#9
白銀を攫う風に望は身を震わせる。
「望ちゃん、迎えが来るまで宿の中にいてもいいんだよ」
朝、お迎えにあがります。
文で指定された街を通過した際に夜には宿に着けそうだと伝令を送ったところ、槿からそのような伝令が宿に届いた。朝食も済ませた一向はその迎えを寒空の下で待っている。
具体的な時間は不明。いつ来るのかわからないため、ガタガタと震える望に無理をさせたくないと周は思う。
「大丈夫。寒さに身体を慣らす」
一族がいるのは山中だと言う。標高も高くなると同時に気温も低くなることが予想される。そのために身体を慣らしておいた方がいいのではと思い、望も周と杏介と一緒に外で迎えを待つことにした。
「とは言っても……」
周は眉を下げる。強気に望は言ったつもりだろうが、その声は震えている。
「頑張る」
「うーん……。うーん、うん」
周は視線を彷徨わせる。
夜のことがあってか、望は頑固だ。譲らないと言わんばかりにその場から動こうとしない。
そちらからも言ってやって、と周は腐れ縁に視線を送る。その視線に杏子色はやれやれと応じ、望の顔を覗き込む。
「逆に身体に悪いと思うけど」
これからが本番だ。本番を前に無理をするのもどうかと杏介は思う。
「大丈夫です」
望はマフラーに顔を埋めながら答える。
これは頑固だ、と杏子色に訴えられた周は迎えが早く来ることを祈るばかりだ。
「あ、そうだ。周、また夢を見たよ」
「そうなの!?」
世間話のような調子で言う望に周は驚く。
「ちょっと、そんな大事なこと……」
早く言ってほしいと言いかけた周は昨晩のことを思い出す。
望が起きていた理由はこれだったのか。そして、話そうにも話せそうにない周の姿を見れば望が言い出すことも難しいだろうと思い至る。
「……どんな夢だった?」
望を責めることはできないと思った周はすぐに内容を尋ねる。
「すごく短い夢だったんだけど、また周が出てきて。でも、その様子だと、周は関与してない?」
「そうだね」
昨夜の周にそのような余裕はなかった。
「夢の中の周に早く起きなさいって言われて目が覚めちゃった」
「ほーん。で、今回も夢玉は?」
杏介の問いかけに望は首を横に振る。
「何も」
「ふーん……。それも長に確認か?」
「そうなるだろうね」
「……とか言ってたら」
杏介の頭上の耳がわずかに動き、杏子色の瞳が上空へ向けられる。周と望もつられて上を見上げると、大きな影が差し掛かる。その影はゆっくりと一向の前に降り立つ。
「お待たせして申し訳ございません」
大きな影、竜の背中から青年が身軽に下りたつ。
「早上好、槿」
周は気さくに青年、槿に声を掛ける。
「早上好。……って、何故こんな寒い中外で待っていたんですか?」
比較的平気な様子の周の近くで、望が震えている。様子を見るに、先ほど出て来たというわけではなさそうだと槿は推測する。
「いや、すぐに出発したかったし」
「だからって、風邪をひきますよ」
もう、と槿はため息をつくと杏介と望に向き直る。
「おはようございます。舟橋さんと……」
槿は見慣れぬ杏子色を不思議そうに見つめる。
「俺は杏介。ただの付き添いさ。道中の用心棒と言えばいいか?」
「ああ、いえ。疑っているわけではなくて。兄さんから話は聞いています。申し遅れました、貘の槿と申します」
槿は手を合わせて頭を下げる。
「よろしく。で、早速出立と言いたいが……」
杏介は隣の望の様子に苦笑する。
「望、竜苦手になったか?」
望の表情がわずかに引きつっている。昨日の竜便で相当参ってしまったのかと杏介は推測する。
「舟橋さん、苦手ですか?」
槿の隣で竜が喉を鳴らす。人間からすると、大きくて見慣れない生き物だから仕方ないか、と槿は思う。
「大丈夫です。昨日、ちょっと……」
望は目を逸らす。
「大人しい子を連れて来たのですが……」
怖いですか、と槿は尋ねながら竜を撫でる。竜は応じるように目を細める。もう一体の竜は見慣れない者たちを物珍しそうに見つめている。
「昨日乗った竜便で酔っちゃったんだよ」
「ああ、なるほど。それなら、ご安心ください。本当に穏やかな子たちですから。とくに、こちらの子はよく言うことを聞いてくれますし」
そう言って槿は物珍しそうに一向を見ている竜を見上げて目配せすると、竜は応じるように槿を優しく見つめ返す。
「もしも、酔ってしまったら途中で休憩も挟みますから」
「……お気遣いいただきありがとうございます」
槿の言うとおり、二体とも大人しそうな竜だ。昨日の竜の気性が強かっただけだと望は思うようにする。
「で、竜は二体いるわけだが、分かれる感じか」
「はい。一体は私が手綱を握るとして、もう一体の方ですが、兄さんにお任せしてもいいですか?」
「いいけど、ちょっと慣らしの時間がいるかな」
長いこと竜の手綱を握っていない。いくら大人しい個体と言えど、勘が戻っていない状態で、それも、誰かを乗せてというのは不安だ。
