#1
九月の夜、まだ熱の残る風が吹き込む。
「ちょっと遅くなったけども」
コホン、と杏介は咳払いをする。九月も下旬に入った今日、少し遅れての祝いの席だ。
「望の誕生日会をしようと思う。それも二十歳、成人だ。ぱーっとお祝いといこうじゃないか」
乾杯、と杏介が音頭をとると、他の四人も、乾杯、と言う。カチン、とグラスの澄んだ音がする。
望はグラスの中身に口をつける。とろっと甘いそれにまばたきを繰り返すと、首を傾げる。
「これ、本当にお酒ですか?」
望は薄っすらと桃色に色づいている酒をしげしげと見る。見た目どおり、桃の酒らしく桃の味がする。
先日二十歳になったばかりの望は酒の味というものを全く知らないが、この酒は酒らしくない。普通にジュースを飲んでいるような感じがする。
「おう。桃を使った酒だ」
杏介は別の酒を飲みながら、桃の酒の瓶を望に見せる。そこには桃源郷と記されている。
「美味しい……。ありがとうございます。皆さんにお時間とっていただいて」
「いいってことよ。人間にとって生まれた日ってのは大事なんだから」
「そうだよ。それも二十歳なんだから」
茜はにこっと笑う。茜が望と出会ったのは一年半前になる。出会った当時とあまり姿の変わらない望。妖界ではまだまだ子供扱いされることが多い年齢だが、人間界では違う。様々な責任がつきまとうようになるのだ。
「振袖の写真、見せてね」
茜が望にこっそり耳打ちすると、間にいる直人が不思議そうに二人を見上げる。
「え? あ、はい」
楽しみ、と茜は笑う。そよ風のように優しい笑みだ。
一応、夏休み中に前撮りを済ませた。写真のデータはあるにはあるが、実家だ。成人式のときに地元の友人たちと撮るであろう写真を見せればいいかと思いながら望は酒を飲む。
「ところで、桃源郷って存在するんですか?」
酒の瓶のラベルに目が行く。望は高校の漢詩の授業で桃源郷について習ったような気がするのを思い出す。
一人の漁師が桃の林に迷い込んだ。桃の林を抜けると村があった。漁師はその村の人々からもてなしを受け、話を聞いた。彼らは外界に出ることも交流することもなく、平和に暮らしているそうだ。そのためか、漁師が村を去ろうとするときにこの村のことは他言無用と告げられ、村人たちに見送られて漁師は帰った。帰る道すがら、印をつけていったのだが、二度とその村に辿り着くことはなかったという。
「って話でしたっけ?」
「大体そんな感じ。陶淵明の『桃花源記』が元ネタだね」
周が答える。
「一応、存在していると言われている」
「じゃあ、この酒はそのとーげんきょー? ってところの桃使ってるのか?」
直人は首を傾げる。
「さすがにそうじゃねーよ。桃源郷にあやかった名前を使ってるだけ。まあ、その名前を使うぐらいには、美味い酒出してる」
「ですよね。私、このお酒好きなんです」
茜はにこにこと笑いながら一口飲む。
「美味いけど、飲みすぎるなよ。ジュースみたいにぐいっと飲めるけど、度数はちょっと高めだから」
甘味もそうだが、この滑らかな舌触りがいいのだ。飲みやすい酒ではあるが、度数は少し高め。次から次へと飲むとすぐに酔いが回ってしまう酒であるため、様子を見ながらでないとすぐに潰れてしまう。
「なるほど……」
「そんなに強い酒って感じしないけどなあ」
直人はゴクリと桃酒を飲む。本当に桃の果汁を飲んでいるような感じしかしない。
「ん?」
望は茜と自分の間に座る直人を思わず見る。彼のグラスの中身は茜と望が飲んでいるものと同じ、桃色の液体が注がれている。
「……直人君って本当にお酒飲めるの?」
夏祭りに出掛けた次の日、そんな話をしたのを覚えている。こうして、実際に隣で同じものを飲んでいるところを見るのも不思議な感じがする。
「うん。そりゃあ、見た目は子供だけど、生きた年数で言えば望姉ちゃんの十倍だぜ?」
「え、じゃあ、今までもお酒飲んできたの?」
「杉神様にお供えされた酒飲んでた」
少しだけだぞ、と杉の神から分けてもらった。年に一、二回供物が献じられる際に飲んでいたのだ。
しれっと言いのける直人に望はまばたきを繰り返す。
望は妖怪や物の怪など、人ならざる者たちの酒や煙草の事情を知らない。春海、周、杏介、茜のように、成人した人間の姿の者なら違和感はない。棗のように動物の姿の者は何となく大人なのだろうという判別がつくため、こちらもとくに違和感はない。
