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夢屋 胡蝶  作者: 真鶴 黎
第八夜 ウツシヨ■トフ
62/88

#1

 紅葉のような赤色が支配する空の頃、望はうとうとと船を漕いでいた。その様子を周は隣で見つめながら最近までのことを整理する。

 お盆前のあの日以来、望が体調を崩すことはなかった。帰省してもとくに身体に変化はなかったらしく、問題なく就職活動をしていたそうだ。こちらに戻ってきてからも元気な様子で、健康そのものだ。

 しかし、彼女の身体に異変が起きていることは確かだった。帰省からこちらに戻ってきた際、棗と周とで痣の確認をした。肩甲骨の間にあった痣は変わらずあった。

 だが、痣の形が変貌していた。以前は四つの楕円を組み合わせたようなぼんやりとした形にしか見えなかった痣の輪郭がはっきりとしてきた。そして、夢の気配もわずかに強くなっていた。

 痣の様子は変化していたものの、望の身体に異常はない。以前のように周が触れても気分が悪くなることもなかった。だからと言って油断は禁物だと棗と周は思っている。いつ何時、変化が生じてもおかしくないのだ。

 現に最近の望は眠そうにしていることが増えた。普段ならば、絶対に気を抜かない望が店先で欠伸をしたり、うとうとと無防備に船を漕ぐようになった。さすがに、客がいるときはそうでもないのだが、店内が静かだと眠そうにしている。あれこれと忙しなくしているところを見ると、疲れが溜まっても不思議ではない。

 そう言えば、と望の友人が睡眠に悩んでいたこともあったと周は思い出す。時々、望の口から彼女の名前を聞く。大学院へ進むための勉強で忙しそうにしているとのことだが、元気そうだ。


「……」


 周は眉根を寄せる。

 痣が出てからというもの、望から夢の残滓は消えない。今も無防備に船を漕ぐ望から微かにする。集められるほどの量でもなく、周としても調べようにも調べられない状態だ。

 周は盆明けに届いた文を思い出す。昔と変わらない字で綴られた一族の長からの文。


 手を貸そう。


 そう綴られた文が届いたのだ。望にも話はしてある。望はほっとした表気持ちと周を案じる気持ちと綯い交ぜになった目をしていた。

 もうひとつ、周には気がかりなことがある。鬼籍帳のことだ。そちらについては篁とよく連絡を取り合うようにしている。冥府の動きや望の様子が主な内容となっている。冥府としては原因究明を急いでいるそうだが、これといった進展はない。篁や他の冥官が奔走していても手がかりはなしらしい。互いに新しい情報はなく、最近は言葉少なに終わることが多い。

 周は机の上で手を組み直す。細い目を閉じ、深く呼吸をする。

 優しい子。聡く、思いやりのある望のことが解決できればいい。周の事情で遠回りをさせてしまった彼女へのせめての償いだ。

 そう周が思っていると気配を感じる。こちらです、と促す声とありがとう、と応じる声がする。


「望ちゃん、来たみたいだよ」


 周が声をかけると、望の肩が跳ね、顔を上げる。


「あ、ごめん……」


 周は眠そうな顔をしている望に苦笑する。


「お客様、お連れ様がいらっしゃいました」


「どうぞ」


 周が襖越しに応じる隣で望は頬を軽く叩く。

 それと同時に襖が開く。

 女将と共に姿を現したのは一人の青年だった。真面目そうな顔立ちの青年の装いに望は目をまばたかせる。中国の時代劇で見るような漢服を身にまとっている彼の気配に望は目を瞠る。

 人間ではない。姿形は人なのだが、気配が人ならざる者のそれだ。青年の気配は望もよく知る者の雰囲気とよく似ている。

 望はちらりと隣の周を見上げる。その周は気まずそうだが、無理やり表情を和らげている。


「こんばんは」


 青年の方から話しかけてくる。彼の方も緊張しているのか、声音が硬い。


「こんばんは、槿(きん)


