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夢屋 胡蝶  作者: 真鶴 黎
第九夜 心の在処を周る詞華
76/88

#4

 これ以上ないほど深い紺色は冷たい印象を抱くが、袖を通してしまえば不思議な力と温もりを望に与える。


「何回見てもすごいな、この服……」


 望は姿見で己の恰好を見る。

 篁が旅装束にと用意してくれた外套。袂や文様などは和の装いを思わせるが、ボタンやフードがついているところを見ると洋装にも見える。和洋折衷の外套だ。

 そんな外套は紺色や白銀、薄い青色と冬景色を思わせる色合いでまとめられている。フードには厚みがあり、被れば風や雪の冷たさから守ってくれそうだ。膝下まである丈に、垂れ下がる袂があるにも関わらず軽く、動きやすい。


「この染め? なんてとくに」


 望は腕を持ち上げて、外套の袂を見やる。袂には蝶や月を模しているような意匠が染められている。また、裾にも同様の意匠が施されている。

 冬の凛とした月夜に舞う蝶の光景を切り取ったようだ。冬に蝶が飛ぶというのも異様ではあるのだが、その異様さが幻想的とも言えるのかもしれない。


「……」


 見事。この一言につきる。正直、ここまでしてもらっては気遅れしてしまう。

 動きやすく、温かく、そして、人の気配を消せるように。そう言って篁が用意してくれた衣は文句のつけようがないほど完璧だ。


「……これ、いくらするんだろう」


 お金は、と望が訊ねたところ、気にするなと一蹴されてしまった。見るからに高価そうな装束を汚さずに帰ってこられるか不安になる。

 お土産を買って帰る。絶対に。

 そう望は決めている。

 よし、と望は意を決して荷物を手に部屋を後にする。玄関先へ向かうと、すでに支度を終えた杏介、そして、見送りの棗、茜、直人が待っていた。


「お待たせしました」


「んー、まだ時間あるから」


 のんびりと杏介が応じる。そんな杏介の恰好も旅仕様で、いつもよりもきっちりと着こんでいる。ぱっと華やぐような装いを好む杏介にしては地味な服装だ。薄朽葉色や狐色といつもよりも渋めに見える。


「あら、望ちゃん、とっても素敵!」


 茜の胡桃色の瞳がキラキラと輝く。


「ありがとうございます」


「たまに茜姉ちゃんがしてるふぁっしょんと一緒だ」


 直人はしげしげと望の恰好を見ている。

 休日、茜が和装とも洋装とも言えない恰好で出かけている。不思議な組み合わせ方をすると思いながらも、時々彼女が持ってきてくれる土産を楽しみにもしている。


「望ちゃん、今度、その恰好でお出かけしよう!」


「え、あ、はい」


 茜に勢いよく手を取られた望は条件反射で応える。


「ところで、周は?」


 周の姿が見当たらない。まだ着替え終わっていないのかと思った望は奥の方の部屋を見やる。


「ああ、あいつなら……お、戻ってきた」


 噂をすれば、と戸の方へ向けられた杏子色に望も続く。暖簾をくぐって現れた周の姿に望は目を見開く。


「ただいま。望ちゃん、着替え終わった?」


 そう尋ねる周は墨よりも濃い黒をまとっている。帯と刀の鞘の深い緋色のおかげで、多少なりとも重苦しさは軽減されているように見えるも、同じように黒をまとう篁とは異なり、どことなく暗く、重い印象を抱く。

