#12
「術はある」
長は厳かに答える。
「寄生されているのなら、取り除けばいい。非常に簡単な考えだ」
悪しき根源を断つ。容易に思いつくであろう答えだ。
だが、そう簡単に解決できる問題ではない。
「ただ、それは危険を伴う」
答えは簡単だが、実行するとなると難しい。
とくに、今の望の状態は非常によくない。
「随分と舟橋殿の魂に根づいている。無理に引き離そうとすれば魂に傷をつける」
魂が傷つけば彼女の命に関わる。望の命がすぐに尽きる可能性が高くなる。そして、傷ついた魂は消滅してしまう。
仮に、傷が浅く済んだとしても傷が修復されなければじわじわと命の灯を侵し、結果的に望の死が早まることには変わらない。
「傷ついた魂は消滅へと向かう。そうなる前に魂の修復が行われれば消える可能性は低くなるが……。傷が深ければ治りが遅いように、修復にも時間がかかる。それは、転生にも影響する」
魂は巡る。死ねばまた生まれ変わる。命の循環は定められ、管理されている。
それが乱れるということは他の魂にも影響する。帳尻が合うまで魂は巡ることができなくなってしまう。
「命の巡りに関しては、私も詳しくは知らない。冥府の官吏殿……野宰相の方が詳しいだろう」
「長は篁卿と関係が?」
篁から長と交流があったとは聞いていないと思いながら周は長へ問う。
「いいや。互いに存在を認知している程度だと私は思う。野宰相はどうか知らないが、私は遠目に姿を見たことがあるぐらい」
噂どおり、背の高い御仁。
長からしてみればそれぐらいの認識だ。
「あとは、一族の者から話を聞いた程度か」
それもほんの一握り。各地を転々とする貘と篁が出会う機会というのは滅多にないからだ。
さて、と長は仕切り直す。
「胡蝶を魂から無理に切り離そうとすることはできない。かと言って、このまま放置すれば魂は胡蝶に喰われる。魂は胡蝶の夢の中に溶け込み、彷徨い続ける」
そして、その末路がどうなるのか。長の耳に微かに慟哭が聞こえる。
「意識がなくなり、巡る命の輪に戻ることもできない。最悪の場合、胡蝶の力に振り回されて暴れ回って誰かに討たれる。……そんな未来をあなたは少なからず知っていますね、舟橋殿」
「……」
胡蝶の夢に寄生された者のことを望は少しだけ知っている。
枯れ枝のような細い腕、鋭く尖った爪。音にならない声を発していた存在を自分はどう認識していたか。
お化け。幼いころはそう呼び、今は怪異、堕ちた神と呼んでいる。
もしかしたら、自分も彼のようになってしまうのかと思う望の背筋に虫が這うような嫌気が走る。
「……本当に寄生されているという言葉がぴったりな状態ですね、私」
寄生して意識を乗っ取る。そんな生物がこの世には存在するという。寄生された側は傀儡となり、最終的には果ててしまう。
いずれ来るかもしれない最期。その終わりを誰かに握られている、望の場合は胡蝶に握られているという訳だと望は実感してしまう。
「おや、落ち着いていらっしゃいますね」
長は静かに呟いた望に言う。
長には望がわずかながらに動揺していることはわかる。長はわざと寄生、消滅、と不安を煽るような言葉を用いた。望が自覚していないとは思っていないが、彼女がどれだけ危ない状態なのかを認識してもらうように長は言葉を選んだ。
だが、長が思っていたよりも望は冷静だ。取り乱すことなく、己の現状をしっかりと受け止める心の強さに感心する。
「驚いていますよ」
言葉とは逆に二十歳そこそこの娘は冴え渡る月のように凛としている。望の言葉を聞いた長は苦笑する。
「そう言う割に落ち着きすぎてると思うけど」
むしろ、自分の方が激しく動揺していると思うほど、望は冷静だ。周としては気が気でならない。
長はこのまま望を放置していると魂が胡蝶に喰われ、夢に溶けてしまうと言った。
聞き覚えのあるその末路は黒が一等似合う男から聞いた話だ。望の最期が書き換えられたと彼の勤め先は大騒ぎしている。どうなるのか、周どころか、彼らもわからないのだから。
「無策というわけじゃないから」
望としては今までほとんど進展がなかった状態から方法があるとわかっただけでも大きいと思う。
「そうですけども……。先ほど申し上げましたとおり、簡単にできることではありません」
長は言いにくそうに伝える。
先にも述べたとおり、望の魂に胡蝶の夢が根づいている。貼りついたものを無理に引き剥がせば傷がつき、放置しておけば呑み込まれてしまう。悩ましいことだ。
「……本当は一番安全な方法があるにはあるのです」
「それができない理由は?」
望は問う。
原因を取り除く。簡単に思いつく策だと長は言った。だが、それをするには危険な状態でもあると言った。
