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夢屋 胡蝶  作者: 真鶴 黎
胡蝶の迷い 雪にまじりて見えぬ夢
43/88

#4

 薄暗い暁の刻、周は欠伸をしながらグラスに水を注ぐ。中途半端な時間に起きてしまったと思いながら目をこする。

 篁から借りた本を夜更けに読破した。望と観光の約束があること、こちらにいる間に読み終えるようにとのことだったため、何とか読み切った。それから少し寝ようと思ったのだが、予想以上に眠りが浅く、このような時間に目が覚めてしまった。

 グラスに注いだ水がゆらゆらと揺れている。グラスに半分ほど注いだ水を飲み、一息つく。


「……はあ」


 ため息が漏れるばかりだ。今日の観光で気晴らしができるといいなと思っていると、庭の方から気配を感じる。グラスを片付け、リビングへ向かうと、篁がちょうど庭から上がってくるところだった。


「おはようございます」


「おはよう。お前、随分と早起きだな」


 清佳に外套を渡した篁はストーブを点け、ソファに腰掛ける。清佳は窓を閉め、周に一礼すると姿を消す。そんな清佳と入れ替わるように皓が姿を現すと、台所へ向かっていく。


「お借りした本を読み終えたのですが、式神たちにお任せすればよろしいですか?」


「ああ。だから、部屋に置いたままでいい」


「わかりました」


「どうだった?」


「……」


 周は目を伏せる。

 篁から借りた本には夢にまつわる逸話や事象の記録が多く記述されていた。逸話については、周も知っている話が多く、中には文学作品に関連する記述も見られた。夢についての事象は一昨日の晩に篁が言っていたとおり、夢を見ない者は精神的に不安定であったり、人ならざる者の手によるものであったりとこちらも周が知っていることばかりだった。

 なぜ周が知っていることばかりなのか。ある文言が多く見られ、それが周とは切っても切れない存在だからだろう。


「……あれは、貘の記録も混ざっていますよね」


 貘曰く、と始まる文章を多く見た。篁が貸してくれた書籍には貘であるならよく知っていることが多く記述されていた。誰が書籍として残したのかわからないが、貘の口から出たことを残したと思われる記述が多く見られたのだ。


「そうだな。お前からすると、知っていることばかりだっただろうな」


「ええ、聞いたことのある内容も多かったです。もちろん、興味深い内容もありましたけど」


 単純に読み物として面白いと思う物があった。貘以外の視点の話もあり、このように捉えられているのかと感心したこともあった。

 しかし、だ。周は眉間に皺を寄せる。


「……根本的な解決に至るようなことは見当たりませんでした」


 夢をずっと見ないという事象、夢を一切見ないという事象に関する記述はあるにはあった。しかし、それはあくまで創作であったり、そのようなことは無に等しいという内容であった。それらの記述と望のことは結びつかず、また、解決策もない。貘の記録を見ても周が知っていることばかりで、これといった情報は載っていなかった。


