#19
「槿は敵だ」
杏介は淡泊な声で伝える。
「……え? 何を言っているの?」
周の反応が少しばかり遅れる。動揺した声音は震えている。
「槿は敵。今朝、俺たちを迎えに来たお前の弟分は敵だ」
杏介は淡々と述べる。その声音に感情は乗っていない。ただ、ありのままを伝えるのみの声だ。
「冗談とか、嘘とかじゃない。あいつに刃を向けられるかもしれないと思っておけ」
何も言えない周に畳みかけるように杏介は続ける。
この状況で杏介が冗談や嘘を言うとは思えない。周は理解しているが、杏介の言葉を受け止められず、呆然とする。
「杏介さん、その話は長さんから聞いたのですか?」
望は周の表情が見えないながらも、背後から困惑の気配を感じて杏介に問う。
「ああ」
周と望が眠っている間、杏介は今後、一族の者がするであろう動きを聞かされていた。
「首謀者は別の貘らしいが、槿って奴は割と中心で動いているだとか。それをわかっている上で、使いに寄越した長もいい性格してると思う」
どういう了見をしているのだと杏介は思った。それも、周が弟のように可愛がったという貘だ。
「ただ、あれでもまともな奴を寄越したとは思う。話を聞く限り、貘の一族は長を中心とした統率はとれていない。周と望を捕らえるという目的のためだけに一部の貘が団結しているようにしか思えない」
貘は穏やかな種族である。杏介に限らず、多くの妖がそう認識しているはず。
しかし、実情は違う。目的のためならば手段を選ばない。物腰柔らかに接してくる顔に騙され、ほいほい入り込んできた獲物を狩る。獰猛なところがあると杏介は思った。
「槿の目的もどうなのか、俺にはわからない。だが、あいつが俺たちを狙ってきていることは理解してほしい」
杏介の言葉に望は今朝の槿の様子を思い出す。望にきつい物言いで問い詰められた槿の取り乱した様子だ。あれは演技だったのか、と疑問に思う。
「長が気がついたのも最近のこと。状況の把握に時間を取られた結果がこれだ」
束ねる立場の長が状況を把握できていなかった。これは一族の統率をとれていない証である、長への不信感の表れだ。
「周、気落ちしている場合じゃないぞ」
杏介は反応がない周に言い放つ。
「……わかってる」
「しょぼくれるところ悪いが、しっかりしてくれよ」
明らかに気の抜けた周の言い方に杏介は声に圧を乗せる。
「長があいつを同席させなかったのも、結界を張ったのも、外部の存在である俺に一族の内情を話すのも、一族の誰が敵か把握しきれていないが故の行動だ。それに、あいつが俺たちの味方だと言うなら、同族の足止めをするなり、俺たちに同行して脱出の手伝いをするなり、俺たちの利になる行動を起こしているはず。それがないから、今こうなっているんだろうが」
兄のように周を慕っていたのなら、槿は手を貸すはず。彼が味方ならば、長は同席を許し、杏介と共に脱出の手筈を整えていてもいいはず。
個のことだから、という理由を杏介は理解できた。だが、周と望は長と共に夢の中で話をすることとなった。
どうせ、夢の中で話をするつもりだったなら、槿を同席させてもよかったではないか。しかし、長は槿を同席させなかった。長の口から、彼は敵だと告げられた。槿や一族の者を同席させないという長の行動に杏介は納得できた。
「とか言っていたら」
杏介は背後の気配に舌打ちする。周も遅れて背後の気配に気がつき、後方を確認する。吹雪の中、橙色がいくつか浮かんでいる。
「飛ばすぞ」
そう言って杏介は翼を羽ばたかせる。
周は背後を確認する。徐々に影の輪郭が大きく、はっきりと見えてきている。
「杏、この後の道順はどうする予定?」
「どうも何も、この雪の中じゃまともに見えないんだが」
