#5
歪んだ水の帳がさあっと開かれると煌びやかな光が視界に飛び込んでくる。
「欢迎!」
水の帳の先からかけられた声に望は息を呑む。
賑わう街並みは写真で見たことがある中華街の雰囲気と同じ。写真や映像で見たことのある異国の光景が眼前に広がる。
「你们好」
案内係と思われる女性に声をかけられた望は小さく会釈する。
「ニイハオ」
「ふふ。ようこそ、お嬢さん。そんなに緊張しなくて大丈夫。あ、そっちのお兄さんたちはちょっと荷物見せて」
「え?」
あまりに自然に耳馴染の言葉が飛び込んできたことと流れるような荷物検査を促す対応に望は追いつけない。
そんな望のことはさておき、案内係は望の両隣の周と杏介の腰の得物を見止める。
「護身用だよ」
「同じく」
そう言って周と杏介は女性に日本を出る前に渡された許可証を渡す。
「そうは言っても一応ね。……うん、ちゃんと申請してる。刀も見せて」
女性は他の案内係を呼ぶと許可証を渡す。周と杏介はその案内係に刀を預ける。
「すぐに返すから」
「はーい。じゃあ、確認している間に訊きたいんだけど、この辺で馬とか借りられるところってどこ?」
周はきょろきょろと辺りを見渡しながら尋ねる。街の出入り口というだけあって、行きかう者たちが多い。
「馬ならあっち。竜や天馬の貸し出しをしているところもあるし、場所によっては定期便もあるけど……。どこに行くの?」
「ここ」
そう言って周は地図を案内係に見せる。すると、案内係の顔がすぐに曇り、怪訝な眼差しで周を見る。
「……ちょっと、お兄さん。こう言っては何だけど、ここ、辺鄙なところ。とくに何かがあるわけでもないような場所を海外旅行に選ぶなんてどんなセンスしてるの?」
「すっごい直球なこと言うね」
周は眉を下げる。
案内係が言うように、この地は観光名所でもなければ都会でもない。あるのは豊かな山がある小さな村だ。
「でも、ここには野暮用があって。済ませてから観光する予定」
「ふーん……。もしかして、貘に会おうとしてる?」
案内係の言葉に一向の表情が変わる。それを見逃さなかった案内係は合点がいったように小さく笑うも、すぐに肩をすくめる。
「でも、会えないと思う」
「どうして?」
周は案内係に問いかける。
「貘の一族と会えたという話を聞いていないから。元から接触の難しい一族だけど、とくに最近は会えない。お兄さんたちが行こうとしている辺りにいるって噂があるみたいだけど、誰も会えていないんだって」
「へえ。何か事情があるのか?」
それとなく杏介が訊くと案内係は首を傾げる。
「私も詳しくは知らないけど、外の世界と距離を取ってるって聞いたことがある。昔、事件があったらしくて、それからちょっとずつ交流が減って、今は本当に限られた交流しかしてないらしい」
「事件って?」
杏介は引き続き尋ねる。
「さあ? 宝物が盗まれたとか、一族内で争いが起きたとか……。私も詳しくは知らない。昔はこの街でもよく見かけたけど、ある時を境にぱたっと見なくなったみたい。私が小さいときに二、三度見たぐらいで本当に知らない」
「宝物……」
ぽつりと周は呟く。嫌でも脳裏に蝶の姿がよぎる。
「お兄さんたちみたいに貘に会いに行くって妖は多いけど、会えたって話を聞かない。行くなら、相応の覚悟がないと、時間の無駄になりかねないよ」
遠いし、と案内係はこぼす。
「それはそうかい」
街の玄関口で案内係を務めるということは外の情報を多く持つはず。それなのに、彼女の耳には貘のことはほとんど入ってこず、どれも曖昧なもの。それぐらい、貘の存在を知る者も、姿を見たという話すら聞いていないということかと杏介は考える。
「ちなみに、限られた交流というのは?」
彼女は先ほどそう言った。つまり、貘と接点を持つ者がいるということだろう。その相手がわかれば詳しいことがわかるかもしれないと杏介は糸口を探す。
「私もそこまでは……。日用品の売買とかぐらいじゃない?」
「なるほどな」