 望は眉を潜める。


「えー、ちょっと、そんなに可愛いと僕心配になるー」


 服装の重苦しさとは裏腹に、周の口調は軽々しい。


「……周、いつもと雰囲気違うね」


「どう? 似合う?」


 そう言って周は腕を広げる。外套から覗く衣も黒く、文様ひとつない。あまりにも簡素なその装いに望は視線を逸らす。


「似合ってない」


 絞り出すような声で否定された周は眉を下げる。


「そんなあ……」


「周らしくない」


「そうかな? ちょっとしたイメチェンだよ」


「だからって、そんな」


 喪服みたい。そう思ってしまった望は言葉を飲みこむ。

 命の終わりを意味する単語がよぎり、望はさらに顔を顰める。


「こっぴどくふられたな」


「ものの見事にふられたねー」


「そこの二人、聞こえてるんだけど」


 こそこそと話す杏介と直人に周はむすっとしながら指摘する。


「周兄ちゃんがそれでいいならいいんだけどさ」


 直人は立ち上がると望に駆け寄り、懐から小さな包みを取り出す。


「望姉ちゃん、これあげる」


 望はしゃがんで直人から包みを受け取る。それは手作りのお守りだった。桃色の可愛らしい布地に黄色の紐がつけられたお守りはお世辞にも上手に縫ったと言えないものだが、丁寧に作られたことが窺える。


「直人君が作ってくれたの?」


「うん。下手くそだけど、効果はあると思うから」


「効果?」


 望は首を傾げる。


「中に桃の木の欠片と乾燥させた桃の実が入ってる。昔、杉の神様と白鷺の神様から教えてもらったんだ。桃の木には悪い者を追い払う力があるって」


 二柱の神が生まれるよりも遥か昔、ある夫婦となった神々の物語においても桃の破邪退魔の力が発揮されたとも聞いたことがある。


「ありがとう、直人君」


「へへ」


 直人は照れくさそうに笑う。


「何かわかるといいね、望姉ちゃん」


「うん」


 ほのぼのとする二人を眺めた杏子色は懐に視線を落とす。懐に手を入れ、小さくて柔らかな布地を取り出す。濃い紫色の不格好なお守りだ。この紫色は昔、野山を駆け巡った際に見かけた山葡萄の実の色を思い出させる。

