#18
ピキピキと音が鳴る。氷を水にいれたときのような音が結界の限界を伝える。
一気に緊迫感のある空気となる中、望たちを囲む火の玉の数も増えていく。
「……望ちゃん、いる?」
張りつめた空気の中、掠れた声が聞こえる。
「周」
「無事みたいだね」
望の声を聞きとめた周はむくりと起き上がる。伸びた前髪を払い、朱色を宿す瞳で周囲をざっと確認する。
「周、寝起きのところ悪いんだが」
「うん、状況は何となく」
杏介からの問いかけに周は気だるげに応じる。破られそうな結界の嫌な音に顔を顰める。
「もう少し早く、起きたかったところではあるけど」
「すまなかったな、周」
長の申し訳なさそうな声音に周は肩を竦める。
「情報量がすごかったからなあ……」
夢の中での会話を思うとあれでも不十分だと周は思う。しかし、今は悠長にしていられないらしい。
「で、この後はどうすればいいかな? 杏」
周は立ち上がると筋を伸ばすように腕を上に上げる。
「昔、相手さんを撒くときにやったやつやろうかと」
杏介は望の肩を抱きながら立ち上がる。
「えー、あれやるの?」
緊張感のある雰囲気の中、周と杏介の声色は呑気な物だ。
「私はどうすれば……」
望は杏介を見上げる。杏介は力を緩めると望の向きを変えて周へと背を押す。周は杏子色の目の意図を汲み、望へ腕を差し伸べる。
「腕、組もう」
「え」
何をしようとしているのか、と問おうとした望だが、背後から伸びた杏介の手によって腕を組まされる。
「抱いた方がよくね?」
「言葉が悪い」
「周が望のことちゃんとしてくれるなら何でもいいけど」
周は望を引き寄せる。
「望は絶対に俺らから離れるなよ。このまま大人しくしてくれればそれで」
ピキッと一際大きな音が鳴る。結界はもう限界のようだと望でもわかる。
「それじゃあ、最終確認。長殿よ」
杏介は長を睨みつける。
「俺はあんたの同族に怪我させるだろう。それでも、許してくれるな?」
覇気のある声音に長は穏やかな表情のまま頷く。
「私が不甲斐ないばかりですから。……どうぞ、お気をつけて」
「よし。なら」
杏介は懐から葉を数枚取り出す。
「周」
杏介は視線を一瞬上にやる。
「うん。行こうか」
ね、と周は望に確認をするように視線をやる。
状況が読めていない望が何か言いたげにしている。火の玉と同じ赤を瞳と髪に宿す周はその視線に困ったように笑う。
「望ちゃん。目と口、閉じておいてね」
「え?」
まともな説明もなく、望はこれから何が起きるのか不安だ。
「怖い思いさせると思う。……ごめんね」
そう言って、周はもう一方の手で望の目元を覆う。不安そうな眼差しが覆われるものの、望の身体は緊張のせいか固まっている。
「望、口閉じろ」
緊迫した杏介の声に望は口を噤む。その直後、杏介は火の玉へ妖力を吹き込む。火の玉は呼応するようにいくつか集まっていき、複数の塊となる。
刹那、ばっと突風が巻き起こり、熱が頬を掠める。望は目元が覆われているにもかかわらず、周の指の隙間から漏れる光の強さを感じ、目を閉じる。そして、突き上げられるような感覚と共に三人の身体が浮く。
「……っ!?」
吹き荒れる風の音がうるさい。望の耳にはバタバタと布がはためく音や、ガラガラと崩れ落ちる音、そして、聞き慣れない言葉での怒鳴り声が入ってくる。
状況が理解できないまま、望は風に身を任せている感覚でいると、不意に腕を引かれて身体を抱きとめられる。
「望ちゃん、大丈夫?」
耳元で聞こえる馴染の声に望は恐る恐る目を開ける。
「……周?」
いまだ朱色を宿す細い目と視線が交わる。髪色は七割ほど戻ってきているようで、毛先の方だけまだ朱色が残っている。
「びっくりさせてごめんね。痛いところはない?」
