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夢屋 胡蝶  作者: 真鶴 黎
第九夜 心の在処を周る詞華
74/88

#2

 ふうふうと生姜湯に息を吹きかける望の鼻や耳は赤い。指先まで服の袖で覆われている。


「寒くなってきたな」


「本当に……」


 杏子色の目を細めながら言う杏介に望は同意する。


「今年も望が着こむ季節になったか」


 コート、手袋、マフラーと完全防寒の望を見ると冬を感じる。室内のため、防寒着は脱いでいるものの、寒がりな彼女の傍では火桶が暖を送っている。


「私のこと、冬の風物詩だと思ってます?」


 むっとしながら望は問う。


「まあ、ちょいとな」


 杏介は肘をつく。杏介だけでなく、棗や茜も望が着こむと冬だと感じると言う。狐、鼬、兎と獣の姿をとる自分たちの毛が生え換わるように、望が厚着になるところに親近感を抱く。


「ふくら雀みたい」


「ふくら雀?」


「ほら、冬になると丸っこい雀いるだろう?」


 こんなの、と杏介は懐から葉を取り出すと宙に投げる。木の葉はひらひらと舞うと机に着地すると同時にまん丸な雀へと変化する。


「可愛いですよね」


「な」


 杏介は雀の頭を撫でる。


「……着ぶくれしていると?」


「そういうわけじゃない。頑張って寒さを耐え忍んでいるなあって」


 なあ、と杏介は雀に同意を求めるも、雀は首を傾げる。

 確かに、冬以外の望の服装は気軽な恰好が多い。人間界ではカジュアルと言われる格好で、すっきりとしている。

 そんな望が冬になると重装備になる。あれほどさっくりとした服装を好む望が熱を逃がさまいと服を着こむため、もこもこしているように見える。

 それこそ、同じように冬を過ごすふくら雀のようだと杏介は思う。


「羽が換わるんですか?」


「いいや。羽の中に空気の層ができて暖を蓄える。だから、こんな風にころんとした姿になるらしい」


「へえ……」


 チュンチュンと愛らしく鳴く雀に望は表情を和らげる。


「可愛い」


 ふっくらとして温かそう。両手で大切に包み込んで、その温もりを感じたいと思わせる。


「触っていいぞ」


「いいんですか?」


「もちろん」


 ほい、と杏介は雀の背を押す。雀はぴょんぴょんと跳ねて望の元まで来る。望は湯呑を雀から離れたところに置くと、そっと雀の頭に触れる。ふんわりとした触り心地は心地よく、温かい。冷えた指先にじんわりと温もりが伝わってくる。


「ふわふわですね」


 雀は目を細めながら望に身を任せる。


「おう。そうやって、ふくら雀は福を蓄えるってな」


「ふくら雀の“ふく”って幸福の福なのですか?」


 ふっくらしているという意味かと思っていた望は聞き返す。


「福が来るで福来雀、福に良い、悪いの良いに福良雀って書くこともある。豊かさの象徴とされるな。あと、帯の結び方にもふくら雀ってあるんだ。成人式で振袖着てる子の中にもいたと思う」


「縁起物ですね」


「そういうこと」


 そう言えば、と杏介は望の鞄を見やる。


「篁卿のお守りとやらの効果はどうだ?」


 彼女のバッグの中にはお守りが入っている。以前、篁の式神が持ってきたお守りを杏介も見た。松と月が刺繍されたお守りだ。

 望の身を守る。悪しき者を祓い、望の霊力を押さえ込む役割を持つとして常に持ち歩くなり、身につけるなり、指示されている。


「とりあえず、深夜に出歩くことはなくなりました」


 篁より贈られたお守りにより、夜中に外を出歩くことはなくなった。周からも望の力が少し弱まったと言われるぐらいには効果があるみたいだ。


「でも、部屋の中を歩いているみたいなんですけど」


 現在、夜は周の元で過ごしている。お守りを枕元に置いて眠るようになってからは外を出歩くことはなくなったものの、時々部屋の中を歩き回っているらしい。結界としての役割も果たしているため、歩き回ると言っても部屋の中で済んでいる。寒さで目が覚めたら床で横になっていることが多々ある。


