#4
袖と共に長い紅色の髪が翻る。しなった脚から繰り出される蹴りに飛ばされた妖は情けない声を上げながら倒れ込む。
「ひゅー、やってるなあ」
眼下で繰り広げられた喧嘩を見下ろす杏介に対し、友が気怠そうに見上げる。緩慢な動きに対して、ギラギラと光る黄金の細い目に杏介はにやりと笑う。
杏介はひらりと屋根から飛び降りる。視界の隅で唐桃の花飾りが揺れる。
「よっ、周。派手にやったなあ」
転がる妖三名を見渡した杏介は先ほど蹴飛ばされた妖を見下ろす。悔しそうにこちらを見上げる彼と目線を合わせるようにしゃがむとしげしげと観察する。体格は悪くないが、実力が足りなかったのだろう。
瞬間、杏介に向かって拳が飛ぶ。それをひらりとかわした杏介は腕を取ると、捻り上げる。
「まあ、悪足掻きはやめときなって、おっさん」
杏介は妖の腕に爪を食いこませる。ギリギリと腕を捻り上げる杏介に妖は恨めしそうに睨みつける。
「杏」
上から降ってきた声に杏介は友を見上げる。淡々とした表情の彼は杏介が捻り上げる腕を払いのける。簡単に手を離した杏介はやれやれと肩をすくめる。
「大丈夫だって。横取りしないって」
「そう。ならいいけど」
一歩前に出た周と入れ替わるようにして杏介は下がる。
機嫌が悪い。見るからに殺気立っている友から視線を逸らした杏介はどうしたものかと腕を組む。
杏介の友である貘の周。かれこれ、つき合いが長くなってきた友だ。夢を食べた後であろう彼の髪と目の色は普段の彼とは違う。紅の髪に黄金の瞳となると、どんな夢を食べたのか気になるところである。
くわあ、と杏介が欠伸をしていると収穫があったのか、周が片手に巾着を持って杏介の前を通り過ぎる。
「おい、周。無視するなよ」
杏介は慌てて済ました顔の周の肩を組む。
「別にいいかなって」
「よくねーよ!」
この野郎、と杏介は周の横腹を小突く。周は面倒くさそうに、肩に回る杏介の手を払いのける。
「えーん、周が冷たいよー」
下手な泣き真似をする杏介に冷たい視線を送った周は足を早める。
「わーん、周が置いて行くー」
そう言いながらも杏介は周の隣を歩く。
「……何か用でもあるの?」
「いや、別に」
すんと表情を戻した杏介に対し、周の眉がわずかに跳ねる。
「常盤街戻ってきたら喧嘩してるなーって思っただけ」
「あっそう」
「今日も見事な蹴りだったな」
ケラケラと笑う杏介に対し、周はため息をつく。
「君は相も変わらず人間界に入り浸っているみたいだね」
面白い人間を見つけた。そう杏介が報告したのが半年ほど前の春だ。まだ桜が咲く前の時節だったと記憶している。何でも、どこぞの大名家に縁のある姫君に目をつけたらしい。姫とは名ばかりの粗雑な扱いを受ける娘の元へ友はよく通っている。徐々に滞在時間が伸び、夜更けに顔を出していたはずが、気がつけば日が沈んでから人間界へ出かけるようになった。帰ってくるのは変わらず日が昇る前なのだが、その時間もわずかにずれ始めている。
気の毒に、と顔も知らない姫に周は同情する。厄介な狐に目をつけられた姫君の心労はいかほどか。
「人間界って言うか、松風のところ」
「ああ、そうだったね」
松風の君。明らかに仮名であろう姫君の名だ。姫君がどこぞの妖狐に真名を名乗る訳がない。
そんな彼女の元へ入り浸っている。屋敷の者によく見つからずに今日まできていると思う。
「君、松風の君に迷惑かけてない?」
「かけてないって」
「本当? その割には戻ってくる時間遅いけど?」
夜明け前に常盤街に戻ってくるのだ。長時間滞在しているとしか思えない。長時間も何をしているのだと不思議に思う。
「あれこれ話してるとな」
「そんなに話すことあるんだ」
「あるぞ。今日は屋敷の近くにいた狸の親子の話で盛り上がった」
「へえ……」
周は狸の話なんぞで何を盛り上がるのだろうかと疑問に思う。ただ、狭い世界しか知らない姫からすると、外の世界を生きる生き物のことに興味を示すのかもしれない。
「で、話し疲れたら寝る」
「え」
周は思わず足を止める。杏介も遅れて足を止める。