「日本では乗っていないですか?」
「そんなに機会がないから。ちょっと借りてもいい?」
「ええ、どうぞ」
そう言って槿は撫でていた方の竜の手綱を周に渡す。
「よろしくね」
周は竜の肩の辺りを撫でると、竜はとくに警戒する様子もなく周が乗りやすいように身を屈める。
「ちょっと練習がてら飛ばしてくる。寒いだろうし、三人とも中入っていていいよ」
「そうするかね、望」
「はい。周、気をつけて」
「うん。すぐ戻るつもりだけど、待ってて」
じゃあ、と言って周は竜に跨り、竜に声を掛ける。竜は周の指示に応じ、一声上げると飛び上がる。
「さて、俺らはちょっと中で待つか」
「ええ。お邪魔します」
槿はにこやかに笑う。
その笑顔に望の脳裏に周の顔がよぎる。正確に言えば、夢の世界に現れた周の姿をした何者かの顔だ。
槿に話すべきなのか。そう思うも、やはりやめておこうと即決する。
「……?」
なぜそう判断したのか。まるで、望の意志とは別の意志が決めているような、誰かが干渉しているような気がする。
「望、どうした?」
視界に入り込んだ眩い日の光色に望の意識が引き上げられる。
「大丈夫か?」
「すみません。ちょっとぼんやりとしてしまって……」
「寒さで意識飛んだとかじゃないな?」
「そこまでではないです」
「ならいいけど……」
心配そうにする杏子色に望は大丈夫ですから、と再度伝え、宿へと促した。
宿の玄関口の隅で宿の者や他の宿泊客の迷惑にならないよう、一向は隅で固まっている。
「ここも冷えるけど、外で待つよりはいいか」
「そうですね。……ところで」
気まずそうに槿が何かを言おうとして口を噤む。
「どうした?」
「……その、杏介殿は兄さんとは長いつき合いなのですよね?」
「それなりには。それなりの時間のせいで、流れで腐れ縁やってる」
「腐れ縁ですか」
「互いに雑に扱うし、適当言うし。それで喧嘩もするけど、嫌じゃない、そんな関係」
これだけ長くつき合いがあると、相手の思考や好き嫌いもわかる。そこをおちょくったり、わかっているからこそ大雑把なやり取りをすることもある。
そして、互いの過去の事情を知る仲でもある。
「そうですか。……そうか、それはよかった」
槿はほっと安堵の息をつく。
「あなたという友が兄さんにはいてくださったのですね」
「友ね……」
杏介はガシガシと頭を掻く。腐れ縁、友という言葉が周と杏介の関係を表す言葉ではあるが、友という響きは少しばかりくすぐったく感じる。
「出会った頃と今とあまり変わりありませんか?」
再開した周は槿の知る周だ。昔よりも飄々としている口ぶりになった以外ではあまり変わらないと槿は思う。
「……出会ったときのあいつは荒れてた」
杏介はぽつりと答える。
今の周とは真逆で、杏介に対して警戒心を向き出しにしていた。杏介としては物珍しさと持ち前の友好的な態度で周に近づいたが、周は容赦がなかった。
「あいつがいないところで勝手に話すのも悪いから、詳しいことは言わないけど」
杏介はちらりと望を見る。この場には望もいる。彼女が知るには中々酷なことも周は経験している。
「ですよね。そうかと言って、兄さんに直接話を訊くことも憚られますけど」
槿は小さく息をつく。
「私は……私たちは兄さんをいない者として長い時間過ごしてきました」
彼のことを話す者はいなかった。まるで、初めから周という名の貘などいなかったかのように。
だから、絶縁された周の様子を知る者は一族の中にはいない。知ることすらできない状況だった。
しかし、その状況が変わった。舟橋望という人間。彼女からの文に周のことが記されており、また、周からの文も来ていた。
あの周が、と一族はどよめいた。
「兄さんが来ることは一族皆知っています。この後、兄さんに対して、皆がどんな態度をとるのかも、私にはわかる」
「無視されるって?」
杏介は槿に問いかける。
長年、いない者として扱われてきた周が一族の元へ戻る。一族からすると、罪を犯した者が戻って来るなど、いい気がしないだろう。いい目で見られることはないだろうと杏介は思う。
「無視だけなら、いいのかもしれませんね」
槿は目を伏せながら息をつく。
「心無い言葉を投げかけられたり、暴力を振るわれたり……。いくらでも想像はつく」
まるで、あの日のように、と槿の脳裏に嫌な記憶がよぎる。
「へえ……。貘って、そんなに野蛮だったか?」
貘は穏やかな者が多い。貘についてよく聞く話だ。実際、杏介の一番身近な貘である周も荒れていた時期があったとは言え、根は穏やかな気性の持ち主だ。今目の前にいる槿という名の貘のことはよく知らないが、粗暴な感じはない。
印象としては、話を聞くとおりだが、周を巡る一連のことを思うとそうは思えない。もちろん、周がしてしまったことへの怒りに理解できないことはないが、暴力などという言葉が出てくるあたり、物騒だと杏介は思う。