「俺は本を貸す前に解決策は載っていないだろうと言った」


「それは承知しています。解決策でなくとも、何か手がかりになるものはないかと読みました」


「その手がかりになるようなことはあったか?」


「一応。ただ、それは」


 周は口を閉ざす。しんと静まり返ったリビングにピリピリと張りつめた空気が漂う。冬の早朝の空気のように冷たい雰囲気に周は視線を下げる。


「……それは?」


 先をさっさと言えと言わんばかりの篁の声音に周はゆっくりと口を開く。


「……貘の一族に訊きに行かないと」


 周は絞り出すようにそう言う。篁はまばたきをすると、やっとかと言わんばかりに気だるげに肘掛に肘をつく。


「そうだろうな。貘から聞いたことを記したものが多い。となれば、貘に訊くのが一番手っ取り早い」


 一番手っ取り早く、解決の糸口に近い存在。それが貘だ。周が知らないのであれば、同族を頼るしかないだろう。

 しかし、それができない理由が周にはある。篁は全てを知っているわけではないが、周が同族を頼らない理由は知っている。

 周の顔が物語っている。言葉を探す周の表情は苦しそうだ。


「ただ、僕は……彼らと会う資格はないのです」


 掠れた声はストーブの音に紛れるように弱い。周は苦し紛れの笑みを貼りつける。

 文を送っても受け取りを拒否された。どのような態度で拒否されたかはわからないが、想像はつく。脳裏によぎる同族の顔に背筋が凍る。


「文を拒否されたと玄から聞いた」


「おっしゃるとおりです」


「貘という一族はそこまで厳しいとは思わないけどな」


 貘という生物は比較的穏やかな一族であると篁は思っている。ほとんど交流はないが周以外にも貘の顔見知りがいる。周を含め、彼らは社交的な性格の持ち主が多い。あまり争いを好まず、敵対心を露わにするような存在ではない。悪夢を押しつけられても、自分たちが預かるといった態度を取る。

 一方で、良くも悪くも感受性が豊かだ。夢を食べるという性質上、貘は夢を見ている対象の記憶に触れることも多い。夢は記憶でもあるため、夢を見ている対象の悲惨な記憶に嫌でも触れてしまうことがある。感受性が豊かであるからこそ、その夢を見ている対象に感情移入してしまい、精神的に不安定になってしまう者もいる。最悪の場合、精神が崩壊してしまうこともあるそうだ。

 悪い夢の内容に引きずられないように、貘たちは美しく、幻想的で、あまり記憶とは関係のない夢を欲しがることが多い。それもあって、彼らは各地を転々とし、綺麗な夢を探し求めている。ありのままの自然を求めることが多く、人目を避けるような場所で過ごすこともある。

 そのような貘の一族が周にやたらと厳しいところを聞くと、周に対する怒りや苛立ち、拒絶反応が強いのだと思う。


「そこまで激昂するほどのことなのか?」


「僕がしでかしたことを思えば、当然だと思います」


 周の脳裏に飛び立つ蝶の姿がよぎる。夢のように幻想的で、消えてしまいそうな脆さを持つ美しい蝶だ。あの蝶は一族にとって、大切な宝だった。その蝶が籠から解き放たれて大空へ舞う姿は美しく、幻想的で、それと同時に頼りない存在だった。


「俺はそこまで貘の事情を知らない」


 周以外の貘の顔見知りがいるといっても、互いに顔を知っている程度の関係だ。篁と接触のある貘というと周ぐらいしかいない。


「あの子も知らないだろうな」


 篁は頬杖をつきながらぼやく。貘という一族のことが重要になるはずが、彼女は知らない。


「なぜ、お前がそこまでして貘の一族を頼らないのかわからない」


「そう言っておきながら、篁卿は少しぐらい知っているでしょ?」


 長いこと冥府の役人をやっている男の耳にはあれこれ情報が入ってくるはずだ。貘のことを知っていても不思議ではない。

 千二百年の時を生きる男は己より半分ほどの時しか生きていない若造を見上げる。細い目があまりにも弱々しい。


「お前からも、貘の一族からも直接聞いたわけではない。所詮、第三者からの情報をかき集めた程度のことだ」


 篁からすれば、その程度の情報しか入ってきていないのだ。篁自身もそこまで興味を示さなかった。そのため、周と何度か出会ったときに初めて噂の貘ではないかと気がついたのだ。


「まあ、別に俺は最悪知らなくてもいいんだよ。お前、あの子に他の貘のことを尋ねられたとき、はぐらかしたんだって?」


 周の肩が跳ねる。


「いやあ……それは……」


 周の目が泳ぐ。そして、細い目は胸の内を読まれまいと、伏せられる。


「篁様、お茶を淹れて参りました」


 皓が台所から戻ってきた。彼が持つ盆に茶器がふたつのせられているのを見た周は、嫌な予感を覚える。


「ありがとう。ほら、貘、お前の分もあるぞ。座って話をしようじゃないか」


 ニコニコと人のいい笑みを浮かべる篁に周は背筋が凍る。口元は笑っているが、目は笑っていない。ひどく冷めた目だ。


「あー……ぼ、僕、二度寝しようかなー。夜更かししちゃったし、今日は望ちゃんとお出かけだしー」


「座れ」


 回れ右をしようとした周は篁に低い声でぴしゃりと言われる。すっと笑みの消えた真顔の篁に周は小さく返事をし、おずおずとソファに座る。座ったのを見計らって茶器を置く皓を周は恨めしそうに見るも、当の式神は涼しい顔をして姿を消してしまう。