「ん?」
「……君、呑気に姫君と一緒に寝てるの?」
「こっちに戻ってから寝るよりも、向こうで寝てからの方が楽だし」
疲れを取ってから出発した方が体力面でも楽である。
「そうじゃないよ……」
この男は、と周は頭を抱える。これは本当に松風に菓子折りのひとつでも持って謝罪しなければならない案件ではないかと思う。
「別に、何もないぞ」
「そうだとは思うけど、相手は年頃の姫君だよ」
杏介曰く、十代半ばほどの娘らしい。単に気弱な性格が災いして言い出せないでいるのではないかとも思う。
「松風もいいって言ってくれるし」
最初の頃はさすがに追い出されたが、最近はそうではない。とくに、雨が降っているときは止むまで休んでください、と向こうから言ってくれるぐらいだ。
「君って遠慮がないよね」
初対面のときですらそうだった。周の獲物を分けてくれ、といけしゃあしゃあと言った。無礼な狐でその毛皮を剥ぎ取って売ってやろうと何度思ったことか。
「もらえる物はもらっていいだろう?」
「わからないでもないけど……」
相手の好意を受け取ること自体は悪いことではないと思う。しかし、その好意を当てにしてばかりというのは問題だ。相手に負担をかけることになるのだから。
と言いつつ、周自身、返すべき物を返していない。直立した耳と円らな瞳の兎の医師が脳裏をよぎる。お前らはいい加減診察代を払え、と怒号が聞こえた気がして辺りを見渡す。あの毛玉はここにはいない。
周は頭を振り、思考を切り替える。
「君は松風の君のことをどう思っているの?」
初めて松風のことを聞いたとき、周はその内すぐに飽きるだろうと思っていた。杏介は好奇心の塊のような男ではあるが、熱が冷めやすいときはすぐに冷めてしまう。軽く首を突っ込んでまたふらふらと彷徨うかと思いきや、半年も彼女の元へ通っている。滞在時間が伸びるぐらいには彼女に興味がある証拠だろう。
彼女に熱中することは果たしていいことなのか。杏介は妖で、松風は人間である。その関係性を杏介が理解していないなど、あるわけがない。
「どうって……。観察の対象」
出会ったときと比べると松風の表情は明るくなった。憂いを帯びた顔をすることが減り、笑うことが増えてきた。その変化が見られて楽しいと思う。
それ以上も以下もないはずが、どうにも歯切れが悪い。
「本当にそう思ってる?」
疑いの目を向ける周の黄金色に杏介の瞳が揺らぐ。なぜだか周に心の内を見透かされたようだ。
「……」
興味本位だったのは事実だ。姫とは名ばかりの扱いを受ける彼女は狭く、暗い世界に閉じ込められていた。生きる楽しみを知らない彼女は退屈そうで、死にたそうだった。
それが、変わり始めたのはいつからだったか。初めは嫌々杏介を迎え入れていた彼女が窓を開けていつでも入れるようにしてくれたのは初夏の頃。暑いからとも思えたが、それでも彼女はいつも開けて待ってくれていた。最近では、キラキラとした目で待っていることが増えた。今日はどんなお話をしてくれるのですかと待っているのだ。
「……まあ、彼女に迷惑をかけないようにね」
周は黙り込む杏介を置いて歩きだす。
心というものは移り変わる。花の色が移るように、行く川の流れが絶えないように、変化していく。最初は観察の対象であっても、それがいつしか情へと変わっていく。
友情か、恋情か。はたまた別の何かか。そこまでは周にはわからない。推し量ることはできても、結局のところは杏介がどう思うか、松風自身がどう感じるのかだ。
周は二人の関係を知らない。杏介から一方的に流れてくることしか知らない立場があまり口を出すのも違うだろう。面倒なことにならなければいいやぐらいにしか思わない。
「あ、おい、周」
杏介は遅れて周を追う。
高い位置で簪で留められた周の髪が揺れている。髪と一緒に簪の飾りも揺れる。その様が頼りなく舞う蝶のようだ。
そんな周の背の中ほど辺りまである髪色が移り変わっていく。紅色がみるみる内に黒へと変化していく。食べた夢の内容に応じて周の髪や瞳は色を変えるが、しばらく時間が経てば元に戻る。本人曰く、その気になれば自力で戻せるらしいが、必要がなければ時間に任せるらしい。
