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夢屋 胡蝶  作者: 真鶴 黎
第九夜 心の在処を周る詞華
73/88

#1

 「何だかなあ……」


 頭の上で腕を組む杏子色の腐れ縁がこぼす言葉に周の眉間に皺が寄る。


「夢遊病ってやつか?」


 今日の夜更け、望が寝巻のまま、家の鍵やスマホを持たずに裸足で夢屋を訪れた。虚ろな様子の彼女は夢玉を生成した後、気を失ってしまった。

 周から話を聞いた杏介は真っ先に夢遊病という単語を浮かべた。


「可能性は捨てきれない。だけど、これまでの経過を見るに……」


「まあ、違うだろうな」


 杏介は腕を解くと、金木犀の先に視線をやる。

 ただ金木犀が橙色の花をつける夢。望が作ったという夢玉の中身だ。周、杏介、望の三人でその夢玉の中に入った。

 溢れんばかりの橙色の星の園で望は一人佇み、手を見つめている。その手を空に伸ばすと、金木犀が呼応するように枝を天へ伸ばし、花を咲かせる。青空に広がる橙色の星が眩しいのか、それとも、別のことを考えているのか、望は目を細める。


「何かしらの夢の影響、か……」


「だと思う」


 周は手を組むと、望が夢屋を訪れたときの様子を思い返す。

 強い夢の気配がして店先へ出てみれば、望がいた。彼女の霊力とは桁違いの夢の気配にぞっとした。

 彼女の身に何が起きているのか。倒れた望を仮眠室にと充てた部屋へ運んだ。冷えきった身体が温まるようにとストーブも点け、しばらく様子を窺っていた。が、とくに、おかしなところはなく、望はすやすやと眠っていた。相も変わらず、夢を見ている気配もなく、そのまま朝を迎えた。


「望ちゃんは覚えてないみたいだし」


 目覚めた望はしばらくぼんやりとした後、壁際に寄りかかっていた周を発見すると、ひどく驚いた様子で辺りを見渡していた。夜のことを周が話すと、望は覚えていなかった。迷惑をかけてごめんなさい、と謝罪する望はひどく混乱した様子だった。

 その後、二人は朝食を済ませ、望は仮眠室に置いてあった替えの服に着替えた。そして、周は望を下宿先まで送り届けた。


「こうして見ていると、特段変わった様子はなさそうだけど」


 杏介は望の様子を窺う。現実世界でも、望の意識ははっきりしている。ただし、疲労が重なっているためか、顔色は悪い。


「うん。でも、やっぱり……」


 周も杏介と同じように望の様子を窺う。二人に見られている望の周りを橙色の星が囲む。はらはらと降り注ぐ星の雨に手を翳した望は何か逡巡した後、目を閉じる。すると、望の手元に一本の傘が現れる。


「……夢への干渉が強くなっている」


「でも、前からああやって物を出すことはできていただろう?」


 夏に望の背中に痣が確認されてから彼女は夢の中で物を出すことができるようになった。その変化は今に始まったことではないではないかと杏介は尋ねる。


「そうだけど、前よりも簡単に出すようになったなって」


「前はもう少し時間がかかってたんだっけ?」


「うん。前は念じているって感じがあったけど、今はぱっと思い浮かんだら出て来るみたいな感じかな」


 あくまで、見ている周の感覚だ。今の望がどう思っているかまではわからない。


「そっか。……あの人には伝えたのか?」


「篁卿? 連絡したよ」


 直前まで通話していたこともあり、すぐに繋がった。簡単に話をした後、望が起きて、状況を整理できたらまた教えてほしいとのことだった。望を送り届けた後、杏介に話したように望が夢屋へ来たときのことを覚えていないことを伝えた。


「向こうも向こうで調査してくれてはいるみたいだけど……」


「進展なしか」


「すぐにわかることもないと思うけどね」


 周は苦笑する。あちらは望の鬼籍帳のことで手一杯だ。できることはすると約束してくれたが、あまり期待はできない。


「あ、でも、呪具を貸してくれるって」


 無意識の内に外を出歩くのも危険だから、結界を張れるように篁が札を用意してくれたそうだ。おまけとして、力の増幅により望をつけ狙う者が出て来るとの予測から、破邪退魔の呪具も届ける約束してくれた。


