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夢屋 胡蝶  作者: 真鶴 黎
胡蝶の翳り 月の曇り、夢の名残
72/88

#4

 影を帯びた月の光は頼りない。進むべき道を照らしているように見えて、一歩先は暗闇。それが不安を駆り立てる。

 ぼんやりと月を眺めていると、鳴り響く機械音に意識を引き上げられる。重い腰を上げ、機械音を放つそれを手に取り、耳にあてる。


「はい、夢屋胡蝶です」


「小野だ」


 相手方の低い声音に周の背筋が伸びる。


「こんばんは、篁卿」


「遅くに悪いな」


「いいえ、そんな」


 周は時計を見上げる。草木も眠る丑三つ時。街は暗闇に支配され、寝静まっている時刻だ。


「僕も考え事がありましたから」


 周は前髪をいじる。風呂から上がった後、色々と考えていた結果、きちんと乾かさずに物思いに耽ってしまった。若干湿っているような気がしないでもない髪と、肩に掛けられたままのタオルにだらしないと思う。


「そうか。なら、早速本題に入らせてほしい」


「はい」


 周は灯を点け、メモ帳とペンを手に取る。


「先に貘の一族のことについて、聞かせてほしい。来月向かうらしいな」


「ええ。望ちゃんから文の写真を送られたかと思いますが」


「確認した。それにしても、何とも簡素な文だったな」


 ため息交じりに篁は言う。

 中身は本当に必要最低限のみ。中国で待っている、詳しい話はそのときに、道中気をつけて来るように、とひどくあっさりとした内容と指定された妖街の名前と地図があるのみだった。


「もう少し情報が出ると期待していたんだがな」


「僕もです。こっちとしては一刻を争うと言うのに……」


「秘密事項が多いのか、それとも」


 周に明かしたくないのか。どちらにせよ、周にとっても、篁にとっても物足りない文だった。


「対面が叶うことが確定した分、進展と捉えるか」


「そうですね」


「舟橋さんはその後どうだ? 寝不足みたいだが」


 篁は写真が送られてきたついでに望に近況を訊ねた。寝不足ながらも、変わりはないと返信が来た。


「あまり眠れていないみたいです。夢玉を作ったこと、誰かの夢に入り込んでしまったことが衝撃的だったみたいです」


 棗と話しているところを盗み聞きした。

 望が吐露する不安、その不安による睡眠不足。心の機微に敏感な彼女は自分の意志と関係なく、誰かの心の奥底を覗き、傷つけてしまうことを恐れている。


「でも、昨日は僕の知っている子と出掛けてきて、気分転換ができたみたいです。いっぱい歩いて、疲れていましたけど」


 望の顔には疲れが浮かんでいたものの、張りつめた雰囲気が和らいでいた。


「その疲れで眠れるといいな」


 気分転換の外出ときちんとした睡眠で望の気持ちが少しでも軽くなるといいと篁は願う。


「他に異変は?」


「夢の気配が強くなった以外はとくに何も」


「気配の正体は?」


「わかりません。でも、知らないわけではない気がするんです」


「ほう」


 篁は先を促す。


「知っている気はする。けれど、それが何か、いつ、どこで知ったのか、わからなくて」


 覚えていないのか、別の何かと勘違いしているのか。何かにつっかえているようなもどかしさだ。


「なるほど。思い当たる節がありそうという認識でいいか?」


「とりあえずは」


「ふむ……。思い出したらまた教えてほしい」


「はい。あとは……。ああ、そうだ。望ちゃんが作った夢玉について」


 周は箱を開け、彼は誰時色の夢玉を見つめる。淡い空色に太陽とも歯車とも見える造形が浮かぶ夢玉だ。


「皓殿にもお伝えしましたが、貘の力を感じないこと以外は貘が作る夢玉と遜色ないかと」


「貘の力を感じない、か……」


 篁は望が夢玉を作った朝のことを思い出す。彼女から漂う霊力に混ざって感じた気配は貘が夢に干渉しているときの力を思い起こさせた。


「俺は貘が夢に関わるときの力と同じように感じた」


「篁卿はそう感じたのですね。確かにほとんど同じだと思いますけど、僕からするとちょっと違うなーって。結果として、貘が作る夢玉と大差ない物が出来上がっているわけですし、同じと言えば同じかもしれません」


