#6
陳列された艶やかな陶器。紅の大輪の花を見止めた月鏡を見逃さないようにと店員がそそくさと歩み寄る。
「欢迎」
「あ、えっと……」
突然声を掛けられた望は声の主に目を丸くする。にこにこと愛想のいい笑みを浮かべる猫又の店員は望が熱心に見ていた湯呑を手に取ると、何やら畳みかけるように話しかけてくる。ぐいぐいと勢いのある話ぶりに望はついていけず、困惑の表情を浮かべる。
「あの……」
「ちょっと待ってくれ」
望の背後から眩い杏子色が覗く。
「そんなに勢いよく話されちゃあ、こっちも困っちまう」
「……? お客さん、日本から来た? それはごめんなさいね」
猫又の店員は、ほほほ、と軽く笑う。
「あの細い目のお兄さんがこっちの言葉を話していたから、てっきり」
店員は店の奥へと視線をやる。そこにはカウンターで店主の猫又と周が話し込んでいる。
天馬に乗り到着した街も多くの者が行きかう地であった。むしろ、大陸の情勢についてはこちらの方が情報が集まるらしく、行く先々で貘の一族のことを聞いて回っている。
そんな中、この食器を扱う店の猫又の店主なら詳しいかもしれないという話を聞き、こうして立ち寄ったところだった。望と杏介はこじんまりとした店内をうろうろしながら周を待っていた。
「ねえ、お嬢さん。これ、いいでしょ?」
言葉の壁はさておき、と店員は望が見ていた湯呑をずいと押しつけるように見せてくる。
「え、は、はい……」
「ね。この紅の色付け、大胆な濃淡で華やかさを演出しているの」
有名な陶芸家が作った、絵付けは一級で、とペラペラと次から次へと湯呑のプレゼンを繰り広げる店員に望は困惑の表情を浮かべる。
「おーい、姉ちゃんストーップ。そんなにいい物なら、もっとじっくり見せてくれよ」
なあ、と杏介は望に同意を求める。商魂たくましいことは結構だが、捲し立てられるように話されても困る。望の困惑している様子を見るに、完全に勢いに呑まれていて物を見る余裕などない。
「ごめんなさい。つい……」
しょぼん、と店員は二又の尾を下げる。興奮して見開かれていた目がうるうると潤み始める。
「お嬢さんが熱心に見ていたから、ぜひ良さを知ってほしくて」
「えっと……」
戸惑う望をアーモンド型の目がじっと見上げる。おねだりする子どものような目だ
「ちょっと、そこの猫又さん。うちの可愛い子ちゃんを困らせないであげて」
飄々とした声が止めに入る。店主と共に望たちの元へ来た周は店員を嗜める。
「お話終わったの?」
店員は目を丸くして周と店主を見上げる。
「うん。……その湯呑をうちの子に売ろうとしていたのか」
どれ、と周は店員の手から湯呑を取り上げると見定めるようにじろじろと見る。
「……ふーん」
周はちらりと望を見やる。
「これ、欲しい?」
「……」
望が言い淀むと周は店主に中国語で何やら言いつける。周はやんわりとした口調の物言いだが、店主と店員は表情を強張らせる。
「……あー、望。俺たち、先に出てようか」
「え?」
ほーら、と杏介は望の肩を抱いて店を出る。パタン、と扉が静かに閉まるところを見送ると望は杏介を見上げる。
「杏介さん? あの、周は?」
「ん? まだ話すことがあったらしいな」
遠い目をする杏介に望は眉を下げる。
「何か問題でもあったのですか?」
「みたいだ。良かったな、望。偽物を売りつけられなくて」
「偽物?」
店員には悪いが、あまりの勢いに話が耳に入ってこなかったため、どのような由来の物なのか印象に残っていない。そういったことは関係なく綺麗な湯呑だと思ったのに、それが偽物とは残念だ。
「はは、周の審美眼はさすがだ」
あのじっくりと見ていた目は何かに気がついたらしい。それを店の猫又に言いつけている様子だった。
赝品。偽物、贋作といった意味合いの単語を周が口にした瞬間、猫又たちの表情が強張った。
物には見合う価値や評価がつけられるべき。それが周の美へのこだわりのひとつだ。周は本物と偽って、紛い物を押しつけようとすることを良しとしない。昔から何度もそのような状況に居合わせた杏介は扉の向こうで行われているであろう糾弾に乾いた笑みを浮かべる。
「容赦ないから、あいつ」
望に聞かせるわけにはいかないという判断で杏介は店を出る選択をした。
