#3
窓からちらっと見える店内は赤や朱色を基調とした中華風の内装だ。
《夢屋 胡蝶》
丸い文字と急須と蝶の絵が描かれた看板は可愛らしい。雑貨屋の雰囲気を思わせる看板だと思う里美の隣で望はドアノブに手をかける。
カラン、とベルが涼やかな音を鳴らす。カウンターで本を読んでいた周と目が合った望は里美を先に店に入れる。物珍しそうに店内を一望した里美は周を視界に捉えると目を丸くする。
二十代半ばほどの男性。チャイナシャツを着た彼は人のいい笑みを浮かべる。茶葉を売る店と聞いていたから、もっと年配の人がいると思っていたのだが、予想以上に若い。小さな店だ、彼以外に店員はいないだろう。若い店主だと思っていると、本を閉じる音がする。
「いらっしゃい」
周は席を立つとテーブルの方へ歩み寄り、椅子を引く。望は里美の背を押し、席の方へ向かう。里美も遅れて席に向かい、椅子に座る。
「お茶の用意してくるから、待っててね」
「氷なしがいい」
「そう? 外、暑かったでしょ?」
「冷たいもの飲んできたから。お腹壊しそう」
外は確かに暑いのだが、先ほど飲んだ柚子ティーもあってあまり冷たいものばかり口にしたくない。
「お友達は?」
「えっと、私も氷なしで」
「わかった」
周はそう言って身を翻すと、ちょこんと結ばれた髪と紐が揺れる。
周の姿が見えなくなると、里美は望の方へ椅子ごと身体を寄せる。
「どうしたの?」
「望、あんた、あの人とできてる?」
「違う」
「違うの?」
里美は目を丸くする。
「だって、望が年上の男の人にタメ口って珍しい」
「……色々あって」
望は家族や親戚などの一部の親しい者を除いて年長者には敬語で話す。当初は周に対しても敬語だったし、周さんと呼んでいた。
しかし、周がそれをよしとしなかった。まだ知り合ったばかりだったことや慣れない土地での生活もあってか、望の話し方は堅かった。これから夢のことでたくさん話すことになるのだから、敬語はなし、さんもつけなくていい、と周から言われた。
望としては、年長者であり協力者である周に対してそのような態度をとるのは失礼だと反論したのだが、敬語とさんづけは嫌だと駄々をこねられて望が折れることになったのだ。
杏介や茜にも気にしなくていいと言われたのだが、あの二人を呼び捨てにするのは気が引ける。周と比べて一緒にいる時間が短いからだと思う。が、二人に対して、口調は初めの頃よりも崩れてきていると自覚している。それでいいんだ、と杏介に笑い飛ばされた。
「へー」
「それだけ」
「そうなの?」
「勘ぐっても何も出てこないよ」
興味津々な里美に対して望は突っぱねる。望と周は里美が期待しているような関係ではない。今までこれっぽっちもそういった雰囲気になったこともない。
「そっか」
里美は見るからに落胆する。
望は恋愛に興味がない。友人の恋バナを聞いてもいつも興味なさげだ。
柔和な笑み、人懐っこい声音、ちょこんと結ばれた髪が可愛らしく、ほんの一瞬のやり取りを振り返ると好印象だ。悪くはないだろうなあ、と里美が思っていると足音が聞こえてくる。
「お待たせ」
周が戻ってくる。盆に麦茶をいれたグラスをのせて、二人の席に向かう。
周はグラスを置くと、里美をじっと見つめる。
「え、何ですか?」
顔に何かついているのか。生クリームでも口の端についているのかと思ったが、それなら望が教えてくれるはずだ。
「……ん? ああ、ごめんね。綺麗な子だなって」
「ナンパ?」
「違うよ、望ちゃん」
周はヘラヘラと笑いながら、隣の席から椅子を運び、二人の対面に座る。
こうして見ると対照的な二人だ。正直、望に派手な雰囲気の友人がいるとは思わなかった周は里美の姿を見定める。
