#7
暗い川面に映る飴色。飴色に染められた長い髪がゆらゆらと揺れている。暗い表情の里美の顔がぼうと川面に映る。
どこを見ているのかよくわからない里美の背後に小柄な影が忍び寄る。音も立てずに忍び寄る影の腕は里美の背に勢いよく伸ばされる。
蝶が舞う。ひらりと里美の目の前をよぎる。それと同時に、里美の目に光が宿り、するりと腕から逃れる。
「……!」
「へっへーん。見ーつけた」
飴色の長髪を翻した里美は悪戯っ子の笑みを浮かべ、小柄な影の腕を取る。
下の方でふたつに結ばれた黒髪、蝶結びのスカーフ、紺色の生地に白のラインが入った襟。
そして、塗りつぶされた真っ黒な顔だ。よく見ると、塗りつぶされているのは顔だけではなく、肌という肌全てが真っ黒だ。
影、セーラー服の少女は離して、と言わんばかりに里美の腕を振るも、里美はがっしりとその腕を掴んでいる。
「よくも私に変な夢見せてくれわね、昔の私」
「離して!」
少女は抵抗するも、里美は両手で少女の腕を捕らえる。
「離さないよ。いっつもあなたに好き勝手されてるんだから、今回ばかりは私の好きにさせてもらうからね」
どういう意味、と訊こうとする少女の前を蝶が横切る。大学生の里美の髪と同じ、飴色の蝶がゆらりゆらりと優雅に舞う。
その蝶は、見ていて、と二人に訴えるように二、三度旋回すると、空へと羽ばたいていく。みるみる遠ざかっていく蝶の姿は段々と小さくなるはずが、むしろ大きくなっていく。立派な羽を羽ばたかせ、暗闇の空へ飛んで行く。その姿が次第に丸みを帯び、気がつくと巨大な円になっていた。水飴を光にあてたような金色の円がぽっかりと空に浮かび、底が見えない川にその姿を映す。
月だ。蝶は満月となった。しかし、月というには、その面は里美たちが見慣れたものではなかった。
「何あれ……」
少女がぽつりと呟く。
本来であれば、餅をつく兎の姿が見られるはずなのに、今見える月面に兎の姿はない。
「月の裏側だね」
理科の教科書でぐらいしか見たことがない月の裏側。表と違い、海と呼ばれる黒い部分が少なく、ぼこぼことした質感だ。
里美も理解が追いつかず、ぽかんとしながら月を見上げる。
「そんなこと、あっていいの?」
少女はありえない、と声をわずかに震わせる。
月は地球との引力の関係で常に同じ面、兎が餅をついている面しか見せないはずだ。
「さあ? まあ、明るくなってよかったと私は思うけどね」
むしろレアじゃないか。そう思うことにした里美は少女の腕を掴む手を離し、よいしょ、と言って里美はその場に座り込む。こうして月明りに照らされると、土手のようだ。里美は辺りを見渡した後、川辺に向かって足を投げ出し、そのまま寝転ぶ。
「こうやって上を向いたら、暗闇じゃないってのも精神的に安定しそう。真っ暗はやっぱりよくないから」
川に突き落とされ、どんどん沈んでいくあの感覚。深さに比例して暗くなっていく川の中、誰ともわからない視線を感じる夢よりはましだ。月明りにしては十分すぎるほど明るい。
「……ねえ、顔見せたくない?」
里美は立ち尽くす少女を見上げる。明るくなった世界の中、少女の顔は闇に包まれたままだ。手足も真っ黒で、冬のセーラー服の紺色の生地とほぼ同色のようになっている。
「……」
「まあ、その気持ち、痛いほどわかるから見せたくないならそのままでいいよ。ちょっとだけ、話をしない?」
「話?」
少女は里美の方へ顔を向ける。
「そう。私が覚えていないから、違っていたら悪いんだけど、一方的に話をされているような気がするから」
はっきりと覚えているあの夢では、少女から一方的に話しかけられていたのだ。
まとわりつくような言葉だった。九月の下旬になるも、まだ暑い。今の時期の空気のようにまとわりついてきたのだ。秋へと移ろうはずが、夏のうだるような暑さをぶり返されたような感覚だ。
「私の話も聞いてほしいなって思うんだ。どう? 昔の私」
ピクリと少女の肩が震え、顔を背けられる。
「嫌なら私が一方的に話すけど、いい?」
「……」
少女は里美の隣にゆっくりと腰を下ろし、寝転がる。反対側にわずかに逸らされた横顔を一瞥した里美は同じように月を見つめる。まん丸な月は二人をただただ見下ろしているようだ。