「まだ外を歩き回るよりかはマシか」


「一応、夢屋にも結界を張ってはいるので簡単には出られないみたいですけど」


 夜の夢屋には結界が張られるようになった。結界用の札が送られた日の夜、周と一緒に結界の効果を確かめた。扉に手をかけると、手が弾かれるようになっていた。

 お守りと結界用の札の二重の結界により、望は眠っている間に外へ出ることがなくなった。


「そうか。とりあえず、夜の間の身の安全は確保されたな」


「はい。ですが……」


 望は視線を落とす。そんな望の表情を窺うように、雀は顔が上げる。


「夢への干渉は制御できなくて」


 お守りがあるとは言っても、そこまでは制御しきれていない。目が覚めると、夢玉を握っていることがしばしばある。


「今のところ、植物が見ている夢ばかりなのでそこまで刺激の強い夢ではないのが救いかなと」


 望が生成する夢玉の内容から、夢屋近辺に植えられている植物が見る夢を形にしていることがわかった。そこから、望の夢への干渉は望の近くにいる生き物に限られるのではないかという推測が立てられた。


「ああ、それで、最近周がやたらと花を買ったり、貰いに来ているのか」


 周は店に飾るために常盤街で花を買うことがある。杏介の伝手で、園芸が趣味の妖を紹介したこともある。

 周が花を買ったり、分けてもらうことは普通のこと。ただ、その頻度が増えたように思っていた杏介は納得がいく。


「はい。近くに植物を置いておけば、そちらに夢の干渉を誘導できるのではないかって」


 実際、その誘導は上手くいっている。


「制御はできませんが植物の夢に誘導するという方法で一応落ち着きました」


「そっか」


 杏介としてもほっとする。京都で関与してしまった夢の件があり、眠れなくなっていた望が今はちゃんと眠れているのか、心配していた。だが、顔色が戻ったところを見ると眠れているようで、ほっとした。根本の解決とまではいかないが、気分が少しでも軽くなったのなら一安心といったところだ。


「ただ、夢屋にお花が溢れ返ってしまっているんですけど」


「あー……。一昨日だったか? 周、腕一杯に花抱えてたからな」


 貰いすぎちゃったから日輪にもあげる。そう言って、周が顔を出してきたことは記憶に新しい。腕一杯どころか、前を見るのも難しいほどに花を抱えていた周に杏介は目を丸くした。