「ならば、違いは?」


 ほとんど同じという言い方。全く同じではないのなら、相違点があるはずだ。

 篁の問いに周は眉を下げる。


「それが正直言い表せないんです。さっきお伝えした、知っていると思うのにわからないという」


「そうか。……他に気になることは?」


「そうですね……。貘の力を感じなければ、他に干渉されたような形跡もないように思います」


「……つまり?」


 周は夢玉を手に取る。


「望ちゃんの霊力とあの子から感じる夢の気配はする。あとは、夢の内容と関わっていると思いますが、追慕や悲しみ、塞ぎ込んだような黒い感情もします」


 それだけだ。夢を覗き見ることができればもっとわかることがあるかもしれないがそれはできない。周にできる範囲でわかったことからの推測しかできない。


「……」


「僕が感じたのはそれぐらい。……件の河童の影響はないのかもしれないです」


 望のことを認識している河童。夢の世界にいたという河童は夢ではなく、現の世界を認識しているようだと望は言っていた。

 夢の中に登場しているものの、外の世界をわかっているような言動をした異形の者。夢に干渉する力を持っているのではないかと思われていた存在だが、誰かが干渉したような力の形跡はない。


「そうかもしれないな」


「河童のこと、何かわかったのですか?」


 河童は篁のことを知っていて、同業者と言ったらしい。篁が死後も冥官を務めているという話は人ならざる者たちの間では有名な話だ。それを知っている河童が出まかせを言って信頼を勝ち取ろうとした可能性もある。

 本当に同業者なのか。同業者だとしたらどのようにして夢に干渉したのかを篁が調べることになった。


「冥府の管轄下にある者ではない」


「じゃあ、夢の中に出てきた河童の正体はわからずじまいということですか?」


「いいや。わかってはいるが、詳しいことは話せない」


「……またそれですか」


 仕方がないとは言え、これだから冥府はと不満が混じった声で周は言ってしまう。


「俺とて初めて聞いたことなんだ」


 長く冥府に仕えている篁でも知らないことだった。同業者がいることは知っていたが、件の河童の姿をした者については初めて聞いた。


「同業者であり、敵ではない。そこは安心してほしい」


「ならいいですけど……。で、その河童は何をしたんです?」


 悪しき者ではないという河童。一体何をして夢へ干渉してきたのか。それぐらいは教えてもらえるだろうと周は思いながら尋ねる。


「何をしたのかまではわからないが、その御仁の勤めや能力を考えれば、夢への干渉もできなくはないのではないかと閻羅王は仰った」


「閻羅王が?」


 篁が仕えている冥府の王。死後、審判をするという十王の内の一人だ。大物の名前が出てきたと驚く周に対し、篁は肯定する。


「まあ、王も似たようなことをされるから」


 隆幸から夢の内容を聞いたとき、気になることがあった。それは閻羅王も同じようなことをして死者を裁くからだ。


「その河童、死者の記憶に関与することができるらしい」


 隆幸が話した夢の中の河童は彼に向かって鏡を向けてきた。その鏡に映されたのは生前の隆幸の様子だった。

 浄玻璃鏡。隆幸の話を聞いた篁が真っ先に思い浮かべた物だ。閻羅王が審判の際に用いる道具である。鏡には審判を受ける亡者の生前の姿が映し出される。真実を映し出すため、亡者が嘘をついたとしても取り繕うことなどできない。

 河童が持っていたという鏡の機能を思うと浄玻璃鏡と似ていると思った。そして、閻羅王はその河童の役目は、その鏡を用いて死者の記憶に干渉し、己を顧みるように促すことであると言った。