本当にこの案内係は貘のことを知らない。案内係同士で話を共有する機会があるにしても、彼女は貘に関する情報を一切持っていないようだ。
「本当に貘の一族については謎だらけ。……会えるかわからないのに、それでも行くの?」
「謎だらけだろうが、俺らは貘の一族に会いたいから」
なあ、と杏介は周と望に同意を求める。
「訊きたいことがあるので」
望が答えると案内係は怪訝な眼差しを一向に向ける。
「俺らにも俺らなりの事情があるもんでね。話を聞かせてくれて、ありがとさん。それで、話は戻るが、ここに行くにはどの足を使った方がいい?」
にこにこと笑いながら問う杏介に案内係はため息をつく。
「……馬よりも、竜を使った方が楽。近くの街まで竜を使うことにはなるかな。そこから先はちょっとわからない。天候によって使える足が変わるだろうから」
「なるほど。なら、また向こうで聞いてみるよ。ついでに、一服するのにオススメの店あるかい? できれば、温かいものでも口にできるようなところ。この子、寒がりでさ」
杏介は望の肩に手を置く。わずかに身体が震えている望に本当にここから先も大丈夫だろうかと心配になる。
「それなら、この道を真っ直ぐに行って……」
案内係から道を聞く杏介の声に耳を傍立てながら、望は周を見上げる。眉間に皺を寄せて考え込む横顔に望は眉を潜める。
「……周?」
周は我に返ったようにぱっと表情を和らげて望を見やる。
「ん? どうかした?」
「私は何も。すごく考え込んでたけど」
「旅程のことをあれこれと」
この街まではとくに問題なく来ることは想定内だ。いつものように、渡し守に飛ばしてもらうことを数回繰り返してこの地に来た。
「ここから先が長いんだよね」
周は手元の地図を見て苦笑する。案内係の言うとおり、目的地は辺鄙な場所だ。渡し守に飛ばしてもらうことができないような地となると、別の移動手段を取ることになる。事前に調べていくつか考えてはいるが、季節柄天候に左右されるため、実際に行ってみなければわからないことが多い。
「周、刀戻ってきた」
案内係との話を終えた杏介は返された二振りの刀と共に二人の元へ戻ってくる。そして、周の刀を渡す。
「ありがとう。とくに問題なかったみたいだね」
「おう。許可証にもちゃんと判が押されてる」
何より、と杏介は許可証をしまうと望の肩を抱き寄せる。
「地図との睨めっこはさておき、その前にちょっと休もうぜ」
されるがまま抱き寄せられた望は眉をつり上げて杏介を見上げる。
「……」
「滅茶苦茶嫌そうな顔するじゃん、望。周もそんな顔するなって」
静かながらも嫌悪感を滲ませる望と鬼の形相の周の表情を順に見た杏子色はカラカラと笑い飛ばす。
「今、お姉さんから店聞いたから、そこで休憩も兼ねて旅程の確認もしよう」
「……そうだね」
わざわざ寒空の下、地図を広げて考え込む必要はない。望の吐く息の白さを見ると暖を取らせたいところだ。
「よし」
「その前に、杏介さん。離れてください。歩きにくいです」
望は杏介から離れようと身を引く。
「あーあ、振られちった」
「杏、早く案内して。寒い」
「周、お前……」
やれやれと肩をすくめた杏介は周と望に先立って歩き出す。
「……それにしても、本当に中国に来たんだ」
きょろきょろと辺りを見渡しながら望は呟く。煌びやかな赤や金を主とした建物の装飾や使われている文字がまさに中華街という印象を強くする。
「珍しい?」
「うん」
「日本とは違うよな」
杏介も物珍しそうに街を見渡す。杏介自身も外つ国の地に足を踏み入れることはあまり経験がない。久方ぶりの異国の景色に目が奪われる。
「確かに。それも、飛行機を使わずに」
いつも河童の渡し守が街を繋ぐように、この街まで来た。日本国内ならまだしも、海外も繋がるのかと疑心暗鬼になっていたところ、あっさりと繋がったことに驚く。
「あはは。パスポートもいらない、手荷物検査はさっくりする程度。人間界に比べると楽だろう?」
杏介の軽やかな言葉に頷きつつも、望は視線を下げる。
「……刀はさすがにちょっと引っかかってましたけど」