「言ってたな。もうすぐ時間か?」


「そんな気がする」


 今日の内にでも届けさせると篁は言った。つい数時間ほど前に夕刻に式神を送ると連絡があり、杏介にも話を共有したいこともあり、日輪で会う約束をした。そろそろ時間になる。

 よいしょ、と周は立ち上がると望の元へ向かう。


「望ちゃん、調子はどう?」


「どうと言われても……。とくに何もないけど」


 望は傘を見上げる。現実世界で使っているネイビーの傘だ。


「前と比べてみてどうかな? 簡単に出しているように見えたけど」


「うん。思い浮かべたら、ぱっと出てきた」


 あったらいいな、こうならないか、と思い浮かべたことが簡単に実現する。とくに苦もなく、望自身に何か起きている自覚もない。


「なるほど。ついでに、ちょっと実験。犬とか出せる?」


「犬……」


 望が思い浮かべたのは常盤街で望にちょっかいをかけてきた柴犬の妖だ。遊んで、遊んで、と尻尾をぶんぶんと振っていた。


「遊んで、遊んで!」


 そう、こんな感じで。

 ハッハッと息を切らしながら、柴犬の妖が望に飛び掛かる。人間界の柴犬と異なり、こちらの柴犬は二回りほど大きい。反応に遅れた望はのけぞりながら柴犬の妖の体重に耐える。