「夢は記憶。だから、河童は干渉できたのだろうと閻羅王はご推察された」


「河童本人には確認できないのですか?」


 閻羅王の言葉と言えど、あくまで推察。事実と確定しているわけではない。それならば、当人に直接話を聞いた方が早いと周は思う。


「確認できたのだが、本人は夢に干渉したつもりはなく、いつもどおりの任務と変わらない対応をしたとの返答だった」


「はあ……」


 河童は何者なのか。謎が増えるばかりである。


「まあ、あとは河童側と少しばかり面倒なやり取りが続いていてな。悪いが、これ以上は冥府の機密事項になるから、伏せさせてほしい」


「わかりました。とりあえず、河童が悪い者でないこと、記憶に干渉することができることがわかっただけでもいい方かなと」


 冥府と河童との間のやり取りが何かはわからない。しかし、周としては知りたい情報を得られてよかったと思う。

 周はつと目を伏せる。河童の正体を冥府が把握できているのならとりあえず一安心である。

 次に知るべきこと。急ぎ対処しなければならない事案の状況を知る必要がある。


「……鬼籍帳はどうですか?」


 確認中とされていた望の鬼籍帳。彼女の人生が記されているとされる書物における異常事態の解決は急務だ。

 電話口の向こうで沈黙が続く。


「……篁卿? 寝ている場合じゃないですよ」


「起きている」


 ふざけた口調の周に対し、篁はすぐさま応答すると、深く息をつく。


「言いにくいことですか?」


「まあ……。正直なことを言わせてもらうと、悠長にしていられない」


 鬼籍帳に変化が起きた時点でも時間はあまりなかったのだが、ここに来て事態は一変した。


「もう舟橋さんの鬼籍帳は鬼籍帳としての役目を果たしていない」


 篁の脳裏に望の鬼籍帳が思い浮かぶ。彼女の生死を記した書物に冥府の関係者は顔を顰めている。


「どんな状態なんですか?」


 以前、周は鬼籍帳の中を蝶が飛び回っていたこと、彼女の死が夢に溶けるという内容であることを聞いた。周は現物を見ていないため、詳細はわからないが、少なくとも、彼女の死の原因はわかっており、それは冥府が想定していたものではないことが窺える。

