表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢屋 胡蝶  作者: 真鶴 黎
第九夜 心の在処を周る詞華
79/88

#7

 身体が重い。視界が揺れる。

 明らかな身体の不調に望はぐったりと壁に寄りかかっている。


「ごめんなさい……」


 情けないほど弱々しい声にさらに申し訳なさが増す。


「いや、あれは酔うわ」


 杏介も疲れた声で望に同意する。

 街からの移動に使ったのは竜便だった。頑丈そうな作りの車に寒さを凌げそうと安堵した望だが、別の問題に苦しめられることになった。

 明らかに乗り心地が悪かった。吹き荒れる風のせいもあったかもしれないが、とにかく揺れる。それに、急停止、急発進が多く、望以外の乗客でも明らかに酔っている者も多数いた。

 さすがにこれ以上は無理。そう判断した周は予定外ではあるが途中の村で下りることにした。


「まさか、あんなに揺れるとは思ってなくて……」


 途中で酔い止めの薬を飲んだが、効果はいまひとつ。酔いの種類が違うのかもしれないと望は思った。眠れば多少はどうにかなるのではと思ったが、眠れないほどの激しい揺れにただ体力を消費するばかりだった。


「俺も」


 杏介は苦笑する。ひどく酔った望に対し、周と杏介はまだ耐えられる方ではあった。が、降りられるのなら、降りて休みたいと思うほどひどかったのは確かだ。


「いくら風が強いからって……。まだ慣れていない竜だったのかな」


 周も苦笑する。気性の荒い竜だったのだろう。時々、咆哮が聞こえていたのも気になった。


「とりあえず、しっかり休んでね」


「本当にごめんなさい」


 望は消え入りそうな声で謝罪する。ただでさえ、一日かかるというのに、ここで予定外に時間を取ってしまい申し訳なくなる。


「ううん。むしろ、ここで降りられて良かったぐらいだよ。揺れも少なくて、一本で行ける足が見つかったから」


 望を休ませている間に交通の便を探している周にある行商が声を掛けてきた。周が事情を説明すると、ちょうど目的地方面へ向かう行商がおり、乗せてもらえるか訊いてこようと申し出てくれた。割れ物を扱う行商らしく、彼が操る竜は揺れが少なく、滅多に商品が割れることはないと評判らしい。今は声を掛けてくれた行商が件の行商に確認をとっているところだ。


「時間のことは気にせず、ゆっくり休んで」


「うん」


 ほっと安堵したせいか、望の瞼が重くなってくる。


「寝ちゃっていいよ。これからまた長いから」


 ここまでも長かった。長距離の移動、異国の地、苦手な寒さと体力的にも精神的にも疲労していることは目に見えている。まだ先があり、あくまで、今日は移動が主だ。本番は貘の一族との面会で、そちらも疲れてしまう可能性がある。

 少しでも体力を温存させる。望の負担をできるだけ軽くさせたいため、休めるときに休んでほしいと周は思う。


「俺の膝も空いてるぞ!」


 杏介は自身の膝を叩く。


「……」


 しかし、望は壁に寄りかかり目を閉じて眠りに就いていた。


◇◇◇◇◇


 光や空気がふわふわと揺らめく。ぼんやりと霞がかったようなフィルターをかけられているようだと望は感じる。


「……周? 杏介さん?」


 望はきょろきょろと辺りを見渡す。しかし、周囲には誰もいない。

 誰かの夢に入ってしまったか。明らかに現実ではない、夢の世界だろうと確信した望は歩き始める。

 不思議な空間。夢の世界というのだからそれも当然と言えば当然なこと。だが、いつもと違う気がする。

 空を飛んでいるような感覚が近いかもしれない。実際は歩いているのだが、どこか高いところから見下ろしているような気がする。蝶や鳥といった翼を持つ生き物の視点や感覚を想像したとき、今の状態に近いと思う。