 周は青年の名を呼ぶ。すると、槿と呼ばれた青年は目を丸くする。


「私のこと、わかるのですか?」


「僕の弟分の顔がわからないなんてありえない。……大きくなったね」


 懐かしむように周が言うと、槿は照れ笑いを浮かべる。その目には懐かしさが浮かんでいる。


「ああ……。あなたという方はまだ私のことを弟と呼んでくださるのですか?」


「うん」


「……そうですか」


 槿は女将に目配せする。女将は静々と頭を下げて襖を閉めて立ち去る。

 女将の足音が遠ざかると槿は膝をつき、深々と頭を下げる。


「ご無沙汰しています、周兄さん」


「うん、久しぶり。遠いところ、よく来てくれたね」


「いいえ。こちらの方こそ、お気遣いいただいて申し訳ない」


 周たちがいるのはとある料亭。常盤街とはまた違う妖街は交易が盛んな地の一角だ。涼しい秋の初めの風が異国の言葉を運び込む。

 遠方から来る一族の遣い。夢屋に招き入れてもいいのだが、誰が来るのかわからない。いくら、貘が穏やかな性質の者が多いとは言え、一族の宝を逃がした周を恨む者はいる。襲撃される可能性が少しでもあるのなら、避けたい。

 被害が周だけで済むのなら構わない。しかし、夢屋は人間界にある。望はもちろん、他の人間を巻き込むわけにはいかない。それは常盤街の住民にも言えることだ。そのため、表向きはこちらも行けるところまで出向くと伝えているが、本音は警戒しているからだ。

 貘は放浪の一族。自然と交易の場を利用する機会も多い。下手に暴れることがあれば今後の旅に支障をきたす。そのような危険を冒すことは考えにくいため、あえて周はこの地を指定したのだ。


「たまの旅行もいいからね」


 周は望に同意を求める。事情を知っている望はうんと周に返す。

 槿は顔を上げて周の隣にいる望を見る。


「それで、そちらの方が……」


「そう、件の女の子」


 望の視線が槿の目と交差する。彼の生真面目そうな目が細められる。


「申し遅れました、私、貘の槿と申します。あなたが舟橋望さんですね」


「はい。初めまして」


 望はぺこりと頭を下げる。

 貘の一族の使い。周は一族から絶縁されていたと言うわりには、彼は物腰が柔らかい。周の弟分ということもあって周のことを敵視していないのかもしれないと望は分析する。


「本題に入る前にご飯にしない? 長旅疲れたでしょ?」


 旅装束の弟分を手で招いた周は品書きを開く。


「ご一緒していいのですか?」


「うん。ね、望ちゃん」


「はい」


「では、お言葉に甘えて」


 槿は周に招かれるがまま、二人の対面に腰を下ろした。




 望は食後に出されたほうじ茶を啜りながら、談笑する周と槿を眺める。

 物腰が柔らかく、礼儀正しい青年。槿の第一印象だ。貘は穏やかな者が多いとよく聞く。槿もその例に漏れず雰囲気が柔らかい。口調も丁寧で、周のことを兄さんと呼び、敬愛していることが見て取れる。

 どことなくぎこちないところもあるが、久しぶりの再会が嬉しいのか、周の声が弾んでいる。槿と接しているときは望や杏介、茜たちとは違い、普段のチャラチャラとした顔が控えめなような気がする。


