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夢屋 胡蝶  作者: 真鶴 黎
胡蝶の迷い 雪にまじりて見えぬ夢
40/88

#1

 京の底冷え。言葉自体はよく聞くのだが、それを実感するのは初めてだ。雪がちらつく中、望はマフラーを引き上げる。


「望ちゃん、大丈夫?」


 隣でガタガタと震える望に周は声をかける。露出は目元だけという完全防寒をしてきた望だが、京の妖街に着いた頃から口数が減り、震えている。


「……寒い通り過ぎて冷たい」


「ごめんね、こんな時間になって」


 時刻は午後八時過ぎ。店じまいをしてから京都へと向かった。夢屋を出た時点で日はとっぷりと落ちていて、寒かった。温かい夕食を食べてきたものの、凍えるような冷たい風に望は参っているようだ。


「ほら、もうすぐ着くから」


 周はメモを確認する。

 冥府の官吏、小野篁の住まいまでの道のりだ。昔、望の件に関わったという彼と会う約束をしたため、こうして京都を訪れた。


「うん」


「えーっと……そこを曲がって」


 地図のとおり、道を進んでいく。望は周の後に続く。

 望が京都を訪れたのは小学校の修学旅行以来だ。当時は寺社仏閣を見てもとくに面白いとは思わなかった。歴史にさほど興味もなく、教科書に載ってたお寺だ、としか思わない子供だった。

 あれから八年。暗がりの街並みを見ると風情があると思う。今の自分なら、当時見た有名な寺社仏閣の良さがわかるだろうかと少しばかり思う。


「……ここかな?」


 周は足を止め、目の前の建物と地図を見比べる。望も周に倣い、地図と建物を見比べる。と言っても、望は土地勘が全くないため、地図の通り名を見てもよくわからない。

 普通の民家である。冥府の官吏が住んでいるとは想像もつかないほど、住宅地に溶け込んでいる。


「高村って表札出てる」


 望は木の表札を指さす。灯に照らされた表札には高村と書かれている。


「だよね。……あー、緊張するなあ」


 周は深呼吸をする。凍てつく空気は緊張を解すどころか、余計に緊張させる気がする。


「よし」


 周は意を決し、インターホンを押す。ピンポーンと間延びしたような音と共に、白い灯が点き、二人を照らす。一拍後、プツリ、と音がする。


「はい」


 落ち着いた女性の声が応じる。


「こんばんは、胡蝶です」


「胡蝶さん……。はい、ただいまそちらへ」


 女性の声が途切れる。少しすると、玄関に人影が映り、鍵を開ける音がする。扉が開くと、玄が姿を現す。二ヶ月前、篁の文を届けに来たあの少年だ。黒曜石のような瞳が二人を捉える。


「お二人とも、ようこそおいでくださいました。どうぞ、上がってください」


 玄は一礼した後、二人を家の中へ招き入れる。お邪魔します、と二人は敷居を跨ぐ。出迎えた生け花を横目に、コートやマフラーを脱ぐ。そして、履物を脱ぐとスリッパを勧められる。


「……篁卿、ここまでしてくれるの?」


「お客様ですから」


 玄は淡々と言う。二人は勧められるがままスリッパを履く。


「こんばんは」


 重みのある低い声がする。そちらを見れば、奥から初老の男性が歩み寄る。


「コートやお荷物をお預かりします」


 男性は目尻の皺を深くし、二人に話しかける。


「貴殿も篁卿の式神?」


「はい。(こう)と申します。お荷物は客室まで運んでおきます」


「そう。なら、お願いしようか、望ちゃん」


「え、うん……。お願いします」


 皓と名乗った初老の男性は二人の荷物を受け取る。逞しい体つきの皓は二人分の荷物とコート、マフラーを持ち上げる。


「そちらは?」


 皓は周が抱える風呂敷に視線をやる。


「これはお土産なので。篁卿に直接渡します」


「かしこまりました。では」


 皓は玄に目配せをすると、玄はひとつ頷き、こちらへ、と二人を先導する。

 二人は玄に導かれるがまま廊下を進む。隅々まで掃除が行き届いた廊下である。清められた空気に二人の背が自然と伸びる。

 ふわっと墨のにおいをかすかに感じていると、リビングへと通される。


「どうぞ、おかけになってお待ちください」


 玄に促される。コの字型に並ぶソファの内、三人掛けのソファを勧められ、二人は腰掛ける。

 灯油ストーブの音が静かな部屋に吸い込まれていく。望はどことなく古民家の雰囲気がある部屋を見渡す。橙色の灯の映える部屋はどこか懐かしく思う。ノスタルジックな感情というのはこうなのかもしれないと思う。