 杏介も周も直人からお守りをもらった。不揃いな縫い目に頑張ったのだろうと思うと微笑ましい。


「望が桃で、俺は蒲子(えびかずらのみ)……となると」


 見上げられた杏子色に応えるように周も懐からお守りを取り出せて見せる。こちらは瑞々しい若竹色のお守りだ。


(たかむら)……だろうね」


 渋りながら言う周に対し、杏介は笑いをこらえるように口元を押さえる。


「杏」


「いや、わかってるけども……」


 杏介は久しく会っていないが、どうしても同じ響きの名前の冥官の顔を思い出してしまう。


「直人に他意はないって」


「わかってる。わかってるけども……」


 どうしても彼の御仁の顔がよぎって仕方がない。周はため息をつく。


「篁卿のことじゃない。ゲン担ぎだ」


 蒲子も笋も太古の神々の物語に登場した植物だ。悪しき者たちを退けた植物とされている。直人は篁のことを知らないのだから、他意はないはずだ。


「わかってるって」


 杏介はくすくす笑いながらお守りをしまう。慣れないながらも、頑張って作ってくれただろうお守りの加護に期待する。


「直人君、一人でお守り作ったの?」


 望はお守りを大事に両手で持ちながら尋ねる。


「まさか! 茜姉ちゃんに教えてもらいながらだよ」


 こうして自分で何かを縫ったのは今回が初めてだ。針を持ったこともない直人が一人でお守りを作るのは無理だ。だから、茜に協力を仰ぎ、仕事終わりや休憩の間に作った。


「でも、発案は直人君だよ」


 ね、と茜は直人に微笑みかける。

 旅に出る三人に何か贈りたい。翡翠色の隻眼の意志の強さに茜は応じたまでだ。


「三人とも、無事に帰ってきますようにって」


 茜は周、杏介、望と順に視線を送る。


「ちなみに、私はお守りの紐を作りました!」


「え? こちらの紐、茜さんが?」


「そう。まあ、作ったと言っても、紐を組んだだけなんだけど」


 茜が父と兄と暮らしていた頃、組紐を街へ卸していたことがある。今もたまに紐を組み、自分の余所行きの装いに使うこともある。


「ありがとうございます」


 望はお守りを両手で包む。


「あ、そうだ、望姉ちゃん」


 ちょっと、と望は直人に手招きされる。望は直人の口元に耳を寄せる。こそこそと囁かれる直人の言葉に望は眉を潜める。


「……まあ、そうだよね」


「ごめんくださーい」


 そんなやり取りの最中、日輪の暖簾をくぐる男がいた。


「おう、来たか」


 棗は男の応対をしようと彼に歩み寄る。


「どうも、棗先生。お時間、大丈夫でしたか?」


「ちょうどいい時間に来てくれた」


「それはよかった。では、こちら、ご注文のお品です」


 そう言って男は棗に包みを渡す。


「ありがとな。また頼む」


「ええ、こちらこそ。今後ともご贔屓に」


 男は愛想のいい笑みを浮かべ、一同に会釈すると去っていく。


「先生、それ……」


 杏介は目を輝かせながら棗に近寄り、包みを見つめる。見慣れた赤茶色の包み紙の中身に期待する。


「旅路に食事は欠かせんだろう。握り飯を頼んでおいたから、持って行け」


「よっしゃ! 先生、ありがとう! 俺、ここの弁当好きなんだよ」


 ほら、と杏介は周を手招きする。周も嬉しそうに笑みを浮かべる。昔から満月医院が贔屓にしている弁当屋で、周も杏介もこの店の弁当が好物だ。とくに、多忙を極める時期の数少ない楽しみである食事にこの弁当屋の握り飯を食べるときが至福のときだった。


「先生、ありがとうございます」


「いいってこと」


 棗の円らな瞳が周を捉える。


「周」


「はい?」


「帰ってきたら、美味いもの食わせてやる。もちろん、望も」


「私も?」


 きょとんとする望の隣で、いいなー、と直人が羨ましそうにする。


「えー、先生、俺は?」


 口を尖らせる杏介に棗は仕方なさそうに息をつく。


「わかったよ、杏介もついでに」


「ついでですか、俺」


「ああ」


「ひっでーな、先生」


「チッ……」


「うわ、舌打ちしたよ」


 えーん、と泣き真似をする杏介を放って棗は周に向き直る。


「だから、帰ってこい」


 鋭さを帯びる円らな瞳に周は苦笑する。


「先生は心配性ですね」


「心配させてるのはお前だ、馬鹿」


 棗は周の脚を蹴る。蹴りは痛くないのだが、周はわざとらしく顔を顰める。


「帰ってきたら、必ず、俺のところに顔を出せ。這ってでも、絶対に」


「もう、どれだけ心配しているんですか。先生こそ、約束守ってくださいね」


 細い目をさらに細めて笑う弟子に棗はまたも舌打ちする。

 のらりくらりとかわされている。あまりにも明言しないその態度が棗は嫌なのだ。

 となれば、と棗はもう一人の弟子を睨む。


「おい、杏介。周と望のこと、頼んだぞ」


「言われなくとも」


 口ぶりは軽いが、芯の通った杏子色の目に棗はひとつ頷く。


「望」


 真剣な声音で呼ばれた望は背筋を伸ばす。


「常盤街の者たちはお前の素性を知っていて、友好的に接する者も多い。だが、旅先は常盤街(ここ)とは違う。それも海外となると、また様子も違う。篁公から人間である気配を消す衣を贈られたとは言え、見抜く者がいるかもしれない」