周の隣を歩けば、瞳の色も戻っていた。見慣れた周の姿だ。
「色、戻ったな」
杏介はわざとらしくそう言う。なぜだか、周に痛いところを突かれた気がしてならず、それを隠すように明るい調子で言う。
「うん」
周は前髪を軽くいじる。喧嘩のせいで、髪が乱れてしまった。後で整えようと決める。
「どんな夢だった?」
「紅葉の夢。可もなく、不可もない味だった」
ただただ紅く色づき、錦のように広がる光景だった。そして、最後は呆気なく散っていく。それだけの夢で、とくに美しいとも、儚いとも思わなかった。
「へえ。それで機嫌悪かったのか?」
「それもだけど、喧嘩吹っ掛けられたから」
いい夢に出会えなかった。最近、大した夢を口にしていない周は不満だった。そこに例の妖たちから声をかけられた。もしも、喧嘩で勝ったら夢を寄越せと言ってきたのだ。
夢は高値で売れる。その見た目も相まってか、装飾品として目をつける輩が多いのだ。そのため、夢売りをしている周を狙う者がしばしばいる。
いい夢とは出会わないのに、こんな輩に喧嘩を吹っ掛けられるとは。さらに機嫌が悪くなった周は容赦なく相手を蹴り飛ばした。言うほど相手は強くなく、面白味に欠けた。持ち物も大した物ではなく、売ったところで雀の涙にしかならない程度の相手だった。
「飲みに行こうかな」
ぽつりと零す周の言葉に杏介の目が輝く。
「あ、俺も一緒に」
「自分で出すならいいよ」
周は隣を歩く唐桃色の言葉を遮るように言う。その前科持ちはすいーっと視線を彷徨わせる。
「いやー、今は手持ちが……」
ははは、と乾いた笑みを浮かべる杏介を一瞥した周はぷいと顔を逸らす。
「出さない」
「そこを何とか」
「出さない」
「頼むぜ、周。一口だけでもいいから」
このとおり、と手を合わせる杏介に周はいつかの酒の席を思い出す。
「嫌だね。そう言って、半分以上飲んだこともあったよね」
その金は周の懐から出たものだった。杏介の懐からは一銭たりとも出なかったのだ。
「あ、じゃあ、あれは? この間の団子代で打ち消しってことで」
「打ち消せると思ってるの?」
「まだ返してない周には言われたくないね」
杏介の煽る言い方に周は眉をつり上げる。
「その前に、君はいつかの肴代を払うべきだね」
「それを言うなら、あのときの朝飯代、もらってないぞ!」
「こっちだって、宿代全額僕が出したことあったよね? そっちの方が高くつく」
「何だと? じゃあ、言わせてもらうが、俺が捕った魚の恩恵を受けたのは誰だっけ!?」
「僕が売った夢のお金で買った水菓子をぜーんぶ平らげたのは誰だっけ!?」
気がつけば二人の足は止まり、睨み合いが始まる。静かに火花を散らす二人はどちらが先に手を上げるか、様子を窺っている。
「それなら、診察代も払ってもらおうか」
静かに散らされた火花に割って入るように低い声が発せられる。その声に二人は我に返ると、見慣れた毛玉がいた。直立した長い耳はお前らの足音を逃さず、円らな瞳は逃げるお前らの背中を追い、発達した足は逃げ出そうとするお前らを追いかけて蹴飛ばすためにあると言った兎だ。
「よう、常盤街の問題児たち」
可愛らしい顔に似合わず、にやりと不敵に笑う兎に二人はすぐさま身を翻す。が、いつかに宣戦布告したとおり、彼の逞しい脚が周、杏介の順に蹴飛ばそうと空を切る。
「いやあ、先生へのお返しはまたいつかってことだったじゃないか!」
杏介の言葉に兎は高く跳躍すると、二人の前に降り立つ。急には止まれない二人は、何とか兎をよけようとするも、地を蹴る兎が巻きあげた砂に視界を奪われ、速度が落ちる。
「互いに金の貸し借りができる余裕があるなら、うちに払う余裕もあるよなあ!」
ドスの利いた声と共に兎は杏介の背に飛び蹴りをかまし、その勢いのまま周の髪を掴む。二人は揃って均衡を崩し、ついには足を滑らせて倒れ込む。
「いてて……これがお医者さんのやること!?」