しかし、直人のように子供の姿の者の飲酒は二度見してしまう。付喪神のように物の姿の者たちが酒を飲む様子もまた不思議な感じである。どこに口があるのかと思う姿の者もいるのだ。
そもそも、人ならざる者たちは酒や煙草をいつから嗜んでいいのか。さすがに子供の頃は駄目だろう。子供の時間はいつまでなのか、種族によっても異なるだろう。
子供と大人の境界線がひどく曖昧。望はそう思う。直人は見た目は小学生、実際は二百歳である。望よりも遥かに長寿だ。
「お酒強いの?」
「どうだろう。杉神様曰く、子供の身体だから、量はあまり飲まない方がいいかもしれないって。だから、酔っぱらったことない。限界値がわかんない」
直人はつまみに手を出す。周、杏介、茜が用意してくれたものだ。居酒屋のようなラインナップが机に広がっている。
「じゃあ、直人君も量気をつけてね」
周はグラスに口をつける。杏介と同じ、辛口の酒だ。甘い酒も好きだが、桃源郷は周には甘すぎるのだ。
限界値を知らない状態で飲みすぎるのは危険だ。周りに誰かがいればいいものの、一人では危険だ。
「おれ、知ってる。それ、ブーメランって言うんでしょ?」
図星だ。周は酒を持つ手をすっと下ろす。
夏祭りの次の日、周は二日酔いをして体調を崩していた。その様子をからかっていたのは直人だ。
してやったり、と言わんばかりに悪い顔をしている直人に周は眉尻をわずかに上げる。確かに、飲む量の調整ができなかった自分が悪いと周はわかっている。しかし、それを直人にからかわれるのは癪だ。
「……そうだね。ブーメランなんて言葉、どこで聞いたのかな?」
周は笑顔を貼りつけて直人に問う。
「杏介!」
直人は悪気もなく答える。周は隣に座る杏子色を睨みつける。
「杏、そんなこと教えたの?」
「教えたって言うか、俺が使ってるのを覚えたって言うか……。でも、ほら、酒飲む量は気をつけろよ」
な、と杏介は周の肩を叩く。あのときの周は本当にひどかった。周には言っていないが、望も案じていた様子だ。周の様子を見る限り、望はあの夜のことを話していないようだ。
腐れ縁の心配をよそに、周はその手を払いのける。
「酔い潰れるとこうなるってお手本がそんなに嫌だったか」
「嫌だったよ! しかも、雨だったし……」
ぐすん、と鳴き真似をする周に茜は苦笑し、望は冷めた目で周を見つめる。
「記憶が飛ぶぐらい飲まないように気をつけてね」
「うわーん、望ちゃんにそれ言われると刺さる」
「やーい、最年少に言われてやんのー」
「本当だー。おれに注意する前に自分が気をつけろよー」
「そこ二人、仲良くなったね」
すん、と真顔になった周は杏介と直人を順に見やる。最初はあんなにも仲が悪かったのに、一緒にからかうようになるぐらいには仲がよくなったのか。
しかし、おちょくっていた二人の表情が瞬時に消える。
「いや、そんなことないと思う」
「うん。杏介と仲良しだと思ってない」
その様子を見るに、仲良しとくくられるのは納得がいっていないようだ。
「とか言って、結構仲良くなったように見えますけどね」
茜はくすくすと笑う。
満月医院で薬の調合の勉強をする直人は杏介の話をしてくれる。昨日はこんなことを教わった、こんなことを話した、と楽しそうに茜たち薬師や棗に教えてくれるのだ。杏介も杏介で、勉強の進捗の報告の際、悪態をつきながらも、よく頑張っている、物覚えが早い、と褒めている。勉強の様子を覗き見ても、良好な関係に見える。時々、直人の集中力が切れて杏介が喝を入れたときに言い合いをしているような場面も多々ある。その様子を見ると本当に微笑ましい。
「歳の離れた兄弟みたい」
茜からするとそのように見える。やんちゃな弟とその弟に手を焼いている兄。よく見る兄弟のような関係のようだ。
「こんな兄ちゃん嫌だ」
「俺だって、こんな弟ごめんだね」
ふん、と二人は互いに顔を背ける。その動きがほぼ同時で望は小さく笑う。喧嘩するほど何とやら、と言うぐらいだ。
「望……」
「すみません。兄弟みたいだなって」
「えー? おれ、望姉ちゃんや茜姉ちゃんと兄弟がいいな」
「その場合って、私は妹?」
直人は望のことを姉ちゃんと呼んでいる。姿形だけで見れば、望の方が年長だ。しかし、実年齢で見れば直人の方が上である。この場合、どうなるのか。
「姉ちゃんかな? だって、俺より大きいし」
