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夢屋 胡蝶  作者: 真鶴 黎
第二夜 無に黒の一閃
9/87

#1

 冷たい夜風に桜が舞う。はらはらと降り注ぐ桜の雨の下、夢を食べる周の髪色が花びらと同じ桜色に染まっている。

 周から少し離れたところで望は空を見上げる。街中に比べたら山の方は星がよく見える。

 夢の回収の日だ。そのついでに、周は食事をする。

 周が夢を食べる姿は見慣れたものだ。夢の内容によって夢玉の色や模様が異なるのと同じように、周の髪色や瞳の色も変化する。しばらくすれば色は元に戻るのだが、周が夢を食べる様子を初めて見たときは驚いた。夢に影響されやすいんだよね、と周は笑い飛ばしていたが、何の説明のない状態で見せられれば驚くに決まっている。

 夢を食べるという行為は貘としての本能である。一日にひとつは夢を食べないと力が弱まってしまうらしい。ちなみに、普通の食事も摂る。こうして夢の回収に来ると、売り物用と食事用を取り出し、持ち帰る。周が言うには、夢玉から取り出すよりも、現在進行形で見ている夢の方が美味いらしく、こうして夢の回収をしに来たときに食べるのが一番だそうだ。鮮度の違いらしい。

 夢にも美味い、不味いがあるのかと望は思った。実際、甘い、辛いなどの味があるらしい。悪夢は食べられないわけではないが、できることならあまり食べたくないと言っていた。逆に、美しく、幻想的な夢は美味いらしく、周の好みのようだ。

 まさに今、周が食べている夢は美しく、綺麗な夢なのだろう。微笑を浮かべながら夢を食べる周の様子から窺える。

 瞳を閉じて夢を食べる周の周りを薄い靄が囲んでいる。桜も相まって幻想的な光景だ。黙っていれば桜に攫われそうな儚さがあるなと望はしみじみと思う。


「……周。その桜はどんな夢を見ているの?」


「とても綺麗な夢だよ。美しく咲き誇る自分の夢。ずっと先まで咲き誇る、枯れない桜であろうとするそんな夢さ」


 周の目がゆっくりと開く。桜色に色づいた瞳が細められる。


「すごく美味しい夢だよ。とろっとしていて、甘さが控えめ。香も仄かにするぐらいでいい感じ」


「そう」


「望ちゃんも見てみる?」


「うん」


「わかった」


 周は望に対して手を伸ばす。望はその手を取る。望よりも大きな手は意外としっかりしている。


「じゃあ、行こうか」


 風がさあっと吹き上がる。桜の花びらが夜空に吸い込まれるように舞い上がる。その風によって花びらと一緒に吹き上げられたような浮遊感がする。

 風が止み、ふわりと地に足がつく。目を開くと、空に枝を大きく広げた桜が咲き誇っていた。だが、その景色は異様なものだ。麗らかな日差しの下、ホトトギスが鳴き、紅葉が風に揺れ、雪が降り積もる。その中で一際、桜の樹が目立つ。自分が一番と言わんばかりの咲きようだ。

 春夏秋冬全てを詰め込んだかのような夢。それなのに、自然と調和が取れているのが不思議だ。


「何これ……」


「自分に自信がある桜の夢だよ」


 桜色に染まった周が望の背後から声を掛ける。


「ずっと先まで咲き誇る夢なんじゃないの?」


「ずっと咲き誇っている夢だよ。本来、花が開くはずのない季節でも咲いているのだから」


 本来、この桜が咲くのは春のみ。夏、秋、冬に咲くことなどないのに、周りの景色に春以外の景物が紛れている。


「ほら、季節に関係なくずっと咲き誇る夢でしょ?」


「綺麗だけど、ちょっと詰め込みぎじゃない?」


 景色として調和が取れているにしても、やりすぎだと望は思う。季節の移ろいがあるからこそ美しいのに、一度に四つの季節を見せられてはそれぞれの季節らしさが失われてしまう。