「槿、変わったね」


 最近読んだ本の話に区切りがついた周はそう切り出す。


「そうですか?」


 槿は不思議そうに首を傾げる。


「角が取れたかな」


 昔の槿は良くも悪くも熱心な子供だった。何事にも全力で取り組む子供だったためか、こだわりが強く、自分が思うような結果になるためなら手段を選ばないところがあった。

 よく言えば最後まで全力、悪く言えば粘着質なところが彼にはあった。だからこそ、言葉がきつくなり、相手に誤解されるような言動をすることもしばしばあった。


「元服前から兆候はあったけど、言葉遣いが柔らかくなった」


 話し方も言葉選びも変わったと周は思った。顔つきも夢へと全力で向かうために余裕のないものだったところが、温和になったように見える。


「昔のままでは各方面に支障がでますから」


 槿は苦笑する。昔は衝突することが多かったが、今となってはそれでは円滑なやり取りはできない。


「それに、言葉に関してはやはり先生の影響が強いですから」


 先生という言葉に周の瞳が一瞬揺らぐ。それを望の目は捉える。


「周?」


「……ああ、ごめんね。今日の本題を忘れるところだった」


 つい弟分との話で盛り上がってしまい、望をほったらかしにしてしまった。


「いや……」


「舟橋さん、ごめんなさい。あまり遅くなってもよくないですし、本題に入りましょうか」

 

 そうではないと望が言葉を発する前に姿勢を正した槿に話を持って行かれる。


「そうだね。じゃあ、早速」


 周は細い目で弟分を真っ直ぐに見つめる。その表情は真剣そのものだ。


「今回の件、貘の一族は本当に手を貸してくれるの?」


 槿は周に応じるように力強く頷く。


「はい。こちらから話すこともありますし、訊きたいこともたくさんあります」


 槿は懐から文を取り出すと周に差し出す。綴られた文字は長の字だ。

 周は文を開くと、中身に目を通す。望は隣から文を覗き込む。

 文の内容としては槿が言ったとおり、協力すること、そのためにもそちらの状況を教えてほしい、といった内容だった。以前届いた文の内容とあまり変わりないものだ。


「……なるほど」


 周は文を机の上に置く。必要最低限のことのみ書かれた簡素な文だ。


「先にこっちから話をしてもいい?」


「はい。そちらの方が助かります」


 周の申し出に対し、槿は記録するために手帳と筆を取り出す。


「じゃあ、順番にね。望ちゃん、彼に話を」


「うん」


 望はあの怪異に襲われた日から話を進める。幼い頃に怪異に襲われて冥官の篁に助けられたこと、あの日以来夢を見ていないこと、そして、三年前に周と出会い、今まで夢を見られない原因を探っていたことを話す。

 槿は望の話を聞きながら手帳に記していく。


「……なるほど」


 一通り聞き終えた槿は顎に手を添えながら思案する。簡単な経緯は望からの文で知っていた。文の内容と齟齬はないと思いながら手帳に改めて整理する。


「現状、手がかりはないということで、貘の一族を頼った、と」


「はい」


「ふむ。……ちなみに、その後、お変わりはありませんか?」


 距離があるため、文のやり取りに時間がかかる。その間にも事態が動いていることもある。望という人間と接触することが今回の一番の目的でもあるが、何かしらの変化があるのなら、そちらも確認するようにと長から命じられている。


「……」


 望と周の視線がかち合う。まさに、文を出してからの出来事で気になることが起きた。


「……この子の背中に痣が出た。以降、夢の気配がする」


 周が説明すると、槿は眉根を寄せる。


「……夢の気配がするのは私も感じています。こうしてお会いしたときに、夢を見られない彼女から夢の残滓がある。疑うような言い方で申し訳ありませんが、夢を見られないというのは本当ですか?」


 夢を見られないと言う人間の娘。そう聞いていたのだが、微かに彼女から夢の残滓を感じ、槿は不思議に思った。

 霊力が強い。望を見て、否、部屋に通される前に感じたことだ。澄み切った水鏡のような美しい瞳が彼女の霊力の強さを物語っている。今時、これほど強い力を持つ人間は稀であると感じた一方で、別の脆弱な気配をまとっているとも感じた。微弱なその気配は貘である槿には馴染の深い夢の気配だ。


「痣が出てから夢の気配がするようになったんだ。痣が出てから夢の気配はあっても、彼女が夢を見ていることはなかった」


 痣が出て以来、周は何度か望が眠っている間に干渉した。結果は今までと変わらず、彼女が夢を見ているような形跡はなかった。しかし、夢の気配を感じるという奇妙な状況なのだ。


