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夢屋 胡蝶  作者: 真鶴 黎
第九夜 心の在処を周る詞華
75/88

#3

 そっと襖を開けて中を覗く。ただただ静かな部屋で、すっと背筋を伸ばして周が座っていた。研ぎ澄まされたような静けさを放つ周の手には刀が握られている。刀は今の彼と同じで、刃をすらっと天へと伸ばしている。


「……」


 声をかけようにもかけられない不思議な気迫。引き結ばれた口は懐紙を銜え、むらなく打粉をかけている。穏やかながらも、張りつめた空気に望はらしくもないと思ってしまう。

 貘の一族への訪問まであと一週間。旅支度は順調に進んでいると言える。それと同時に緊張感が高まっているようにも思える。


「……ん」


 細い目が望を捉える。いつもどおりの、穏やかな眼差しだ。

 周は刀を置くと、望を手招きする。望は静かに身を滑り込ませる。


「今、よかった?」


 望の問いかけに周は目を細めて頷くと、手入れしている刀から離れるように膝進し、口元の懐紙を手に取る。


「どうしたの?」


「旅のことで話があって……。そんなに急ぎではないんだけど、この後時間ある?」


「いいよ。手入れが終わってからでもよければ」


「うん」


「ちょっと待っててね」


 そう言って周は刀の傍へ戻る。

 行燈の頼りない灯は周の表情をはっきりと見せない。それでも、真剣な眼差しであることはよくわかる。


「……」


 周が刀の手入れをする場面を何度か見たことはある。初めて刀の手入れを見たとき、手入れついでに鑑賞するのがいいんだよ、と周は言っていた。手入れのときも、鑑賞するときも、言葉を発さずにじっくりと時間を過ごしているところを見ると、本当に好きなのだろうと思った。後に、刀を見ているときに話さないのは、唾が刀身に飛んで錆びないようにするため、だから、懐紙を銜えて手入れする、など聞いた。

 手入れと鑑賞はセット。そう感じた望だが、今の周の様子は違う。

 (美術品)の鑑賞の時間ではなく、(武器)の手入れの時間。いつも入念に手入れをしているのは知っているが、いつも以上に丁寧に見える手つきはまるで、きちんと切ることができる武器であることを確かめているようだ。

 煌めく白銀が拭きあげられる。冬の月のように凛とした輝きの刀身を見つめる目は険しい。戦いの道具としての鋭さを帯びる刀に望はぞっとする。

 杏介曰く、細身の刀で加減を間違えると手から抜けてしまいそう。確かに、杏介が持つ刀に比べると周のこの刀は細い。一度、杏介の刀と周の刀を持ち比べてことがあるが、周の刀の方が想像以上に軽かったのを覚えている。また、近くで見る優美な姿にこの刀は本当に斬ることができるのかと不思議に思った。