「そうだけど……。でも、夢の中でぐらいしかこういう景色って見られないでしょ?」


 現実ではありえない光景。それを見ることができるのは夢の中のみだ。


「美意識としてはどうなのよ」


「僕は悪くないと思うけどね」


 調和が取れているのなら、それもまた美だ。

 いかにそれぞれが喧嘩しないように組み込むか。構図であったり、色使いであったりを工夫するのが腕の見せ所でもある。


「お花見も紅葉狩りも一緒にできちゃうね」


「お得感出さないで」


 いかにも、一石二鳥と言わんばかりの口ぶりの周に望は言う。


「お花見となったら、お酒だよね」


「帰ってから飲んで」


「はーい」


 周は間延びした返事をしながら、近場に手を伸ばす。周の手の延長線上に敷物が現れる。周はそこに座って桜を見上げる。伸び伸びとした枝が空を覆い、自分はこんなにも大きくて立派なのだぞと桜が主張している。


「望ちゃん、成人したらお酒飲もうね」


「甘くて、強くないのがいい」


「最初から飛ばすなんてことしないよ」


 どんなお酒がいいかな、と周はあれこれ考えている。本人の希望どおり、甘めの酒がいいだろう。慣れていないのだから、弱い酒で様子見するべきでもある。


「隣、いい?」


「いいよ。おいで」


 周に手招きされた望は周の隣に腰掛け、桜を見上げる。

 四月、望は二年生になった。新学期が始まって一週間、キャンパス内の桜や下宿や店から近い川の桜並木を見て花見としていた。

 この桜は大きい。望の生活圏内の桜よりもどっしりとしていて、貫禄がある。樹齢何千年、何百年と生きてきたように見えるが、現実のこの桜はもう少し小ぶりである。ある意味、将来こうなっていたい、こうなっているだろうという桜の希望や理想なのかもしれない。


「あー、花見酒といきたいなー」


「周ってお酒強いの?」


 周が酒を飲んでいる姿はしばしば見かける。日本酒を飲んでいることが多く、時々、ビールを飲んでいる姿も見かける。ワインはあまり好きではないらしい。酒を飲んでいる姿は見るものの、大抵、一、二杯で済ませている。その様子を見る限り、弱くはなさそうというのが望の見解だ。


「それなりには飲めると思うよ。うわばみとかではないけど」


「へえ。あまり量は飲まないよね」


「そりゃあ、酔いつぶれるぐらい飲むわけにはいかないよ。格好悪いし」


 と言っても、望の前では控えているだけだ。気の知れた友人相手や一人のときはよく飲む。まだ成人していない望の前でがぶがぶと飲むのも気が引ける。絡み酒でもして嫌がられるのは避けたい。


「周って酔っぱらったら寝るか笑い上戸になるかのどっちかな気がする」


「寝ちゃうね。ふわってしてきたって思ったらすやーって部屋の隅っこで丸くなってる」


 望はその姿を想像する。部屋の隅で丸くなって眠っている周の姿が容易に想像できる。座布団とかあれば、それを抱いて寝てそうだ。


「へにゃへにゃになってそう」


「そんな滅多にないよ。最近は酔っぱらうまで飲んでないし」


 ふふん、と周は得意げだ。


「望ちゃんはお酒強そう。顔色ひとつ変えずに飲んでそう」


「どうだろう。遺伝的には弱くないはず」


 両親も祖父母も人並みには飲める。パッチテストをした結果も、弱くはないといった感じだった。恐らく、慣れれば人並みには飲めそうだ。


「望ちゃんも二十歳になるのか。いやー、初めて会ったときは高校生だったのにさ」


 周は望の横顔を盗み見る。くっきりとした顔立ちをしている。凛とした顔立ちの女性である。


「まだ二十歳になるのは先だけど」


 望が誕生日を迎えるのは秋だ。まだ半年ほど先の話だ。


「楽しみだねえ」


 周はニコニコと笑う。何百年と生きている周からすると、節目の年というものにはもう縁がない。自分の歳すらあやふやなのだ。

 周に限らず、妖怪や人ならざる者の多くはそうだろう。対して、人間は節目節目を大切にする。その中でも、二十歳という年齢は大きな節目だと周は思う。現代において、その年齢は大人の仲間入りを表す。昔と変わったなと思う節目だ。