「ったく、どうしてそこまで避ける? それほどまでにあの子に知られたくない話なのか?」


「いや、うん、まあ……」


 借りてきた猫のようにソファに座る周は気まずそうに視線を逸らす。


「それはなぜ?」


「……」


 沈黙が続く。

 身体を強張らせる周と余裕綽々な様子で茶を飲む篁。優雅に茶を飲んでいる篁だが、ピリピリとした空気が周に早く話せと叱咤しているようだ。

 茶から上がる湯気がゆらりと揺れる。


「……怖い。ただそれだけです」


 ぽつりと消え入りそうな声で周は言葉を絞り出す。


「怖いというのは? あの子に対してか、それとも、貘の一族に対してか」


「貘の一族が怖い。文を拒否されましたし、追い出される前も……」


 彼らの言葉が周の脳裏に響く。声と言うのは忘れやすいとのことだが、今でもはっきりと覚えている。


『お前のせいだ』


『お前のせいで、宝が消えた』


『子供だからと言って許されることではない』


 蔑んだ目が周を見下ろしていた。周が何か言おうとしても、全て遮られ、話を聞いてもらえなかった。

 ごめんなさいと言うことすら許されない状況だった。謝罪や反省の意思を見せることすらできなかった。それは今も同じだ。彼らは周の言葉に耳を傾けない。

 周は膝の上で拳を握る。


「多分、あの子は話をちゃんと聞いてくれる。ただ、僕の過去を話したら貘の一族を頼るかどうかは僕に任せると思うんです」


 現に、今がそうだ。望は周がはぐらかして以来、他の貘の話をほとんど出さない。周が他の貘ではなく、自分が解決すると言ってもとくに何も言わない。他の貘を頼るのはどうかという話を望からされていない。

 そして、何より、望自身が誰かの過去に踏み込むことに慎重な様子が見られる。望自身、過去にあった影のことがあるからか、触れてほしくない過去や話しにくい昔のことに関して敏感なのかもしれない。

 直人や里美のときにその様子が表に出ていた。直人の手を握り、無理に話さなくともいい、と案じている様子が印象的だった。里美のときも、気を遣っていた。

 今思うと、直人にはかなり問い詰めていた自分が、篁に問い詰められてまともに答えられない状況に置かれているのが何とも滑稽だ。


「僕が嫌と言うなら別の方法を探そうと言いかねない。それを、彼女の口から言わせたくないのです」


 望のクールな表情の下にはいつも優しさが隠れている。気遣いのできる娘だと周は思う。人ならざる者を見抜くだけでなく、相手の心情をも読んでいるのではないかとすら思うほど、彼女の目は真っすぐで澄み切っている。


「それはなぜ?」


「彼女に道を断たせているようなものじゃないですか。僕のせいなのに」


 望の事情ではなく、周の事情で近道を断たせてしまっているのに、望にそのようなことを言わせるのは申し訳なくなる。周のせいだと言い切ってくれればいいのに、望は言わないだろう。悪ふざけしている周のことは容赦ない言葉で口を出すくせに、こういった誰かの傷口に触れるようなことでは一歩引いてしまうのが舟橋望という人間だ。


「だから、僕はあの子に昔のことを言えないでいる。彼女ならこう言うかもしれないからという自分の思い込みとあの子の優しさに甘えている」


「そうだな」


 昨日の望の様子を見る限り、彼女も周に対して強く出ていない。彼女の気遣いに周が甘えているような状態だ。


「俺からすると、そんな理由かって感じなんだが」


 もっと別の理由があるのかと思っていた。例えば、望と貘の一族が接触すると命を狙われる可能性があるという話であるのならば、篁は仕方ないかもしれないと思った。しかし、これは完全に周の気持ちの問題だ。


