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夢屋 胡蝶  作者: 真鶴 黎
第七夜 歌の標と未明の船
54/88

#1

 命の灯が飛び交う。ほのかに燃えるその光に染まる周を見つめながら、望はふと空を仰ぎ見る。

 星のまたたきに負けじと命を燃やす蛍たちの軌跡。流星のように飛び交う彼らの生きた軌跡が描かれる。

 常盤街で見る蛍は三度目だ。河童の渡し守たち曰く、今年は少し早いそうだ。

 ぼんやりと発光する周の横顔を見つめた望は結んだ髪を後ろへ流す。

 貘の一族に再度連絡をしてみる。貘の一族との確執を聞いた望に対し、周は決意した眼差しで告げた。正直、彼らと連絡を取るのすら怖いが、それでも進まねばならないと決めたそうだ。

 周の決意とほぼ同時に、篁から連絡があった。件の望を襲った怪異の情報が新たに出てきたらしい。と言っても、彼は夢を操るような能力は持っていないというそれぐらいの情報だった。彼自身が望に何かをして夢を見られなくしたということはなさそうという見解が篁と他の冥官の間で出されたそうだ。

 もらった連絡で悪いが、と望は周から貘の一族のことを聞いたと篁に話した。篁は、やっとかといった調子で呆れていた。貘の一族との接触を試みることも伝えると、篁の方でも貘の一族のことで探りをいれていると教えてくれた。

 現在、彼らは中国の方にいるそうだ。望は貘は日本にいるものだとばかり思っていたが、周曰く、東アジアを旅していることが多いそうだ。ヨーロッパ方面に行くこともあるらしいが、それは稀とのことだ。

 篁は流浪の旅をする貘の一族が近い内に日本へ移るのではないかという情報を掴んだと言っていた。ただし、近い内というのは彼らの感覚なだけであって、数か月以内に移るのか、数年後に移るのか、そこまではわからないとのことだ。

 仮に、貘の一族が日本に来ないとなっても策はあるから、と周は言っていた。妖街から海外へ行くことも可能だから、としれっと言われ、望の中で妖街の構造がどうなっているのかという新たな疑問が生まれることになった。

 何かあったら連絡をするということで篁との通話を終えた。

 それからというもの、夢屋側も篁側もとくに進展はない。肝心の貘の一族とのコンタクトが難しい現状、そう易々とは進まないことは覚悟の上だ。

 湿った風が清らかな川を撫でる。蒸し暑くなってきたこの頃、水辺にいると涼しい。河童の渡し守が水に入れば気持ちがいいと言っていた。確かにそうだろうが、望は着替えがないため遠慮した。


「あ、旦那、お客人だぜ」


 いつもの河童の声に望は我に返る。周も夢を食べる手を止め、声のした方を見る。河童の背後、美しい男性が軽く手を振る。


「どうも、夢屋さん」


「こんばんは」


「あや、お食事中でした?」


 肩から上を水面から出した男性は、邪魔してごめんなさい、と謝る。


「気にしないで。長旅、お疲れ様です」


 淡い黄緑色の目を向ける周に人魚は元気に笑う。


「これも商売ですから。じゃあ、夢屋さんのお隣、失礼しますね」


 そう言って彼は望たちがいる桟橋へ手をかけると、その身体を陸へ上げる。

 上半身だけ見れば人間の男だ。堀の深い顔立ちの男の下半身はと言うと、鱗に覆われ、足の先は尾がついている。

 人魚の男性は、どうも、と周を挟んで向こう側にいる望に会釈する。望も会釈すると、人魚は満足気に笑う。


「蛍の夢を食べていたのですか?」


「うん、そう。あ、持ってく?」


「はい、ぜひ!」


 人魚は嬉しそうに応じると、肩に掛けていた入れ物を下ろす。


「いやあ、今回もたくさん納品できますよ」


 人魚はいそいそと荷を解くと、瓶をいくつか並べる。

 中身は全て夢玉だ。どの瓶にもぎっしりと夢玉が詰められている。周は目を輝かせる。蛍の光が一際強く脈打つように、周の瞳が明るくなる。


「今回もたくさんありがとうございます。うちからはこれを」


 そう言って、周も鞄から瓶を取り出す。こちらも、瓶の中身は夢玉だ。

 海の中を生きる者たちから周自身が夢を取り出すのは難しい。そのため、普段使うものとは違う特殊な槐の欠片を海の中の協力者に渡し、彼らが見る夢を取り出して商品として売る。