 高校を卒業したという子が今度は成人かと思うと人の時間は早い。周は小さく笑う。時の移ろいというものは自分たちと人間とでは違う。周にとって、二十年前は昨日のような感覚で、望と出会ったのもつい先ほどのことのように感じる。

 しかし、望にとっては違う。


「……あのさ、出会って一年経ったじゃん」


「そうだね」


「だけど、変化がほとんどない」


 望は膝の上で拳を作る。


「夢玉を使えば夢を見ることができる。だから、全く夢を見られないってわけじゃないんだよね?」


「そうだね。自力で見ることができないってだけだ」


 周は望と初めて会ったときのことを思い出す。今とあまり容姿の変わらない彼女は真剣な眼差しで周に尋ねてきた。


『ここは夢を扱っているのですか?』


『そうだよ。眠っているときに見るあの夢さ。お嬢さん、何か夢をお探しかな?』


 綺麗な目をしている子だと思った。磨き上げられた鏡のように曇りのない目だ。今時珍しい目の持ち主だと思った周に対し、望は緊張した面持ちでこう尋ねてきた。


『その夢は……夢を見られない人間でも見ることができるのですか?』


 どういうことだと首を傾げる周に、望はこう言った。


『私は、夢を見ることができなくなってしまいました』


 夢を見ない。生きとし生ける者ならまずありえない話だ。

 単に夢を見たが、覚えていないだけではないかと周は疑った。しかし、話を聞く限り、十年ほど見ていないと言われた。本当かどうか、周は望が眠っている間に夢を見ているか否かを調べようとした。本人が覚えていないだけで、夢というものは通常、いくつも見るものなのだから。

 大学の入学を機にこちらの街で一人暮らしをする。その日は下宿の関係で街を訪れ、そのついでに探検をしていたと言う。それならば、引っ越しを終えて落ち着いたら詳しく見ようと約束をし、三月の末に再び来店した望のことを調べることにした。槐の欠片を渡し、望が夢を見ているのかどうか、夢を見ることができるのかどうかを調べた。

 結果、望は本当に夢を見ていなかった。周が夢を作ることもできず、そのまま朝を迎えるという結果だった。それは望が夢を見ないことの証明だったのだ。何度か試したが何も見ていないし、夢を作ることができないという結果だった。望が夢を見るための方法は夢玉を使うか、周が強制的に夢へ引きずり込む。後者は必ず成功するが、前者は当たり外れがあり、大半は見ることができない。夢を見ることができたとしても、短い夢しか見ることができないのだ。


「結局、原因は何?」


「それはまだわからない」


 周は夢を見られない人間に会うのは初めてであり、聞いたこともなかった。植物も夢を見るのに、人間が夢を見ないなんてあるのだろうかと不思議に思う。


「よく聞くのは精神的なこと。あとは、妖怪に悪さされたとか」


 夢は精神状態と関わりがある。よって、夢のことでの悩みの多くは精神状態が不安定であることが原因のことばかりだ。


「精神的なこと……。悪さされた……」


 思い当たることはひとつ。望の脳裏に自分に伸ばされる黒い手が思い起こされる。枯れた木の枝のような細い腕に尖った爪が自分の眼前にまで伸ばされた記憶。


「やっぱり、詳しく思い出せない?」


「うん」


「そうか」


 周は手がかりが少ないと思いながら桜を見上げる。望が幼かったときの話だから仕方ないと思わざるをえない。


「手がかりが少なくてごめんなさい」


「いいや。小さい君を狙った奴が悪いのだから」


 望は瞼を震わせる。

 あれは望が小学校二年生の頃の話だ。ちょうど誕生日を迎え、八歳になった次の日のことだった。

 いつもどおり、学校から帰って習い事の英会話教室へ向かっていた。先週のレッスンで歌った英語の歌を口ずさみながら歩いていたら、ふと視線を感じた。どこからだろうか、と辺りを見渡しても誰もいない。いるとすれば、可愛らしい雀がちゅんちゅんと鳴いているだけだった。まあいいか、と望はそのまま英会話教室に向かい、レッスンを受けた。