「あれでも結構捌いたはずなんだけど……」


 こちらも杏介の伝手で花を配ったのだが、それでも余るほど花が残り、周は人間界へと戻っていた。


「ええ。夢屋の常連さんにも分けたりしてかなり減ったんですけど」


 かすかに花の甘い香りが漂っている。望は不快とまでは思わないが、少し落ち着かない。


「おかげさまで、夢屋内で夢への干渉が済んでいいんですけど」


「近くにあればあるだけ、そっちに引っ張られる可能性が上がるもんな」


「はい」


 周としても夢の回収や食事が捗ると言っていた。悪いことではないのだ。


「思わぬ問題はあるみたいだけど、他に異変や心配事はないか?」


「とくには。……でも」


 ふと望はこの場にいない細い目の店主のことを思い出す。


「周のことが心配だな、と」


 視線を下げた望に杏介の眉がわずかに跳ねる。雀も望の表情に変化に反応してか、毛づくろいを止める。


「あいつ、調子悪そうか?」


「ええ」


 あと二週間ほどで貘の一族を訪ねることとなる。そのせいか、最近の周はそわそわと落ち着きがなく、いつかの春を思い出す。


「周の過去のことを聞いた頃みたいに落ち着きがないというか、不安そうにしているというか……。何だか、消えてしまいそうな危うさがあるように見えて」


 前とは違い、気丈に振舞っている。しかし、ふとしたときに心ここにあらずという状態でぼんやりしていることがある。


「やっぱり、一族とは会いたくないのかなと思ってしまって」


「まあ、喜んで、とはいかないだろう」


 一族が周にしたことを思うと周の足取りが重くなるのは当然のこと。その気持ちは杏介もわかっている。


「俺としては、話を聞いたらさっさと帰っていいんじゃないかって提案はしてる」


 貘の一族への訪問へ同行してほしい。

 周からそう依頼されている。そのため、杏介は周と何度か話し合いをして準備を進めている。その中で、杏介は幼馴染としてそのように提案した。


「あくまで、今回の要件は望のこと。……仲直りが目的ではない」


 冷たいけど、と杏介は苦笑する。


「なるほど。……でも」


 望の心の内ではそれでいいのかと引っかかる。


「これを機に少しでも関係が修復されればいいと思うのは私のエゴでしょうか」


「エゴ……。自分本位だな」


 杏介としても、周の中で何かしらのきっかけになるのなら、と思わなくもない。

 しかし、それを強制しようとは思わない。苦しむ周の姿を近くで見ていたからこそ、進言するつもりもない。


「その気持ちはわかる。わかるが、俺たちが口出しできるような立場ではない」


「そうですよね」


 胡蝶の夢を巡る周と貘の一族の間の溝の深さがどれほどのものなのか、望はわからない。憶測でしか判断できない望に口出しする権利はない。

 どうするのかを決めるのは周だ。部外者が軽々しく口を出していいような軽い話ではない。


「せめて、これ以上悪化しないことを祈るしかないですね」


 できることはそれぐらい。望はそう思っている。


「だな。でも、前に来た周の弟分だっけ? あいつがまだ周のことを慕っているみたいだし、そこはよかったかも」


 杏介は別室で待機していたため、周の弟分と話をしていない。遠目に姿を見たのみだ。真面目そうな青年といった印象だ。周から話を聞いたところ、成長して多少性格は丸くなったが、昔と変わらず接してくれて嬉しかったと言っていた。