リスクを伴わない安全な方法がある。それを試せばいいが、そちらを真っ先に言わないのも理由があるのだろうと望は悟る。
「舟橋殿の意志次第といったところです。……が、あなたがこの策を選ぶとは思えない」
長はひとつ息をつく。
「進行を抑えるという方法です」
「その手があるなら」
どうにかなりそう、と周は言いかけるも長の険しい表情に言葉を飲みこむ。
「進行を抑えるためには私の力が必要になります。それは継続的に必要となるため、あなたは私と共に時を過ごすこととなる。あなたの命が尽きるまで、ずっと。あなたが人間界から離れるか、私が一族から離れるか、どちらかが元いた世界から離れることになる」
ですが、と長は背筋を伸ばす。
「私は貘で、人の世界で生きていけない。人として生きてきたあなたには戸籍など、人であるという証明がありますが、私にはない。仮に、人であるという証明を得られたとしても、長命な私は見目が変わらないから怪しまれてしまう。……結局、人が生み出した証明は私には適さない」
「そうでしょうね」
望は隣の周を一瞥する。
周も貘だ。貘だが、人の世界で人として生活している。
周と出会ったばかりの頃、戸籍や身分証はどうしているのかと尋ねたことがある。周は平然と偽造したものがあると答え、それはどうなのかと望は表情が引きつってしまった。どこで手に入れるのかと思ったが、あまり深入りしない方が自分のためだと思って望はそれ以上訊かなかった。
「周は上手くやっているみたいですが」
「へへ」
「へへ、じゃない。やってること、違法なんだから」
「それはそうだけど」
望の正論に周は眉を下げる。
「でも、僕のは本当に一時的なもの。数年どうにかなればいいぐらいのものだから」
いくら周が上手く人間の暮らしに溶け込んでいるとは言っても謎が多いということで怪しまれることが多々ある。だから、長くても五年ほどで住まいを移すし、妖界に戻ることもある。
「極論、僕の場合は誤魔化せればいい。ばれたとしても、適当に妖界に逃げればいいだけだしね。僕だけだからどうとでもなる」
周だけだから誤魔化すことも、離れることも簡単にできる。
本当に少しだけ、人間として暮らせるための物があれば周としては十分だ。
「……」
長はやれやれと肩を落とす。が、周にそのようなことをさせてしまったのは自分の責任でもあると思うと気が重くなる。
長は頭を振る。今は周のしていることではなく、望に根づく胡蝶の夢の侵食を抑える手立てのことに集中しなければと思考を切り替える。
「とにかく、私が人間界へ行くとなると、あなたには多くの負担や苦労をかけることとなる。住まいを定期的に移らなければならないことは確定しますから」
「……」
長の言うとおり、各地を転々とすることになるのだろう。それに伴い、引っ越しや仕事、金、人間関係の構築など、考えることが多くなることは想像に難くない。
「となると、私が一族へ入った方が諸々楽になると?」
「そうなりますね」
人間界における望の消息さえどうにかしてしまえばそれで済む。行方不明という扱いでも、死亡という扱いでも構わない。
とにかく、舟橋望という人間の姿が人間界から消えれば互いの手間が少なくて済む。
「私側の都合で申し訳ない。ですから、もしも、こちらに来ていただけるのならあなたの暮らしをきちんと保障いたします。可能な限り、苦労や負担をかけないとお約束します」
「……」
リスクの少ない策ではあるが、長か望のどちらかが今まで生きてきた環境を捨てなければならない。さらに、二択の中でも色々な負担や苦労を考えると長から提示された選択肢は実質一択で、ないようなものだ。
「舟橋殿。いかがされますか?」
長からの問いに望はゆっくりとまばたく。
水鏡のように澄み、全てを照らすような明月が長を見定める。
「それはできません」
望はきっぱりと言い放つ。
望の回答に長は苦笑する。
「予想通りのお返事ですね」
望が言葉を発する前からわかっていたことだ。ある程度予想はできていたが、あの目を見た時点で確信し、はっきりとした言霊で確定した。
「私が天涯孤独の身とか、生い先短いとかの理由があればその方法を試す価値はあったと思います。でも……」
望には望の生活がある。家族や友達がいる。ありがたいことに、恵まれた環境いると望は思う。
そんな彼らから離れる。説明のしようもなく、消息が途絶えるようなことがあれば大切な人たちを心配させてしまう。
「できません」
自分の命のために大切な人や場所から離れる。そして、貘の一族たちと暮らす。
望はちらっと隣の周を見る。心配そうに見ていた細い目がふっと和らぎ、目が合う。
長は生活を保障すると言ってくれたが、貘の一族と上手くやっていけるのか、望にはわからない。それに、彼らが周にしたことを思うと今は警戒してしまう。
