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夢屋 胡蝶  作者: 真鶴 黎
第九夜 心の在処を周る詞華
89/91

#17

 雲間から月鏡が覗く。凛として、冴えた光を宿す瞳にはまだ迷いがある。それでも、何も言わないよりは、と望の目は訴える。

 望の意志に応じるように長は見つめ返す。


「答えは変わらない、と」


「はい」


「私たちが信用できないから、保護されるぐらいなら、胡蝶を引き剥がしたい、と」


「……正直なことを言えば、疑っているところはあります」


「信ずるに足ることを証明できれば、問題ありませんか?」


「そういうわけでは……」


 さすがに直球で言い過ぎたかと望は思う。不快にさせてしまったかと望は長の様子を窺う。貘の一族の態度もどうかと思う望自身も初対面で、それも胡蝶の夢の対処を知る者へ拒絶するような態度を取ってしまった。


「ごめんなさい。あまりにも失礼な物言いをしてしまいました」


 もう少し言葉を選ぶべきだったと望は反省する。

 長は怒ることもなく、ただ静かに望の言葉を受け止め、言葉を咀嚼するように、うんうんと頷く。

 長は望を試した。正直なことを言えば、長が見せた仮初の夢に呑まれた望が胡蝶に抵抗できるとは思えない。胡蝶の思うがままに取り込まれて消えてしまう。

 長としては自分の監視下に置いておきたい。望の身の保障ができることと、もうひとつ。

 胡蝶の夢を再び貘の一族の手中に収められる。望の死後が理想だが、万が一のときにすぐにでも回収できる。再度、貘の一族の手中に収まれば、胡蝶が次の宿主を探し求めることも、誰かの身体に寄生することも防ぐことができる。

 これから先の被害者を増やさないため。そのためにも長としては望を傍に置きたい。そして、時がくれば、胡蝶の夢を回収したい。長にも下心がないわけではない。

 だが、望は危険を承知で、恐ろしいと自覚した上でも胡蝶を引き剥がすことを選んだ。


「舟橋殿」


 長は望を呼ぶ。望は背筋を伸ばし、はい、と返事をする。


「あなたは忘れること……正確に言えば、あなたを構成する記憶を失うことを恐れる方なのですね」


 長の指摘に望は一拍反応が遅れる。


「……そうみたいです」


 望は改めて自分の発言を振り返る。自分が何者かわからなくなるのは怖い、大切な人たちのことを忘れることは苦しい、と。あまり意識していたわけではなかったが、自分は意外と舟橋望という人間のことや周りの者たちや思い出を気にしているらしい。


「それだけ、周りから大切にされてきたのでしょう。そんな中で育ったあなたはご自分のことを嫌いに思うことも少なかったのでしょう」


 長は望のことを分析する。夢の中を通じて望のことを把握したということもあるが、彼女の言葉を聞いてそう思った。


「あなたはたくさんの記憶(宝物)をお持ちなのですね」


 それが舟橋望という人間を構成する要素だと長は思う。個の資質もさることながら、環境という要因によって個の性格も変わる。望はいい環境に身を置き、成長してきたのだろう。それら、ひとつひとつを彼女は大切にしているのではないか。


「どこまで自覚があるのかはご自身もあまりわかっていないようですが」


「そうなんですけど」


 望は長の指摘におずおずと答える。

 意外と自分は寂しがりやなのではないか、幼いのではないか。そんな感情が望の胸の内に浮かぶ。


「杏介さん。私って、もしかして寂しがりなんでしょうか?」


「そこは俺も測りかねるが……。俺としてはもっと甘えていいと思う」


 杏介はにかっと笑う。

 長の分析を聞き、望らしいと杏介は思った。他者との関係を重んじるが故に奥手になってしまうところがある。それは相手を傷つけたくないから、望自身にとっても良好でいたいから、互いに適切な距離感で親しくしたいから。そんな理由が思い浮かぶ。


「ふむ」


 人の命の短さ、その限られたときの中で弱いながらも何かを成し遂げてきた人間を長は知っている。

 人の夢と書いて儚い。人間という弱い生き物は夢を見る。長からするとほんの一瞬の時の中で、一際強く輝く瞬間を見せる人間がいる。

 彼もそうだった。胡蝶の夢を生み出した彼は成した者で、後世に名を残した。

 舟橋望。特異な霊力を持つ彼女もまた何か成すのだろうか。清らかな水のように、静かに光る月のように、磨き上げられた曇りのない鏡のように、澄んだという言葉が似合うこの娘は成せるのか。

