくなったのだ。
鍵がかかっている様子もない、小柄でか弱いパートのおばちゃんだけじゃなくて、がっしり筋肉質なバイトのお兄ちゃんまでもが総出でロッカーの扉を押したり引いたりしたけれど、ついに3番ロッカーを開けることはできなかった。
その時、パートのおばちゃんが言った。
「きっとA君が使っているのよ」
そんなバカな話があるわけがない。例えば鍵の掛け金がどこかで引っかかっているとか、油汚れの固まったのが接着剤の役割を果たしているとか、もっと合理的で常識的な理論がいくらでもあるだろうに。
しかしその日はちょうど水曜日で、A君が生きていればシフトに入っている曜日だった。時間もちょうど彼がシフトインする頃合いであったし、3番ロッカーは彼が好んで使っていた番号だ。だから、おばちゃんの言葉には妙な説得力があった。
「A君があがる時間まで置いといたら、開くんじゃないかしら、修理依頼を出すのはそれからでもいいでしょ」
実際、その通りだったのだけれど――深夜勤務のメンバーが出勤してきたとき、彼らはロッカーが開かないという話を聞いて「何をバカな」みたいな顔をした。だけどおばちゃんが「A君が使っているのよ」というと、それだけで納得した。
「真面目なやつだったからな、死んでも仕事しに来るんだな」
しみじみとした様子で言ってたけれど、僕には違和感しかなかった。というのも、仮にBさんとしておこうか、この男は現実的で、普段ならばお化け話なんて鼻先で笑って否定するような性格なのだから。
パートのおばちゃんなんて、こういっちゃなんだが感情的なものだ。息子のように可愛がっていたA君を失った悲しみを紛らわせるために何でもかんでもA君の仕業だということにして“幽霊を生み出して”しまう、それは悪いことではない。むしろ民俗学のお化けの発生のメカニズムと同一の、人間として当たり前の感情であるし、なによりも心優しいことだと思う。親しかった人の死に対して感情の動かない僕なんかよりも、人間としてよっぽどか健全である。
だけど、普段理屈くさいBさんまでもがそれに引っ張られて、幽霊の実在を信じるようなことを言うなんて、やっぱり、みんなどこかおかしくなっていたに違いない。
A君は、それほどに職場の誰からも愛されていた。
件のロッカーだが、Bさんが扉をひいたらあっさりと開いた。扉が開かないと聞いてリキんでいたBさんが、とびらの勢いに押されてたたらを踏むくらいに、実にあっさりと。
これだって僕に言わせれば、扉の隙間に噛んでいた何かが、何度も強く扉をひいているうちに偶然外れたのではないかと思うのだが、もちろん、パートのおばちゃんはA君が退勤したからだと言い張った。
「ほらね、やっぱりA君が使っていたのよ」
その後も朝一番で出勤してきた者が床に水がこぼれているのを見つけたり、誰もいない更衣室の中から「お先に失礼します」とあいさつする声が聞こえたりといった小さな怪異がいくつか続いた。そして、それはある日、唐突にパタリと止んだ。それがちょうどA君の四十九日と同じ時期であったことから、A君は無事に彼岸に渡ったらしいというのがしばらく職場の話題となったが、それもしだいに盛り上がらなくなって、誰もA君のことを口にしなくなった。
さて、ここからは職場の人たちにも話したことのない、僕自身が体験した怪異の話だ。なぜそれをここで語ろうと思ったのか……いや、逆だな、なぜ職場の連中にこれを話さなかったのを少し語っておきたい。
まず、僕がA君の幻に会ったのは店の中では無かったということ。つまり、異常事例として報告をあげる必要がなかったから。それに、せっかく落ち着きを取り戻した職場に波風を立てたくなかったから――僕がこの話を語ることで、空耳ですらA君の仕業だと言い張って嘆く、あの悲しい日々を思い出させることがはばかられたからだ。あと、僕の心の弱い部分を見せるのが恥ずかしかったというのもある。
逆に僕のことを知らない誰かになら、何を聞かれても恥ずかしくはない。むしろ僕の心の中だけに秘密として留め置くよりも、この話を誰かに聞いてもらって楽になりたいという気持ちが強くある。それにこの程度の怖くない怪談など、いずれネットの大海原に漂い出て誰も顧みなくなるだろうという、この環境こそが僕の体験を放流するには丁度いいのだ。
さて、話は春の気配が感じられるようになった三月のある日のことだ。
僕はその日、夜も遅くなってから通販の代金を払い忘れていることに気づいた。振り込み期限は今日まで、コンビニ払いならばギリギリ間に合う。僕はつっかけをはいて、夜の散歩がてらコンビニに向かった。
熱くもなく、寒くもなく、わずかに風が吹いて心地よい夜だった。田舎町の夜ということで表通りに出ても人影はなく、車のほとんど通らない道は昼よりも広く感じた。
コンビニに行く途中に、小さな交差点がある。そこがA君が死んだ事故の現場だ。信号の根元には花と飲み物が何本か供えられていた。
街灯の寂しい光が、月明りを補って信号の根元を照らしていた。事故後、たくさんの人がそなえた花は、その大半がビニールの包みの中で枯れて腐って茶色くなっていた。その中に一束、真新しい黄色い菊の花束が供えられていて、その花だけが月に向かってしゃんと背筋を伸ばして立っていた。
あの花束は誰がそなえたものだろうか――それを考えただけで知らず涙が浮かんだ。通夜の席で深くうなだれていたご両親の姿が思い浮かんで仕方がなかった。
事故はひどいものだった。A君のバイクは強く跳ねられて道をふさぎ、運転手はその場に車を置いたまま逃走した。事故処理のために道は通行止めになって、この道は何時間も渋滞した。そういえばあの日聞こえた救急車のサイレン、あれがそうだったのか。
よせばいいのに、僕はついうっかり思い浮かべてしまった。A君はいったい、どこに倒れていたのかと。首の後ろを強く打って即死だったと聞いた、ならば、血は流れなかったのだろうか、痛くはなかっただろうか、苦しくはなかっただろうか……寂しくはなかっただろうか……
あっ、と思った時には手遅れだった。信号の根元に立つA君の姿が見えた。背筋をきれいに立てて少し肩を落とした、接客業特有のキレイな立ち姿だった。一緒に働いて良く見知った生前の彼の姿だった。
それを見た僕は、もうコンビニに行くことなんか忘れて、家に向かって走り出した。怖かったわけじゃない、とてつもなく悲しかった。
気立ての良い子で、くだらない話なんかをたくさん聞かせたけれど、僕が滑ったときも気を使って笑ってくれるような子だった。礼儀正しくて、帰りにはきちんと全員に挨拶をして帰るような、とてもいい子だった。
だけど、もういない。
僕はぼろぼろぼろぼろ泣きながら家に帰りついて、頭から布団をかぶって寝てしまった。
傍から聞けば僕がA君の幽霊に出会った話に聞こえるかもしれないが、あれは幽霊なんかじゃない、絶対に。
あれはたぶん、もう一度A君に会いたいと思う僕の無意識がみせた幻覚だ。月明りの下で姿勢正しく咲く菊の花があまりにも彼に似ていたから、そんな幻を見てしまったのだろう。
どうやら僕も、彼の死にショックを受けておかしくなった者の一人であったらしい。