「ああ、その子……。街に着いてから望ちゃんにつきまとっていた子だね」


「うん……あ、ちょっと」


 立ち上がって望に体重をかけてくる。危ないと思った望は柴犬の妖が消えるようにと思えば、姿を消す。が、思わずよろけてしまう。


「おっと」


 よろけた望の身体を周は支える。


「大丈夫?」


「平気。ありがとう」


「ほーん、そんな感じか」


 杏介も二人の元へ向かうと望の手から傘を奪い取る。


「傘も普通の傘だな」


 杏介は傘をしげしげと眺める。


「俺からも提案。今は昼間だけど、時間帯を夜にしてみることってできるか?」


「夜……」


 夜か、と思いながら、望は白銀の星々が広がる夜空を想像する。すると、日が没し、望が思ったとおりの夜空が広がる。


「おお、できちまったな」


「できちゃったね」


「できた……」


 できてしまった。ぽかんとする望の頭上を影が舞う。


「あ……」


 夜闇に溶け込むような影は蝶のようだ。望は蝶の軌跡を目で追う。が、蝶はすぐに星の園に紛れてしまう。


「流れ星までついてくるとはな」


 おー、と杏介は呑気に空を見上げる。星がぽつぽつと降り注いでいる。


「望ちゃん?」


「今、蝶が……」


 望の視線の先を周も見やる。しかし、蝶の姿は見られない。

 蝶。望が夢屋を訪れたときにこぼしていたと思われる単語だ。


「でも、消えちゃった」


「そっか。どんな蝶だった?」


「ごめん、暗くてよく見えなくて……。蝶に見えただけで、違ったかもしれない」


「いいよ。じゃあ、戻ろうか」


 周は望に手を差し出す。周の手をとった望の意識は徐々に薄れていった。


◇◇◇◇◇


 軽くうめいた後、視界に光が射し込む。金木犀の橙色のような灯に目を細めた望はゆっくりと身体を起こす。


「お疲れさん、望」


 先に起きていた杏介が片手を上げて労う。


「お疲れ様です」


「望ちゃん、大丈夫?」


 夢に干渉していた望の身体からは変わらず夢の残滓がする。干渉したことによる弊害はないかと周は案じる。


「うん、とくに何も」


「よかった。ちょっと起きるの遅かったから、心配した」


「え?」


 望は目をまばたかせる。


「俺たちはほぼ同時に目覚めたけど、望はちょっと起きなくてなあ」


 五分ぐらいだけど、と杏介は付け足す。


「多少時差が発生することはよくあるからいいんだけど、いつも望ちゃんって結構速めに戻って来るからさ」


 夢を自力で見られないという性質のせいか、望は夢の世界からの離脱は早い。しかし、今回は珍しく遅かったため、周は余計に心配した。


「そうだったんだ。でも、本当に何ともないよ」


 夢の中に入って目が覚めたときのいつもと同じ感覚だ。倦怠感などの身体の不調もない。


「ならいいんだけど……。後から何かあるかもしれないし、何かあったら教えてね」


「うん」


 望が応じると周は表情を和らげる。


「そんじゃ、ちょっと茶淹れてくるわ」


 杏介は立ち上がると厨へ向かう。

 その背中を見送った望は黄金の夢玉を手に取る。金木犀の星型が並ぶ夢玉をじっと見つめると周に視線をやる。


「今回の夢、周はどう思った?」


「内容自体はとくに何も」


 夢の内容については気になることはない。ただ金木犀が咲いているだけの夢で、ごくありふれた夢だと思った。

 周としては別のことの方が気になった。


「前回の亡者の夢玉と同じ、貘ではない者が取り出した気配がするぐらいで、特筆すべきことはない」


 望が京都で作り出したという夢玉と同じ気配がする。その一点がやはり気になる。


「そっか。……この夢玉、どうしよう」


 望は夢玉を摘まむ。灯に反射した夢玉は自ら輝いているようにも見える。

 望としては周の言う貘ではない者が取り出した気配がするということはよくわからない。

 無意識の内に徘徊し、取り出した夢。この夢玉の取り扱いを望としてはどうすべきかもわからない。自分が持っていていいのかと疑問に思う。


「周が持ってた方がいい?」


「そうだね。一応、僕が預かってもいいかな? もう少し調べたいことがあるし」


 篁から預かった夢玉はこれから返すことになっている。そちらの夢玉を詳しく調べることは本人の意志によりできないため、この金木犀の夢玉を使いたいと思う。


「わかった」


 望は周に夢玉を渡す。


「それにしても、困ったな……。無意識に徘徊していたなんて」


 望は深く息をつく。

 本当に覚えていない。目が覚めて、周の姿を認識したときは混乱した。朝食を摂りながら夜のことを聞いたものの、実感が湧かなかった。


「今回は周のところにたどり着けたからよかったけど、これが知らないところとなると……」


「うん、今回は本当によかった」


 周は驚いたが、望を無事に保護することができてよかったと思う。もしも、あのとき気がつかなかったら、望はもっと遠くへ出ていたかもしれないし、最悪の場合、事件や事故に巻き込まれる可能性もあった。


「また同じようなことが起こるとなるとちょっと……」


 スマホを持っていれば地図アプリで調べるなり、どこかしらに電話するなりで帰ることも可能だろう。

 しかし、今回のようにスマホや鍵、身分証を持たずに出歩く可能性の方が高い。最後の砦として、警察などに保護されればいいが、そうでなかった場合を考えると背筋が凍る。


「篁卿に結界のお札を頼んだから、しばらくは大丈夫じゃないかな」


 特注品を至急用意させる。その言葉どおり、頼んだ日の内に用意でき、こちらに届く手筈になっている。

 この調子で鬼籍帳のこともどうにかしてほしいと周は思いながらも、篁には言わなかった。


「うーん……。でも、心配なんだよね」


 無意識の内に起こる行動。自制できないということの恐ろしさを知ったばかりであるため、望は余計に不安になる。


「……ねえ、しばらく夢屋に置いてもらってもいい?」


「ん? あ、んー……」


 周は視線を彷徨わせる。

 周もそれを考えなかったわけではない。事情を知る周の目の届くところに望がいれば、万が一無意識に出歩いてしまっても止めることができる。

 しかし、と周は眉を下げる。


「望ちゃん、警戒心薄くない?」


「今更じゃない? すでに仮眠のために部屋を貸してもらってるし」


「そうだけど……」


 周はため息をつく。

 今は望に夢の回収に同行してもらっていない。同行してもらっていたときは明け方に戻ることが多かった。望が夢屋で働き始めた頃、夢の回収が終わったら周が家まで送り届けていた。望は送り届けてもらうまでしてもらうのは申し訳ないと遠慮していたのだが、周は暗い中を年頃の娘一人で歩かせるわけにはいかなかった。

 そんなあるとき、講義の時間まで空いている部屋を仮眠室として使わせてほしいと望の申し出があった。送り届けてくれるのはありがたいが、周につき合わせてしまうのも悪い。それなら、日が昇るまで夢屋で休ませてもらい、夢屋から大学に向かうと言い出した。