とにかく視界が悪い。これほどの吹雪の中で、追手から逃れるという経験を杏介はしたことがほとんどない。加えて、土地勘がなく、現在地ですらよくわからない。
「長から目印を聞いた。赤い布がついた木がいくつかあるらしい。それを辿っていけば麓に近づけるだろうって。わからなかったら、とにかく西へ向かえって」
麓まで下りてしまえば貘は追ってこない。交流を最低限にしている貘が大勢山を下りる。それも、人間の娘を追っているなんて、他所の者たちに知られたくないだろうから。
そのようなことを長が言っていた。意外と世間体を気にするのかと杏介は思った。
「振り切ってしまえば大勢の手からは逃れられる。一族としては下界で騒ぎを大きくしたくないらしい」
「でも、麓まで逃げたとして、追ってこないという確証はあるのですか?」
望は懸念点を口にする。一族の狙いは周と望。先ほどそう話したばかりだ。大事にしたくないと言いつつも、獲物を逃すまいと追ってくるのではないかと望は思う。
「追ってくるかもしれない。が、今の状況はどう考えても俺たちには不利だ。とにかく、麓まで下りる。で、さっさと常盤街へ帰る。今はこれしかない」
安全を最優先にする。余計な交戦は避けたい。
しかし、杏介の思惑を他所に、背後から気配が迫る。
「周、備えておけ」
「うん」
周は手綱を握り直す。周が手綱を繰らずとも、杏介は翔けているが、いざとなれば周が指示を出すこととなる。
「望、口は閉じておけ。怖ければ目も」
杏介に視線を向けられた望は頷く。自分にできることはなく、ただ落ちないようにすることのみが二人の助けになる。それだけというのも歯がゆいが、下手に動かない方がいいのだろうと結論づける。
きゅっと身体を強張らせる望を腕の中で感じながら、周は背後を見る。
「杏、竜が五体ぐらいいそう」
「竜一体あたり、貘が二、三乗っているとすると……。厄介だな」
杏介が出した分身たちも数を減らしている。想定はしていたが、厳しい状況だ。
「杏!」
背後から人間の頭ほどの大きさの火の玉が飛んできた。それをかわすように周は手綱を繰る。
ひとつ、ふたつどころではなく、次から次へと火の玉は飛んでくる。
「うわっ」
急な揺れに望は身を強張らせる。気を抜けば振り落とされてしまいそうだ。
「容赦なしかよ」
杏介はちらっと背後を見る。竜の口から吐き出される火の玉は勢いよくこちらに飛んできている。
おかげで、影がはっきりと見える。やはり、一体の竜につき、貘が二、三名乗っている。そして、彼らがこちらに向けて矢を向けている姿も見える。
風は追い風。逃げるにしろ、距離を詰めるにしろ、進むという目的においては有利な状況だ。
周は無意識に弟分の姿を探す。視認できる限りでは、槿らしき姿はない。
それに安堵している場合ではない。こちらの状況に構わず、火の玉は飛んでくる。
そして、火の玉に混ざり、矢が飛んでくる。杏介はどちらも器用によけながら飛行を続ける。
「くっそ、あいつら……」
不慣れな中、進行する杏介たちに対し、貘たちは慣れたものだ。徐々に近づき、攻撃の手数が増えていく。
こうなれば、こちらからも攻撃を仕掛けるしかない。そう考えた杏介は周囲に火の玉を浮かべる。そして、それらを一気に後方へと放つ。いくつかの火の玉は相手の火の玉と衝突し、爆風を起こす。すり抜けた火の玉は貘たちの前につくと、大きく膨れ上がり、爆発を起こす。
煙が風によって運ばれ、一向の鼻先を掠める。
「けほっ……」
望は思わずむせ、呼吸が乱れる。
「望ちゃん、大丈夫?」
「……うん、ちょっとだけだから」
すぐに整う。そう思った望の背筋が疼く。そして、ぞっとする冷たさが背中から全身へ広がる。