 その刀が武器としての姿をちらつかせている。鋭利な切っ先を向けられてしまうと身動きが取れなくなってしまいそうだ。

 そんな刀身もしばらくすると白鞘に収められる。簡素な鞘に収まってしまえば、あの鋭利な刀身の気迫もなくなる。


「……よし。望ちゃん、お待たせ」


 周の雰囲気も柔らかくなる。


「ううん」


 望は内心ほっとする。緊張感の漂う空気がすっとほどけたようだ。

 さて、と周は膝行し、望の対面に座る。


「話って?」


「あのさ、こんなことを今更訊くのもあれなんだけど」


 周は首を傾げる。


「本当に貘の一族に会いに行くってことでいいのかなって」


 ここまで話が進んでおいて今更な質問である。

 周は目をまばたかせると、一拍置いた後に応える。


「それでいい。……貘の一族を頼ることが最善だから」


 周が一番よく理解していることだ。その最善策を見て見ぬふりをしてしまったがために、ここまで長い時間を使ってしまった。


「でも、周はあまり会いたくないんでしょ?」


 望にずっと言わなかった。それは過去の傷があるから。それを思うと気乗りするわけがないことは望にもよくわかる。


「それはそうだけど……」


 蘇るのは容赦なく突き刺さる冷たい視線と言葉。どれだけの時を経ても、周の記憶から消えることのない痛みだ。


「用が済んだらそれでおしまい。さっさと帰ればいい」


 目的は望のことであって、仲直りのために一族と会うわけではない。だから、望の体質のことを聞き出せたのなら、目的は達成される。


「ただ、これはその場ですぐに解決できたらの話だけど」


 周は苦笑する。その場ですぐに原因や解決策が出てきて、望の悩みが解決されたら、周たちは帰ることができるだろう。

 問題はそうでなかったときの場合。時を要するとなったとき、望だけでなく、周たちも拘束されてしまう。

 それと、と濡れ羽色に身を包む長身の男のことがよぎる。望の命にもかかわる事態となっている。

 一族との因縁のことも、望に残された時間のことも考えると一族がいる場に長居したくないと思ってしまう。


「僕のことはあまり気にしなくていいから」


 冥府のことはともかく、一族との確執は周の個人的な部分だ。望には関係のないことだ。


「……」


 望はじっと周を見つめる。物腰柔らかな笑みは儚く、消えてしまいそうだ。

 いつかの花火のにおいがする夏の夜のときみたい。奇しくも、今二人がいるのはあの日、周が酔い潰れていた部屋だ。


「話したくないなら、話さなくていいんだけど」


 望はそう前置きをする。


「周は一族から追放された日のこと、夢に見る?」


 望の問いかけに細い目が揺れる。しかし、その揺らぎを見せまいとするかのように、目が閉ざされる。


「見るよ。何度も、嫌というほど」


 忘れたくとも忘れられない。こびりつく嫌な記憶は薄れることすらなく、安らぎの時の中であっても姿を現す。


「僕が悪いのだから。償うこともできない僕に対する罰だとして受け止めるだけさ」


 二度と姿を現すな。そう言われて周は追放された。それも罰であり、繰り返し見る夢も罰である。周はそう受け止めて生きてきた。

 あの無慈悲な視線も全て背負うしかない。そう決めた。


「一族と顔を合わせて、どんな対応をされるかわからない。それでも、招かれたという事実があるのならば、望ちゃんの付き添いとして行く。ただそれだけ」


 周は言い聞かせるように言葉を紡ぎ、ゆっくりと目を開ける。不安そうにこちらを見つめる水鏡に困ったように笑みを浮かべる。


「僕のことは気にしなくていい。だって、僕は彼らに赦してくれと頭を下げに行くわけではなく、望ちゃんのことをどうにかできる術を知らないかと尋ねる交渉役なのだから。……同胞として会いにいくわけではない」


 縁は切られている。貘の一族と周は同胞ではなく、部外者。周はそう認識しているつもりだ。


「僕は過去のことを言うつもりはないよ」


「……向こうから言い出したら?」


「そのときはそのときの身の振り方をする。ああ、でも、ひとつだけ、過去のことを訊きたいと思うことがある」


 嫌というほど夢に見る記憶。槿が言っていたことで、たったひとつだけ、周が追放された後のことを知りたいと思うことがある。


「両親のことだけは聞きたい」


「周の両親……」


 望は周の家族について、話を聞いたことがない。せいぜい一人っ子ということしか知らない。一族のことをずっと隠されていたのだから、家族のことを知る術もなかった。


「僕のせいで苦労をかけた。最期を見届けることもできず、親不幸になってしまったから」


 周の口ぶりから望は周の両親の現在を察する。


「……そっか」


 とくに言及することのない望に周は眉を下げる。


「本題から逸れてしまうけど、ちょっとだけつき合ってもらっていいかな?」


「うん。周が知りたいと思うなら」


「ありがとう」


 周は深呼吸をすると、頬を軽く叩く。


「よし! 出発まで近いことだし、万全の準備をしないとね」


 周は立ち上がると刀と手入れ道具をまとめる。


「そう言えば、篁卿から旅装束が届いたって杏から聞いた?」


 望のために人の気配をできるだけ消せて、かつ、防寒にも優れた装束を用意させている。篁からの申し出があり、周から頼んでいた。それが今日の昼頃に日輪に届けられた。


「うん。サイズもよかった」


「え!? 着たところ、見たかった……」


 周はわかりやすく落胆する。


「いや、一週間後には着るし……」


「そうだけど!」


 もう、と子どものように頬を膨らませる周に望は眉を下げる。


「そんな、ファッションショーするんじゃないんだし……」


「篁卿に素敵なの見繕ってくださいってすっごいお願いしたんだよ!? ぜーったい似合うし、素敵に決まってるよ! そうじゃなかったら、僕、篁卿のところにカチコミに行くもん」