 部屋を見渡す望の隣、周はというと顔色が悪い。


「……周、大丈夫?」


 隣でガタガタと震える周に望は小声で呼びかける。篁の住まいを目の前にしたときから見るからに緊張しているようだ。


「ちょっと緊張しちゃって……」


 ははは、と周は笑うも、表情は強張っている。周がこれほどまでに緊張しているところを初めて見る。いつも、ヘラヘラと笑っていて、チャラチャラとした言動の周は緊張とは縁がなさそうだと思うほど、いつもは余裕があるように見える。しかし、今の周は誰が見ても緊張しているはっきりわかるほど、表情や声音が硬い。服装も、店にいるときのチャイナシャツや外出時のカジュアルな装いとは違い、シックな服装でまとめている。初めて見る周の姿に望は驚きを隠せなかった。ちょっと気合入れないと、と周は困ったように笑ったのだ。

 余裕のない周。今日の周はどこか上の空だった。あまりにもいつもと違う周に望も緊張してくる。相手のオーラが違うのだろうと思う。

 敷地に足を踏み入れたときから違った。綺麗な空気を吸ったときの感覚に似ている。物静かな森や山の中を歩いているときのひんやりとした冷たい空気が家中に満ちているような気がするのだ。

 望は深呼吸をする。灯油ストーブの独特なにおいと一緒に清められた空気を吸う。大丈夫だと自分に言い聞かせながら、篁が来るのを待つ。

 待つこと数分。廊下の方から足音がする。その音に周の肩が跳ねる。

 リビングの扉を玄が開ける。


「主、望様と貘殿がご到着されました」


 玄は男に恭しく頭を下げる。


「ああ、ご苦労」


 低い声が応じる。望は声の主を見上げる。

 全身黒に身を包んだ、すっと背筋の伸びた男だ。長身の男は涼やかな目元を緩ませ、その薄い唇に笑みをのせる。


「いらっしゃい。寒い中、悪かったな」


 低いその声は寄せる波の音のように穏やかだ。周から事前に聞いていた威圧的な人という印象は全くなく、望は軽く目を瞠る。


「篁卿、お久しぶりです」


 周が立ち上がり、篁に深々と頭を下げる。望も周に倣い、立ち上がって頭を下げる。


「ああ、久しいな」


「こちら、お土産です」


 そう言って周は風呂敷を解き、中身を差し出す。


「……ほお」


 篁は受け取った箱をじっと見つめた後、背後に控える玄に渡し、何やら耳打ちする。篁が身体を屈み、玄に耳打ちする姿に二人の身長差が窺える。玄は、主に軽く会釈すると、二人に深々と頭を下げて部屋を後にする。


「何だ、茶葉を扱っているから茶葉を持って来るかと思ったら羊羹か」


「京都に美味しいお茶扱ってるところあるでしょう」


「そんなこと言ったら、菓子類だってそうだ」


「……そうですね」


 周の表情が強張っている。望は周の横顔を盗み見しつつ、篁を見やる。

 濡れ羽色の髪、すっと通った鼻筋、薄い唇と整った顔立ち。三十歳前後の見た目の男である。周や杏介から事前に美形だと聞いていたが、望の想像以上に整った顔をしている男だ。何より、篁を見上げると本当に背が高い。すらっとした手足もあってか、余計に背が高く見える。天に真っ直ぐと伸びる竹のようだ。

 背丈に目がいきがちだが、一際目を惹くのは髪と同じ、濡れ羽色の切れ長の目だ。底まで見通せそうなほど澄み切った静かな海のような瞳をしている。

 洗練された雰囲気の篁から感じる気配は限りなく人間に近いのだが、人間ではない。言われなければ、望も気がつかないかもしれないほど、限りなく人間に近い。しかし、あまりにも、空気が澄み切っていて、人間離れしているような気もする。