 無事にレッスンを終えて帰る頃、日が沈みかけていた。九月の半ばを過ぎれば日も短くなってくる。寄り道せずに帰ってくるように、と日頃から母に口酸っぱく言われていたこともあり、望はいつも真っ直ぐ家に帰るのだ。当然、その日も真っ直ぐ家へと向かった。

 だが、またも視線を感じた。烏が、カア、と鳴く声が不気味で急ぎ足で家へと向かった。

 そう、向かったはずだったのだ。しかし、気がつくと知らない道に出ていた。竹林のような場所には生き物の気配もなく、薄暗かった。恐ろしいほど静かで、風すら吹かない場所だった。怖いながらも、ここから出なくては、という強い思いだけで望は歩いたが、同じところをぐるぐると回っているような感覚に陥り、疲れもあって座り込んでしまった。


『ここ、どこ? お母さん、お父さん、怖いよ』


 見上げた空は赤黒く染まっていた。電柱も、飛行機も見えない空はじっと見つめていると吸い込まれてしまいそうな不気味さがあった。

 どうしよう、と望が俯いたそのときだった。黒い、枯れ木のような腕が伸ばされた。尖った爪が望の瞳に真っ直ぐに伸ばされ、望は声を上げることも、防犯ブザーを鳴らすこともできずにいた。

 そこから先の記憶がない。目が覚めたときには病院のベッドの上で、泣き腫らした目で望を見つめる母と医者を呼びに行く父の背が飛び込んできた。

 両親の話によると、丸二日も望は帰ってこなかったそうだ。時間になっても望は帰ってこず、英会話教室の先生が言うにはレッスンはすでに終わっていると告げられた。警察も動いて望の捜索が行われるも、手がかりなし。望の痕跡は英会話教室以降、追えなかった。そして、望の姿が消えた二日後の朝、庭で倒れている望が見つかり、病院に搬送されたのだ。

 身体に異常はなく、すぐに退院できた。警察に事情聴取されたが、望は上手く話すことができず、話せたとしても、ずっと訝しげな態度を取られていた。最終的にどのような対応になったのかはわからないが、しばらくの間、望の住む辺りを警察官がパトロールしてくれるようになった。


「本当に何者だったんだろう……」


 暗くなってきたこともあって姿がわからなかった。意識を失ってしまい、どうなったのかもわからず、警察や両親を悩ませた。


「そいつが夢を見ないことに関わってはいると思うけどね」


 周は声を低くする。

 望が夢を見なくなったのはその一件があってからだ。英会話教室までの道を歩くのが嫌で仕方なかった。途中まで通学路と一緒だったこともあって望は二週間ほど学校に行けないどころか、家を出ることすら抵抗があった。それでも、何とか学校には行こうと決めたのだが、あの道が怖くて足が竦む。少しでもあの道を通らないようにと、遠回りすることを決めた。遠回りをするにしても一人では行けず、親に送り迎えをしてもらうほど精神的ショックが大きかった。それが原因なのか、夢を見なくなってしまった。

 夢にまで見なくてよかった。それが望にとって救いだった。

 精神科への通院と時間が薬となったのか、進級してからは遠回りする道なら一人でも行けるようになった。徐々にあの道も誰かと一緒なら歩けるようになった。両親もその様子にほっとした。

 もう大丈夫、と望も思っていたときだった。事件から数年後、国語の授業で夢を題材にした教材を扱った。そのとき、担任が、昨日こんな夢を見た、と話してくれた。その話題になったとき、ふと自分は長いこと夢を見ていないことに気がついた。どんな夢を見たことがあるか書いてくるように、と宿題が出された。家に帰ってから取り組もうとしたが、望の手が動かない。

 ここ最近どころか、あの日以来夢を見ていない。

 それを親に相談したところ、病院に連れて行かれた。検査をしたところ、脳に異常は見られなかった。精神的にも安定してきているし、と医者に言われた。覚えていないだけではないかと指摘された。