「いや、うん……。自分でもしょぼい理由だと思いますよ」


 篁と似たようなことを棗に訊かれたことがある。棗は周の事情を知っているため、篁ほど追及はしなかったものの、望に話さない理由はそれか、とあっさりと言われた。


「いっそのこと、一貘の一族にアポなしで突撃すればいいじゃないか」


「それは、ちょっと……」


 篁の言うことに一理ある。文を受け取ってもらえないのならば、何の連絡もなしに望を連れて行けばいい。一族としては、望の体質を知れば彼女を無碍にはできないだろう。しかし、周は門前払いにされるだろう。分断されると望に何かされないかと心配になる。


「お前、そんなに弱い奴だったか?」


 全く同じことを棗に言われた。牙が抜けたな、とまで言われ、棗と出会った当時を思い返すと何も言えなかった。あの頃は自棄になって暴れていたため、なりふり構わない状態だった。


「繊細なんです」


「繊細ねえ……。ようは、お前のプライドの問題だろうが」


「あう……」


 雨に濡れた子犬のようにしょぼしょぼと身を縮こまらせる周に篁は深々とため息をつく。


「理由はわかったよ。あの子に失望されたくないんだろう?」


「……そうかもしれません」


「そもそも、言っていない時点でお前が道を隠しているんだがな」


 望に道を断たせているのは確かに周だ。しかし、その道すら見せていない周が何を言っているのだと篁は呆れて仕方がない。


「道の提示すらしていない奴がくよくよ言ってもな」


「ごめんなさい」


「あの子に真っ先に謝れ。その次が俺だ」


「はい……」


「今のあの子はお前から渡された地図に塗りつぶされた場所があるも、訊くに訊けない状態で見て見ぬふりをしているんだぞ」


 昨晩の望の様子からして、何かに気がついている様子ではあった。それにあえて触れず、周が話すのを待っている状態だ。


「意気地なしなお前もお前もだが、待つだけのあの子もあの子だ」


 見ていてもどかしい。どちらか一方が動けば、もう一方も動けそうではあるのに、どちらも固まったまま、止まったままだ。二人とも、そこまで馬鹿ではないのだから、動けるはずなのに、見るからに近道であるはず入口を素通りし、遠回りをしている。それも、一方はこの道は遠回りであるとわかっていて、近道を見せようともしていないのだ。


「このうき舟ぞ、ゆくへ知られぬ。あまりにも不安定だ」


「はい……」


「腹を括れ」


「うっ……」


 周は身を縮こまらせる。


「俺としては早めに解決してほしいのだが」


「冥府としても、さっさと片をつけたいということですか?」


「そうだ。長いこと関わると、あの子の記憶処理の辻褄合わせが面倒になるからさっさと解決したい」


「あ、そういう理由……」


 冥官としての仕事を生者に見られることはあってはならない。今回に至っては、冥府の情報を公開していることもあり、できることなら早々に決着をつけ、望の記憶を消してしまいたいのだ。


「お前ができないのなら、冥官小野篁ではなく、小野篁個人が動くことになる」


「それ、冥府はいいんですか?」


「よくない。規則すれすれのところを俺は歩いているんだ。どこかの誰かさんがさっさと動いてくれないんでね」


「それは本当に何と言えばいいのか……」


 尻すぼみしていく周の言葉に篁はまたため息をつく。情けない男だ。


「そう言えば」


 ふと、篁は思い出したかのように言う。


「お前、あの子のことが解決したらどうするんだ?」


「どうとは?」


「そのままの意味だよ。解決後も交流を続けるのか、それとも関係を切るのか」


「……そう言えば、あまり考えていなかったです」


 ひと月ほど前、成人式を迎えた望のことをめでたいなと思っていたところだ。夢を見られるようになりたいと望が訪れて来月で二年になる。

 望の希望が叶えられたら、周との関係はどうなるのか。続けるのか、それとも終わらせるのか。

 まだ二十歳の娘は六十年もすれば老人だ。今は周の方が年上の見た目をしているが、それがあと数年もすれば逆転する。周は姿が変わらないまま、望は歳を重ねていく。それがはっきりと見た目に出てくるのだ。