「うん」
「よう、望」
前方からした声に望は声がした方を見る。
「……杏介さん?」
「おう」
声の主は視線をこちらにわずかに向けるだけだ。つり目ではなく、穏やかな眼差しをしているその顔は縦に長く、彼のトレードマークの杏子色の髪は真っ白な鬣となっている。視線を巡らせれば、筋肉質の身体に細い脚、風に靡く尾、そして、風を切る翼が胴から生えている。その姿は天馬と呼ばれる生き物だ。
「……杏介さん?」
天馬へ化けたと頭でわかっていながら、望はもう一度尋ねる。
「だから、俺だって」
杏介は呆れたように答える。
「大丈夫か?」
「身体は何とも」
望への被害がないことを確認できた杏介は安堵し、気を引き締める。
「よし。じゃあ、しっかり掴まっとけ」
望は背後にいる周の手を借りながら天馬となった杏介に跨る。
「状況が何もわからないんですけど」
望は下を見る。杏介の足元は吹き荒れる雪のせいで視界が悪いものの、辛うじて木々が見える。空を翔けていることはわかる程度で、どこへ向かっているのかはわからない。
「望ちゃん、火傷してない?」
「何もないけど……。あの爆発、杏介さんが?」
「昔っから逃げるときの定番だな」
杏介はカラカラと笑う。敵に囲まれたときや追手から撒くときによくした手法だ。
「ひとまず、脱出は成功。ここからが本番。おいかけっこの始まり、始まり~」
周は呑気に拍手しながら言う。
「おいかけっこ?」
「貘ってのは足速いのか?」
「ほら、僕も逃げ足速いでしょ?」
「ああ、そうだった。お前の同族なら足も速いわな」
杏介は舌打ちし、空を翔ける脚に力を込める。
「おいかけっこって……狙いは私? 周も?」
周が目覚める前、長と杏介と会話したことを望は振り返る。
貘の一族の宝である胡蝶の夢。その持ち主と失った元凶が揃っている状況。音を立てながらもなんとか踏ん張っていた結界。そして、嫌な気配こと、殺気にも近い攻撃的な気配。
これらを繋ぎ合わせた結果、望は自分たちは逃げ出して現在に至ると状況を理解した。逃げ出す際の爆発の衝撃により、長のいた包を破壊したであろうこともわかる。貘の一族は爆発があってもなお、追いかけているということを周の発言から理解する。
「どっちもだろうけど、本命は望ちゃんじゃない?」
望が宝の持ち主だ。欲するのであれば望の身を確保するだろうと周は予想する。
「周のことも同じぐらいの熱量で追ってくると思う」
杏介がそう言うと周は首を傾げる。
「いや、僕はオマケでしょ」
当然、胡蝶を逃がしたという重罪を犯した周が狙われることは理解できる。が、やはり胡蝶を捕えることが本命であるのなら、周のことは二の次だ。望を手中に収めれば人質として周をおびき出すこともできる。
そして、周は捕らえられるとわかっていながらも、行かなければならない。そもそも、望を手に入れられれば周の生死は問わないだろう。むしろ、死んでいたら万々歳ぐらいの気持ちになるだろうと周は予想する。
「俺としては、今更周の罪がどうこう言っても、とは思うんだが……」
確かな情報があるからこそ、杏介は一瞬言葉を詰まらせる。
「結構、根深いらしい。長から聞いた」
「そっか。なら、」
いざというときの覚悟をしなければ、と周が考えているところを見透かすように、杏介は、でも、と杏介は周の言葉に被せるように言う。
「どっちも同じぐらいの熱量で貘の一族は狙っている。どちらか一方でもという判断は最後の最後に下されるはず。だから、一方が捕まっても、もう一方も追われることに変わりない」
杏介は、はは、と乾いた声で笑う。
「どっちを、ではなく、どっちも狙うなんて。貘って奴は欲深いんだな、周」