 対して、海の中の者たちは、陸への憧れを持つ者が多いものの、簡単には陸へ上がることができない。そのため、陸地の夢は海の中の世界では貴重な物として扱われる。

 海の夢と陸の夢。互いの需要と供給が一致しての商売である。この人魚の商人や他の海の住人とのやり取りを見ていると、ギブアンドテイクで上手いこと回っていると望は思う。


「で、あとは蛍の夢ね」


 そう言って、周は漂う靄を指に絡めとる。するすると周の手の中に靄が吸い込まれ、蛍火色の夢玉ができあがる。それを瓶にいれる。

 あれこれ二人がやり取りしていると、遠くから、望姉ちゃーん、と呼ぶ声がする。そちらを見やれば、てけてけと走ってくる直人が手を振っている。直人の後ろには茜もいる。


「望姉ちゃん、こんばんは」


「こんばんは」


 元気よく挨拶する直人に望も応じる。

 満月医院の印が入った作務衣を着る直人。一年前は大きいかと思われていた作務衣が様になってきたと感じる。


「まだお話中でした?」


 追いついた茜はちょうど話の区切りがついた人魚にこっそりと尋ねる。


「ああ、満月さん。もう少しで終わりますから」


 すみませんね、と人魚が言うと茜はお気になさらずと返す。


「茜さんたちも人魚さんにご用が?」


「おつかい!」


 直人は首から下げた巾着を望に見せる。


「薬の材料ですか?」


「ええ。海の物を使うこともあるから」


「ねえ、海ってどんなところ?」


 直人が不思議そうに尋ねる。

 直人が今まで過ごしてきた場所は緑が生い茂る山だ。直人が過ごした山の近くに海があったのか定かではない。白鷺の神から海のことを聞くときは又聞きであることが多い。直人自身、海を見たことはないし、話もあまり聞かないため、未知の存在だ。


「大きい水たまりかしら?」


 茜は自信がなさそうに答える。望としても間違っていないように思う。

 しかし、直人は腑に落ちないのか首を傾げる。


「池とは違うの?」


「池や湖よりももっと大きいの」


「大きいってどれぐらい?」


「果てが見えないぐらい」


「果てが見えない? じゃあ、どんな形をしてるのかわからないの?」


「え、形? えーっと……」


 胡桃色の目が助けを求めるように望へ向けられる。海の形はどんな形かと問われると、望も説明が難しい。


「地球の写真見てみる?」


「ちきゅう?」


 きょとんとする直人にそこから説明がいるのか、と望はスマホを取り出し、画像を検索する。


「これが地球。私たちが住んでる場所だよ」


 水の惑星と呼ばれる星だ。七割を海水で占める星の写真を直人に見せる。

 直人は望が見せた画像をじっくりと見つめると首を傾げる。


「この絵、どうやって描いたんだ?」


「絵じゃなくて、写真だよ」


「写真……。夏祭りのとき、望姉ちゃんがくれたのと同じ?」


 去年の夏祭り、せっかくならと望はスマホで写真を撮った。はしゃぐ直人や射的で張り合う周と杏介、そんな二人の横で一等の景品をかっさらって笑う茜、花火や屋台の様子などなど、写真を撮った。カメラや写真を知らない直人にとっては面白い玩具になったようで、自分も撮ると言ってスマホを貸した。

 撮影した写真は、後日印刷してアルバムにまとめた。それを直人に渡したところ、とても喜んでいた。


「そうだよ」


「へえ……。これ、どこから撮られたの?」


「宇宙だよ」


「うちゅう?」


「空のうんと上の方からって言えばわかるかな」


「空のうんと上?」


 直人は空を見上げる。星がまたたく夜空が広がっている。


「……もしかして、茜姉ちゃん、うちゅう行ける?」


「無理だね」


 鎌鼬の茜とは言え、飛べる高さには限度がある。宇宙空間に出るなんて茜にはできない。


「お、皆お揃いか」


 のんびりとした声の主は夜風に金色の髪をなびかせながらこちらに向かってくる。三角形の耳を頭の上に持つ彼に直人は駆け寄る。


「なあ、杏介はうちゅう行ける?」


「宇宙? 俺は行けねえけど……。って、どうした?」


「あのね、ちきゅう? の写真はうちゅうから撮られたって」


 杏介は頭に疑問符を浮かべながら直人の話に耳を傾ける。


「何だ、今度は空の上に興味持ったのか?」


 読み書きができるようになってきた直人の興味は一気に広がった。本を読めるようになったことで、あれこれと気になることが増えたようだ。そもそも、限られた世界で生きてきた直人からすると何もかもが新しく、まだ知らないことだらけだ。その好奇心の向かう先に薬学も含まれており、杏介や茜からしてみると教えがいがある。