 沈黙が続く。その沈黙に望の目は変わらない。その意志の表れに長は小さく息をつく。


「舟橋殿の決断、承知しました。それであれば、私はあなたを応援しましょう」


「……ありがとうございます」


 緊張の糸が緩んだ望は胸を撫で下ろす。

 試されている。長から感じた圧がふっと和らぎ、場の空気も軽くなる。


「私とて、まだお若い方を狭い籠の中には閉じ込めておきたくはない。それに、私の元にあったところで、進行を抑えるにすぎないことです。ゆっくりと蝕まれ、胡蝶に呑まれていく間にあなたの宝物もなくなってしまう可能性もありますから」


 貘の一族の元にあるというのは、あくまで進行を抑えるにすぎない。

 望の死と共に胡蝶の夢を回収するために進行を遅らせる。これが長の理想ではあるが、望が生きている間に胡蝶に呑まれてしまう可能性もある。危険度は低いものの、いつ、そのときが来るのかわからないという危険性を持つ策でもあった。

 望が選ぶのなら。若い人間の子の意志を尊重したいと長は思った。


「応援するとは言え、私が直接何かできることは少ないのですが」


 長は困ったように笑うと周を見やる。こちらはこちらで夢の中で話を続けているところだ。


「周に託します。あなたもそちらの方が気楽でしょうから」


 本来であれば長がすべきことではある。望の中で貘の一族への不信感があるのなら、信頼できる周に託した方がいいと判断した。そもそも、この一件は周が担うことでもある。

 しかし、周にも伝えきれるほどの時間もないようだ。長は静かに頭を下げる。


「私の力が至らないばかりに申し訳ない」


「本当に。困ったもんだ」


 なあ、と杏介は望の肩を抱く。それに望は驚き、杏子色を見上げる。

 つり目は望に視線をやると困ったように眉尻を下げる。


「望。どうやら、俺たちが思っている以上に貘の一族ってのは穏やかじゃないらしい」


「それは薄々……」


「うーん……。なあ、例のこと、周にも伝えてくれるんだろうな?」


 長は顔を上げると眠っている周を見やる。望のこともそうだが、その前段階の話をせねばならないことは重々承知している。


「はい。きちんとお伝えしますよ」


「はは、訊いておいて何だが、酷なことをする」


 杏介は腰の刀を一瞥する。


「本当、貘ってのは嫌な奴だ」


「それは周も含めてですか?」


「ああ、嫌な奴だよ。とくに、出会ったばかりの頃と今の周は」


 長の問いに軽口で答えながらも杏介の表情は物憂げだ。


「杏介さん? 話が全く見えないのですが」


 望は長と杏介の会話に置いてけぼりになっている。


「望には伝えていないのか?」


「他に話すことがありましたから。だから、あなたにお伝えいたしました」


「へえ、そうか」


 杏介は望の肩を抱く手に力を込める。


「それが俺の仕事だから」


「左様ですか。……これから起こることは私の責任です。少しでもお力になれるのなら」


 長はまた立ち上がると机の引き出しを開け、中身を取り出す。長が手にした物はふたつ。布に包まれた細長い物と小さな箱だ。


「こちらを舟橋殿にお渡しします」


「何ですか?」


 長は力なく笑うと箱を置き、布の包みを開く。

 綺麗な織りの布から覗いた深緋色に望の目が丸くなる。


「剣です」


 長は深緋色の鞘から剣を抜く。

 刃長は二十センチほどで、華奢な作りの剣。刃は薄く、武器ではなく美術品のようだと望は思う。

 白銀の光が雨のように降り注ぐ。優しい雨のように降る光に望は目を細める。だから、武器というよりも美術品という美しさが目立つのだろうと望は思う。

 鞘もとても美しい。大輪の花と蝶が螺鈿細工で表されている。華やかながら、とても上品な鞘だ。


「優しい姿をしているでしょ?」


「ええ。その剣は……」


 望は隣で静かにしている周の腰の辺りを見る。長が手に持つ剣の鞘と同じ色は周の腰にまとわれている。彼の刀の鞘も同じような意匠が螺鈿で施されている。


「この剣は祈りの剣として作られました」


 長は剣を鞘に納める。


「育ち行く我が子の成長を祈る父親がこさえた守りの剣。慈悲深い父親は恵みの雨が降るように、我が子へ愛情を注いでいました。私はそんな慈しみの心を持つ父親に敬意を表し、慈恵の剣と呼んでいます」