オフショルダーのワンピースの丈は短く、サンダルのヒールも高め。メイクをばっちりと決め、目元がキラキラと輝いている。緩やかに巻かれた飴色の髪を高い位置でひとつにまとめ涼しげだ。対して、望はティーシャツに七分丈のパンツ、スニーカーと里美に比べるとカジュアルだ。薄い化粧は自然体で、髪は下の方で簡単に結んでいる。
見た目云々で判断するわけではないが、珍しい。周がそう思っている前で望が麦茶をすする。里美はまだ落ち着きがないのか、物珍しいのか、店内を見渡している。
「それで、今日の要件は何だろう?」
周は仕事の方へと思考を切り替える。あまりジロジロと見てもよくないだろう。
と言っても里美の様子を見るとどうにも気になることがある。
「あの、実は最近睡眠不足でして、何かいいお茶はないかなって」
里美が切り出すと、周は、やはり、と思う。細い目をさらに細める。
「だよね」
「え?」
里美が不思議そうにしていると周は眉を下げる。
「さっき、君をじっと見たのは瞼が重たそうだったから。それと、目が充血してるね」
気を悪くしたらごめんね、と周は謝罪する。
綺麗な子だと思ったのは本当だ。だからこそ、目元や顔色が気になったのだ。化粧で隠されている部分もあるが、里美の目元を見れば睡眠不足だろうという推測ができた。
「望、私の目、充血してる?」
里美は望に目を見てもらおうと望の方を向く。
「……言われてみればってぐらいかな?」
真っ赤と言うほどの充血ではない。言われてみればそうかもしれない、と思う程度だ。見る人によっては充血していると言うだろうし、そんなことはないと言う人もいるだろうという微妙なラインだ。
「睡眠不足っていつから?」
周が尋ねると里美は望にも話したとおり、今月の頭から、と伝える。その後、望に話したことを周にも伝える。
「……なるほどね。本当に心当たりなし?」
一通り話を聞いた周は里美に尋ねる。
「はい。ネットで調べた睡眠不足の原因にあてはまるようなことはとくになくて……。あえて言えば、スマホをいじっていたことぐらいですけど、寝る一時間ぐらい前はいじるのをやめるようにしました」
「でも、寝つきは悪いし、変な夢は見るし、と」
「はい。夜中に目が覚めて、また寝ようとしても時間がかかりますし」
身体は疲れているのに寝つけない。夜中に目が覚めて再び寝ようとすると一時間前後かかるのだ。
「睡眠時間のトータルは四時間切る日もあるんです」
「それは辛いだろうね……」
ぱっと見るに、里美は元気に見える。しかし、日中眠かったり、集中力が続かなかったり、疲れやすいなど、身体の方に影響が出ている。
「病院に行くのが一番だとは思うけどね」
「ですよね」
わかりきっていたことではある。里美自身、そろそろ行く頃合いだと思っている。
「ノンカフェインのお茶を飲んでリラックスした状態で寝るという手もあるけど、今回はそっちではなさそうだ」
周は立ち上がると商品棚の方へ向かう。茶葉が並ぶ棚ではなく、その隣のテーブルの方だ。
周の背を目で追う里美の視界にキラキラと光る物が目に入る。ビー玉のようなそれらは売り物なのか、値札がついている。
「望、あれ何?」
里美はビー玉のような物を指さす。
「夢だよ」
「……はい?」
里美は素っ頓狂な声で尋ねる。いかにも優等生タイプの望が冗談を、と思うも望の横顔は嘘をついている様子はない。
「夢って寝てるときに見るあの夢?」
「うん」
大丈夫か。
里美の心の内に疑念が生じる。外の看板の夢屋胡蝶という店名が思い浮かぶ。ファンシーな感じの店名だな、と思ってあまり気にしていなかったが、そういうことなのかと合点がいく。