杏介の問いに槿は眉を下げる。
「兄さんのこと以外については、昔と変わりないです。ただ、兄さんのことに関しては皆容赦ないかと」
そのせいか、周や胡蝶の夢について話すことは禁忌のように槿は感じる。
物腰柔らかで、温和。よく言われる貘の性格は一族の皆に当てはまる。その印象が他の妖にも強いことは一族も理解している。
だから、杏介のように貘の性格に疑問をもたれることも不思議ではないと思う。
「とくに、長は兄さんも招くと決められてからは張りつめた様子で……。一族の皆の様子を案じているからか、ご自分で決められたとは言え、兄さんを招くことに抵抗があるのかわかりませんが」
槿が使者として選ばれた理由は周と親交が深かったから。そう長に聞かされ、槿は長の命を受けた。そのときの長は難しい顔をしており、槿が出立するときも思い悩んでいる様子だった。
今朝は一段と気難しい様子だった。槿が迎えに行くと挨拶に行ったときは、気をつけて、と穏やかに声を掛けてくれたが、すぐに思考の殻に籠ってしまった。
「兄さんを追放し、二度と帰ってくるなと告げた方です。長として、兄さんをどう扱うのか、私にもわかりません」
望と杏介がいる手前、長は普段どおりに振舞うとは思うが、腹の底ではどう思っているのか、槿には計り知れない。
「貘にも貘側の理由がある。それはそうだろう」
杏介はやれやれとため息をつく。周も槿も貘の一族も長も、皆が皆、今日という日は複雑な気持ちでいるのだろうと思うと嫌になる。
「……そんなにも、周のことを赦せないのですか?」
望は静かに問う。澄み切った水鏡のような瞳が槿の心の内を覗き込もうとするようにじっと見つめる。
本当に不思議な人。そう思いつつ、槿はやるせない様子で話し出す。
「あなた方がどこまで兄さんと我らの確執をご存知なのかわかりません。が、一族からすると、到底赦されない行いをしたことは事実」
槿はぐっと拳を握る。あの日の出来事は今もよく覚えている。
「貘の一族にとって、唯一無二の宝。本当に大切で、ずっと受け継いできた象徴です」
目に焼きついた蝶が飛び立つ光景に槿は顔を顰める。
「私は確かに見たのです。兄さんが胡蝶の夢玉に触れたと思ったら、破壊した」
槿の元服の儀の際に見守るようにして出された一族の宝。一緒に近くで見ようと周と一緒に眺めていた。
元服をした槿のすぐ隣に周はいた。そして、彼は夢玉を地面に叩きつけるように割り、中の蝶を逃がした。
「隣にいた私が止められたら、こんなことにはならなかった」
槿は握った拳を開く。震えるその手はあの日と同じだ。
「私が止めていたら、兄さんが追放されることも、小父上、小母上が自決することもなかった」
槿は顔を覆う。
「ただ、見ていることしかできなかった」
槿は消え入りそうな声で後悔の念を零す。
「あのときの私は元服したというのに、情けなくて、臆病で……」
宝の消失、慕っていた兄の追放、慕っていた師たちの最期。もしもがあれば、失うことがなかったはずの出来事だ。
「……ごめんなさい。きつい言い方をしてしまって」
望は槿のただならぬ様子に謝罪する。長いこと交流がなく、一族との間に挟まれているせいか、周とのやり取りはぎこちなく見えるが、槿は周のことを兄さんと呼び、慕っている。槿のそんな態度に周が嬉しそうにしているところを見ると、詰問するような言い方をしてしまったと望は反省する。
「いいえ。私こそ、申し訳ありません。取り乱してしまって」
槿は数回深呼吸をすると顔を覆う手をどける。
「兄さんには見せられませんね。どうか、内密に」
槿は笑顔を貼りつけて冗談めかして言う。
「……あんたがあいつのことを今も慕っていることはわかった」
杏介は吐息まじりに言う。
槿の言うとおり、この姿を周は見ない方がよかっただろう。槿が己を責める姿を見ると、周自身もまた重荷を背負ってしまいそうだから。
「あんたもあまり気負うなよ」
「はい。ご心配をおかけしました」
初対面の方に申し訳ない、と槿は深々と頭を下げる。
「別に。……今の周に負担をかけたくないから」
杏介は夜更けの出来事を思い返す。青白い顔をした腐れ縁は雪にかき消されてしまいそうなほど、頼りなかった。
「そうですね。……ええ、私もできる限りお手伝いいたしますので」
槿は暗い感情を払いのけるように切り替える。
「……」
杏介と槿のやり取りを見ていた望は背筋に冷ややかな空気を感じる。
胸騒ぎ。
その一言に尽きるぞわぞわとした不快な予感と共に背中で何かが疼いたような気がする。
「望、大丈夫か? 顔色悪い」
眩しい金色に望はわずかに目を細める。
「大丈夫です。……少し、寒気がしただけで」
「それはよくない。もう少し中で待たせてもらおう」
な、と案ずる杏介に望は渋々と頷いた。




