#5
川辺をのんびりと歩く二人は先日出会った人魚の姿を見つける。晴れ晴れとしたその横顔は水面を見つめながら、深海を思わせる暗い色の髪をいじっている。
「……!」
「……ん?」
望と周は歌帆の姿に目を合わせると、急ぎ足で彼女の元へ向かう。
「歌帆ちゃん」
周が声をかけると、歌帆の海色の瞳が二人を見上げる。
「夢屋さん、望さん、こんばんは」
先日会ったときよりも声が明るい。透き通った声音に変わりはないのだが、声音が元気になっている。張りのある声だ。
「こんばんは、歌帆さん。髪、切られたのですか?」
腰ほどまで伸びていた彼女の髪は肩の辺りでばっさりと切られている。半分以上切るとは思い切ったことを、と望は思う。
歌帆は小さく笑うと髪の先を摘まむ。
「はい。……変ですか?」
「いいえ。お似合いです」
清楚な人形のようで長い髪の姿もよく似合っていた。短い髪の方も活発な印象を与え、明るく見える。
「ありがとう」
歌帆は嬉しそうに笑う。髪飾りの真珠が艶やかに光る。
「結構切ったね」
よいせ、と周は腰を下ろす。望も周に倣い腰を下ろす。
「ええ」
歌帆は髪から手を離す。
夢屋を紹介してくれた呪術師との約束だった。
『お前の髪を対価として、件の男のことを教えてやろう。綺麗な髪だ。私の鬘にする』
呪術師がそのようなことを言っていた。髪と引き換えに彼のことを知ることができるのならと歌帆は応じた。歌帆の髪を鬘にでもすると言っていた気がする。
「彼、びっくりしない?」
「びっくりするでしょうね」
眼鏡の奥の瞳をまん丸にして、歌帆どうしたんだ、と尋ねてくる様が容易に想像できる。
「あの、入院されている方の容態は?」
夕方、夢玉を小瓶に収めている周の様子や歌帆の元気そうな様子を見る限り、いい方へ転じていることは望にもわかる。
「おかげさまで、目を覚ましたそうです。ただ、退院はしばらくかかるみたい。治療もそうですけど、りはびり? に時間がかかるそうです」
カモメの姉弟が教えてくれた。長いこと眠っていたため、身体が鈍っている。そのため、身体を動かせるように訓練するそうだ。
「そうでしたか。よかったですね」
めでたいことだ。望は相手がどのような人物なのか、歌帆が教えてくれた以上のことは知らないものの、無事に目覚めたという吉報に安堵する。
「はい。夢屋さん、ありがとうございました」
歌帆は深々と頭を下げる。夢屋に依頼してよかったと歌帆は心の底から思っている。
「こちらこそ。いい夢だったね」
そう言って周は鞄から小瓶を取り出す。
歌帆の瞳と揃いの海色の球体。船のような、クジラのような巨体が横切り、泡沫のような気泡が入った夢玉だ。その気泡が音符のようにも見えて夢の中で奏でられた旋律を思い起こさせる。光にかざすと、どことなく未明時の海の色を思わせる綺麗な夢玉だ。
「これが取り出した夢を形にした夢玉だよ」
はい、と周は歌帆に瓶ごと渡す。歌帆は両手で受け取ると瓶から夢玉を取り出して、じっと見つめる。
あの日見た夢と同じ海色の球体。彼との大切な思い出が形になった。
「……素敵な夢玉ですね」
「ね。売り物にしたいぐらい、いい夢だった」
切ない夢物語。泡沫のように儚い夢。その儚さは人魚が人間の目覚めを祈りからくる美しい夢だった。
「ありがとうございます。大事にします」
歌帆は夢玉を瓶にしまうと両手で包み込む。大切な彼との記憶だ。
「ぜひそうしてね」
「はい。あ、お代はおいくらですか?」
「んーとね、三千円」
「……え?」
歌帆は予想外の値段に間抜けな声を漏らす。
「そんなにお安いのですか?」
一から夢を作る、かつ、二人の夢を繋げるという手筈で依頼した。おおよその金額を聞いたとき、今提示された金額の倍以上で、湊太の状態によってはもっとするかもしれないと言われたのだ。それを覚悟の上で歌帆は用意してきた。
「いい夢見せてもらったからおまけ」
「ですが……」
「いいよ。本当は僕が食べてしまいたいぐらい、いい夢だったから」
どんな味がするのだろうか。海水のような味か、涙のような味か。それでも、きっと美味く、周好みの夢だと思っていたのだ。
彼の目覚めといいものを見せてもらった感謝。それが周から歌帆へ対する気持ちの表れなのだ。
「……」
「三千円。これでもちょっと高いけど、お願いできるかな?」