「そう言えば、常盤街の骨董市でも偽物が売られていて怒っているところを何度か見たような……」
掘り出し物だと思って飛びつき、じっと見た後に表情が消え去り、冷めた表情で次に行こうか、と立ち去ったことが何度もあった。どうしたのかと尋ねたら、低い声で偽物だったと言われたとき、相当怒っているのだと察した。
「あいつ、望の前でもそんな態度見せたことあったのか?」
「でも、すぐにいつもの周に戻ってましたよ」
次に行こう、次ならきっといい物がある、と言い聞かせるように気持ちを切り替えていた。
「そっか」
望の前では見せたくないのだな、と思いながら杏介は苦笑する。
「で、望。実際のところ、あの湯呑欲しかったのか?」
随分と熱心に見ていたと店員が言ったとおり、杏介の目から見ても望はじっくりとあの湯呑を見ていた。
いや、あの湯呑というよりも、茶器全般をよく見ており、その中でもあの湯呑に目をつけたと言った感じだった。
「欲しいと言うか……」
望は目を伏せる。
不安が胸を占めていたあの夜、胡散臭い周の顔を見て安心したときに響いた音を思い出す。
「周のマグカップが割れてしまって」
彼が気に入っていたマグカップは見るも無残に砕け散ってしまった。そんな欠片を周は名残惜しそうに片付けていた。あの日以降、周はとりあえず飲めればいいと言わんばかりの黒のマグカップを使っている。最初は急ごしらえかと思ったが、新たなマグカップや湯呑を探している様子が見られない。
店で使う茶器はもちろんのことながら、自身の食事に使う食器にもこだわりがある。また食器が増えているなんてことはよくあり、食事の内容に合わせて食器を選ぶ姿を幾度となく見てきた。
周らしくない。そう思ったからこそ、あの湯呑の大輪の花が目についた。
「あの湯呑、周好みの柄だったからどうかなと思ったんです」
「なるほどな」
赤系統の色と牡丹。まさに周が好む要素を揃えている湯呑だった。
「でも、周は気に入らなかった」
店の中でどのようなやり取りが行われているのかわからない。杏介の言うことからして、周の機嫌が悪くなったことは確かだろう。
「あれは湯呑にって言うよりも、店側に文句があるって感じだけど」
たとえ、偽物であってもその品に価値を見出しているのなら、周は怒らない。ただ、本物だと偽って、騙すような形で売りつける態度が気に入らない。
「それも、望が騙されそうってなったら余計にな」
望に湯呑がほしいかと周は尋ねていた。望が欲しいと即答していれば、周は何も言わなかったかもしれない。しかし、望は迷いを見せた。そんな望の様子にどうしても欲しいと思う感情を見出さなかった周は店側に問いただすように言いつけていた。
「綺麗な湯呑だと思ったんですけど」
「物は悪くない。ただ、売り手が悪かっただけだ」
些か気落ちしている望に杏介は肩を竦める。
杏介としても悪くないと思った。望の言ったとおり、周が好みそうな意匠だった。売り手が変に話を盛ったせいで周の審美眼が無視できなかった。
「やっぱり欲しかったか?」
「……」
しばしの沈黙の後、望は小さく息をつく。
「物は悪くない。ですが、こちらのお店で買うのはちょっと……」
いいなと思ったのは望の本心だ。そこに真贋がどうという意識は望の中になかった。だが、あの湯呑の良さを必死に伝えてきた店員の言動に望の心が揺らいだ事実はあった。
有名な陶芸家、一級の絵付け、絵具も貴重だとか、入手が困難だとか、そんなことも言っていた気がする。
望からすると、そういった由来に興味はなかった。興味がなかったからこそ、捲し立ててきた言葉に自分の目が見たものは違うのではないかと疑問に思った。
そこに周が入り込み、彼の目は偽物であると見抜いた。
有名な誰かの名前を騙り、一級品と格をつける。そうして、あの湯呑に立派な価値を持つと印象づけるも、実際はそんないわれはない。
商売をする立場からすればひとつでも売れた方がいいだろう。そのために誇張することはよくある話だ。
だからと言って、偽物であることを隠してあたかも本物だと言い張って売るのは違う話だ。
「たとえ、偽物であっても私はあの湯呑の雰囲気は嫌じゃなかったのに、騙された事実は本物だったから」
美しいと思った品は偽りの言葉によって穢されてしまった。
「贈り物として見ていたから、余計に」