「……うっ」
まるで、冷水へ放り出されたかのようだ。急な温度の変化に全身が強張る。
そして、気分が悪くなる。体内を掻きまわされるような不快感。この感覚を望は知っている。望は気分の悪さに耐えられず、身を丸める。
「望ちゃん!」
周は背中を丸めた望を抱えるように肩に手を添える。
そして、感じる気配。望から放たれるその気配は夢の残滓。覚えのある症状が浮かんだ周は焦る。
この状況で望の不調。貘の一族は望から放たれる夢の残滓に間違いなく気づく。
「おい、望どうした!?」
「痣が出たときと同じ症状だと思う。望ちゃん、しっかり」
周は望に声をかけるも、望は苦しそうに呻き、力が抜けていく。
周と杏介が望に気を取られた。それを逆手に取ったかのように、地上から風が吹きあがる。杏介は反応できたものの、対応がわずかに遅れる。
吹き上げる風を翼が捉えることができず、均衡が崩れる。そこへ追い打ちをかけるように、火の玉が翼を掠める。
「ぐっ……」
「杏!」
杏介は痛みを堪えながら、体勢を整える。しかし、風が一向の進路を妨げるように、吹き荒れる。
明らかに自然の風とは思えない。周は眼下を見る。眼下にも影がいくつか見える。風の発生源を見とめるや否や、手綱を繰る。
「杏、下にも追手が」
「みたいだ。気配があるとは思っていたが、こんな真下だなんて」
望の体調不良に注意力が散漫になっていた。下から吹き上げる風から何とか抜けようとするも、後方から飛んでくる火の玉と矢のせいで中々切り抜けない。時折、攻撃が杏介の身体を掠めていく。
風は強さを増していく。天馬の翼が風を受け止められなくなっていく。
火の玉と矢の勢いも増していく。その内の矢の一本が周の脚を掠める。次は腕に矢が掠める。その矢は次いで、杏介の首筋をよぎるも、間一髪、当たらなかった。
しかし、別方向から火の玉が飛んでくる。他の攻撃をよけようと傾けた杏介の翼に火の玉が直撃する。
「……っ!」
「杏!」
追い打ちをかけるように、杏介の後ろ脚にも火の玉が直撃する。
「ぐっ!」
ぐらり、と杏介は体勢を崩す。吹き上げる天馬の身体は傾き、周と望は放り出される。
周は一方の手で手綱を握ったまま、一方の腕で望を抱きかかえる。しかし、吹き荒れる風は手綱を握る手を引き放さんとする。
そして、止めのように、矢が手綱を握る方の肩を掠める。
「周……」
望は弱々しい声で周を呼ぶ。身体が怠く、思ったように動けない。
「望ちゃん、しっかり」
周は望を抱く腕に力を込める。ぐったりとしている望を手放せば、いとも容易く飛ばされてしまう。はぐれてしまったら最悪だ。
状況を見ようと周が視線を巡らせるとまた矢が飛んでくる。
その軌道は望を狙わんと飛んできている。このままでは望に当たる。
それだけは避けなければ。周は身をよじる。矢はかわせたが、風の勢いに負け、手綱を離してしまう。
「うわっ!」
周と望は風に煽られて飛ばされる。
「周! 望!」
杏介は周と望を追おうとするも、負傷した翼が思うように動かない。
二人と引き放すように風が吹き荒れる。杏介も風に煽られてしまい、風の渦に呑まれる。
分断されてしまった周は望を抱き直す。フードは外れ、顔色の悪い望は力なく目を閉じている。体調の悪さの原因である夢の残滓の気配も強くなっている。
風の渦は逃げ道を塞ぐように吹き荒れる。視界が悪く、杏介の姿も見えず、状況の把握もできない。
「早く抜け出したいのに」
望の状況がよくない中、長居はできない。顔色の悪さもさることながら、体温の低下を衣越しに感じる。
何か、脱出の手立てはないかと思案する周の目に強烈な光が射し込む。響く轟音と共に周と望は吹き飛ばされた。