「……夢屋さん、失礼を承知で申し上げますが、赤字になっていませんか?」
「回ってるよ。じゃなきゃ、ここまでおまけしない」
それだけの価値がある夢を見せてもらった。周はそれに見合う対価として金額をまけたのだ。
価値のあるものにはそれ相応の価値がつけられるべき。周はそう考えている。二人の大切な時間に邪魔した立場のは周だ。見せてもらった分の価値を周が払ったまでだ。
「そうですか。わかりました」
そう言って歌帆は財布から先ほど換金した紙幣を周に差し出す。
「ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございました」
歌帆は深々と頭を下げる。彼が目を覚ましたのは夢屋の協力があってのことだと思っている。感謝してもしきれない恩がある。
「あ、そうだ。歌帆ちゃん、ラムネ飲む?」
はい、とエコバッグから周はラムネの瓶を取り出す。涼やかな水色の瓶をゆらゆらと揺らす。
「え?」
「炭酸駄目? それとも、初めて飲むかな?」
人ならざる者の中には炭酸が苦手な者もいる。中には口の中に花火を突っ込んだのか、と慌てる者もいたぐらいだ。
最近だと、直人が面白い反応を見せた。初めてラムネを口にした直人の反応は見物だった。一口飲んだだけで、ぴゃっと跳び上がり、棗の元に駆けていって口の中を見てくれと焦っていた。味自体は嫌いではないようだが、今も警戒しながら口にする。やはり、一口目は驚いて小さく身体を震わせている。その様子を杏介にからかわれては意地を張っている。
歌帆はどうだろう、と周は疑問に思う。
「頂いたことはありますが……」
湊太が持ってきてくれたのだ。一緒に飲もう、と夏になると持ってきてくれた。初めて口にしたときは、舌の上で弾けるあの刺激的な感触に驚いたが、すっきりとしたあの味は歌帆も好きだ。
「じゃあ、あげる」
はい、と周は歌帆にラムネを渡す。歌帆はおずおずと受け取る。
「あの、お代は……」
「これもサービス」
「これ以上はさすがに……」
夢のお代をまけてもらった手前、ラムネもとは流石に気が引ける。
「んー、じゃあ、僕の商売にちょっと協力してくれる?」
「私にできることなら」
と言っても何ができるのだろうか、と歌帆は不思議そうに周を見つめる。周は細い目をさらに細めるとにこやかに笑う。
「歌帆ちゃんが見る夢をうちの商品として売りたい。もちろん、歌帆ちゃんや周りのことの情報が漏れない範囲のね」
「はあ……。それだけですか?」
歌帆としてはつり合いが取れないように思う。配慮してもらえるのはありがたいが、果たしてそれでいいのかと思う。
「海の夢って入手が難しいんだ。協力者はいるんだけど、欲を言えばもっと欲しい」
売り物にしろ、周が食べるにしろ、海の夢は希少だ。欲しくとも中々手に入れられるわけではない。
「だから、歌帆ちゃんが嫌じゃなければ、何回か夢を取り出させてもらえないかな?」
「もちろんです。ご協力できるなら」
「ありがとう。じゃあ、詳細はまたと言うことで」
やったー、と喜ぶ周はニコニコと無邪気に笑う。周が喜んでくれるのなら、歌帆としては喜んで協力するまでだ。
「望ちゃんもラムネ飲むよね」
「うん」
望は周から瓶を受け取る。見るからに上機嫌な店主によほど嬉しいのだろうなと思う。
実際、海中の夢を欲しがる客は多い。ある程度ストックは用意しているのだが、陸地の夢に比べて少ない。需要に対して供給が追いついておらず、協力先を増やすかどうか検討しているところでもあるらしい。
その様子を知っている望からすると、周は本当に嬉しいのだろうと簡単にわかる。
「いただきまーす」
周はふたをぐっと押す。すると、カラン、と涼やかな音と共に炭酸が漏れ出る音がする。
「歌帆ちゃん、やり方知ってる?」
「一応」
歌帆も周と同じようにふたをぐっと押す。湊太と一緒に何度か飲んだことがある。
カラン、とラムネ玉が落ち、炭酸が漏れ出る。
「お見事。望ちゃんは」
できる? と尋ねる前にカラン、と音がする。
「できたよ」
「手慣れてるね」
「小さい頃から近くにあったし」
そう言って望はラムネを口にする。こざっぱりした味が舌の上で弾ける。
お盆に祖父母の家に行けば用意されていた。それは幼い頃から変わらない。今も夏に遊びに行けば、いらっしゃい、と冷蔵庫から出てくる夏の風物詩だ。