「……中学生のとき、私は私の顔が大嫌いだった」
里美は話し出す。
ぱっちりとした二重ではなく、一重だった。鼻は低く、ふっくらとした顔つきだった。何より、一番嫌だったことは肌がひどく荒れたことだ。年頃だから、と自分に言い聞かせていたが、同級生と比べるとひどいものだった。母が気にかけてくれてスキンケア用品を買ってくれたり、皮膚科に連れて行ってくれた。しかし、あまりよくならないと里美は思った。気になって顔を触ってしまったり、ニキビを潰してしまったりして悪化させてしまうこともあった。
「見られたくなくて、マスクをするような季節は本当に助かってた」
そうすれば、顔の半分は隠せるから。里美は冬になると、必ずマスクをするようになった。今となってはメイクが崩れるからマスクはあまりしたくない。マスクでメイクが崩れることも気になるが、せっかく綺麗に仕上げたメイクが隠されてしまうのも気分が下がる。
「でも、さすがに年中ってわけにはいかないからね。マスクをするのもしんどくなる季節になったときの絶望感ね」
まさに、今の時期のように暑苦しい夏は嫌いだった。さすがにマスクをつけたまま夏を超える気力はなかった。
マスクを外したとき、周りからどう思われるのだろうか。そんな心配がよぎった。マスクを外した自分のことを笑う人が出てくるのではないかと不安になった。
顔を見られたくない。
そんな思いから、里美は俯くことが多くなり、目を合わせて話すことが苦手になってしまった。
「顔を隠せたらいいのにって何度思ったことか」
まさに、里美の隣で寝そべる少女のように、皆の顔が黒く塗りつぶされてしまえば見目を気にすることなどないのだ。俯くこともなかっただろう。
「って言っても、限度があるから」
「……でも、今は綺麗になれたじゃない」
少女はそう言う。
「私なりに努力したから」
里美は強気に言う。
「隠せないなら、隠す必要がないくらい綺麗になればいいじゃんって思ったから」
隠す必要がないぐらい綺麗になってやる。
この言葉はテレビの中の女優が言っていた言葉だった。女優として、ドラマ、映画で活躍し、CMやバラエティー、雑誌にも引っ張りだこの彼女の言葉だ。彼女の高校時代の写真が番組で流れたとき、別人だと思ったのだ。正直、ぱっとしない、地味な女子高生だった。そんな彼女が今となっては見違えるほど綺麗になったのだ。
くすんだ肌は透き通るような美しい肌になり、ぼさぼさだった髪は風が吹くとさらさらと靡き、運動して引き締まった身体を手に入れ、メイクを勉強してからはぱっと目を惹く容姿となった。
自分でやれることをやったまで。その女優の言葉に里美は動かされた。
自分も彼女のように変わろうと思えば変わることができるだろうか。彼女のようになれなくとも、せめて、この顔を隠したいと思うことが減れば、と思ったのだ。
「で、高校デビューよ。心機一転、私のことを知らない人たちばかりの場所へ飛び込んだ」
大嫌いだと思う中学生時代の里美の顔を知らない人たちばかりの高校。周りの女子もばっちりメイクを決めていて可愛い子が多かった。
「それ、大変だったでしょ。見た目は変わっても、中身は変わってないんだから」
「痛いところ突くね」
少女からの容赦ない言葉が里美の胸に突き刺さる。
「私もあなたも同じ人間だから」
少女はそう言って里美の方へ顔を向ける。大学生になった里美のぱっちりとした目元はじっと月を見上げている。
少女は里美から再度視線を外し、月を見上げる。が、その視線もすぐに逸らす。
「俯いてきた人間が簡単に顔を上げられるわけがない」
月の光は眩しい。まるで、少女が隠そうとする全てを暴いてしまいそうなほど、月は輝いている。
「……私もそう思ったよ」
里美は目を伏せる。
見た目は変わっても、中身は変わらない。正直、周りの子たちのメイクがあまりにも上手で、気押されていたところがあった。
「でも、皆優しかった。そのメイク、可愛いね、どんなコスメ使ってるのって訊いたら、快く教えてくれる子ばかりだった」