 その一方で、なぜなに期に突入し、茜をはじめとした薬師たちも困ってしまうときがある。昔の自分を見ているようで、杏介は苦笑する。


「それも気になるけど、海のこと」


「海? ああ、海ね」


 現在、周と商談をしている人魚を横目に見た杏介は、直人と人魚が会うのは初めてかと察する。


「海がどうした?」


「おれ、海のことよく知らないから。すっごく大きいって茜姉ちゃんが言ってたし、望姉ちゃんがちきゅうの写真見せてくれた」


「なるほどな」


 それなら、と杏介はしゃがんで直人の視線に合わせる。


「周から夢を買うって手もあるし、そこの商人から話を聞くってのもできるけど、せっかくなら海行くのもありだな」


「行く!」


 直人の表情がぱあっと明るくなる。


「先生に相談だな」


「うん、する!」


 見るからにはしゃぐ直人を茜と望は微笑ましく見つめる。


「直人君、角が取れて丸くなりましたね」


「そうだね。杏介さんに対しても、ちょっと柔らかくなったかな」


 杏介に対してはつっけんどんな態度だった直人はあれこれと教わる内に彼のことを尊敬しているのか、幾分か素直な物言いをするようになった。杏介、と彼の後を追う姿は歳の離れた兄にくっつく弟のようにも見える。その光景が微笑ましく、茜としては昔の自分と重なるところがある。直人が杏介の後をついて行くように、茜も兄の後ろをついて行った日々が懐かしい。


「茜姉ちゃん、聞こえてる」


 翡翠の隻眼がじとっと茜を見つめる。不服そうなその顔に茜は、あら、と誤魔化すように笑う。


「だって、杏介さんと仲良くなったじゃない」


 ねえ、と同意を求めてくる茜に望も頷く。本人たちは嫌がるだろうが、兄弟のような関係にも見える。


「仲良くなったっていうか、杏介のことを知ってきただけだし」


「素直じゃないなあ、直人」


 ほーれ、と杏介は直人の頭をわしゃわしゃと撫でようとするも、直人は目をつり上げてその手を払いのける。


「犬みたいに撫でようとするな!」


 ふしゃーと毛を逆立てる猫のように直人は威嚇する。


「まあまあ」


 望は直人を宥める。杏介はそうでもないようだが、直人にはまだ仲良しという単語は禁句のようだ。


「また喧嘩してるの?」


 周ののんびりとした声に直人はふいとそっぽを向く。蛍火色が抜けてきた髪色は蛍の身体のように黒くなってきている。


「直人がツンデレかましてくる」


 悲しいぜ、と杏介は泣き真似をする。実際のところ、最近は懐いてきていると思うのだが、どうも直人は素直じゃないらしい。そこが子供っぽいと杏介は思いながら直人をいじる。


「日輪さんほどの色男さんも振られるのですね」


 人魚ものんびりとした口調で言う。


「あんたなあ……」


「ふふ。さて、お待たせしました、満月さん」


「茜ちゃん、お先に」


 そう言って周は立ち上がり、場所を譲る。


「お気になさらず。直人君、こっちにおいで」


「はーい」


 茜は直人を先に座らせ、ちょこんと座った直人の隣に座る。はじめまして、と挨拶する直人たちをよそに、周は瓶の中を見つめる。


「今日もたくさん納品されたな」


「うん」


 周はほくほくとした笑みを浮かべる。

 海にまつわる夢は周が足を運んで得ることはほとんど不可能だ。そのため、人魚の彼のような協力者が必要不可欠だ。本当に助かる。


「で、海行くの?」


 周は瓶を鞄にしまいながら杏介に問う。


「先生に要相談だけど」


 せっかくなら夏に行きたいところなのだが、祭りの季節が近い。そこは棗と話し合わなければならない。


「だよね」


「はあ、今年も駆り出されるぞ」


 またこの季節が来たか、と杏介は気を引き締める。


「私もお手伝い入った方がいいでしょうか?」


 去年、望も手伝いに入った。基本的に掃除や洗い物など、医療行為には関わっていなかった。裏で何か作業してばかりだったが、看護師や薬師たちの動きを見ていると本当に忙しなかった。常にバタバタと足音が聞こえ、あれはまだか、これはまだか、と声が飛ぶ。望の元にも、これお願い、と仕事が投げ込まれることが多かった。