 烏の羽の色を思わせる瞳と望の視線がかち合う。篁の様子を窺っていた望は自然と背筋が伸びる。


「俺の顔に何かついていたかな?」


 微笑を浮かべる篁はわずかに首を傾げる。望はやんわりと問う篁に首を横に振る。


「……いいえ。ごめんなさい」


 初対面に近い相手の顔を凝視するのも失礼だ。


「何も謝ることはない。舟橋さんの目は良くも悪くも映すからな」


 篁は小さく笑い声を漏らす。竹の葉がそよ風で揺れるように微かな音だ。


「そうかしこまらなくて結構。二人とも、肩の力を抜きなさい」


 周の眉がピクリと跳ねるのを望は見逃さなかった。本当に緊張しているようで、篁に力を抜けと言われても余計に力が入っている。


「さて、遅ればせながら挨拶を。舟橋さん、こうしてちゃんと向き合うのは初めてだな。俺は冥府で役人をしている小野篁と言う。よろしく」


「舟橋望です。こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 望は深々と頭を下げる。望ちゃんなら大丈夫だと思うけど挨拶はしっかりね、と周から事前に言われていた。


「ご丁寧にどうも。ほら、二人とも座りなさい」


 顔を上げた望に微笑んだ篁はソファに視線をやり、座るように促す。失礼します、と言って二人がソファに座る。篁は二人の斜め向かいの一人掛けのソファに腰掛ける。

 ゆったりと腰掛けた篁に望は不思議と緊張感が消える。この短いやり取りの感じからして、恐ろしい人ではなさそうだと望は思う。周や杏介から散々、恐い人だとか、威圧的だとか聞いていたが、そのような雰囲気は微塵もない。確かに、背が高く、声が低いため、人によっては威圧的に思うかもしれないが、表情は穏やかだ。声音も優しく、むしろ、緊張感が解けていく。周と杏介が言う篁像とは印象が違う。


「対応が遅くなってしまって申し訳なかったな、舟橋さん」


「いえ、お忙しいところお時間を作っていただいて……」


 望は冥府の官吏の仕事内容を知らない。閻魔大王に仕えるという話の時点で、あの世の絡みということは想像できるのだが、具体的に何をしているのかはわからない。忙しい身だとしか聞いていない望からすると、わざわざ時間を割いてもらったこちらの方が感謝するべきだと思う。出勤前と思しき服装からしても、時間を作ってもらっている気がしてならない。


「望様」


 気配なく望の後ろから降ってきた声に、望は肩を跳ねさせる。


「は、はい」


「よければ、こちらを」


 玄が差し出したのはストールだ。


「え、あ、えっと」


 玄の登場に驚いた望はしどろもどろな反応をしてしまう。


「身体を冷やすのはよくない。使ってくれ」


 篁は玄に目配せをすると、玄は望の肩にストールをかける。ふわりと梅のような香りがほのかにする。


「あ、ありがとうございます」


 玄は一礼すると、篁の背後に控える。


「失礼します」


 落ち着いた声音が横から吹き込む。インターホン越しに聞いた声だ。声の主である女性が周と望に会釈をすると、盆にのった湯呑をテーブルに並べる。並べ終えると、玄と同じように篁の背後に控える。


