2,地上に飛び立つ飾り羽
Side:髪つまみの蝶
太陽の光が降り注ぎ、穏やかな風が流れる世界――つまり地上に這い出して来たのは、1人の少女と…その髪に留まる1匹の蝶だった。
その蝶の羽は光を透過し、時折太陽の光を反射しては、キラキラとその存在感を示していた。
まるでガラス細工の高価な髪飾りにも見えるその蝶は、もちろんただの装飾品なわけもなく、マザーオーブの分身とも言える物であり、一つの兵として生み出された物だった。
…その1匹の蝶は、静かに周りを観察し、記録を残していく。
まず記して置かなければならないのは、ダンジョンの入口がどこに繋がっていたのかということであろう。
繋がったのは、少女の寝室であり、それも寝台の下という特殊な場所であった。
そこに繋がった事、その直後にその部屋の主に見つかってしまった事、どれを取ってもお互いに不都合でしかないと思われたが、その中で少女はマスターに助けを求めるという行動に出た。
この少女はまだ幼く、状況を説明するという点で不確かな所が多かったが、彼女が必死であることは大いに伝わったからか、マスターは深く迷われることとなった。
少女の言葉の断片から、彼女の家がぶどう農家であることがわかった。
その作物が病気になってしまったこと。
その症状は葉の先端から徐々に変色していくこと。
両親が体調を崩していること。
風が毒を運んでくること。
その為に少女は部屋から出てはいけないと言われたこと。
薬を買いに行った兄が街から戻って来ないこと。
その兄がいつも優しく接してくれること。
そう必死に訴える少女の前に、マスターはさらに情報を集める為、蝶を形取った私を作ったのだ。
マスターは、地上へ兵を送り、その痕跡が残ることに対して慎重のようだった。
周りを刺激しない様にと私に指示し、少女にダンジョンの存在を秘密にするように約束をしたものの、この少女がどこまで秘密にできるかは疑問ではある為、私にある程度の裁量権が持たされたことは先に記しておくべきことだろう。
さて、少女は彼女の自身の寝室から出ると、迷うことなく家を出た。
私は少女に防護魔法をかける。
彼女の話では風が病気を運んでくるとの事なので、念の為その対策を行ったのだと記録に残しておく必要があるだろう。
建物内に人の気配がせず、また彼女の両親が病気であるという情報から、病人をまとめて診る施設に行く可能性があると判断したのだが…この後どう話が進むのかが肝となることは間違いない。
ただ、大気の状態を確認するが、特にこれといって有害物質が検出されることはなかった。
てくてく歩いていく少女の小さな頭の上で揺られながら、私は周りを観察していく。
この少女が住んでいる集落はそれほど大きい物ではなく、せいぜい数百人が住んでいる程度の規模だということがわかった。
山岳地帯にある為か畑の面積が狭く、少なくとも見える範囲でブドウを育てている様には見られなかった。
この時点で、少女の話と齟齬が起きている様だがその話は置いておこう。
少女は迷うことなく一つの大きな建物にたどり着いた。
少女の背丈から見るにあまりにも大きな建物で、扉の大きさなど、少女の身長が5倍に伸びたとて余裕で通れるほどの高さがあるように見受けられる。
だが、周囲の建物を見渡せば建物の大きさに違いはあれ、この天井の高さはどこも同じ様な物だということがわかる。
つまり、この高さの建物を作ることが一般的であり、彼らの文化の一端なのかもしれない。
そう記録した所で、少女は建物の裏手に回り込んだ。
外に置かれた荷物を危なげなく登り、目的地であったのだろう窓をギギギと開くと、その隙間に滑り込んだ。
慣れた様子で、どこか得意げに室内に降り立つと。
そこには、20人程の人達が並べられていた。
粗末なベットに横たわる彼らのたまに聞こえる呻き声が、彼らの体調の悪さを物語っている様であった。
唯一座って看病していたのだろう女性が驚いた様子で少女を振り返ったが、彼女が何か行動を起こす前に、目的の人物を見つけたのだろう少女が1人の病人のベットに縋りついた。
少女がその病人である女性に声をかけると、彼女はゆっくり目を開き、少女の頭を撫でた。
声にならない声で少女の名前を呼ぶ姿は、まさしく母親の様であった。
看病していた女性が少女を連れ出そうと近づき声をかけるが、少女は感情を昂らせ激しく抵抗すると、女性は困った様子で、建物から出ていった。
もしかすれば、少女と関わりのある人を呼びにいったのかもしれない。
再び静かになった室内で、少女は母親に秘密だよと呼びかける。
ツチガミサマが助けてくれるのだと。
そう一連の流れを見ていた私は、ふと1つ気づいたことがった。
1人の女性が、静かにこちらを観察していることに。
その女性は、明らかに身につけている物がここの人らとは違い、その纏う雰囲気からしてここで暮らしているものではないということに。
まずいと気づいた時には、その女性が隣にかがみこみ、こちらを見ていたのだった。
少女ではなく、髪飾りに扮した蝶。
つまり私に。
静かに、ゆっくりと、私に話をしようと持ちかけた彼女に了承の意を伝えると、乗れとでもいうかのように…その通りなのだろうが、人差し指を私に近づけて来たので飛び乗ると、彼女は移動を始めた。
最後に気にかかったのは、この広い病室から出ていく私達を、誰も、少女でさえ、気づいた様子が無かったことであった。