級友に恵まれたと里美は思った。里美以外にも、高校生になるから、と思い切った生徒もいたようで、彼女たちのような人と仲良くなれた。
「親にはすっごい反対されたけどね」
「そうだったね」
里美が苦笑するのに合わせて少女も苦笑する。
高校生から化粧なんて、ととくに母親から厳しく言われた。里美の悩みを知った上で、化粧をすると肌が荒れる、肌の調子が良くなるまではやめなさい、と。母の言葉もよくわかると里美は思ったが、変わりたいと思った心を優先させた。
「友達とどこか出かけるときぐらいにしなさいって怒られたなあ」
せめてそれぐらいにしなさい、と母親によく言われた。里美は懐かしく思いながら話す。
「ふふ、そんなこともあったなあ」
「……」
「今となっては昔のことみたいだよ」
「私にとっては今なの」
静かながら、はっきりとした少女の言葉に里美は軽く目を瞠る。
「……そうだったね」
里美は少女を一瞥する。変わらず黒く塗りつぶされていて、少女がどんな表情をしているのかすらわからない。
誰にも見られたくない顔。コンプレックスの塊と思っていた顔は今の里美からすると、過去のこと。しかし、隣で寝そべる彼女にとっては今現在のことだ。
「そうだよね。数年後はこうなるよって言われても、今が嫌なんだよ。それ信じていいのって思うよね」
当時の里美もそうだった。例の女優の件を見て、自分も変わることができるかも、と淡い希望を抱いた。
それと同時に、もしも彼女のように綺麗になれなかったら、と不安にもなった。綺麗になることなく、ずっとこの顔のままかもしれない、と。成功するのは一部の人間だけかもしれない、と。
「でも、ありがちな言葉だけど、やらないで後悔するより、やって後悔する方がいいかなって」
一縷の望みをかけるように、里美は変わろうとした。何もしないで変わることなどないのだから、と自分に言い聞かせた。
「……」
「この顔嫌だなっていう気持ちを引きずる恐怖は確かにあった。だから、変わりたかった。意外にも、ファンデーションをするだけでも変わったからびっくりした」
お年玉貯金から買った安いコスメ。ネットの情報を参考に、メイクをした。下地をムラなく塗り、粉っぽくならないように、と控えめにファンデーションを塗った。
それだけでも、顔が明るくなったと思った。アイシャドウやチークなどはしていないのに、不思議と顔色がよくなったように見えたのだ。
「あれが一番大きかったね。もしも、あれであまり変わらなかったら、心が折れてたかも」
初めてだから失敗してもいい、と多少楽観的に思っていた反面、もしも変わらなかったら、と不安にもなっていた。
「高校デビューとか、大学デビューって調子乗ってると思われそうな言葉だと思ったけど、案外悪くないと思った」
それは里美が成功したと思えるからだ。もしも、失敗していたらと思うと、一生引きずっていたのかもしれない。
「……ねえ、訊いてもいい?」
「いいよ。何?」
里美は少女の方を見つめる。表情の見えない彼女は顔をこちらに向ける。
「今の自分に満足してる?」
「もちろん」
里美はすぐさま答える。
「でなきゃ、こうやって笑えてないよ」
「無理してない?」
「うーん、初めの内は背伸びしててしんどいって思うこともあったけど、慣れちゃった。自分に合う調度いいラインがわかったっていうのもあると思うけど」
ずっと背伸びしていても疲れてしまう。初めの内はどんなメイクが自分に似合うのか、どんなコスメを使えばいいのか、と手探りなのもあって、自分には合わない、まだ早かったと思うこともしばしばあった。
そんな悩みは友人と時間が解決してくれた。そのおかげで、気持ちに余裕ができた状態で満足している。
「満足してるなら、同窓会は参加するの?」
「んんー、私が気にしてるところを確実に突いてくるー」
さすが、自分の分身だ。表情の見えない少女に里美は苦笑せざるをえない。
「そりゃあ、言っちゃ悪いけど会いたくない子はいるさ」
とくに、里美の容姿をからかった男子たちだ。本人たちに悪気はないと思いたいが、顔を合わせたいとは思わない。彼らの言葉は忘れたくとも忘れられない。