「粗茶だが、どうぞ」


「何をおっしゃいます」


 硬い声音で周が言うと、篁は不敵に笑う。

 望は二人の様子を窺いつつ、肩に掛けてもらったストールを整える。


「疲れもあるだろう。本格的な話し合いは明日にするとして、今晩は少しだけ確認をさせてほしい。いいだろうか」


 周と望は篁の言葉に目配せする。


「はい」


 望が応じると篁はテーブルに置いた紙の束を手に取る。


「ありがとう。まずは……そうだな。今回、舟橋さんと貘が俺を頼った理由を確認しよう」


 篁は紙の束から一通の文を取り出す。小野篁様と周の字で書かれた文には蝶の文様があしらわれている。その文を開いた篁は文の内容に再度を目を通す。


「十二年前、舟橋さんが行方不明になった事件があり、その日を境に夢を見なくなった。夢を見ない人間の心当たりはないか、といった内容だったな」


 間違いはないか、と篁は目で尋ねる。その目に周と望は頷く。


「夢を見ない人間という事例に心当たりはある。多くの場合は精神的なことが原因だ。もしくは、人ならざる者の手が加わってしまったという例」


「では、解決法をご存知なのですか?」


 望の声音がわずかに明るくなる。事例に心当たりがあるというのなら、何か知っているのではないかという希望が浮上する。しかし、篁の表情は望の声音とは裏腹に険しくなる。


「知っていると言えば知っている。極論を言えば、大元を絶てばいいだけなのだから」


 精神的なことならば悩みを取り除いてやればいい。怪異のせいなら祓ってやればいい。


「だが」


 篁は声音を低くする。


「俺が聞いたのは、あくまで一時的に夢を見ない、もしくは、夢を見る頻度が減ったという例だ。全く夢を見ていない期間が十年以上も続いているという状況は聞いたことがないんだ」


 篁はかれこれ千二百年の時を過ごしてきた。その間、人間、妖怪問わず、多くの者たちを見て、時には関わってきた。約千二百年過ごしてきた分の経験や知識を持ち合わせている。その経験の中で言えることがある。

 夢を見ない生き物はいない。人であれ、妖怪であれ、犬であれ、魚であれ、花であれ、生きている者ならば夢を見る。夢を見ていないといっても、実際は覚えていないだけで生き物は夢を見る。夢の内容はどうであれ、必ず何かしらの夢を生き物は見るのだ。

 篁は専門ではないため、篁なりに夢を全く見ないという事象について調べてみた。今までの経験も振り返ってみた。夢を見ない対象がいた場合、先にも言ったように、根源を絶てば元通りになった。

 しかし、望のような長いこと夢を見ていないという前例を聞いたことがないのだ。他の冥官たちに訊いても、知らない、ありえない、と返ってくるばかりだ。


「冥官に夢に詳しい者がいる。彼も聞いたことがないと言っていた」


 狐顔の彼は、そのようなことが、と驚いていた。陰陽師の彼ですら知らない事象だった。


「では……」


 篁の言葉に望はゆっくりと視線が下がる。

 打つ手なしなのだろうか。マイナスな考えが望の脳裏をよぎる。


「とは言うものの、舟橋さんの場合は割と原因がわかりやすいと思うんだよな」


 篁は声音を明るくし、ソファにもたれかかり、別の用紙をパラパラと見ていく。


「それって……」


 わずかに顔を上げた望は篁と視線がかち合う。

 篁が着ている衣のような黒い影。鋭い爪のような物が望に伸ばされた。覚えているようで、覚えていない朧気な記憶だ。


「君が遭遇した怪異が原因だと思う。と言うか、ほぼそれでいいだろうという話になっている」


 狐顔の冥官が言っていた。生前、著名な陰陽師として名を残した彼としてもその線が怪しいと言っていた。他にも何人かの冥官に訊いてところ、他に手がかりがないのであればそこを疑うしかないのではないかという意見が大半だった。篁としても、そこから広げていくという考えは悪くないと見ている。望の経歴を洗ってみても、そこ以外に気になるところがないのだ。


「やっぱり、あの影が」


 望はぽつりと言葉を零す。

 幼い望を攫った黒い影。それに篁は関わったと玄が持ってきた文に書かれていたそうだ。


「絶対とまでは言わない。他にも精神的なことが関わっているかもしれないから、百パーセント怪異が原因とは言えない。が、君自身、例の怪異以外に心当たりはないのだろう?」


「はい」


 望が自覚している範囲では、心身ともに異常はない。きっかけとなるような出来事も例の件以外、心当たりがない。


「舟橋さんは、当時のことをどれぐらい覚えている?」


「どれぐらい……。習い事の帰り道を普通に歩いてはずが、気がつくと見知らぬ林の中を歩いていて……。疲れて座り込んでしまったところを黒い影に狙われました。その後は目が覚めたら病院でした」


 大まかに言えばこのような感じだ。昔のことで、朧気な部分もあるが、黒い影に襲われそうになったあの瞬間はよく覚えている。あの鋭利な爪が望の伸ばされたとき、恐怖を感じ、声も出なかった。