「そうですか。ちなみに、痣というのは背中のどの辺りですか?」


「肩甲骨の間。蝶とも花とも言えるような、楕円を組み合わせたような形」


 こんな感じ、と周は痣の模写を槿に差し出す。茜に頼んで描いてもらったものだ。槿はその絵をじっと見つめると眉間に皺を刻む。


「うーん……」

 

 槿は腕を組んで考え込む。


「知ってる?」


「いいえ。心当たりはないですね。確かに、蝶とも花とも……鳥の羽を交差させたような文様にも見えなくもない」


 どうとでも解釈できる形。槿はそう感じる。


「痣の出現による体調に異変は?」


「痣が見つかってすぐに僕が触ったら、体調を崩してしまったんだ」


 望の背中に痣が見つかった日、周に触れられたときに気分が悪くなった。あの日以降、周が触れてもとくに問題は起きていない。周の貘の力に反応したのかもしれないという仮説は違うのかという話にもなっているほど、何もない。


「兄さんが触った以外は問題なしですか?」


「そうだね。本人が痛みを感じることはないし、最初以外は触っても反応ない」


「今のところ、ご本人に異常は見られない、と」


 槿はさらに眉根を寄せる。


「お手を借りてもよろしいですか? あなたの夢の核の状態を知りたいです」


「はい」


 望は槿に手を差し出す。槿は、失礼、と言って望の手を取る。

 槿は目を伏せると意識を集中させる。すると、彼の身体から周が夢を見たり取り出したりするときのように不思議な力が放たれる。

 痣が見つかったとき、同じようにして周に手を取られた。そのときはとくに異常なし、今まで変わりない、という結果が出たが、今回はどうだろうか。

 望がそんなことを考えていると、背中の痣の辺りが疼く。

 チカッと目の前が真っ白になる。その白い世界の中、キラキラと光る粒子と遠ざかる小さな影が見える。


「……っ!」


 望の目の奥の方が痛み、視界が眩む。

 そして、パン、と軽い音がする。戻った望の視界の先にはぽかんとする槿と虚空を掴む彼の手があった。


「望ちゃん?」


 予想だにしなかった望の行動に周は掠れた声が出る。

 思わぬその行動に望は自分の手を見つめる。手に残る感触は何かを叩いたようなものだ。


「槿さん、ごめんなさい。その、身体が勝手に……」


 彼の手を弾いた。それは望の意思ではない。まさに、身体が勝手に動いたのだ。

 それでも、してしまったことはしてしまったこと。咄嗟に判断した望は槿へ謝罪する。


「……不思議なことがあるものですね」


 槿は柔和に笑いながら手を引っ込める。

 しかし、望は安堵の息をつけない。ほんの一瞬、彼の笑顔に影が見えた気がする。

 彼を傷つけてしまった。そう思うと、背中の疼きが大きく一度脈打つ。


「私の力に反応したのでしょうか?」


「どうなんだろう。望ちゃん、大丈夫?」


 心配する周の声に望は槿から目を逸らす。


「あの、何か不快にさせてしまいましたか?」