望はあっさりと通されたが、周と杏介は先ほどのように腰の得物について軽く問われていた。護身用だと答えれば、軽く確認をされ、許可証が発行されてすぐに二人も通された。
あってその程度。あまりの緩さに望は目が点になっていた。
「僕、一度でいいから飛行機乗ってみたいんだよね」
「あ、俺も」
「乗ったことないんですね」
この二人は割と人間界に溶け込んでいるため、一度ぐらいはあっても不思議ではないと望は思っていた。しかし、意外にも二人は飛行機に乗ったことがないらしい。
「飛行機使わなくても、楽に遠くに行く術があるから」
二人揃って同じことを言う。
今回の旅のように、渡し守に飛ばしてもらえる術があるため、飛行機に乗るという経験がない。むしろ、飛行機に乗るという手間を思えば、こちらを選んだ方が格段に楽で時間もかからない。
「ですよね」
「でも、乗ってみたいなあ」
「うん、俺も」
大空を飛ぶ鉄の翼を見ると乗ってみたいと思う好奇心が二人にはある。少年のように目を輝かせる二人に微笑みながら望は空を見上げる。少し雲がかかった空に鉄の翼とは違う、翼が広がる影が見える。
「……そう言えば、竜や天馬を使うみたいなこと、さっきの話に出てなかった?」
「そうなりそうだね」
のんびりとした口調で答える周に望の思考が一拍遅れる。
「え、竜や天馬って……つまり、ドラゴンやペガサス?」
「うん。翼を持つ生き物。そう言えば、望ちゃんは見たことなかったっけ?」
「ここに来て初めて見たけど……。本当にいるんだ」
今も、上空をドラゴンが飛んでいる。ファンタジーの世界から飛び出してきたそのままの姿の彼らは上空を飛んでいるため、姿は小さく見えるが、本当は大きな身体を持つ迫力のある存在なのだろうと思う。
「そりゃあ、貘も妖狐もいるんだから、竜や天馬もいるさ」
あっけらかんとした様子で杏介は言う。
「そうですけども……」
彼らがいる日常も当たり前となったものの、初めて見るものには驚かずにはいられない。
「望ちゃん、怖い?」
「怖くはないけど……」
移動の手段として調教されているのなら問題はない。空を飛ぶということに関しても、気にならない。
ならないのだが。
「二人はドラゴンやペガサスの手綱を引けるの?」
望にはできない。馬に乗るときは周に手綱を引いてもらっていた。杏介も馬に乗ることができる。
では、今回の旅の供となる彼らの扱いはどうなのか。ペガサスは馬とあまり変わらないのかもしれないが、翼の有無という大きな特徴がある。
「久しぶりだけど、まあ何とかなるよ」
「馬と似たようなもんだ」
二人揃って自信満々の返しが来る。
「そうですか」
「って言っても、俺は数えるぐらいしか乗ったことないんだけど」
あはは、と杏介は呑気に笑い飛ばす。
「え?」
「……まともに乗れるの、僕だけ?」
「そう言う周も長いこと乗ってないんだろう?」
「そうだけど……」
一族と共に暮らしていた頃、竜や天馬に乗ることが多かった。ある程度の歳になれば手綱を握り、自在に操ることができるようにと練習をした。
しかし、一族から離れ、日本で暮らすようになってからはほとんど乗っていない。何となく覚えてはいるが、誰かを一緒に乗せて飛ぶとなると不安が残る。
「……天馬にしよう。気性も穏やかな子が多い。馬と扱いは近いし、杏もすぐに慣れると思う」
手慣れた手法に近い方を選べばいい。そうすればとくに問題もないはず、と周は結論づける。
「逃げたな?」
「安全を取っただけ」
万が一にも落下や衝突が起きて怪我、最悪の場合、死に至るような危険がないようにすることが最優先だ。
「で、紹介してもらったお店はここ?」
周は看板を見上げる。小鳥が舞い飛ぶ姿が描かれた看板の店は賑わいを見せている。
「そう、ここ。美味い茶も菓子も出るらしい。望、ここでいいか?」
「はい。二人がよければ」
「なら、お邪魔しようか」
ほっと息をつけば冷えた身体に熱がじんわりと行き渡る。望はかじかんだ手と温かな茶器との間の温度差に思っていたよりも自分の身体が冷えていたことを思い知らされた。