「そうか。そうだったか」


 篁は難しい顔をしながら、懐から万年筆を取り出して紙に望の話を書きこんでいく。


「篁卿は望ちゃんの一件に関わっていたと聞いています」


「そうだな。俺も冥府も関与した」


 十二年前の九月。篁にとある命が下ったのだ。


「お聞かせ願えますか?」


 周が尋ねると、篁は紙束から顔を上げる。涼やかな瞳は尋ねた周ではなく、望を捉える。


「舟橋さん。君は聞きたいかい?」


 篁の脳裏に少女の怯えた表情がよぎる。涙を溜めた目、わななく口元、固まった小さな身体。思考が停止し、恐怖に支配された幼い望の姿だ。


「一応、君の経歴を洗った。……随分と苦労させてしまった」


 篁は件の任務が終わった後、すぐさま自分の管轄に戻ったため、その後の望の詳しい話を知らない。しばらく病院に通っていたと聞き、心配になったものの、篁がしてやれることはもうないと思った。

 その病院通いというものは望の精神に関することだったと知ったのは周からの文を受けて、望について調べたときだった。望の経歴を見たとき、あのとき助けた少女だとわかった。その少女は歩き慣れた道にも恐怖を抱いていた。幼い少女の心に深い傷を残してしまったのではないかと思うと同時に、嫌な予感がしたのだ。

 彼女は今も当時のことを覚えていて、苦しんでいるのではないか、と。


「それでも、君は聞きたいか?」


 濡れ羽色の瞳が揺れる。もしも、今もなお苦しんでいるのであれば、篁が話すことは望の傷を刺激することになってしまう。


「……」


 篁の低い声音は優しく、望を案じている。篁の親切心が垣間見えた望は周をチラリと見る。周も案じるように望を見ている。二人とも無理はしなくていいとその瞳が言っている。

 何のために篁の元を訪れたのか。それを考えれば、望の答えはひとつだ。


「はい。そのために伺ったのですから」


「……君は、強い人間だな」


 篁はひとつ息をつく。凛とした望の目は磨き上げられた水鏡のようだ。篁が長いこと生きてきた中でも、稀に見る美しい目だ。意志の強いその目に篁は紙束をテーブルにそっと置く。


「一人で外を歩けるようになるぐらいには、乗り越えられましたから」


「そうだな。そうでなければ、人ならざる者の近くで働くこともないし、この場に来ることもない」


 そう考えると、肝の据わった娘である。怪異に襲われて心的外傷を負ったにも関わらず、自分の希望のためとは言え、貘が主の店で働こうとは思わないし、冥府と関係のある自分に会おうとも思わないだろう。

 あの日、怯えていた少女は芯のある女性へと成長していたのかと思うと、月日の流れは早いと篁は感じる。


「わかった。ならば、話をしよう。ただし、話し出すと長くなる。俺は今夜、冥府に行って再度確認をしてくる。その確認ができてから……先ほども言ったが、明日、話をするということでも構わないだろうか?」


「はい。よろしくお願いします」


「悪いな、せっかく、覚悟を聞かせてもらったのに」


「いいえ。篁さんが確認したいことがあるとおっしゃるのなら、その後で大丈夫です」


 篁の手を煩わせるわけにはいかない。望としては、話を聞かせてくれると約束してくれるのなら何も言わない。


「そうか。……お前、こちらのお嬢さんをこき使ってないだろうな」


「篁卿と違って、僕は人使い荒くないので」


 緊張が解れてきたのか、周はのんびりとした口調で言う。


「へえ……」


 篁は不敵に笑うも、すぐに表情を和らげる。


「では、この話はまた明日ということで」


 篁は紙の束を背後に控える玄に渡す。


「すまないが、冥府へ行く支度をするため、俺は席を外させてもらう。きちんとしたもてなしができず、申し訳ない」


 篁は眉を下げる。望のことは冥府へ報告しなければならない案件だ。


「篁卿は相変わらず忙しいですね」


 周は呑気に言う。昔からあちこち動き回っている人だ。昼も夜も仕事でいつ休んでいるのだろうと不思議に思うほどだ。


「お前は相も変わらずふらふらしているんだろう?」


「これでも、昔と違って店を構えるようになりましたけどね」


 昔、周は各地を渡り歩きながら夢を売っていた。その先々で篁と会うことが何度かあった。篁は冥府の命令により、各地を巡っているが、周は自分の意志で動き回っている。対照的だ。