「んー、どうだろう。入ってくれたら、そりゃあ、先生も俺たちも助かるけど」


 望の働きは大きかった。現場が忙しいのは確かだが、その分、裏方の仕事が手薄になってしまう。そこに望が入ってくれたおかげで、かなり円滑に回っていたと思う。棗も深く感謝していたところからも、望の働きは大きかった。


「でも、望忙しいだろう? 勉強も就活もあるし」


「それはまあ……」


 想像していた以上に就活と学業の両立は忙しい。意外にも、インターンシップへの参加手続きやら、エントリーシートの作成やら、忙しない。


「無理はするなよ」


「はい」


「だけど、祭りに参加できそうなら一緒に周ろうぜ。息抜きも大事だから」


 今年も望ちゃんと周りたいですね、と数日ほど前に茜と話したところだ。杏介としても、祭りを楽しみたい。


「はい。ぜひ、ご一緒させてください」


「よし、きた」


 にかっと笑う杏介につられて、望も微笑む。


「また日程調整しような」


「はい。……ところで、杏介さんも人魚さんに御用があるんですね」


 周は夢、茜たちは薬の材料と人魚に用事があるのはわかる。彼は商いをする人魚だ。物を納品するのが仕事である。

 日輪の主、杏介はというと、物よりもサービスを提供する側だ。一体、どんな用があるのだろうかと疑問に思う。


「もちろん。あっちこっち行く商人の情報網を舐めたらいかんぞ」


「なるほど」


 常にアンテナを高く張っていなければならない杏介の仕事である。何も、商人から得られることは物だけではない。


「単純に海の中の話聞くのも面白いけどな」


 杏介の知らない世界が広がっているのだ。情報云々も大切だが、知らない世界への興味も少なからずある。


「周も一族のことについて訊くか?」


「訊いた」


 しかし、人魚はわからないと言っていた。それもそのはずだ。貘の一族は山奥や草原といった内地を旅することが多く、海辺に寄ることは少ない。よって、人魚が知ることも少ない。人魚の商人の周りでも貘の話は出ていないそうだ。


「言えることは、海を渡るような旅は今のところしてないってこと」


 中国の方にいるという情報が変わっていないことの証拠だろう。彼らも頻繁に海路を辿ることはないのだから。


「何か聞いたら教えてほしいとお願いした」


「そうか。で、進捗はどうだ?」


 望に過去を話したこと、篁から情報が入ったことは周から聞いている。杏介としては、今後の展開も気になるところだ。


「文を送った。……まあ、受け取り拒否されたけど」


 予想どおりの結果ではあった。篁との連絡の後、すぐに文を送った。しかし、封が開けられていないどころか、受け取ってすらもらえなかったそうだ。まっさらな状態で返ってきた文に周は落ち込んだ。


「あーらら。そんじゃあ、どうするんだ?」


「私から文を送りました」


 望がそう答えると、杏子色がパチパチとまばたく。


「……え?」


 予想外のことを望が答え、杏介は杏子色の目をまばたかせる。


「周の字で、周の名前が書いてあるから受け取り拒否されている。そもそも、当事者である私が文を送った方がまだ返事が来る可能性が高いですから」


 周が駄目なら望が文を書けばいい。

 周が篁に受け取りを拒否されたと相談したところ、篁からもらった助言だ。中も見られずに突き返されるのは問題外。せめて、受け取ってもらい、中を見てもらわないことには始まらない。

 自分のことだろう。篁の言葉は望の胸の内を抉った。今まで周に全てを任せていたことに深く反省し、筆を執った。

 篁や周と相談しながら、貘の一族への文を書き上げ、先日送ったところだ。届くのに時間がかかると言われた。届けたら教えてほしいと頼んだが、その一報が来るのも先だろうと周は見ている。


「さすがに望ちゃんのことは無碍にしないと思うんだ」


 夢のことで悩みを持つという人間からの手紙。貘の一族からしてみても興味を持つだろう。何かしら一報はあってもおかしくはない。


「今は返事待ちか」


「そうですね」


 貘の一族がどう動くか。何かしらの反応があることを祈るしかない。

 ふわり、と望の視界の端に軌跡が描かれる。


「……?」


 望は軌跡の先を見やる。一匹だけ仲間外れだったのだろう、その軌跡は光の集いに紛れていく。

 周はいつか一族の輪に戻れるのだろうか。そう疑問を抱きながらも、望は周と杏介の話に耳を傾けるのであった。

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