 案じるように問う槿の声に望はふるふると首を横に振る。


「……すみません。一瞬、視界が白くなって。少し気分が悪いので、席を外してもいいですか?」


 槿は周に視線を送ると彼は同意するように頷く。


「無理させたくないし……。いいかな、槿」


「ええ」


「ごめんなさい」


「いいえ、お気になさらず」


 望は周を一瞥する。周の目が案じるように望を見ている。


「大丈夫?」


「うん。ちょっとお手洗い行ってくる」


 槿には明かしていないが、万が一のときのために隣の部屋で杏介が控えている。周の奢りで美味いもの食うぞ、と張り切っていた彼のところで休ませてもらおうと思う。

 望の意図を理解した周は小さく頷く。

 望は二人に向かって深々と頭を下げる。


「申し訳ありません、槿さん」


「お身体の方が大切ですから。兄さんから話を聞きますね。どうぞ、お大事になさってください」


 それでは、と望はショルダーバックを肩に掛けて部屋を出ると隣の部屋へ足を運ぶ。ふらつく足に力を入れ、壁を伝う。


「……杏介さん」


 望は小さく声をかける。すると、気のいい返事が部屋から聞こえる。望が静かに襖を開けると、寝転んでくつろぐ杏子色の目が見開かれる。


「望、大丈夫か? 顔色が……」


 飛び起きた杏介は望の元へ駆け寄ると顔を覗き込む。青白い顔の望に痣が出た日の夜が思い出される。


「すみません、ちょっと気分が悪くて……。話し合いの席を出てきてしまいました」


「周が何とかしてくれるだろう。そんなことより、ほら、中入れ」


 杏介は望を招き入れると襖を閉じる。

 杏介に促された望は膝から崩れ落ちるようにして座り込む。


「薬、持ってきてるか?」


 念のためな、と望は棗から薬を処方されている。悪寒や頭痛を押さえてくれる薬だ。

 望はバックからポーチを取り出す。


「水もらってくる。待ってろ」


 そう言って杏介は部屋を後にする。

 しん、と静まり返った部屋で望は机の上に腕を組むとそこに顔を埋める。


「……」


 脳裏に真っ白な世界がよぎる。まるで、曇りガラスを通して見たぼんやりとした光景。キラキラとダイヤモンドのように輝く光の粒子。遠ざかる景色に何か影があったように見えた。


「何が起きてるんだろう」


 自分の身体に起きている変化。一時的なものなのか、それとも。

 望は重い息を吐くのだった。


◇◇◇◇◇


 パタン、と手帳が閉じられる。周から聞いた内容をまとめた槿はしばし思考すると重い息を吐く。


「この件、一度一族へ持ち帰らせていただきます」


「そちらから出せる情報はないの?」


 周は懐中時計を見やる。かれこれ一時間は話した。途中、女将より望が外の空気を吸ってくるという言伝があった。女将に望のことを尋ねると、若干顔色が悪かったものの、受け答えははっきりしていたそうだ。杏介を頼ったとするのなら、一人では出ていないだろうと結論づけた周は槿との話し合いを優先させた。