 それにしても、と望は進みながら辺りを見渡す。何の夢かと問われるとわからない夢の世界だ。

 とくに何かがあるような世界でもないと望が不思議に思っているとぱっと世界が切り替わる。

 広がる世界は美しい花の園。大小様々な花が咲き誇り、世界を彩る。現実は冬の世界だが、こちらは春の世界だ。

 小鳥の囀る声もする。そよそよと心地のいい風も吹く。

 幻想的な夢。周が好きそうな夢の世界だと思いながら望を歩き続ける。

 冬眠してる植物の夢か。厳しい冬の寒さを耐え、温かくなったら芽吹くことを待つ。そんな植物の夢だろうかと望は思う。

 考える望の視界をひらりと何かがよぎる。花びらのように柔らかくも、脆そうな羽がきらりと光る。日の光を浴びた硝子細工のような煌めきは美しい。

 蝶だ。一羽の蝶がひらり、ひらりと飛んでいる。


 こちらへおいで。


 声がするわけではないのだが、蝶がそう言ったような気がする。

 望は蝶の軌跡に導かれるまま道を、花の園を進む。咲き誇る花のトンネル、降り注ぐ花の雨、開く時を待つ緩んだ蕾、眠りにつくように萎んだ花、様々な花の景色が彩る世界に目を奪われながらも、先を行く蝶の姿は見失うことがないようにと望は意識する。

 どれだけ進んだだろうか。花の回廊を抜けると、世界が開く。撫でるような優しい風に花々も揺れる。

 花の垂れ幕が上がった先、天と地に同じ景色が広がる。水なき空に広がる花の園、水鏡で揺蕩う花の園と見渡す限りの花の園はどこか懐かしくもありつつ、恐ろしくもある。


「ここは……」


 呆然とする望の視界を横切るように蝶は舞う。

 

 暫し待て。


 そう伝えるようにひらりと旋回した蝶は望を置いて彼方へと飛んでいく。その蝶の行く先を望は目で追う。蝶は真っ直ぐに迷うことなく飛んでいく。

 どんどん小さくなる蝶をぼんやりと見ていると、引き返してきたのか、再び蝶が姿を現す。その蝶の後方を何かが追いかけるように望の方へ近づいてくる。

 蝶の後ろから来たのは一艘の舟だ。舟は意志を持っているかのように静かにその身体を望の正面に着けるとぴたりと止まる。蝶はその舟の船首に留まると羽を休ませる。


「……乗れってこと?」


 蝶はそうだと言うように一度羽を動かす。

 この蝶は何なのか。このまま蝶について行っていいのか。

 そんな疑問を抱く望の背後で何かが動く。望が振り返ると、木の柵が来た道を塞ぎ、花の幕が柵を覆い隠す。

 引き返すこともできないらしい。望は仕方なしに舟に乗る。

 望が腰をかけるや否や、舟は動き出す。水面に映る花や浮かぶ花弁の上を悠々と進んでいく。

 この舟はどこへ行くのか。襲い掛からんばかりに咲き乱れる花と船首で羽を休める蝶以外に生き物はおらず、静寂に包まれた世界だ。

 花は美しいのに、どこか鬱々としている。

 そんな望の不安を察したのか、蝶がひらりと舞い上がると望の傍でひらひらと旋回し始める。


 恐れることはない。安心してほしい。


 声なき声が聞こえたような気がした望の不安を振り払うように蝶は力強く羽ばたく。

 その羽ばたきとともに一瞬強い風が起こる。波紋を広げるような風の渦に望は反射的に目を閉じる。一瞬の暗闇の後、目を開ける。


「……橋?」


 突如として左側に橋が現れた。舟は橋に沿うように緩やかに進んでいるようだ。橋のたもとは見えず、延々と続いているようにも思う。

 どれほど舟に揺られていたか。ぼんやりと花と蝶を眺めていると、世界が暗くなっていく。薄暗くなっていくものの、完全な闇はない。花が発光しているのか、どこかに光源があるのかわからないが、花の園から漏れ出る灯が意外と明るい。ライトアップされたような光景だ。