周は手綱のように長い髪を掴む兎を恨めしそうに見上げる。その兎はというと、杏介の背の上で仁王立ちしている。
「ちょっと、重いって、先生」
この兎、見た目に反してずっしりと重みがある。可愛らしい見た目に反して大きさは人間の子供ほどあるのだ。杏介の背中で毛玉は、ふん、と鼻を鳴らす。
「延滞料もつけずに支払いを待ってやってる善良な医者だぞ」
「善良な医者はこうして誰かを下敷きにしないと思うんだけど」
「うるさい。ガキが」
兎は文句を言う杏介の頭を軽く蹴飛ばす。
「棗先生、目が痛いです」
目を薄っすらと開く周に対しても態度は変わらず、棗と呼ばれた兎は知らんぷりだ。
「さあ、さっさと診察代払ってもらおうか? とくに、周。お前は杏介よりも安定した収入あっただろう」
早く出せと言わんばかりに髪を引く棗に周は首を横に振る。
「いやあ……雀の涙で」
「雀の涙でも払えるものはあるだろうが。あと、杏介。お前の方は最近人間界に入り浸ってるって? 出稼ぎか?」
「えーっと……」
「杏は女の子のところに入り浸ってます!」
「おい、周!」
仲間を売りやがったな、と周を睨みつけていると、ぐっと背中を強く踏まれる。
「ほお? 周はとりあえず夢を売って稼いではいるが、お前は遊んでるのか」
「いや、遊んでるって言うか、何と言うか」
棗の足どころか、爪が食い込んでいるような気がして痛い。座っている周に対して、どうして自分はこうして踏まれなければならないのかわからない。
「あ、先生、太りました?」
話を逸らそうとすると、余計に背中に力を込められる。
「どっかの誰かさんたちが金払わないせいで、痩せたわ。嫁にも苦労させてばかりで申し訳ねーよ」
「そ、それはご愁傷様で……」
ははは、と笑う杏介に対し、棗はまたも杏介の頭を軽く蹴る。
「そう思うなら払う物払え、馬鹿共が」
「わかったよ、先生。払うから、下りてくれよ。懐に金があるからさ」
本来ならば可愛らしい瞳が怪しいと訝し気に見下している。兎ってこんな顔できるんだなと思うと侮れないと杏介は思う。
「あー、先生。先に僕から払ってもいいですか?」
はい、と周は懐から巾着と取り出して銭を差し出す。大した夢ぐらいしか売れず、売り上げは微妙なところだった。
棗は受け取ると、小さくため息をつきながら懐の巾着を取り出し、そこにしまう。
「おい、次はお前な」
「わかってるって。だから、下りてくれよ、先生」
棗は舌打ちしながら、渋々と下りる。
「あのう、先生。僕、払ったので、髪離してくれませんか?」
「駄目だ。杏介が払うのを見計らってからだ」
何だかんだ言ってこの二人の仲がいいことを知っている。よって、どちらかを置いて逃げるということはない。
多分。そう思いながら杏介の背中から下りると、渋々と杏介は身を起こし、懐から巾着を差し出す。
「はい、先生」
棗は杏介から巾着を受け取ると、中身を確認する。こちらも少ない銭が入っていた。巾着から金を取り出した棗は、巾着を杏介に返すと、周の髪を手放す。
「全く……。まだ未払い分あるからな、お前ら」
今日のところはこれで勘弁してやる、と言うと、二人はありがたや、と手を合わせる。
「じゃあ、今日はこんなところで」
「さよなら、先生」
そそくさと去る二人に対し、棗はため息をつきながら、棗は銭をしまおうと巾着を開ける。
「……ん?」
巾着の中から明らかに銭とは違うにおいがする。そのにおいはどこか薬草に近しいにおいだ。薬草を扱うため、巾着にもそのにおいが染みついている、と言えなくはないが、明らかに違うにおいだ。どことなく土のにおいと乾燥した葉のにおいがする。
違和感の正体にはすぐに気がつく。銭に混ざって紅く色づいた葉が紛れ込んでいた。杏介から受け取った銭も硬い質感から、乾いた紅葉へと姿を変える。
「……あいつら」
杏介自身が化けることもできるが、木の葉を使えば木の葉を別の物に変化させることもできる。
化かされた。気がついたときのはもう遅い。問題児たちは、遠くへと走り去ってしまっていた。