 大陸の人ならざる者。棗は昔海外に行ったことはあるものの、数える程度。言語や文化の壁が立ちはだかると同時に、治安の問題もある。

 篁から贈られた衣は確かに望の強い霊力や人間の気配を隠している。だからと言って、安全とは言い切れない。


「人間だと見抜かれなくとも、姿形は若い娘だ」


 若い娘というだけでなくとも、目をつけられる危険性がある。それも、己を守るための術をこれと言って持ち合わせていない娘は餌食になりやすい。


「十分気をつけなさい」


「はい」


 望ははっきりと応じる。


「周か杏介がいれば虫よけにはなるだろうから、離れないように。こいつらはちゃらんぽらんで、馬鹿な奴らだが」


「先生、僕はまともですー」


「いいや、俺の方がしっかりしてるしー」


 謎の張り合いをする周と杏介に棗は拳骨を振るう。鈍い音に茜、直人、望は目を瞑る。


「黙れ。そういうところだ、馬鹿どもが」


 鈍い音のとおり、二人して脇腹を痛める姿に茜と望は同情する。


「こんな奴らではあるが、力は確かだ。守ってもらいなさい」


 手のかかる問題児。以前は好き勝手して、他者に迷惑をかけてきた常盤街の厄介者だった。今となれば、かなりまともになった。

 そんな二人の実力は昔から確かだ。棗よりも遥かに強い力と武術を兼ね備えている弟子なら望を守ることができるだろう。


「はい」


「うん、よろしい。さて、俺は戻るとするか」


 棗は診察の合間を抜けて顔を出しに来た。頼んでおいた弁当も届き、伝えたいことも伝えられた。

 聞きたいことを聞けなかったことは納得できていないことは心残りではあるが、時間も時間だ。


「先生、お忙しいところありがとうございました」


 頭を下げる周に棗は目を細める。


「ちゃんと帰って来いよ」


 顔を上げた周は笑顔で応じる。胡散臭い笑みの裏に悲しみが見えてならない。

 笑えと言ったのは自分だが、その笑顔を仮面にしろとは言っていない。やはり納得がいかないが、これ以上周に言い聞かせるにしても時間がない。


「杏介、頼んだぞ」


 任せるしかない。棗は杏介に言いつける。


「何回念押しするんですか。もちろん、ちゃーんと用心棒しますって」


「望も気をつけて」


「はい」


 棗は手を振りながら身を翻して日輪を出ていく。


「……先生、すっげー心配してんな」


 直人は棗の音が消えると口を開く。

 棗の音は基本的に一定だ。時々早まることはあるが、それは緊急を要する患者が運び込まれたときや忙しいときぐらいで、平時は落ち着いている。

 それが今日の棗の音は少しざわついていた。表面上は普段どおりなのだが、彼から聞こえる音は普段と異なっていた。

 誰かを案じる音。それも、大切な存在のことを思う音。杉の神や白鷺の神からよくしていた音に似ていた。


「そうだね。やたら念押しして」


 茜としても棗の様子に違和感を抱いた。しかし、その姿にどこか懐かしさを覚えた。


「独立したと言っても、周さんも杏介さんも先生のお弟子さんに変わりないということでしょうね」


 茜が常盤街に来たとき、周は独立していた。周が顔を出すと棗は飯を食っているのか、ちゃんと眠れているのか、ととにかく案じていた。

 杏介が独立するという話が出たとき、何をするのか、どこを拠点とするのか、独立した後も仕事はきちんと来ているのか、食っていけるのかと畳みかけていた。


「あー、やっぱり?」


 杏介は苦笑する。


「俺も周も独立するって言ったときもあれこれ言われたしな」


「そうだったね」


 独立するならさっさと行け、やっと手が空いて楽できる、などと言いながらも、困ったことがあったらいつでも言え、と不器用な優しさを見せた。


「今も大変お世話になっているわけだけど」


 周は苦笑する。

 いつも以上に念押しする。強い口調で、必ず、絶対に、と圧を掛ける。その上、約束までもする。帰って来させるという強い意志を感じた。

 心配をかけている。それはわかっているのだが。

 情けないと思う気持ちを振り払うように周は頭を振る。


「はは、それはそう」


 杏介は天井を見上げる。


「さっさと帰ってきて、先生に飯連れて行ってもらおうぜ。心配性の先生の気が変わらないぐらい早く」


 帰ってきたら飯でも食おう。労いの意味が込められているだろうが、これがただの誘いなわけがない。

 わかっているだろう、と問うように杏子色は腐れ縁を見やる。細い目を伏せながら、腐れ縁は淡い笑みを浮かべる。


「……少し早いけど、行こうか」


 周は壁掛け時計を見上げる。時刻は十時前。移動に丸一日はかかる予定だ。


「いいかな?」


「俺はいつでも」


「私も大丈夫」


 周は杏介、望の順に見るとひとつ頷いた。


「じゃあ、出発だ」

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