 常連だった彼女が亡くなってもうすぐ一年経とうとしている。常連の彼女がこの世を去ったように、望も周より先にこの世を去る。


「遅かれ早かれ、あの子とは別れることになると思う」


 篁はしみじみと言う。篁も多くの者たちと別れてきた。基本的に篁は見送ってばかりの立場だ。望のことも見送ることになると決まっている。


「考えておけよ。関係を切るのであれば、記憶の処理のことも考えなければならない」


「篁卿は消してしまうのですよね」


「ああ。冥府の決まりだからな」


 篁としての意思というよりも冥府としての意向である。


「だから、彼女のことが解決したら必ず報告しろ。記憶を消す手筈を整えるから」


「はい。……篁卿は関係を切るべきだと考えますか?」


「先にお前の意見を聞かせろ」


 気になることを訊くという姿勢は悪くないと思う。誰かの意見を参考にすることはいいことだ。しかし、その誰かの言葉をそのまま受け取るという姿勢はいかなものかと思う。

 とくに、大きな決断をするときはよく考えるべきだ。


「……切るか切らないかで言えば、切った方がいいと思います。彼女は人間で、人間の世で生きていくことになるのであれば、僕らとの交わりは断ち切ってしまった方がいい」


 世の中は変わった。昔は人間も妖怪も何だかんだ言って交わっていた。周とて、人間、妖怪問わず夢を売っていた。しかし、今の世は人ならざる者の存在が否定され、交流が消えてしまった。人ならざる者の姿を見ることができる者の数は減り、余計に交流がなくなってしまった。

 それは時代の流れだ。川が流れるように、雲が漂うように、花が咲いて枯れ、月が満ちて欠けるように、移ろっていく。そうして人間も妖怪も生きているのだ。


「あの子にはあの子があるべき場所があるから。僕らの世界にいつまでも片足突っ込ませているのもなあって。それに、今のところは被害ないですけど、僕らと絡んでいる人間ということで悪いのに目をつけられては困りますし」


 今のところ、周や杏介たちと絡んでいるから、という理由で望が狙われたことはない。しかし、これから先あるかもしれないのだ。


「あとは、僕の事情ですが、そろそろ今いる場所を引き払いたいんですよね」


 見た目がずっと変わらない店主。そう言われている。適当にヘラヘラ笑いながらかわしているが、さすがに限界が近い。望が最初に訪れた頃、立ち去る予定を立てていたのだが、望がこちらにいる間に解決したいという思いで留まっているのだ。


「物理的な距離の問題で関係は薄れていくとは思うのですが」


「そうだな。おおよそ、俺の意見と同じだ」


 篁としても周の意見に賛成である。一番は悪しき者に目をつけられて昔のように誘拐されてしまうことである。ただでさえ、強い見鬼の才を持つ彼女が周や杏介などの特定の妖怪と一緒にいるとなると目をつける者がいるだろう。彼女の身を守るためという観点であれば、関係を切った方がいい。


「関係を切るとき、記憶は消すのか?」


「そこなんですよね……」


 夢は記憶である。望が夢を見られるようになったのであれば、夢を介して周たちの記憶を取り出すことができる。


「あの子のことですし、あまり言いふらしたりしないと思うんですよ」


 貘の店で働いていた、とは言いそうにない娘だ。現状がそうであるため、これから先も言わないだろう。話したところで信じてくれる人はいないだろう、ということで望の胸の内にしまわれる記憶になる。周としても、冥府のことのように知られて困るようなことはとくにないため、無理に記憶を消す必要はないと思う。