「ヘラヘラしやがって……。舟橋さん、うちには何もないが、ゆっくりしていってくれ」


「ありがとうございます」


「そうだ。式神の紹介をしようか」


 篁が手を叩くと篁の背後に玄と女性の隣に二人の式神が現れる。一人は荷物を預けた皓と名乗った初老の男で、もう一人は玄より年下の見た目をした少女だ。


「玄は以前会っているな」


 玄は手本のように頭を下げる。冬の空気のようにしんとした冷たい空気をまとう少年だ。


「玄の隣の彼女は清佳(せいか)だ」


 茶を出した女性が恭しく一礼する。清佳と呼ばれた女性は春のような麗らかな日差しのように柔らかく笑う。


「その隣は(こう)


 初老の男性は深々と礼をする。皓の表情はからっとした秋晴れのように清々しい。


「最後、朱莉(しゅり)だ」


 朱莉と呼ばれた少女はにこっと笑いながら小さく手を振る。夏の太陽のように眩しい笑顔だ。


「以上、俺が使役する式神だ」


 篁がそうまとめると四人揃って再度頭を下げる。


「何か困ったことがあったら俺でも、彼らでもいいから言ってくれ」


「はい。あ、舟橋望と言います。短い間ですが、よろしくお願いいたします」


 望がそう言うと、ててて、と朱莉が駆け寄ってくる。


「よろしく!」


 そう言って朱莉は望に手を差し出す。望はそっと手を差し出すと、がっしりと握られ、ぶんぶんと上下に振る。小さな手は温かく、まさに子供特有の高い体温だ。


「よ、よろしくお願いします……」


「ふふふ、よろしくね」


 朱莉は嬉しそうにニコニコと笑っている。玄より幼い見た目の朱莉は見た目相応の少女らしい振る舞いをする。子供特有の無邪気な笑顔を向けられ、望の緊張がわずかに緩む。


「さて、俺はここでご無礼させてもらう。朱莉、失礼のないようにな」


「はーい、篁さま」


 きゃっきゃっとはしゃぐ朱莉を皓が窘めるのを横目に篁は周に視線をやる。


「貘、今から俺の書斎に来い」


「え?」


 周は首を傾げる。


「夢に関する書がある。それを貸してやるから、こちらにいる間に読め」


「……ご丁寧にどうも」


 濡れ羽色の瞳に嫌な圧を感じた周は仕方なさそうに立ち上がる。


「わかりました。望ちゃん、ちょっと行ってくる」


「私もお手伝いに」


「そこまでの量ではないから。舟橋さんはここで温まっていなさい」


「朱莉と遊ぼう!」


 遊んで、とねだる朱莉に望は戸惑いながら頷く。

 篁は立ち上がると、周と玄を連れてリビングを去る。

 ストーブで温まっていたリビング違い、廊下は外の気温と大して変わりなさそうなほど冷えている。


「……で、僕だけ呼び出して何ですか?」


 周は先を歩く篁に尋ねる。露骨に望と離したと思いつつ、周は篁の言葉に乗ったのだ。幼い見目の式神を上手く使って望を引き留めさせたのではないかと疑うほどだ。


「貘の一族とお前の関係、彼女にはまだ話していないのか?」


 篁は振り返ることなく、周に問う。


「……はい。その式神君に預けた言葉のとおり、僕は彼らを頼ることなどできません」


 長いこと文のやり取りすらもしていない同族。現在、彼らがどうしているのかすら知らないし、周自身、知ろうともしない。あちらも同じだろう。互いに距離を取っている関係だ。