「望ちゃん、顔色よくなってきたね」
「え?」
「寒さで白くなってた」
杏介に指摘された望は頬に触れる。触れた頬は少し冷たい。
「そんなにですか?」
「今までずっと外だったしね」
こうして屋内に入ってゆっくりとしたのは今ぐらいだ。
「旅程の確認もしたいところだし、ここでしっかり休もう」
周は一口茶を飲み、周は地図を広げる。
「ここまでは結構簡単に来られたけど、ここから長いよ」
周は現在地を指さす。
この街から次の街へは渡し守の力によって繋げてもらうことができない。とは言え、移動の手段はいくらかあるため、苦ではない。
「結局、天馬で行くの?」
望の疑問に周は、そうなりそう、と応じる。
「望ちゃん、高いのは平気? 三、四階建ての建物ぐらいの高さまで飛ぶけど」
「それぐらいは別に」
望からすると、思ったよりも低いという感覚だ。高所恐怖症でもないため、特段気にはならない。
「今更だけど、天馬って雪は平気なの?」
物語の世界ではドラゴンは火を吹く個体がいるため、寒さに平気な個体もいそうだと想像がつく。一方、天馬はと言うと寒さに強いイメージが望にはない。
「この辺の子たちは平気じゃないかな? 冬になると馬よりも天馬の方が活躍している印象があるし」
雪深い地域では雪をかき分けて走る馬よりも空を翔ける天馬の方が早い。
「まあ、風や吹雪が強いとかとなると話は変わるけど、次の街ぐらいまでは大丈夫だと思うよ」
「そうなんだ。わかった、天馬で行けるならそれで」
「じゃあ、天馬を借りる手続きをするね。で、この街まで目指す」
周は現在いる街から次の街へと指を滑らせる。地図上で見ると、距離は近いように見える。
「その距離なら一時間ぐらいで着けそうか?」
「途中で休憩をいれたいし、僕も杏も天馬の扱いに慣れることを含めると……。多めに見積もって二時間かからないぐらいだと思う」
「さっさと慣れれば一時間半ぐらいで着ける気がする」
「そうかも」
おおよその時間の計算ができ、問題は、と周の目が鋭くなる。
「次の街から目的の村までだけど……」
周はまた指を滑らせる。長いこと動いたその指を目で追った望は首を傾げる。
「天馬でそこの村まで乗っていけないの?」
この街で借りた天馬で目的地の村まで行けるのであればその方がいいだろう。しかし、周は首を横に振る。
「事前に調べた範囲でだけど、この街までしか借りられない。交渉できるのであれば、そのまま借りたいけど……」
「借りられる距離が決まってるんだ」
「一応。今は借りられない想定で話を進める」
上手いこと交渉できればいいのだが、事前の調べでは難しいだろうという推測が立っている。移動の手を押さえられないことを見越して話を進める。
「馬車とかを乗り継ぐことになる。乗り継ぎのために歩いたり、待ったりと時間がかかるんだ」
今回の旅の山場である。これが帰りもあると思うと気が重くなる。
何より、と周は表情をさらに険しくする。
「もっと寒くなるし、場所によっては道も険しい。望ちゃん、行けるかな?」
「寒いのは覚悟してるから。カイロいっぱい持ってきたし」
望は荷物籠にいれた鞄を見やる。持ち物は着替えや飲み物など最低限の物に加えてカイロを多めに持ってきた。
「険しいって言っても獣道を通るわけではないでしょ? それなら頑張る」
「うん。ただ、道の整備があまりされていなかったり、坂道だったりで体力勝負なところではあるけど、疲れたら遠慮なく言って」
「うん」
とは言っても、この旅はかなりの頻度で休憩が設けられている。こんなに休んで、悠長にしていていいのかと望は思うが、無理に急いだために体調を崩しては元も子もない。
「それじゃ、もう少し休んだら街を歩いてみるか。旅の目的はあれど、せっかくの旅だ。観光するのも悪くない」
な、と杏介は望に同意を求める。
「……いいの?」
望は周に尋ねる。
「情報収集も兼ねてちょっとぐらいは。ほら、望ちゃんも見たいものあるでしょ? 楽しまないと」
「うん」
望ははにかみながら応じた。