 そのときも周はすぐに返事ができなかった。

 年頃の娘を置く。周に疚しい気持ちはない。が、無防備な姿を男に晒すことになるのはいかがなものかと周は困り果てた。


「君ねえ……」


 しっかりしている娘だ。それなのに、このようなことをしれっと言えてしまう点についてはいかがなものかと思う。


「図々しいお願いをしているのはわかってる。仮眠室のときもそうだったし」


「君が夢の回収の同行を辞める気がなかったからね」


 学業や身体に負担がかかるのなら、夢の回収に出なくてもいい。

 周はそう言ったが、望はついて行くと譲らなかった。折れるつもりはないという望の強い意志に押された周は渋々ながら仮眠室を与えた。


「友達の家に転がり込むにしても説明はややこしい。常盤街で誰か……茜さんに頼むのも手ではあるけど、大学まで遠い」


「それはそうだね。事情を知っていて、立地も問題なしとなると夢屋か」


 もしくは、周が望のマンションを出入りする。それはさすがによろしくないと周はかき消す。


「周にこれ以上迷惑をかけたくない。だけど」


 望は無意識に組んでいた手をぎゅっと握る。

 そう、これが怖い。


「……自分の意識が及ばないときの行動は制御できなくて、それで誰かを傷つけてしまいたくない」


「……」


 制御できない夢への干渉。棗は望の言葉からそう言い当て、望本人もそれが怖いと自覚した。

 篁の元にいた亡者の夢に入ってしまったことで、同じようなことが起きないかと望は案じている。実際、今日も夢に干渉していた。幸い、金木犀が咲くだけの夢だったため、望の精神的負荷も、相手を傷つけるといったこともなかった。

 しかし、今後同じようなことが起きないとは限らない。それに、今の望には異変が立て続けに起きている。無意識に出歩いてしまうという状態がある以上、誰かの目があった方がいいのはわかりきっていることだ。

 そうとなれば、周の答えはひとつだ。


「……うん、わかった。部屋は空いているし、好きに使ってもらって構わない」


 これしかない。とにかく、現状、誰かが望を見ていられる状態であることが望の身を守る最善の策だと周は思う。事情を知っていて、望の人間界での生活に支障がなく、対処や各方面への協力を出せるのは自分ぐらいしか思い浮かばない。


「ありがとう、周」


 ほっと安堵の表情を浮かべる望に周は苦笑する。


「どういたしまして。もう、普通なら駄目だからね。恋仲でもない男の家に転がりこむなんて」


「周はそういうことしない」


「君は僕のことを買いかぶりすぎ」


 周にそのような気はないし、望が信じてくれるのはありがたい。だが、警戒心がなさすぎて心配になる。


「それに、鍵ついてるし」


「そうだけども」


 手狭ではあるが、望に鍵つきの部屋を貸している。内側から鍵をかける部屋で、鍵は望に預けている。よって、周が入ることはできない。それなら望も安心して休めるだろうという周なりの配慮だ。


「世の中には簡単に手を出すような輩もいるんだよ」


「知ってる」


「……僕だって、手を出さないという保障はないよ」


「わかってる」


 淡々と言う望に周はまたため息をつく。


「本当にわかってる?」


「うん」


「……そう」


 周は諦念の息をつく。


「とりあえずは、夢屋で過ごすという方針だけど、別の対策ができたらそっちに変えようね」


「うん。迷惑かけてごめんなさい」


「迷惑だなんて思ってない。できることをするまでだ」


 望の身が守られるのであればいい。周はそう思う。


「ごめんください」


 店先から声が掛けられる。聞き覚えのある男に声に二人は顔を見合わせる。


「来たみたいだね」


 秋晴れのようなカラッとした笑顔が印象的な式神が来たようだ。


「うん。私、出迎えてくる」

 

 軽やかな足音をたてながら望は去っていく。


「……はあ」


 周は机に伏せる。

 望の身に起きる異変、鬼籍帳のこと。そして、貘の一族との対面と怒涛の勢いで事が進んでいく。自分なりに整理しているつもりだが、事態は刻一刻と変化していく。どうか、このまま、貘の一族と対面するときまで何も起きてほしくないと願う。


「一族との対面か……」


 数百年ぶりに会うこととなる。彼らはどのような態度を周に見せるのか。護衛として杏介に同行を頼んだが、果たして。

 踏ん張り時。周は身を起こして頬を叩いた。

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