 長は懐かしむように鞘を見つめる。剣もそうだが、鞘の深い緋色も螺鈿の細工も何百年経っても曇りがない。


「悪しき者から守る剣をあなたへ」


 長は望に剣を差し出す。


「でも、私、剣を持ったことなんてないです」


 当然のことながら、望は刀剣を扱ったことなどない。使う刃物は限られており、せいぜい近い物として包丁を使う程度だ。


「持っているだけで十分ですから」


 さあ、と長は望に受け取るように差し出してくる。


「……」


 我が子の成長を祈る父の思いが込められた剣。それをなぜ望に渡すのか。

 これを受け取るべきは自分ではないはず。子どもへと渡すべきなのに、と思う望は背後からただならぬ気配を感じる。


「……っ!?」


 ゾクッと寒気がする。冬の空気の冷たさとは違う、貫くような冷たさだ。


「……望、それ受け取っておけ」


 杏介は背後を流し見る。険しさを滲ませる声に望は杏介を見上げる。

 静かに燃える炎のような光が金色に宿っている。


「……お借りします」


 望は恐る恐る剣を受け取る。剣は見た目以上に軽い。


「あとはこちらを」


 長は小箱を開け、中身を見せる。

 小箱の中には紐に繋がれた球体が収められている。そこから感じる気配は望もよく知る物だ。


「夢玉? でも……」


 夢玉は夢の内容に応じて見た目が決まる。花園の夢なら花が咲き誇る様を、水中の夢ならば水流や生き物の姿など、球体に模様として現れる。

 だが、長が見せた球体は無色透明。水滴をそのまま球体にしたような透明なものだ。


「ええ。こちらは夢玉です。ただ、この夢玉は少し特殊でしてね」


 長は少し寂しげに笑うと夢玉を手に取る。


「過去からの贈り物です」


「贈り物?」


 過去からの贈り物。それは誰から誰へと宛てられた贈り物なのか。それを自分が持っていていいのかと望は疑問に思う。


「こちらもお守りとしてお持ちください」


 長は夢玉を望へ差し出す。望はおずおずと受け取る。

 長の手から紐が滑り落ちる。深い緋色の紐は望の手の内にするりと流れる。その様を長は名残惜しそうに、まるで、我が子を送り出すように見つめる。


「どうぞ、首から下げてお使いください」


「は、はい」


 首飾りとなった夢玉を望は身に着ける。


「……さて」


 長の眼差しに険しさが宿る。


「本当に時間がありませんね」


「らしいな。全く、しっかりしといてくれよ」


 杏介は警戒心を露わにしながら背後の気配に集中する。


「客に対する礼儀がなってないぜ、一族の長よ」


「本当に面目ない。あなたがいてくださってよかった」


「こりゃあ、周に追加料金もらおうか」


 はは、と杏介は冗談めかして笑う。


「望」


「は、はい」


 望は杏子色を見上げる。杏子色の視線は背後の出入り口に向けられている。


「荷物は最悪捨て置く覚悟で、俺たちから離れるなよ」


「あの、一体何が……」


 先ほどから妙な空気だ。冷え冷えとした嫌な空気が背後から流れてきているように思う。


「失われた一族の宝があるとわかれば……元の持ち主である者たちがどうするか、おわかりですか?」


 そう問う長に望の背筋が凍る。


「取り返そうとする」


「ついでに、その宝を紛失した原因がいるとなれば? それも、その一件をずっと恨みがましく思っている奴らの集まりだ」


 そう問う杏介の瞳はすっと細くなる。そして、望たちを取り囲むように火の玉が浮く。


「それは……」


 望は隣を見やる。いまだ目覚める気配のない周と背後の冷気が結びつく。


「捕らえるなり、殺すなりするよな。……まあ、そういうことらしい」


 全く、と杏介が吐き捨てる頃、結界に亀裂が走り始めた。

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