「そうか。お前はそう決めたんだな」


「はい」


「今後も話すつもりはないんだな?」


 篁は足を止める。周も足を止め、篁の背を見つめる。烏のような黒に身を包む背中は壁のようだ。


「はい。彼女には悪いと思っています。けれど、僕は彼らを頼らないと決めました」


 周ははっきりと言う。

 望には悪いと思う。貘の一族を頼れば、解決は早まるだろう。しかし、周にはできない。絶縁され、彼らに手を貸してくれと言っても取り合ってもらえないだろう。もしくは、周と望の関係を断ち切られ、一族の方が望の件をどうにかするかもしれない。


「玄、お前は先に行って書物の用意をしてくれ」


「御意」


 玄は篁に頭を下げて先を行く。玄の姿が見えなくなると、篁は後ろにいる周に向き直るように振り返る。


「……今回の件はこちら側の失態が絡んでいる。始末書を書かなければならない事態だ」


 篁の濡れ羽色の瞳は周を見つめる。

 当時も始末書を書いた。が、今回、望が当時のことを覚えていることが発覚した。

 冥府が関与した事象を生きている人間が知っていてはならない。目撃された場合は記憶処理を施すのだが、それが失敗していたことがわかった。十二年前の出来事とは言え、幼い望が精神的苦痛を負ってしまった。彼女の経歴を確認したときも、まさかとは思ったのだが、今でも覚えているということはよほどのことだ。


「だが、この件に俺や冥府が関わっていなかったら、手は貸さなかった」


 篁は声を低くする。威圧感のあるその声に周は息を呑む。


「その場合、どうするつもりだった?」


「また他の手を探しますよ」


「他の手とは?」


「それは……」


 篁から何も得られなかったら。その可能性はもちろんある。その場合はまた振り出しに戻ることとほぼ同義だ。

 他の手とは何があるのか。周なりに今まで調べてきたつもりだ。望の心身のこと、夢を見ないという事象のこと、黒い影の情報を中心に、様々な分野の書物を調べたり、詳しい者の元を訪れた。

 しかし、目ぼしいものがあったかというとそうではない。行き詰っていた。だから、最後の頼みとして篁を頼った。


「答えられないのか?」


「すぐに思いつかないだけで」


「あるだろう」


 篁はぴしゃりと言い放つ。


「一番に頼るべきところがあるのに、見て見ぬふりをしている」


 貘である周なら、真っ先に思いつき、働きかけるべき相手がいる。貘でなくとも、貘という生き物がどのような存在なのかを知っている、もしくは、調べた結果、行きついたのならば誰もが頼りたくなる存在だ。


「お前、彼女のことを解決したいと思っているのか?」


「はい。僕にできることなら」


「なら」


 篁は周の言葉に被せるように言うと、濡れ羽色の瞳をすっと細める。獲物を追い詰める猛禽類のような目で貘を見下ろす。


「貘の一族を訪れるべきだろう。俺のところへ来るよりも、己の一族を真っ先に頼る方が賢明ではないか?」


 貘という種族は吉兆の証。悪夢を取り除いてくれる存在として崇められた種族だ。夢に関することと言えば、貘の名が挙がるほどだ。

 その種族の出ならば、真っ先に頼るべき相手は同族。篁ならそうする。たとえ、縁を切られていたしても、どんな手を使ってでもこじつけてみせる。


「彼女の件について手は貸す。しかし、こちらが開示できる情報だけでは解決できないだろうとだけ言っておく。いずれにせよ、同族を頼らなければ遠回りするだけだ」


 周と貘の一族の確執は深い。篁としては、周の立場はわからなくもない。しかし、舟橋望のことを思えば、彼らを頼るべきだ。


「彼女と出会い、関わったのも縁だ。貘の一族と接触する口実になると俺は思う」


 望という存在は今まで関係を断ってきたところに歩み寄るきっかけになるだろう。貘の一族としても望は興味深い対象になり得る。周の出方次第で彼らは望を迎え入れるだけでなく、周を招くこともあるのではないかと思うのだ。


「しかりとて、背かれなくに、事しあれば、まづ嘆かれぬ、あな憂世中。……そんなことわかっているだろう? 背を向けて、嘆くだけでは進めないぞ」


 細い目を伏せる周に篁はため息をつきたくなるも、行くぞ、と言って歩き出す。


「……はい」


 周はとぼとぼと篁の後ろをついていく。足が重く、背にのしかかる重荷がさらに重くなった気がした。

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