 望の中ではあのときの影が原因だと思うし、周もそうだろうと予測している。あの日以来、望が夢を見なくなったのであれば、何かしらの影響を受けている可能性が高い。


「ねえ、周」


「ん?」


「私は一生、夢を見ないのかな」


 さあっと風が吹き、望の長い髪を揺らす。桜吹雪に混ざって紅葉と雪もちらつく。ホトトギスらしき鳥の声も風に運ばれる。

 夢を見ないことで何か困ったことがあるわけでもない。恐ろしい思いをすることもなければ、楽しい思いをすることもない。眠って目が覚めれば朝を迎えるだけ。検査をしても身体に異常がないのなら、夢を見なくても日常に問題は何もない。

 では、なぜ夢を見るのか。まだ不明なことも多いが、そもそも夢というものは脳内の記憶を整理整頓している中で映画のように再生されているもののことを言う。通常、眠っている間にいくつも見るらしく、起きたときに夢の内容を全て覚えていることはあまりない。

 夢を見る理由。夢を見る意義とは。


「見る必要って正直ないわけでしょ? なら、最悪見れなくてもいいのかなって思う」


 いっそのこと、もう一生見られないと言われた方が気が楽になる気がするのだ。


「……でも、望ちゃんは夢を見たいんでしょ? じゃなきゃ、僕のところに来る理由がないし」


 望の瞳が揺れる。

 望が夢を見たいと思う理由。それは不安だからだ。家族や友人は夢を見る。周の元で働くようになってから知ったのだが、植物や魚でも夢を見る。

 なのに、自分は夢を見ない。身体に異常はないし、事件直後の精神状態を思えば安定している。原因がわからない不安と、時々フラッシュバックするあの手の恐怖が望の心の内に溜まる。

 夢を見られるようになったら、この暗く、重いおもりが軽くなるのだろうか。そんな淡い希望がある。その希望への架け橋であり、頼みの綱であるのが夢について詳しい貘である周だ。


「そうだけど……」


「ほとんど進展がないのは僕としても申し訳ないけど、夢を見たいと君が思うなら僕は手を貸すよ」


 周の手を借りれば、望は夢を見ることができる。が、それは周が傍にいることが前提だ。

 望だけでは夢を見られない。夢玉も当たり外れがあり、望が周の手を借りずに見ることのできる夢の共通点はない。


「周は悪くない」


 むしろ、望に正体を明かして、バイトもさせてくれている。学業に支障がでないようにと夢集めの曜日や時間を気にかけてもくれている。食事の用意をしてくれることもあって申し訳なくなるぐらいあれこれしてくれているのだ。


「周にはお世話になっていて、私は何も……」


 望は肩を落とす。周は手を尽くしてくれているのに、自分は役に立てていない。自分が情けない。


「僕としては楽しいからいいよ。望ちゃんは働き者で助かるし。ほら、僕、掃除苦手だから望ちゃんが家を綺麗にしてくれてすっごく助かってる」


 どうにも昔から整理整頓が苦手だ。しまっていたものをしまわずに出しっぱなしにしてしまうため、物が散乱してしまう。それらを望は綺麗に片付けてくれる。店内の物の配置や、引き出しの中身も整頓してくれて助かっている。


「それでも、私は、」


 何も返せていない。そう言おうとした望に対して、周は人差し指を立てる。


「十分さ。いつもありがとね」


 周は少年のように無邪気に笑う。


「……ありがとうは私が言うべき言葉で」


「お互い様ってことだね」


 よっこらどっこいしょ、と歳よりじみた掛け声と共に周は立ち上がると伸びをする。


「お花見、終わろうか。温かくなってきたとは言っても、夜は冷えるし。帰ろう」


 はい、と周は望に手を伸ばす。

 ヘラヘラとして、胡散臭い顔をしているのに、気配り上手だと望は思う。周は見た目に反して長寿だ。これも年の功か、と思いながら望は一息ついた後、周の手をとった。

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