 世界が暗くなる。いつの間にか降り注ぐ花の空が晴れ、望月が顔を覗かせていた。そして、延々と伸びていた橋の陸地との境目が見えてきた。

 舟はゆるゆると速度を落としながら橋のたもとへ向かう。たもとに着くと舟はぴくりと動かなくなってしまう。


「……」


 この舟を降りてもいいのだろうか。そんな疑問が浮かぶ望を誘うように、蝶が行こうと舞い上がる。


「おや、思っていたよりも早かったか」


 聞き慣れたその声に望は声がした方を見やる。

 いつの間に現れたのか、細い目の男が立っている。ひとつに結ばれた黒髪に鮮やかな朱色の髪紐が映える。


「……周?」


 旅装束ではなく、いつものチャイナシャツを着た周だ。

 望が夢の世界に入ったことを察して彼も同じ夢に入ってきたのか。そう思っていると、彼はまばたきをして己の姿を確認するように水鏡を覗き込んだ後、顔をぺたぺたと触る。そして、ふふふと小さく笑う。


「そうか、そうか」


 楽しそうに笑う周に望は首を傾げる。


「うんうん。確かに周だ」


「……何言ってるの?」


 この周は現実世界から入ってきた周か、それとも、この夢の世界で生み出された周か。判別できずにいる望に対し、目の前の周は蝶を手招く。蝶は吸い込まれるように周の元へ飛ぶと彼の手に留まる。


「これは興味深い。……が、あまり悠長にはしていられないようだ」


 彼の顔から笑みが消え、険しい表情となる。


「元の世界にお戻り。そして、貘の長に早く会うんだ」


 周の姿をした彼の言葉と共に世界が崩れた。


◇◇◇◇◇


 何か捲し立てるような声がする。聞き慣れない声と言葉に望の意識が引き上げられる。


「……」


 数度まばたきをした望は痛む首をもたげるようにして声のする方を見上げる。視線の先には興奮した様子で早口で話す男とその男に肩を掴まれて困った様子の周がいた。


「おはよう、望」


「……おはようございます。あの、あちらはどういう状況で?」


 望はまだはっきりとしない頭ながら隣の杏子色に尋ねる。


「あの妖が俺たちを連れて行ってくれるらしいんだけど、周を見るや否や、あんな感じで」


 杏介は眉を下げながら望に伝える。


「別に恐喝されているって感じではなさそうなんだが……」


 あまりにも早口で、杏介は聞き取れない。だが、断片的に拾い上げた言葉の感じからして、感激しているようだと杏介は推測する。実際、男は目に涙を浮かべて切々と周に訴えているように見える。その周はと言うと一身に彼の言葉を浴び続けている状態だ。


「何でしょうね」


「さあ?」


 助けるべきか、否か。二人の間にそんな空気が流れると、望が起きたことに気がついたのか、周が二人に視線をやる。そして、男の言葉を制するように控えめに手を挙げる。


「没认错妖怪吧?」


「啊,不会吧! 你不是惠吗?」


「……不是」


 力なく周が言うと男は周の顔をまじまじと見て、何やらぶつぶつと言うと周の肩を掴んでいた手を下ろし、頭を下げる。


「……周、何だって?」


 落ち着いたかと思った杏介は周に歩み寄り、尋ねる。


「ああ、人違いだったみたい」


 吐息混じりに周が答えると、男は周に何やら話す。周も一言、二言話すと望を手招く。招かれた望は周の元へ歩み寄ると、周は男に紹介するように杏介と望に手を向ける。


「你好。えっと……時間とってごめんね。こっちの兄ちゃん、知り合いに似てたから。間違えて」


 男はたどたどしく話す。


「いいや。こちらこそ、よろしくお願いします」


 杏介が会釈するのに倣い、望も会釈する。


「うん、よろしく。出発できる?」


 男は気持ちを切り替えるように杏介と望に尋ねる。


「あ、その前に」


 周は男に中国語で話をすると、男はひとつ頷くとこの場を去ってしまう。


「周、どうした?」


「ちょっと確認したいことあるから、先に用意してもらうことにした。二人は準備できてるよね」


「俺は問題なく。望は?」


「準備は大丈夫。でも……」


 望の脳裏に蝶がよぎる。

 そんな望の表情の変化に周は眉を潜める。彼女の表情の変化よりも前に、気になることがあった。


「……夢を見た?」


「うん。また誰かの……植物かな? 夢の中に入ってたみたい。ねえ、周も……」


 あの夢の世界に入ったでしょ、と訊こうとした言葉が消える。

 望が目覚めたとき、周は男と何か話していた。それも、相手は畳みかけるように周に話しかけており、そんな彼の様子を縫って望が入り込んだ夢の世界に入ることができただろうか。