 ぐいぐいと来る周に望は引きながら、視線を逸らす。


「カチコミは勘弁して。綺麗な服だったから」


 シンプルながらも、細かな意匠の衣だった。寒がりな望に気を遣ってか、熱を逃がしにくい素材で仕立てられていた。そのおかげか、特段厚着となるわけでもなく、動きやすいもので望としてはとてもありがたく思っている。


「本当?」


「うん。人間界で着るにはちょっとハードル高いかもしれないけど、妖界で着るにはちょうど良さそう」


「まあ、篁卿ともあろう人が変な衣を贈ることはないと思うけども」


「それはそう」


 連絡を取り合っているとは言っても、篁と服の好みの話をすることはない。朱莉との会話であれこれ話すことがあり、彼女から聞いたのかもしれないと思った。それでも、あそこまで望が好むような意匠の衣を用意してくれたことは篁のセンスもあるだろう。


「え、篁卿に嫉妬しちゃう」


 篁の美的感覚について、周は疑わない。むしろ、信頼しているぐらいだ。

 だが、篁と望の関係を思うと、そこまで望の好みに合う物を選べるほどの関わりがあるだろうか。

 信頼している。しかし、自分よりも関わりの浅い篁が望好みの衣装を用意した。それも、できることなら人間界でも着ることができれば、と望が言うぐらいだ。


「は?」


 静かに篁に嫉妬している周に対し、望はひどく冷めている。

 何を言っているのだ、という望の直球な嫌悪に周の表情がみるみる内に絶望へと変わる。


「何で!? 僕の方が望ちゃんのこと知ってるもん!」


「つき合いの長さはそうだけど……」


「そうでしょ? 僕だって、望ちゃんの好みわかってるし。いいや、むしろ、僕の方がわかってる!」


 何を張り合っているのだろうかと疑問に思いながらも望は冷めた表情を周に向ける。


「周、気持ち悪いよ」


「気持ち悪いと言われようが、僕の方が望ちゃんのこと知ってる!」


「……」


 憤る周に対し、望は顔から表情を消す。


「服の好みのことで言えば、すっきりした系が多いのは言わずもがなだけど、小物は意外にもふわっとしている物が好き。冬になるととくにそうだよね。あと、寒色が好きなんだろうけど、僕としては淡い色合いの暖色系統もよく似合うと思う。ほら、いつかのお花見のときに見立てた衣装! 望ちゃんはらしくないって言ってたけど、僕はよく似合ってたと思う! 袴の褪めた桜色が奥ゆかしさを引き立たせていて、僕天才だと思った。いや、僕の見立てがどうこう関係なく、望ちゃんは何を着ても似合うんだけどね。それはわかってるんだよ。自然の摂理だもの。それから」


 ペラペラと語りだした周を制するように望は手を挙げる。


「あの、本当に気持ち悪い。生理的に無理って言われるのが嫌なら、それ以上何も言わないで」


 周の審美眼は確かなものだ。だが、何を言っているのか理解に苦しむ。自然の摂理なんて言い出して訳がわからない。

 さらに直球な望の物言いに周は膝から崩れ落ちる。


「やめて……。そんなこと言われたら、僕、死んじゃう」


 周はぐすぐすと明らかな嘘泣きをしている。

 そんな周を見下ろしながら望はため息をつくも、どこか懐かしさを覚えるやり取りに望は表情を綻ばせる。

 ここ最近は思い詰めたような様子の周ばかり見ていた。そのため、こうしたおふざけのような、茶番のようなやり取りを久しぶりだと感じる。

 周が中々気持ち悪いことを言ったのは事実で、なかったことにはできない。それは置いておき、以前はよくあったこのやり取りの空気感がまた当たり前になってほしいと少しばかり思う。


「望ちゃーん、僕を嫌いにならないでー」


 えーんえーんとわざとらしく泣き真似をする周にやっぱりなしだと望は思いながら深々とため息をついた。

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