「それ、僕に言う?」
嫌味か、と周は思う。
「どうだかね」
むっとしながら問う周に対し、杏介は適当に流す。
実際のところはそうだろう、と杏介は思いながらも、逃げることに集中する。
「周も私も捕まらないためには……。作戦は何かある?」
望は周に尋ねる。どちらも狙われており、追手もいるとのこと。どこまで逃げるのか、この後の動きはどうなのか、と望は尋ねる。
「とにかく、追手を撒きたいね」
「だな。足止めや囮を出したとは言っても、あちらさんは数も多いし、雪の中の山も慣れたもんだろう」
視界の悪い雪の中を逃げる。周たち一行の方が圧倒的に不利だ。できるだけ追手から逃れ、願わくば、さっさと常盤街へ戻りたい。
そのために、囮となる分身を地上と空へばらまいた。決して数は多くないため、どこまで時間を稼げるか、杏介にはわからない。
「ちなみに、周はこの状況のこと、夢の中で聞いたのか? 俺は一通り聞いたけど」
「少しだけ。夢の中で、長が杏に全て伝えたと聞いているけど」
「やっぱり、俺に全部投げたな、あのじいさん」
杏介は舌打ちする。周にも伝えるが、きっと時間がないだろうからあなたに伝えましょう、と一族の企みを聞かされた。
「周は大した話聞いてないと思っていいか?」
「起きたら一族に襲撃にされるだろうとしか聞かされていないから」
「あー、そういう……。首謀者とか、数とかも聞かされてない?」
「杏は随分細かく聞かされたんだね」
「……望は?」
「一切何も」
「だろうな!」
あのじじいめ、と杏介はぶつぶつと不満を口にする。あまりにも責任重大な役を負わされたらしい。もちろん、周と望を守り抜くことがこの旅における杏介の仕事だ。
杏介の不満の言葉を聞き流しながら、周は腕の中の望の様子を窺う。上空をかなりの速度で翔けているためか、望の顔は寒さで真っ白になっている。
「望ちゃん、寒いよね?」
「寒いけど、耐えられないほどでは……」
望はマフラーを整える。口元までマフラーを引き上げれば少しはマシになったような気がする。
「ごめんね。しばらくはこの寒さの中だから、上着のフード被っていればちょっとは風を防げるかも」
「うん、そうする」
望は篁から贈られた外套のフードを被る。視界が狭くなるも、耳元を吹き過ぎる風を防いでくれる。
「ところで、望ちゃん。その剣、どうしたの?」
周は望が大切そうに抱える深緋色を尋ねる。
「これ、お守りにって長さんが。この剣、知ってる?」
望は周に見せるように剣を掲げる。明らかに周と縁があると思われる剣を見とめた周は軽く目を見開く。
「……そうだね」
周は深緋色に懐かしそうに目を細める。しかし、その瞳には複雑な色を滲ませている。
「望ちゃんが持っていてくれる? お守りの剣だから」
「私が?」
この剣の本来の持ち主が誰なのか、望には察しがついている。
「うん。安全が確保されるまで持っていてほしい」
「……わかった」
望は祈るように剣を持つ。
育ち行く我が子の成長を祈る、守りの剣。慈悲深い父親が我が子のために用意した剣。
長から見せられた細い刃は美しく、武器には見えなかった。本当に、祈りのための剣なのだろうと望は思う。
「周」
「何?」
周はまだ不機嫌さは残る杏介の声に応じる。
「囮の気配がかなり消えてきたみたいだ。空へ放った分身はまだ大丈夫そうだが、そちらも時間の問題だと思う」
「だよね」
「それと……お前たちに伝えておいた方がいいことがある」
微妙な間に周は疑問を抱く。
「何?」
「とくに、周。お前には覚悟を持ってほしいことだ」
周にとっては受け入れがたいことだろう。杏介はそう思いながらも、この事実を伝えなければならない、と声色に険を滲ませるのだった。