夢を扱うから夢屋。眠っている間に見る夢を形にするなんてどうやって、と疑問が浮かぶ。それをさも当然のように言う望も望だが、ビー玉らしき夢を選んでいる男に里美は眉をひそめる。
洗脳されていないか。そんな里美の考えを見透かすように、周が笑いながら夢だと言うビー玉もどきが入った瓶を持って戻ってくる。
「怪しむよね」
「……宗教とかですか?」
別に宗教を否定するつもりはない。信仰は自由だからだ。しかし、他者に押しつけて無理に布教しようとしたり、困っている人の心につけいって金儲けしようとすることは許さない。
友人が変にのめり込んでいないだろうか。里美が怪しんでいると、周は緩やかに首を横に振る。
「違うよ。別に押しつけたりしない」
周は夢玉の瓶を置く。
里美の目には模様つきのビー玉にしか見えない。透き通ったもの、濁ったもの、花をあしらったもの、幾何学模様のものと様々な球体が詰められている。
綺麗なビー玉。里美からするとそのようにしか見えないそれらを、友人と店の者は夢と言った。いくらなんでも非現実的だ。
「気になる?」
周が尋ねると里美は訝しげな眼差しで周を見上げる。細い目は何を考えているのかわからない。
「これ、綺麗なビー玉を売りつけているんじゃないですよね?」
里美はマニキュアを塗った爪で瓶を指す。夢を売っているなら売っているで問題だが、ただのビー玉を夢と称して売っているとなると詐欺だ。
「試してみるかい?」
周は瓶のふたを開け、一番上に入っていた夢玉を取り出す。涼しげな水を思わせる色の夢玉だ。水の流れを表すように緩やかな曲線が入っている。
「……」
綺麗な球体だ。透明度の高い川や海の色を思わせる。底まで見えそうな澄み切った水の色だ。
しかし、よくわからない物体である。綺麗なビー玉でしょ、と言われただけならまだいい。夢だよ、と言われ、はい、そうですか、とはいかない。試してみるとは一体何なのだ。
「嫌なら嫌でいい。夢玉のことを忘れてくれればいいだけだから。お茶を紹介するし、病院に行くことを勧めるだけ」
周は警戒する里美にやんわりと言うと、夢玉を瓶に戻す。
嫌がることはしない。現代の人間相手の夢の売買はそう簡単に成立しないことはよくわかっている。非科学的だと言われるのも慣れたものだ。
「……それを使うと夢を見るのですか?」
里美は静かに尋ねる。
「うん。さっきの夢玉はね、水の中を泳ぐ魚の夢さ」
「どうやってそんなこと……」
夢を目に見える形にする。そんなことができるなんて聞いたことがない。できるとなったら、ニュースになっていてもおかしくない話だ。
「それは企業秘密ってことで」
周は人差し指を立てて静かに笑う。
里美は隣の望に視線を送る。警戒する里美とは違い、望は平然としている。
「望は何とも思わないの?」
「彼が言っていることは事実だから。私も夢玉を使って夢を見たことがある」
「夢玉……」
里美は球体が詰められた瓶をじっと見つめる。
百聞は一見に如かず。そんな言葉が里美の脳裏をよぎる。
しばし沈黙が続いた後、里美は深々と息をつく。
「……もしも、あなたの言っていることが嘘だったら、望をこの店から引きはがしますね」
友人が変なことに巻き込まれているのなら助けなければ。
里美は鋭い眼差しで周を睨みつける。対して、周は細い目をさらに細めて笑う。
「わかった。証明しようか」
周は瓶から例の夢を取り出し、里美に向ける。自然と目がその玉に釘付けになった里美は頭がぼーっとしてくる。うとうとと眠りにつき始めるときの感覚が襲ってくる。
「望ちゃんも来る?」
「行きたいのは山々だけど、店はいいの?」
「いいよ。どうせ、お客さんはしばらく来ない」
そんな二人のやり取りを最後に里美の意識はふっと途絶えた。