 しかし、その話し合いは周がこれまでの経緯を話したことに対し、槿が質問をするばかりだった。周側だけが情報を落としたのみで、槿はこれと言った情報を話していない。

 不満そうにする周に槿は何か言おうとするも一度口をつぐむ。


「……情報はあります。ただ、私からお伝えすることはできません」


「それはなぜ?」


 槿は淡々とした口調の周に視線を落とす。


「私にも知らされていないことが多いからです」


 夢を見ないという人間から文が届いた。どうやら、周と関係があるようだ。

 そのような話が一部の貘に伝えられた。槿もその内の一人だ。しかし、伝えられた貘の中でも、槿の立場は低く、知らされていないことが多い。

 これは槿だけがどうにかできる事案ではない。だから、持ち帰るしかなく、周に何か教えられるものがないため、ため息が出てしまった。


「……そう。もう一度訊くけど、そちらから情報を出してもらえないんだね」


「申し訳ありませんが、今はお伝えすることができません。ですが、この件を持ち帰り、何かしらの返答をするとお約束いたします」


 深々と頭を下げる槿に対し、周はため息をつきたくなる。

 槿が悪いわけではない。絶縁された周にそう簡単に手の内を明かしたくないという一族の思惑を考えれば致し方のないことだ。

 周はため息を飲み込むように茶を飲む。微妙な温度になってしまった。


「待ってるから、必ず何か返事をちょうだい」


「はい。それは、長から伝えるように言付かっていますから」


 望のため。それが槿が長から預かった言葉だ。


「じゃあ、そういうことで」


 周はメモをしようと用意したペンをクルクルと回す。結局、このペンは活躍することなく、空回りするだけになってしまった。


「ところでさ」


「はい」


 周の神妙な面持ちに槿は背筋が伸びる。


「皆元気にしてる?」


「……はい」


「そう」


 周は何人かの顔を思い浮かべる。誰も彼も朧気な顔だが、怒りを露わにした顔と怒鳴りつける声だけははっきりと覚えている。


「文を見る限り、長は元気そう」


「ええ。昔から変わりありません」


 周と槿が子供のときと、ほとんど変わらない。貘の一族を束ねる長らしく、淡々としている反面、一族を愛する優しさを持っている貘だ。


「槿は今は何をしているの?」


「私は補佐官を」


「だよね」


 なぜ、槿が遣わされたのか。単純に周と仲が良かったからとも言えるだろうが、一族の使いとして来たのだ。

 長に近しい者。つまり、長の執務を補佐する立場であり、かつ、周と馴染みのある者と考えれば自然と槿が来ても不思議ではない。


「大分遅くなったけど、補佐官になれてよかったね」


 槿の幼い頃からの夢だ。補佐官になり、一族を引っ張っていく。そのために、長に仕えると昔から言っていた。

 補佐官になるためには科挙を受けなければならない。もちろん、内容は難しく、幅広い知識が要求される。難関と言われる科挙を槿は突破して補佐官になったのだ。

 蛍雪の功。遅くまで勉学に励み、知識を吸収していった。まさにその言葉が相応しいほどに苦労した成果の現れだろう。


「これからも精進するんだよ」


「もちろん、そのつもりです。先生にもよくしていただいたおかげで今がありますから」


 ペンを回す周の手が止まる。

 槿が言う先生とは周の父のことだ。詩の才があり、科挙の科目のひとつである詩作についても評価をする立場だった。補佐官ではないのだが、彼の詩の才は一族の中で秀でていたため、科挙の際に合否を決める立場であった。

 そんな周の父を師として槿は詩を学んだ。槿は詩作が苦手だった。昔の彼はあまりにも粗削りの詩を作っていたため、周の父の元で詩を学んだのだ。周も槿の隣で詩の手ほどきを受けていたため、槿が周の父に世話になっていたことをよく知っている。


「父上も母上も元気にしてる?」


 詩の才を持つ父と二胡の名手であった母。感受性の強い両親のもと、周は生まれた。

 詩人の父は温厚で、感性が豊かな貘だ。普段の何気ない生活から刺激を受けて、そこで感じたことを言葉にし、詩へと昇華させていく。周はそれが父の大きな才能だと思っている。直観のみで詩を作っていたわけではない。詩のことも学んだ上で、父は詩を作り、それが評価されていた。

 周の父は詩の才があるためか、言い回しが上手かった。韻律であったり、言葉の雰囲気や言い方など、聞き手を引きつけ、感情移入させるような貘だった。感性と理論で生み出される父の詩は周も好きだ。

 二胡の奏者の母も感性が豊かな貘だ。様々な音を二胡で表現することができ、曲を作ることもあった。のびのびとした演奏とは裏腹に周に二胡を教える際は厳しかった。

 曲の意味を考えなさい。それが母の口癖だった。母と周とで曲や演奏の解釈が異なっても否定はしなかったが、適当な演奏をするとひどく叱られた。しかし、母の演奏が評価される理由は曲や奏法をよく知っているからだと周は思っている。

 のほほんとした父とてきぱきした母。対極のような二人は意外にも相性がよく、喧嘩をしているところをほとんど見なかった。

 喧嘩ではないが、父はよく母に叱られていた。詩作のためと言ってふらっと出かけて数日戻ってこないことがあると母の機嫌は悪く、二胡の練習のときもピリピリしていた。そして、出かけたときと同じように父は呑気にふらっと帰ってきては母に叱られる。ごめんね、と口では言うものの、反省しているのかいないのかよくわからない様子の父に母はまた腹を立てる。が、口が回る父は上手いこと母を乗せて、その場を丸く収めていた。