「関係を切るも切らないも、記憶を消すも消さないも、あの子次第ってところですかね。僕の独断で決行はしないつもりです」


「そうか。まあ、この感じだと、解決にはまだ時間がかかりそうだし、ゆっくり考えればいい」


 篁は茶を啜る。


「ああ……はい……」


 それでもいつかは考えなければならないことだ。杏介たちにも意見を聞こうと決め、周も茶を啜る。


「舟橋さんの件は以上だ」


「はい……」


 どっと押し寄せてきた疲れに周は項垂れる。篁の威圧感から解放され、肩に入っていた力が抜ける。


「おい」


「はい?」


「まだ話は終わっていないぞ」


 篁は茶器を置くと、脚を組む。


「……へ?」


 以上だと言ったではないか、と顔を上げた周の目が訴えると、篁は庭の方へ視線をやる。日が昇ってきたようで、篁が帰ってきたときに比べると多少明るくなってきた。


「貘の一族絡みの話にはなるのだが、例の宝はまだ見つからないのか?」


 ピクリと周の肩が跳ねる。先ほど脳裏によぎったばかりの蝶の姿が再び思い浮かぶ。


「……篁卿もあの書物を読んだのならそう簡単に見つからないものだとわかっていますよね?」


 篁が言う例の宝についての記述。周はその記述を見たとき、思わず顔をしかめてしまった。夢のことを調べていると、避けては通れぬ道である。


「まあな。その様子からして、そちらの手がかりもなしか」


「ないですよ。あったら、あちら側も態度を変えるでしょうし」


「それもそうか」


 篁は庭を見つめたまま話を続ける。今朝も雪がちらついている。


「お宝については篁卿を巻き込むつもりはありませんから」


「巻き込まれるのはこちらの方こそごめんだ。……が、同情はする」


 篁の視線の先にあるのは梅の木だ。蕾をつけ、冬の寒さに耐え忍んでいる。


「見つかるといいな」


「……篁卿、丸くなりました?」


 先ほどまでの鋭い声はどこへ行ったのやら、篁の柔らかな声音に周は身の毛がよだつ。そうでなくとも、望に対する態度を見ていると、昔よりも優しくなった気がする。


「昔から俺は優しいだろう?」


「優しい人は出会い頭に太刀をちらつかせて脅したりしませんけど?」


 篁と初めて出会ったとき、腰の太刀をすらりと抜いてこちらにその切っ先を向けてきた。動けば切るぞと言わんばかりの殺気を向けてきたのだ。


「自分たちの行動を振り返ってみろ。俺の仕事の邪魔をするガキがいたのだから仕方ない」


「しょうがないじゃないですか。何でか知りませんが、喧嘩吹っ掛けられちゃったんですから」


「喧嘩するなら仕事中に乱入するな。そのせいで、亡者を逃がしそうになった」


「僕ら、被害者ですよ?」


「相手をほぼ戦闘不能にまで追い込んだ奴らのどこが被害者だ? え?」


 周と杏介の後ろで伸びていた妖と、そんな二人に怯える亡者という何とも言えない状況に篁は立ち会ってしまったのだ。


「違いますって。向こうがえいってくるから、僕はとうって返していたら勝手に傷だらけになっていたんですよー」


「お前、手を出しているだろうが」


「自己防衛ですよ」


「どこからどう見ても、過剰防衛だったんだよな」


 意識を飛ばすようなことをしでかしておいて自己防衛というのは無理があるように思う。篁が遠い目をしていると篁が腰掛けるソファの背後で空気が揺れる。


「ねえ、篁さま、真面目なお話終わった?」


 すっと姿を現した朱莉は篁と周を交互に見る。


「終わったよ」


 話を切り上げるのは今しかないと思った周は即答する。


「あなたには訊いてない」


 ばっさりと切り捨てられるように言われた周は少女の冷たい声に胸が抉られる。朱莉以外の式神は普通に接してくれるが、朱莉だけ周にあたりが強い。なぜだろうと思いながら、周はぬるくなってきた茶を啜った。


◇◇◇◇◇


 日も沈み、暗くなってきた。望はボストンバッグを肩に掛けなおし、篁に向き直る。やはり、こうして向き合うと篁の背の高さが本当によくわかる。周よりも背が高い彼を見上げる。