「どう立ち回るかわからないが、味方がいるってことならちょっとは気も紛れるだろう」


「そうだといいのですが……」


 一族の遣いとして来た青年、槿。穏やかな様子の彼は長いこと会っていない周のことを兄さんと呼び、慕っている様子だった。

 それなのに。どうにも望の中で彼の存在がしっくりとこない。怪しい素振りはないのに、勘がすぐに受け入れるなと警鐘を鳴らす。


「戻ったよー」


 望の胸中で鳴る警鐘とは裏腹に、呑気な声が廊下から聞こえる。


「おかえり」


「おかえりなさい」


 杏介と望は話題になっていた周を迎え入れる。


「大荷物だね」


 望は両腕一杯に物を抱えた周に目を丸くする。


「旅は物入りになるからね」


 よいしょ、と周は荷物を下ろす。


「杏、日輪に置かせてもらってもいい?」


「どうぞ」


「ありがとう。ふう、それにしても寒いね」


 部屋の隅に荷物をまとめながら周はぼやく。


「あっちはもっと寒いんだろう?」


「らしいね」


 杏介と周の会話に望は眉を潜める。


「お? 望の顔が曇った」


「覚悟はしていますが……。ここよりも寒いなんて」


 人間界よりも暖房設備の整っていない常盤街でも厳しいと思うことが多々ある。常盤街よりも寒いと思うだけで気が滅入る。


「要防寒ということで。で、その子、どうしたの?」


 周は火桶の近くに寄り、冷えた手を温める。机の上の丸々とした雀は冬の風物詩だ。


「冬の望はふくら雀みたいだって話をしてて」


 机の上の雀はチュンチュンと可愛らしく鳴く。


「ふくら雀ねえ……。望ちゃん、本当に寒いの苦手だよね」


 周も望が着こむと冬だと感じる。冬の夢の回収時にマフラーに顔を埋めてじっと寒さを耐え忍ぶ姿を見たとき、無理をしなくてもいいのにと何度も思った。

 望が生まれ育った地域は特別温かい場所でもない。日本において、平均的な気候の土地なのに、どうしてここまで寒がりなのだろうと周は不思議に思う。


「無理」


「無理ときたか。望、中国行き大丈夫か?」


 からかうような口ぶりで杏介は言う。


「……頑張ります」


 自分のため。謎の解明に近づくためならば、寒さも我慢しなければならない。


「無理はしないで。風邪ひいちゃうのもよくないし」


 周は杏介とは異なり案じる言葉をかける。

 寒さもあるが、旅路に疲れはつきものだ。精神的な負荷もかかることを思うと、風邪以外のことも心配になる。


「うん」


 望は頷くと、周をじっと見つめる。


「ん?」


 凛とした視線に周は首を傾げる。相変わらず綺麗な目で、こちらの心の奥底を覗き込んでいるようだ。


「……周も、無理はしないで」


「ありがとう。でも、心配ご無用! これでも、僕、風邪とはあまり縁がないから」


 ふふん、と周は胸を張る。ここ数十年は風邪をひいた記憶がない。

 周に望は眉を下げる。

 そういう意味で言ったわけではないのに。


「……そう」


 望は思ったことを飲みこんでしまう。良くないと思いながらも望は心の内の言葉を発することができなかった。


◇◇◇◇◇


 ずっと傍で応援してくれると思っていた。

 自分のことを思う心は茲に、と言ってくれたから。

 その言葉を糧に、好きなことややりたいことに打ち込めた。


「よく頑張っているね。偉いぞ」


 のんびりとした口調で頭を撫でてくれた。それが嬉しくて、応援にも応えられるようにと頑張った。

 それが重石だと思ったことはない。のびのびと、やりたいようにさせてくれたからこそ、辛くとも継続することができた。


 それなのに。


 暗転した先で、彼は冷ややかな目でこちらを見下す。


「お前を思う心は非ず」


 あんなにも冷たくて、射貫くような目で見られたことはなかった。

 温かくて、優しくて、包み込むようないつもの彼ではない。冷たくて、怖くて、突き放す、知らない彼だった。


 慈悲深い。


 そう評されることの多い彼とはかけ離れていた。

 初めて見たそんな彼に呆然として、縋ることもできなかった。


 慈しみを体現したような彼を押し流すように、荒れ狂う波が流れる。

 轟々と唸る音と共に、自分自身も彼から遠く離れてしまった。


◇◇◇◇◇


 「……っ!」


 ぱっと飛び起きた周は荒く呼吸をする。ひゅうひゅうと喉の奥で乾いた空気が空回る。


「……はあ……はあ……」


 胸を押さえながら背中を丸める。苦しさに目を閉じるも、瞼の裏に男の顔が浮かぶ。

 無の表情だ。


「……うっ」


 すぐさま目を開けるも、彼の顔がちらつく。

 気分が悪い。

 胸を押さえる手に力がこもり、寝巻に皺を増やす。肩で息をしながらも呼吸を整えることに専念する。

 どれほどの時が経ったか。さほど時は経っていないはずだろうが、数時間ももがいていたように身体は怠い。ぐったりとしながらも、額や頬を伝う汗を拭い、伸びてきた、と望に指摘された襟足の髪を払う。


「……」


 昔から見る夢だ。何度も何度も繰り返し見て、こうして飛び起きたり、目覚めても動けなかったりと最悪な寝覚めだ。

 そんな夢なら取り出してなかったことにしてしまえばいい。苦しむこともなくなるのだから。

 そう言った者もいた。暗闇とは程遠い、明るい金色を持つ彼は何の気なしに言った。もちろん、自分のことを思っての言葉であることは理解していた。


「……はあ」


 顔を上げた周はぼんやりと天井を見上げる。何もないはずの暗闇がぐらぐらと揺れているような気がする。

 彼の言うようにすることもできる。

 夢は記憶。それを取り出してしまえば、見ることはなくなる。

 けれど、それはできない。そんなこと、赦されるはずがない。

 無責任な彼の発言に、思わず言葉の刃を突き立てた。あのときの金色の目はきょとんとしていて、しかし、少しすれば驚きに変わり、そして、怒りに変わった。

 気がつけば、身体中が痛くて二人して倒れていた。

 懐かしい記憶に周は苦笑する。あの後、互いに言葉を発することもなく、数日経過していた。そして、どちらからともなくあのときは悪かったと謝って、仲直りした。

 仲直り。ごめんなさいと謝って、お互いが受け入れたら成立する。その修繕が杏子色の彼とはできた。


『お前を思う心は非ず』


 そう言った彼とはできなかった。自分の言葉は彼には届かず、聞き入れてもらえなかった。

 もう二度と、叶うことはない。

 脳裏に彼の顔がまたちらつき、息が詰まる。記憶の中の冷ややかな視線に力なく項垂れてしまう。


「……ごめんなさい」


 周は膝を抱え、うずくまる。こんなに小さくて、情けない声が届くはずはない。


「赦してなんて思いません」


 謝罪はすべきこと。だが、赦してもらおうと思うことは自分勝手なこと。

 赦すか、否か。それは相手が決めることであって、罪を背負う者が願うことではない。


「それでも」


 周はこみ上げる熱をぐっと堪える。


「慕うことは許してください」


 自分が犯した罪は自分が背負う。その罪が赦されなくてもいい。見放され、縁を切られて当然のことだと思う。

 男の無慈悲な視線を思い出す度に胸が締めつけられる。しかし、彼が向けた視線はそれだけではない。

 もっと優しくて、穏やかで、慈しむ視線を知っている。彼のあの視線に何度救われたことか。


「たとえ、あなたに僕のことを思う心がなくとも、僕にはあります。どうか、それだけは許してください、父上」


 希う周の声は押し殺されながらも発された。

 

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