 そんな昔の記憶が蘇る。それと同時に、あの日の二人を思い浮かべようとする。

 最後に見た二人の顔はどんなものだったか。せめて、今も元気にしていてくれたらいいと周は願う。

 しかし、槿の口から言葉が出てこない。周は槿に視線を送ると、彼は悲しそうに目を伏せている。


「……罰せられた?」


 大罪を犯した周の両親に何か罰が与えられてもおかしくない。彼らを巻き込んでしまって申し訳ないと周の胸の中で罪悪感が広がる。

 しかし、周の問いかけに対し、槿は否定する。


「長からのという意味では何も咎められませんでした。しかし」


 槿はぐっと言葉を押し込むように眉間に皺を寄せる。


「しかし?」


「……」


「どうなったの?」


「……知らない方がよろしいかと」


 槿は言葉を絞り出す。


「僕は知りたい」


 静かだが、きっぱり言い切る周に槿の瞳が揺らぐ。


「ですが……」


「ひどい状態が僕のせいなら、背負うべきことだ」


 両親の状態が悪いのは自分のせい。育ててくれた彼らに重荷を背負わせてしまった。彼らが歩むべき幸せを壊してしまったのなら、償わなければならない。

 二人の子供である周ができる数少ない親孝行だ。


「……」


 槿は逡巡すると、観念したように口を開く。


「……結論から申し上げますと、お二方とも亡くなられました」


「……」


 周は目を伏せず、そのまま先を促す。


「長からの罰はありません。ですが、一族の目は厳しかった」


 周が追放された直後、周の両親は一族から責められた。お前たちがきちんと躾ていないからだ、と罵声を浴びせられていた。その怒号に対し、周の両親は地に伏せてひたすら頭を下げて謝罪していた。

 槿はそのときの二人の顔をよく覚えている。今にもぷつりと糸が切れてしまいそうなほど、二人とも緊迫した顔をしていた。声は枯れ、身体は震え、額に脂汗を浮かべていた。衣や身体が土にまみれるまで、二人は頭を下げ続けた。

 彼らを責めるのは止めなさい。

 長が制しても、罵詈雑言や侮蔑の目は止まらなかった。二人を見る目は厳しく、交流が最低限になっていた。村八分のような状態に、槿は周の父に詩を習いに行くのも憚られるほどだった。

 それでも、槿は周の父の元へ通った。あまりにも悲惨な状態の二人を放っておくわけにはいかなかったため、補佐官になるという夢のためという理由を盾にした。槿は自身の両親や周りの貘の制止を振り切って通い続けた。周の父と母は苦しそうにしていながらも、槿を迎え入れ、周の父は詩作を指導してくれた。

 そのかいがあって、数年後、槿は科挙に合格し、補佐官になることができたのだ。


「時が経つにつれ、周囲の目も落ち着いてきました。その頃になれば、お二方の様子も戻ってきていたように思います」


 事件直後の頃の周の両親はぎこちない様子で槿を迎え入れていたが、長い時を経て元に戻ってきていた。休憩がてら外を歩こうと周の父が誘ってくれたり、お菓子をあげると周の母が菓子をくれたりといつもの二人に戻ってきていた。

 少しずつだが周囲との交流も元に戻ってきた。いつしか、二人が悪いというよりも周が悪いということで落ち着いてきた。


「兄さんのせいにすることで皆が落ち着いてきたのは腑に落ちませんが」


「それで父上と母上、一族の皆が安らぐのなら、僕は構わない」


 周が悪いという事実は正しいのだから。それで両親が生きやすくなったのなら本望だ。

 槿は周の言葉にさらに苦々しい顔をする。


「一族全体が落ち着いてきたのは確かに事実です。しかし、本当のところ、お二方はそんなことはなかったのです」


 初めは小さな違和感だった。周の父が作る詩の雰囲気が変わったと思ったことが最初だったかもしれない。

 情景描写を得意とする周の父の詩に槿は影を感じた。もちろん、寂しさを詠むことがあるのは槿もよく知っているが、それとは違う仄暗い雰囲気を感じた。清らかな寂しい、憂いとは違う、錆びつくような嫌な侘びしさを感じた。