騙されるのが自分だけならまだしも、相手も騙された立場になってしまう。それも嫌だと望は感じた。
「そうか」
杏介は望の感情を肯定する。
「嘘つかれていい気はしないし」
「はい。……本当に素敵だと思ったから、余計に」
見るからに落ち込んでいる。しょんぼりとしている望に杏介はこれは相当気になっていたのだろうと気の毒に思う。
「それにしても、周は本当にすぐ気がつきましたね」
ぱっと手に取ってすぐに気がついた様子だった。さすがの審美眼だと望は思う。
「だよな。それだけ知識があるってことだ」
昔からそうだった。あの目のおかげで変な物を掴まされずに済んでいる。棗も高く評価しており、贈り物を見繕うときは周に相談することがよくある。茜に染物や飾り物の相談をされているところもある。
「本当に好きなんでしょうね。骨董市もそうですけど、美術館や博物館行ったときも楽しそうにしてました」
キラキラと目を輝かせて展示品を見ている姿は子供のようだと思うほどだ。
「望は退屈しないか? 俺には何がいいのかよくわからなくて、昔はあいつ放って遊んでたし」
初めは変わった物があって興味を惹かれるが、茶器や花入れなど、どれも同じように見えて段々飽きてしまっていた。退屈になってしまった杏介は周を放って賭場で遊んでいた記憶がある。
現代を生きる望からするとどこまで興味があるのか。一度張りつくと、周は時間も忘れてしまうほどにどっぷりと鑑賞に浸ってしまう。そんな周と一緒にいると望も飽きてしまわないかと思う。
「正直、良さはわからないです。ひとつ、ふたつぐらいは興味を持つ物はありますが、全てに興味は持てないので」
「それはそうだろう」
「それに、見るのも疲れますし」
ただ見ているだけなのに、やけに疲れてしまう。休憩スペースがあるのは本当にありがたいと思うほどだ。
「周に自分に合わせなくていいって言われるので、私は私のペースで見て、周が見終わるのを待ってます。無理強いされているわけでもないので、結構好き勝手してます」
「なるほど」
互いに互いのペースでいいと決めているのなら問題ないかと杏介は思う。
「周の解説聞くの、楽しいこともありますし。あ、ただ」
望は眉間に皺を寄せる。
「他にお客さんがいるときに当時を知っているからこそのことをぽろっと言うのは止めてほしいです。数百年前にこれが作られたときはこんな感じでね、とか、実際に持ってみると重かった、とか」
「あー……」
物によっては制作当時を生きてきているため、実際に見たり、場合によっては触ったことがある物もある。作者本人を見かけたこともあったりする。
「心臓に悪いです」
「そりゃあ、ひやっとする」
そんな話をしていると店の扉が開く。
「望ちゃん。あの湯呑いる?」
顔を覗かせた周は見慣れた穏やかな表情で望に問いかける。望が首を横に振ると周は身体を引っ込めて店内に向かって何やら言い放つと店から出て来る。
「やっぱり偽物だったか?」
「うん。よく出来ている方ではあったけど、濃淡のつけすぎだね。あと、ちょっと傷もついていたし」
まったく、と周は息をつく。
「ごめん、待たせた」
「いいや。それで、肝心の貘の情報は?」
杏介が問うと周は肩を落とす。
「なーんにも。やっぱり、ここでもあまり情報はないみたい」
店主曰く、貘のことを最後に見たのは随分前とのことだ。店員の猫又に至っては見たことすらなく、幻に近い存在と言っていた。
この店の者だけでなく、他の店の者にも尋ねたが、誰もが同じように答えた。
「ははーん。知ってるかもっていう話もデマだったってことか?」
「そうかもね。教えてくれたおじいさんも騙されていただけだと思う。ちょっと前まで貘と交流があったって言いふらしていたみたいだから」
周が厳しい言葉で問い質したところ、猫又の店主はあっさりと白状した。
店内の品だけでなく、情報も嘘だった。余計な時間と手間を取られたと周は疲労感に襲われる。
「事前に貘の今の状況がわからねーな」
「本当に。……でも、もう時間になるし、聞き込みはこれぐらいかな」
周は懐中時計を見ながら頭の中で時間の計算をする。これからが長くなる予定だ。
「望ちゃん、行けそう?」
「うん」
「よし、それなら早速行こうか」
気持ちを切り替えるように周は明るい声で望と杏介に声を掛けた。