「でもまあ、多分参加するよ。大多数の子とはいい関係だったわけだし、仲いい子もいるし」
「そう」
少女は身を起こす。ふたつに結んだ黒髪を手で梳き、整える。
すると、黄金色の月に線が入る。五等分になるように走る線に里美は飛び起きる。
「え、ちょっと、あれ大丈夫?」
「大丈夫なんじゃない?」
少女はけろっと答えると、見上げていた視線を下げる。
「……あのさ、今までごめんなさい」
「おっと、急にどうした?」
しおらしく謝る少女に里美は首を傾げる。
「変な夢を見せてごめんなさい」
「あー、そのこと。どうしてあんな夢見せたの?」
「……不安だったから。また、昔みたいに笑われないかって」
少女はスカーフを握りながら言う。
「笑われないためにも、もっと綺麗にならないとって」
「なるほどね。……私もそう思ったよ」
里美は鏡に映る振袖姿の自分を思い出す。
もっと綺麗にならないと。前撮りのときにそう思った。写真スタジオのメイク担当の女性がメイクと髪を綺麗に整えてくれた。振袖の着付けをしてくれた別の女性も、お嬢さんによく似合う、と褒めてくれた。
それと同時によぎった中学生時代の記憶。彼らに会うかもしれない、会って何を言われるか、という恐怖が胸中を占めた。
「言葉って怖いね」
諸刃の剣とよく言うものだ。時には人を慰め、時には人を傷つける。言葉というものは音として発してしまうと、なかったことにはできない。
「怖がらせたね」
里美は少女に慰めるように言う。
当時の記憶が蘇り、夢として中学生時代の里美が出てきたのだろう。音として発された言葉は目には見えないものの、中学生の里美に傷をつけた。そして、今もなお、その傷は残ったままだ。
「ううん。怖がらせたのは私。ずっと同じ言葉を繰り返した」
少女は、ごめんなさい、と再度謝罪する。
美しくなる。綺麗になる。可愛くなる。
少女は何度も何度も、毎夜繰り返していた。それで今の里美に迷惑をかけてしまった。
「いいよ。私、もっと綺麗になりたいって欲はあるし、成人式、同窓会に向けて綺麗になれたらいいなとは思うんだ」
里美はにいっと笑う。気味の悪い夢ではあったが、こうして少女から事情を聞けば、自分の奥底にいた昔の自分が心配して出てきてくれたのだ。そう思えば優しい夢とも言える。
「見ててよ、昔の私」
里美はそう言って少女の背中を叩く。パン、といい音がすると同時に、月面が剥がれ落ちていく。月の中央から、花が開くように海の少ない月面が剥がれていく。
その月面の下に隠れていたのは鏡だ。綺麗に磨き上げられた鏡に二人が映る。
飴色の髪の里美と黒髪の中学生時代の里美だ。鏡の中では中学生時代の里美の顔がはっきりと映っている。鏡の中の中学生の里美はしっかりと顔が見え、脚も手も墨色ではない。
鏡を見るのも苦だったあの頃の里美の顔だ。暗い表情で、覇気がない顔。しかし、隣を見やれば、黒く塗りつぶされた状態だ。
「やっと、顔を見れた」
里美は小さく笑う。対して、セーラー服を着た中学生時代の里美は鏡から顔を背けることなく、じっと見つめている。
見つめる先は今の自分ではなく、未来の自分だ。この暗い顔が隣に座る彼女のようになるのかと思うと不思議な気分だ。
「こうして見ると、子供の顔だよね」
里美は鏡の中のふたつの顔を見比べる。中学生の顔はこうして見ると幼さが残っているように思う。
「歳をとったってことだね」
「なーんで、ちょっと嫌味な言い方するの?」
生意気に言う中学生の里美はくすくすと笑う。
「……二十歳、おめでとう、未来の私」
中学生の里美は年相応の少女の笑顔を浮かべた。
嫉妬のような、粘着質な声ではなく、憧れの色を滲ませた声だった。
◇◇◇◇◇
紺色の球体に白のラインが横切り、まるでセーラー服の襟を思わせる。蝶結びしたスカーフがまさに中学生の制服らしさを思わせる。
そんな球体が収められた箱には蝶と夢屋胡蝶の文字が判子で押されている。
「これが里美が見ていた夢だって」
昼休みが終わり、三限に当たる時間。望と里美は講義が入っていないため、四限まで時間を潰す。人が減った食堂で昼食を済ませた後、望は周から今朝預かった夢を差し出す。