 鬼籍帳の役目を果たせない状態。それはどんな状態で、最悪の状況なのかと周は身構える。


「……鬼籍帳には生死が記されている。どのように生まれ、どのような環境で育ち、そして、どのような最期を迎えるのか」


 この世に生を受ける者の最初から最期までを記す。記録であり、定められた物事を表し、視覚化したものが鬼籍帳である。

 その役目を果たせない状態。望の鬼籍帳を覆う羽は篁の脳裏に焼きついている。その蝶の軌跡に眉根を寄せる。


「鬼籍帳に記されたものをかき消すかのように蝶が飛び回っている」


 蝶の軌跡は文字をなぞるようで、蝶が飛び回ることで鬼籍帳に記された物事が消えていく。彼女が歩んできた生も、これからの生も、蝶が全て消していくのだ。


「消された内容が戻ることはない。新しく作り直したとしても、消えた物は戻らない。厄介なことに、複製した鬼籍帳にまで蝶が飛び回って消していく」


 ひらひらと花が舞うように蝶は頼りなく飛ぶ。儚い姿は何も残さない。


「蝶が鬼籍帳の中身を消す……」


 それが何を意味するのか。先を訊くのも恐ろしいが、周は細い声を絞り出す。


「まだ全部消えてませんよね?」


「消えていない。だが、時間の問題だろう」


 いつ全て消えてしまうのか。その予想すらもできない。だからこそ、最悪の事態を想定して動かざるをえない。


「……全て消えてしまったら、望ちゃんはどうなるのですか?」


 生死が定められた書物の消失。それが意味することを想像するのは容易い。周は震えた声で尋ねる。


「鬼籍帳は定められた生死を……魂の行く末を具現化したもの。その消失は魂の消失」


 舟橋望という人間の消失。それも、書き換わった死因どおりになれば、夢に溶けて消えるという最期を望が迎えることとなる。


「そんなこと……今までにも鬼籍帳の内容が変わることはあったんですよね? 消失までいくことは?」


「内容が変わることは度々ある。が、それはほとんど修正する必要のないほんの些細なことばかり」


「それは知っています。そうじゃなくて、望ちゃんみたいな場合はどうなるんですか?」


 静かながらも声を荒げる周に篁は目を伏せる。


「修正する。そのやり方は時と場合による。そして、その大半はきちんと修正がなされる」


 乱れた宿命は正され、あるべき道へと繋がれる。篁も幾度となく行ってきた。


「だから、消失することは滅多にない」


「滅多にない?」


 望まぬ返答を周は復唱する。


「……極稀に修正できずに魂が消失してしまう」


「今回はその可能性が高いのですか?」


「高い」


 望の魂は消えてしまう。それは何としても避けなければならない。


「貘の一族に会うのは来月か……。夢との因果関係や貘の一族との話で何か情報を得たい。正直言って、手詰まりだ」


 前例のない事態に冥府は混乱している。篁としても動き回りたいところだが、自由に動けないこの身がもどかしい。制限の緩和を願い出ても中々許可が下りない。


「冥府って意外と万能じゃないんですね」


「万能だったらお前を頼ることもない」


 鬼籍帳のことは冥府の情報の中でも極秘中の極秘。現世に内容が漏れるなど、言語道断。しかし、今回は特例中の特例で周に明かすことが許されている。

 望との関わり、望の死因とされる夢にまつわる存在。その特別な関わりと周の口の堅さが認められて鬼籍帳の異常を知ることを許された。

 冥府としてはこの異常を収めることを優先した結果だ。


「正直なことを言ってもいいですか? 冥府が直接貘の一族に接触はしないのですか?」


「それができればいいのだが……。失敗している」


「へ?」


 間抜けな声と共に周は受話器を落としかける。

 失敗。それは実行したことによる結果だ。


「え? 試みたんですか?」


「試みた。だが、失敗に終わった」


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! その話、聞いていないです」


「伏せていたことは謝る。接触の失敗が続いていることを知らせるのも気を揉ませてしまうから」


 ただでさえ、周の事情がある。そこに悪い知らせを入れるのもいかなものかとの判断であった。


「いや、確かにそれを聞いたら僕も心折れちゃう気がするので、その配慮はありがたいんですけど……」


 うう、と周は頭を抱える。冥府でも駄目なら、一族から追放された自分が連絡を取り合えるのかと落ち込んでしまっていただろう。


「でも、冥府が接触に失敗しているというのはなぜ?」


「こちらが出向こうにも、一族の元へ辿り着けないらしい」


 所在はわかっている。そこへ向かうも、夢路を迷うような状態に陥り、辿り着くことができないという。


「どうにも、ここ最近……お前が追放された後から貘の一族は排他的になってきているらしい」


 放浪の一族であることもあり、接触は容易ではない。だからなのか、訪れた者に対しては物腰柔らかに応じる。

 しかし、周が追放された後から他の者との接触を避けるようになったらしい。


「とくに、ここ百年ぐらいは。だから、冥府も情報を掴むのが遅れた」


「じゃあ、文のやり取りにやけに時間がかかるのも? いや、でも、届いてはいるし……」


「文やら物資やらのやり取りは特別な手で通るらしい。それを利用しようにも、上手くいかないらしいのだが」


「んんー……。とは言っても、こちらに使いを寄越してきている。使いの様子も、文の雰囲気も別に気になることはないです」


 弟分の様子に怪しさはなかった。時を経て成長したと感じるぐらいの変化だ。


「何にせよ、お前たちは招かれることを許された。この機会を逃したくない」


「なるほど……。もしや、圧かけられてます?」


「期待している。だが、それよりも」


 篁の濡れ羽色の瞳に険が宿る。


「貘の一族の動きが読めないことへの危惧がある」


「……望ちゃんのことはきちんと守りますよ」


 貘の一族は周を赦していないだろう。招かれはしたものの、あまりいい扱いを受けられるとは思っていない。

 周だけならいい。望に敵意が向くことだけは避けねばならない。


「傷ひとつつけさせやしません。……僕の過去のせいで、あの子が傷つくことがあってはならないですから」


「……だからと言って、お前は無茶しすぎるなよ」


「えー、篁卿がそんなこと言うなんて、変な物食べました?」


「おい、心配してやっているのに」