カラン、とガラス玉が音を立てる。どうしたら出せるのか、と小さい頃は試行錯誤していた。割ればすぐだとはわかっていたのだが、瓶を割るのはどうなのだろうかと幼心に思った。やんちゃな従兄が瓶を観察する望の手から瓶を取ると思い切り地面に叩きつけてガラス玉を取り出してくれたのだが、望は思ったよりも大きな音に驚いて動けなかった。その甲高い音に大人たちが出てきて、破片が飛び散って怪我をしたらどうするのだ、望を驚かせて、と従兄が叱られるのを横に両親と従姉に宥められたのをよく覚えている。
「……って言うか、これ、人間界のだよね」
妖界には想像以上に人間界の物が溢れている。ビニール袋だったり、プラスチック製品だったりと見かけることが多い。食料品も例に漏れず、砂糖や塩などの調味料、菓子類など、スーパーやコンビニでよく見かける品々もある。
屋台で売られていたこのラムネもそうだ。ラベルは剥がされているが、ふたのプラスチックを見れば人間界にあるものと同じだ。
「慣れっこなわけだ」
「まあ……」
今年も顔を出す頃合いが近い。祖父母は元気にしているだろうか、と二人の顔と親戚の顔を思い浮かべる。
「もうすぐお盆ですね」
歌帆はそう言ってラムネを口にする。しゅわしゅわと舌の上で弾けるこの感覚には今も驚かされる。初めて飲んだとき、全身にピリピリと駆け巡り、目を丸くしていたところを湊太に心配された。
今年は彼と一緒にラムネを飲めそうにない。そう思いながら、歌帆は瓶をじっと見つめる。
「お盆だねえ」
周はしみじみと言う。
満月医院も忙しくなってきた。今日は歌帆の件があるため、少し抜けてきたが、患者の多いことだ。大抵は軽傷ならば塗り薬を出し、軽度の熱中症なら休ませるなりで済むのだが、症状が軽くとも数が多いと忙しないことこの上ない。
これがお盆本番となると、と例年の様子を思い出すと周の口からため息が出る。
「お忙しいみたいですね」
「お手伝いがね。海の方のお盆はどうなの?」
周が歌帆に話を振る隣で望は海の住民にもお盆の概念があるのかと思う。
「陸地とあまり変わらないと思いますよ。お祭りがあったり、ご先祖様を歓迎したり。最終日には皆で歌を歌ってご先祖様をお送りします」
歌帆にとっては毎年恒例の行事である。盆の始まりと終わりに家族や友達と一緒に歌を歌う。そうして波が寄せるように帰ってきた先祖を迎え入れ、泡沫へと帰った彼らを送り出す儀式のようなものだ。
「歌か」
夢の中の歌帆の歌声はとても美しかった。澄み渡った高音が心地よかった半面、切ない歌声に胸の奥が震えた。その歌声が彼に無事に届いたならいい、と周は願う。
「いつか、歌帆ちゃんの生歌聴きたいなあ」
周は後ろに手をつく。夢の中の歌声も当然素晴らしかったが、欲を言えば生で聴きたい。
「今からでも歌いますよ」
歌帆のその言葉に周の目がキラリと光る。
「ぜひ!」
歌で貘が釣れた。そんな呑気なことを考えた望は周の芸術に対する好奇心に尊敬する。骨董品だけでなく、芸能や演奏、歌にも興味を持つ彼らしいところである。
望としても歌帆の歌声を聴いてみたいところだ。普通に話していても綺麗な発声をしている。オペラ歌手に似ている気がする。
そんな彼女の歌声、聴いてみたいではないか。望も周の隣でこくこくと頷く。
「何かご希望の歌はありますか?」
「んー、何がいいかな? 望ちゃんは?」
「私? うーん……」
人魚たちの歌を望が知っているわけがない。望が知っている歌は人間界の物ばかりだ。
「少しなら人間界の歌も知っていますので、難しく考えなくてもいいですよ」
湊太に聞かせてもらうことがあるのだ。人間界ではどんな歌が流行っているのか、と尋ねると湊太はスマホや携帯音楽プレイヤーで実際に曲を流してくれた。そのため、歌帆もある程度の曲は知っている。
「……リクエストとちょっと違うかもしれませんが、歌帆さんが好きな人間界の歌、聴きたいです」
「あら。それなら、好きな歌があるの」
歌帆は小さく笑うと、すっと息を吸う。海辺とは違う、水の香を含んだ空気を胸に流し込む。
明けない夜はない。いつか、明けた空の光が標となり、道を照らす。
そんなことを歌った彼が好きな歌。未明の光を標にして進む船を歌った歌が川辺に響き渡った。