「篁卿、ありがとうございました」


「大したもてなしができなくて悪かったな」


「いえいえ、そんな。大変お世話になりました」


 望はペコリと篁に頭を下げる。昔のことや、こちらでの生活では本当に世話になった。


「お土産までいただいて、何とお礼を申し上げたらいいのか」


 望はボストンバックしまった土産を思い出す。芸術品のようなチョコレートをもらったのだ。バレンタインデーが近いし、といただいた。


「たまには甘いものでも食べて息抜きしてくれ」


「そうだよ」


 するりと篁の背後から現れた朱莉は望を見上げる。


「美味しいチョコだからね」


 ふふん、と得意げに胸を張る朱莉に望は笑みを零す。


「はい。ありがとうございます」


「また遊びに来てね、のんちゃん」


「のんちゃん!?」


 朱莉のその呼び方に周は目を丸くする。周に対してはつれない態度の朱莉は望のことをのんちゃんと呼ぶほど慕っている。この差は何だと周が思っていると、朱莉は白けた目で周を一瞥すると、望に飛びつく。


「えっ?」


「のーんちゃーん。また遊ぼうね」


「え、あ、はい」


 と言ってもそう簡単に京都を行き来できない。申し訳なく思いながらも望は応じてしまう。


「また電話するね」


「おい、その電話って俺のスマホだろ」


 篁は朱莉の首根っこを掴もうとするも、朱莉は望の背に回り、その手をかわす。


「ふふふ」


「朱莉、お前な……」


 篁としても朱莉がここまで望に懐いているのは意外だった。元々人懐っこい性格の式神だが、ここまで望のことを気に入っているとは思わなかった。


「舟橋さん、悪いな」


「いいえ、そんな」


「朱莉、ほら、こちらに戻りなさい。あまり寒空にいさせるのも悪いだろう」


 えー、と不満そうに声を漏らしながら、朱莉は渋々望から離れる。


「まあ、朱莉からの連絡はさておき、こちらで何か情報が掴めたら連絡する。もちろん、そちらから何か気になることがあれば連絡してくれ。昼間なら大抵出られるから」


「ありがとうございます」


 望としては本当にありがたい。どうしてここまでしてくれるのか、不思議なぐらいだ。


「お前もな」


「はーい。じゃあ、ご無礼しようか。篁卿も身体冷やすし」


「俺よりも舟橋さんを気遣ってやってくれ」


 彼女の吐く息の白さを見ているとさっさと温かい場所へ連れて行ってやってほしい。


「それでは、篁卿、ありがとうございました」


「ありがとうございました」


「うん! のんちゃん、また遊びに来てね」


 朱莉は手を大きく振る。望はそれに応じるように小さく手を振る。


「気をつけて帰れよ。まだ寒い日が続くし、風邪にも気をつけてな」


 篁の言葉に応じるように、周と望は会釈する。

 篁と朱莉に見送られ、二人は冷たい風が吹く小道を歩く。


「……っはー、長い二泊三日だった」


 角を曲がると、周は胸の空気を全て吐き出すように言う。


「ごめんね、何でもかんでもお任せしちゃって」


 周に本の読解を全て任せてしまった。それが本当に申し訳なかった。


「そっちは全然平気。読んでて興味深いことも書いてあったし。観光も楽しかった」


 水族館にも行くことができて、周としては満足である。


「じゃなくて、篁卿」


「あー……。扱い、雑だったよね」


 見るからに望と周とでは態度が違った。お客様として扱われる望と昔からの知り合いとして扱われる周だった。


「うん、まあ、ね……」


 望に篁から詰められているところを見られなくてよかったとは思う。その反面、いつかは望に話さなくてはならないと決断を迫られている。これが周としては難しい。


「とにかく、今日はさっさと帰ろう。詳しい話は後日」


「うん」


 そうして二人は帰路へとつくのであった。

しばらくの間休載します。

詳しくは活動報告をご確認ください。

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