「ごめんなさい」
「いいえ。あなたには帰る場所があり、暮らす場所がある。私としても、無理を強いることは本意ではありません」
望を保護し、その命が尽きるまで見守る。そして、望が亡くなった後に胡蝶の夢を再び一族の元に収める。
長としてはそうしたい。それが長い目で見ると犠牲が少なく済む方法だと長は考える。再び貘の一族の元に胡蝶の夢という危険なものが戻り、管理できるのならば胡蝶が何者かに寄生することをなくすことができる。胡蝶を逃がすというようなことがなければ、胡蝶の夢に苦しめられる者をなくすことができる。
だが、と長は望を見やる。
人間の一生は短い。一族の誰よりも永く生きている長にはよくわかる。
長の脳裏にある顔が浮かぶ。彼との記憶は遥か遠い昔のほんの一瞬のもの。彼は本当に瞬きをするほどの刹那的な生を送り、帰らぬ人となってしまった。
望はまだ若い。そんな彼女もあっという間に歳を重ね、いつかはいなくなってしまう。
「本当にあなた方……人という生き物はすぐに儚くなってしまうから」
少し目を離しただけのつもりが、姿を消して二度と会うことができなくなってしまう。
感傷に浸ってしまった。遠い昔の彼の姿を一度頭の片隅に置くように長は頭を振る。
「……さて、私から提示できる策は申し上げたとおりのふたつ。ひとつは危険を伴うもの、もうひとつは安全だがあなたを拘束することとなる」
長は難しい表情をしながら望へ視線を送る。
「舟橋殿。あなたはどちらを選びますか?」
「……」
風がさあっと吹き抜ける。凪いだ水面が揺れる。
「どちらかしか、道はない、と」
望の瞳が揺らぐ。
「はい。申し訳ありませんができるだけ早く、答えを出していただきたい」
「そうですよね」
わかっていたことだ。周によく似た彼もあまり時間がないと言っていた。
どちらの策もデメリットがある。しかし、そのどちらかしか道はないと突きつけられ、すぐに選べと言われるとどうすればいいのか混乱してしまう。
困り顔の望に長も周も眉を下げる。
「望ちゃん……」
「大丈夫。答えは……出ているようなものなんだけど、それはそれで」
望は一方の策はできないとはっきりと答えた。それならば、選ぶことができるのはもうひとつの選択。
だが、そちらの方が危険度が高まる上、どうなるのか望は理解できていない。
「胡蝶を取り除く……。どんな危険があるのか、正直よくわかっていません」
無理に引き剥がそうとすれば魂に傷がつく。傷ついた魂は消滅し、転生に影響を及ぼす。
長はそう言ったものの、望にはピンときていない。篁がこの場にいたならば教えてくれたのだろうかと思うも、彼はここにいない。
「でも、一か八か、試すしかないのかもしれない。どちらにせよ、私はこのままではいられない」
何もしなければ魂が消えることが決定する。ならば、危険を冒してでも、行動を起こして少しでも助かる方法を選ぶしかないと望は思う。
「……そうですね」
迷いはあるものの、磨き上げられた鏡のような目はこれ以外を選択するつもりはないと物語っている。
静かながらも、確かにその輝きは暗闇を照らす。月のような娘だと長は思う。
「なら、その方法をお教えしましょう」
望に宿る胡蝶の夢を引き剥がす方法。緊張した面持ちで長の言葉を待つ望に長は、と言っても、と前置きをすると周に向き直る。
「主にどうこうするのは周になるかと」
「僕ですか?」
長が何かをするわけではないのか、と周は不思議そうにする。
「舟橋殿はただ真っ直ぐにあればよろしい。迷うことなく、しっかりと意志を持ってさえいれば」
「……それは難しいことなのですか?」
この方法は危険を伴うと長は言っていた。望自身は真っ直ぐに、迷わなければいいと根性論のようなこと言う。望は思わず拍子抜けする。
「ええ。危険を伴うと申し上げたのはこれが理由でもあります」
長は宙に手をかざす。長の指先に光が集まると、その光は一羽の蝶に姿を変える。硝子細工のような繊細な羽を持つ蝶に周の表情が強張る。
「夢とは所詮、幻。その意識があれば迷うことはございません。ただ」
貘の長の手に留まった蝶はゆっくりと羽を休める。
刹那、その羽が宙に散る。パッと弾けるように硝子片が散り、強い光が周と望の目の奥を突き刺す。
「夢幻だからこそ、呑み込もうとしてきます」
望が強い光に目を背けた瞬間、ふわっと身体が浮く。
「実際に体験してみるといい。……あなたが迷わずにいられるのか、私に見せてください」
「長、何を!?」
目元を腕で隠した周は声を張り上げる。
「証明を。あなたが迷わないと、呑まれないと私に見せてください」
「……っ!?」
「望ちゃん!」
くらくらとする望の意識の彼方、周の声はかき消されてしまった。