「望ちゃん?」


 周は首を傾げる。

 周の様子からして、と望は確信するも、念のためにと訊くことにする。


「……周は私が見ていた夢に入ってきたよね?」


「いいや。ほら、さっきの男性に話しかけられていたし」


 彼の言葉に周はそれどころではなかった。浴びせられた彼の切実な訴えに周は押されていたからだ。望から夢の気配を感じていたものの、とてもそちらに意識を向かわせる余裕は周になかった。


「……」


 では、夢の世界にいた周は誰なのか。姿や声は周だったが、どこか他人事のような態度であったところが引っかかった。

 周の姿をした別人。そうとなれば、彼は何者なのか。


「望、夢を見ていたなら夢玉作ってないのか?」


「あ……」


 杏介の言葉に望は自分の手を見つめる。最近は夢の世界に入って、目が覚めると夢玉を握っていることが多い。しかし、今の自分の手には夢玉はない。落としたかと思い、きょろきょろと辺りを見渡すが、それらしい物は見つからない。


「あれ?」


「落とした?」


 杏介は先ほどまで座っていた長椅子の辺りへ戻るとしゃがむ。長椅子の下を覗き込んだり、付近の床をじっくりと見るも、ガラス玉は見当たらない。


「こっちにはないな」


「ないか……。望ちゃん、夢の内容は覚えてる?」


「うん」


「それなら、彼の荷車に乗せてもらったら教えてくれる?」


 望は周の言葉にひとつ頷いた。




 同じ空を飛ぶと言っても、竜便と比べて行商の彼が操る竜の荷車は揺れが少ない。安定した飛行のおかげで三人はゆったりとしながら話ができた。


「貘の長に早く会え、か……」


 眉間に皺を寄せながら周は呟く。

 望が見たという夢。見渡す限りの花の園、舟が連れていった先には橋があり、そのたもとに着いたところに周の姿をした男がいたという。

 そして、その男は望の到着をわかっていたこと、時間があまりないこと、貘の長に会うことを告げて望は目を覚ましたという。


「その夢、望が自力で見た夢になるのか?」


 誰かが見た夢にしては望に語り掛けてきた周の姿をした存在のことが気になる。

 杏介の疑問に対し、周は首を傾げる。


「それにしてはその痕跡を感じない。けれど、夢の気配は強いんだよね……」


 周の眉間の皺がさらに深くなる。


「僕の姿をした誰か、か……」


「誰だったんだろう、あの周」


 望が周かと尋ねたところ、否定はしなかった。同じ名前の者がいることはよくあることだが、姿形、声まで同じということはあるのだろうか。


「何にせよ、ただの夢ってわけじゃなさそうだ。望が京都行ったときに入り込んだ夢に出てきた河童に近しい存在かもしれない」


「現実世界のことに言及したらしいし。とは言え、あまりに僕のそっくりさんの情報が少ないんだけど」


「うん……」


 本当に少しだけ言葉を交わした程度。得られる情報があまりにも少なすぎる。


「夢玉があればよかったんだけど……」


 あの後も出発のギリギリまで探した。しかし、夢玉は見つからなかった。周も夢玉の気配を感じなかったため、生成されなかったのだろうと結論づけられた。


「貘の長なら何かわかるかもな。周もどきが夢の中で貘の長に会えって言ったぐらいだし」


「だといいのですけど……」


 望はぽつりと言葉をこぼす。

 夢の中の周と瓜二つの男が貘の長のことを言ったのだから、貘の長なら何か知っているかもしれない。

 彼は鍵となるのか、否か。敵か味方かもわからない謎の存在だ。

 望は外套の合わせ目を握りしめる。希望と不安が綯交ぜになる心を落ち着かせるかのように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