「怖いんですけど」


 うえーん、とわざとらしく泣き真似をする周に篁はため息をつく。


「お前な……」


「ありがたいですけどね。……心配ついでに、ひとつお願いしてもいいですか?」


「何だ?」


 篁が促すと、周は小さく笑う。


「身を守るための呪具を貸していただけますか?」


「すでに準備させている」


 篁は背後に視線をやる。音もなく現れた少年の式神に目配せをすると、彼は小さく頷く。


「え? あ、いいんですか?」


「俺や冥府がしなければならないことを託すことになったんだ。できる範囲のことならば支援を惜しまない」


「篁卿……」


 周はひと息つく。


「頭打ちました?」


「おい、玄。夢屋の分の呪具の用意、取りやめろ」


「御意」


「ごめんなさい」


 電話口でわーわー喚く周に篁は呆れた笑みを浮かべながら玄に向かって手を振る。


「と、まあ、してやれることは限られるが、入用の物があったら言ってくれ」


「心強いです」


 周はヘラヘラと笑う。


「さて、今晩はこんなところか」


 篁は時計を見やり、玄へ目配せする。玄もわかっているという様子で篁の外套へ手を伸ばす。


「とにかく、また何かあったら連絡をいれる。舟橋さんのこと、よく見てやってほしい」


「言われなくとも。これからまた冥府ですか?」


「ああ」


「お忙しいですね」


「人使いの荒い職場なもんでね」


 篁様、と玄に呼ばれる。


「では、また」


「はい」


 通話が切られる。ツーツーと無機質な音に周は受話器を下ろす。

 共に、浮かべた笑みが消える。


「……」


 ちゃらけた話ぶりをした。その下に隠した動揺にこれ以上心を揺さぶられないようにと努めた。

 しかし。

 周は顔を覆う。


「……鬼籍帳」


 望の鬼籍帳にまた起きた異変。最悪の事態が起こるかもしれない事実に頭が痛む。

 どうすればいいのか。なぜ、望の身にこのようなことが起きてしまったのか。

 周の脳裏に胡蝶が舞う。あの蝶のように望の鬼籍帳にも蝶が飛び回り、彼女の存在を消そうとしているのか。

 蝶が軌跡を描く。刹那、周は顔を上げる。


「……?」


 夢の気配がする。誰かが夢に干渉している気配に周の背筋が凍る。飛び跳ねるようにして立ち上がった周は気配の方へ駆ける。履物も履かず、店の暖簾をくぐる。

 店の扉の先に人影がある。見慣れた背格好に周は震える手で扉を開ける。

 カラン、と澄んだ音が秋の終わりの冷たい空気に吸い込まれる。

 晴れ間から降り注ぐ月光に照らされる見慣れた人間の娘。どこか翳りはあるものの、美しいその瞳は神秘的だ。

 そんな彼女の持つ霊力は人並外れている。そこに夢の気配が混ざり始めたのはここ最近のこと。


「望ちゃん?」


 虚ろな横顔に周は声を掛ける。しかし、周の声は届かず、彼女は天から垂れた糸を掴むように月へと手を伸ばす。


「……」


 彼女の口が何かを紡ぐように小さく動く。


「……め…………つ………………」


「望ちゃん!」


 周は彼女の肩を掴む。彼女の肩は冷たい。


「望ちゃん、しっかり!」


 周のことなど目もくれず、彼女は月を見上げたままだ。


「……ょう、…………ゆ……う…………。……ゆ、め……」


「夢……?」


 周は訝し気に彼女の言葉を繰り返す。未だ震える彼女の口元を見つめる。


「……ゆめ……う、つつ? ……おう? いや、ちょう?」


 夢。現。蝶。

 彼女の掠れる声を周が代わりに音にする。


「どういう……」


 何が起きているのかわからない。


「ゆめ、……を…………」


 彼女の手に蝶が舞うような軌跡が集まる。軌跡の先は店の向かいに植わっている金木犀だ。


「まさか……!」


 周は彼女の手を取る。軌跡は彼女の手に吸い込まれ、その軌跡を彼女の手は握る。すっと軌跡が消えると、周は冷たい指を解くように手の内を開く。冷たい彼女の手には黄金色の星が刻まれた玉が握られていた。


「嘘でしょ……」


 軌跡は玉に吸い込まれるようにして消える。そして、神秘的な虚ろな瞳に光が宿る。


「……あれ?」


 パチパチとまばたきを繰り返した瞳は見慣れたもの。まだ焦点がはっきりと合っていない瞳は周と捉えると大きく見開かれる。


「……しゅう?」


「望ちゃん、正気に」


 戻ってよかった、と言葉を紡ごうとした周に、月鏡が閉ざされる。そして、冷えた身体が背中から倒れようとする。


「ちょっと!?」


 周は急いで望の身体を抱きとめる。


「望ちゃん!? おーい」


 力が完全に抜けており、ぐったりと周の腕に身を預けている。


「……」


 周は望を抱き上げる。冷えた望の身体は就寝時のもののようで寒空の下を歩くのに適していない。これと言った持ち物もなく、着の身着のまま、靴も履かずに夢屋まで来たようだ。


「……どれだけの時間が残されているんだろう」


 周は煌々と輝く月に問いかける。しかし、周の問いかけに月が答えることはなかった。


◇◇◇◇◇


 こんな夢を見た。


 滲んだ視界に手を伸ばすと、その先で欲しい言葉を贈ってくれる男がいた。


「そうか。それは辛い思いをしたね」


 男はこちらが伸ばした手を優しく包み込む。


「ああ、こんなに手が震えて……」


 男は淡く微笑む。


「そんなに泣かないで。話を聞かせておくれ。私が■を思う心は茲にあるのだから」


 滲む視界が晴れる。曇りの晴れた視界の先の男の顔がはっきりとする。

 細い目をさらに細めた男の慈愛に満ちた笑顔に胸の内が温かくなる。

 しかし、その笑顔が崩れ去る。無となった彼の顔はこちらを見下している。


「ごめんなさい」


 震えた声が男に向けられる。

 冷酷な顔の男は応じるように口を開く。すると、男の言葉が押し寄せる。勢いのある濁流が男とこちらを引き離すように押し寄せる。


「そんなに泣いても赦されるわけがない。もう私がお前を思う心は非ず」


 男は無慈悲にそう言い放つとこちらに背を向ける。


「ごめんなさい……。ごめんなさい……。赦してなんて、そんな贅沢思いません」


 濁流に抗うように手を伸ばす。

 しかし、男がこちらを再び見ることはなく、濁流に押し流される。



 否、

 そんな夢を見てしまった。


 

 胡蝶が一羽、ひらりと舞った。

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