 当時は珍しいと思う程度だったのだが、今となっては変化の兆しが見えていたのはではないかと思うほどの小さな違和感だった。


「いつしか、先生の詩や小母上の演奏から狂気を感じるようになりました」


 美しいと言われた周の父の詩は穢れ、艶っぽいと言われた周の母の演奏は乱れた。

 二人の表情も変わってしまった。生気のない顔色、こけた頬に対し、目だけはギラギラと光っていた。徐々に朽ちていくかのように変化する二人に槿は恐ろしいと感じた。

 槿だけでなく、他の貘たちもそれを感じ取っていた。やはり二人の元へ行くのは止めろと言われた槿だったが、誰かが見ていないと二人がどうにかなってしまいそうだという不安があったため、通い続けた。

 そして、二人の最期の姿が槿の脳裏に浮かぶ。


「先生は筆を、小母上は弓を折った後、毒を……」


 槿は先の言葉を飲みこむ。

 槿が第一発見者だった。やけに静かな二人の家に嫌な予感がしたのだ。その予感の元、声をかけても返事がなく、気配がなかった。

 一言断り、槿が家へ入ったとき、二人が眠っていた。周の父の傍には折れた筆と砕けた硯、周の母の傍には二胡と弓が破壊された状態で転がっていた。そして、二人の手元には杯があり、槿が発見した時点で、二人の身体は冷たくなっていた。

 すぐに他の貘を呼び、現場検証をした。最近の二人の様子も鑑みた結果、不安定な精神状態により大切な物を破壊し、毒をあおって命を絶ったという結論が出された。


「以上がお二人の最期です」


 槿は声を絞り出しながら話を締める。忘れたくとも忘れられない非業の死を槿の目が捉えた。


「……」


 周は語られた両親の最期に呆然とする。

 貘という生き物は夢を通じて他の生き物の感情や記憶に触れることが多い。その感情や記憶は必ずしも美しく、清らかなものとは限らない。時には毒々しいものや、目も触れられないような悲惨なものもある。繊細な心を持つ貘ほど、そう言った夢に触れたとき、精神をすり減らし、病んでしまう者もいる。

 最悪の場合、自我が崩壊してしまう者、命を絶つことを選んでしまう者もいるのだ。

 芸術家である二人は貘の中でも感受性が強い。そのため、時として感情に振り回されやすい面があった。それが詩や音楽へと昇華されていた一方で、周のことがあり心に深い傷を負った。

 結果、二人は精神を病み、最期は自ら命を絶つこととなってしまった。

 何も言えない周に槿は気まずそうに視線を落とす。


「……兄さん、ごめんなさい。私がもっと気を配っていたら」


 槿がもっと二人のことをよく見ていたら。周が一族から追放されてから槿が二人のことをよく見ていたのに、違和感に気がついていたのに、遅れをとった。最悪の結果となってしまったのだ。


「槿は悪くない。僕が全ての元凶だから」


 両親が狂い、命を絶ったのは自分が原因。むしろ、槿には一族から遠ざけられた二人の元へ通ってくれたことに感謝している。

 周は深々と息をつくと笑顔を浮かべる。


「ありがとう、槿」


「……」


 槿は苦しそうに顔を歪める。


「終わろうか。お互い、話すことや知りたいことは済んだだろうし」


「……はい」


 周は冷めてしまった茶を飲み干す。ほろ苦い茶を押し込むように喉へ通す。


「宿はとってる?」


「はい。押さえてあります」


「なら、よし。しばらくはこっちにいるの?」


「いいえ、明日には発ちます」


 槿の言葉に周は慌ただしいと思う。もう少しゆっくりすればいいのにとも思うが、望のことを一族へ持ち帰る必要があることを思えば、急がざるをえないだろう。


「そう。じゃあ、気をつけてね」


「ええ。またお返事しますね」


「よろしく」


「承知しました」


 深々と頭を下げる槿に周は寂しそうに目を細めた。

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