「へえ、こんな風になるんだ。触ってもいい?」
「いいよ」
里美は球体を摘まむ。じろじろと球体を舐め回すように見ると、ラメが入っているかのようにキラキラと光る。
「寝起きの調子はどう?」
見たところ、最近の様子と比べると元気そうに見える。メイクは変わらず少し濃いが、声に張りがあるように望は思う。
夢は変幻自在だと周から聞いた里美は、夢の中の自分と話したい、と言った。
あの子に言いたいことがある、と。それは可能かと周に聞いたところ、できる、と答えてもらい、協力してもらったのだ。夢の中のあの子と話ができるような状況を作ってほしい、と頼んだ結果、あのような夢を見たのだ。
その結果なのだろう。
「うん、久しぶりにすっきり起きれた。汗びっしょりとかないし。寝る前のお茶もよかったかも」
里美は夢玉を箱に戻す。
一応、店で茶葉を買ったのだ。ノンカフェインのものがいいよ、と周がいくつか紹介してくれた。苦手でないならハーブティーが定番だね、とのことだったので、カモミールティーを買った。優しい味わいのカモミールティーは香りもよく、リラックス効果があるという話は本当のような気がした。美容効果もあるしね、という周の言葉にすぐさま食らいついたのは内緒だ。
「そう、よかった」
望はほっと息をつく。晴れやかな表情の里美に安心する。
「心配かけてごめんね」
「ううん。それで、この夢、どうする?」
購入するか、否か。里美としては、例の夢が解決できればいいと思っていた。一応形にしておくね、と周の言葉を受け、任せた。
「ちなみに、いくら?」
「千円」
一から夢を作るとなると、三千円から四千円が相場となる。が、今回のように、土台ができている夢をいじり、夢玉にするということなら値段は下がる。
「そうなんだ」
相場はよくわからない里美だが、これぐらいが妥当なのか、と思いながら鞄から財布を取り出す。
「買うよ」
「わかった。領収証いる?」
「ううん、いらない」
はい、と里美は望に千円札を差し出す。望は千円札を受け取ると、財布にしまう。そして、箱にふたをして、紐を結ぶ。
「はい、商品」
「ありがとう」
里美は箱を受け取る。蝶の文様が綺麗だ。
「……ちなみに、どんな夢だったか訊いてもいい?」
「いいよ。って言っても、昔の私と話をしただけだよ。昔の顔は好きじゃなかったとか、変わって満足してるかとか」
里美は箱を優しく撫でる。
「すっきりした?」
「うん。昔の私は心配性で出てきたみたい。最後は笑っていたし、昔の私もすっきりしてくれていたらいいな」
「そうだね。……うん、表情も明るくなってきたね」
まだ疲れが見えるものの、里美の表情は明るい。つきものが取れたように、晴れやかだ。
「へへ。望、ありがとうね。店主さんにも伝えておいて」
「うん」
「あ、そうだ。望、再来週の土日、どっちか空いてる? 遊びに行こうよ」
「再来週の土日……」
望はスマホのスケジュールを開く。
「日曜日ならいいよ」
里美はぱあっと顔を明るくさせ、スマホを取り出す。
「やった! あのね、観たい映画があるんだ。あと、今回の夢を見てたら、もっと綺麗になりたいなって思ったから、コスメを見に行きたい」
「いいけど、それ、私で大丈夫?」
正直、望はコスメに詳しくない。メイクもコスメもこだわりがない望が一緒でいいのかと思う。
「ついてきてくれるだけでいいから!」
このとおり、と里美は手を合わせる。
「里美がいいなら、私はいいんだけど……。あ、そうだ」
ん? と里美は首を傾げる。
「新しいアイシャドウ欲しいなって思ってたんだ」
もう一種類ぐらい、アイシャドウパレットがあってもいいような気がして見に行ったのだが、よくわからなかった。
「使いやすいの、一緒に選んでほしい」
詳しい里美と一緒に選べばいいではないか、と望の中で案が出てきた。
「望ったら」
里美は目をキラキラと輝かせる。望からそのような言葉が出てくるとは思わなかった。
「うん! 任せて!」
里美は望の手をとり、にこにこと笑う。望は里美につられて微笑んだ。