「姿判定なんだ」
「うん。これが、うんと小さいときの姿を知っているとなれば妹判定かもしれないけど、おれは今の姿の望姉ちゃんしか知らないから」
「直人君、その話でいくと直人君は弟になるけどいいの?」
「いいよ」
「いいんだ」
「……もしかして、私は直人君と望ちゃんのお姉ちゃんですか」
目をキラキラと輝かせる茜に直人はひとつ頷く。
「実年齢で考えればそうなるんじゃない?」
「ですね!」
ふふふ、と茜は上機嫌だ。
「そんじゃ、直人は末っ子だな。俺のこと、兄ちゃんって呼んでもいいぞ」
「え?」
杏介の言葉に直人は嫌そうな顔をする。
「どう見たって、俺らは女子二人よりも年上だし、実年齢も年上。な、周」
「そうだね。ほら、僕ら、江戸幕府が開かれる時代を生きたからね」
「気づいたら幕府できてたよな」
「ねー」
気づいたら幕府ができるものではないと思う、という言葉を望は酒と共に飲み込む。彼らからするとそのような感覚なのだ。その気づいたらできていた幕府は二六〇年も続いていたのにだ。
「ほら、直人が生まれた頃は幕府の終わりが近い時代だろ? それを考えると、ほら、望を除いてお前が一番チビだぞ」
「だからって、この二人が兄ちゃんなの嫌だ。周兄ちゃんはともかく、杏介は絶対嫌!」
「おい、何で周はいいんだよ!? こいつのこともおじさんって呼んでただろうが!」
「何で、僕に飛び火するの!?」
この野郎、と杏介は周の肩を抱く。
「杏介の方がおじさんだと思ったから」
「俺ら、あまり歳変わらねーんだよ!」
痛い、と杏介に抵抗する周を眺めながら、望は桃酒を飲む。何だか、はっちゃかめっちゃかだ。
「……そう言えば、茜さんはご兄弟いらっしゃるんですか?」
ふと思ったことだ。周は一人っ子、杏介は何人か兄弟がいると聞いているが、茜からは聞いたことがない。三人に共通していることだが、あまり家族のことを聞かない。周と杏介は長いこと連絡を取っていないから近況を知らないと言っていたし、家族と過ごした時間のこともほとんど聞いたことがない。この三人の中では杏介がよく話すぐらいで、他の二人は家族のことをあまり話さない。
「私は兄が一人」
「お兄さんですか」
正直いそうだと思った。周、杏介より年少ということもあって末っ子のようだと思うことが何度かあった。おっとりとしていて、周と杏介についていくような姿を見ると、弟妹たちを引っ張っていく長子というよりも、上の子についていく弟妹のように見える。
「うん。小さい頃は野山を駆け回っていた。あちこち連れ回されて、帰りが遅くなって父さんに叱られていたの」
茜は幼かった日々を思い出す。
兄に手を引かれて山や野を駆け回った。あの頃がひどく懐かしい。
「茜姉ちゃんも山出身なの?」
「そうだよ。自然豊かな場所で、直人君が住んでいた環境に近いと思うよ。ほら、鎌鼬だからね」
鎌鼬。茜の胡桃色の髪と瞳は鼬を思わせる色合いだ。望は見たことないのだが、杏介と周曰く、茜は鼬の姿になれるらしい。というか、鼬の姿こそが本来の姿であり、昼の人間界に出ると鼬の姿になってしまうとのことだ。茜は他の鼬に比べるとやや小柄らしく、恥ずかしいから、とあまり鼬姿を見せない。
「おれが住んでた山にもいた」
「あら、転ばされたりしなかった?」
「何回か足元すくわれたかも。こう風がぴゅっと吹いたと思ったら転んでた。怪我したら薬くれたこともあった」
ごめんね、と謝りながら傷口に薬を塗ってくれる者がいた。彼らから薬草の知識を教わったこともある。この辺りにはこんな薬草があって、と薬草の位置を案内してくれた。山に住み始めた頃、視界を覆った状態での歩行が難しく、転んだりしてかすり傷をよく作っていた直人に薬をくれたり、その場で調合したものを塗ってくれた者の中に鎌鼬がいた。
山での生活に慣れた直人に彼らは悪戯をしかけるようになった。基本的には地面に接触する前に風で受け止めてくれたため、怪我をすることの方が少ない。怪我をしたとしても、かすり傷程度だった。
「悪戯好きな鎌鼬も多いからね」
茜は懐かしむように言う。
「ところで、そちらのお二人はいつから取っ組み合いになったのでしょうか?」
互いが互いに関節技を決めているようにしか見えない状況だ。茜が苦笑する隣で直人はつまみに手を伸ばす。
「望姉ちゃん、これ美味いよ」
「魚の揚げ物? 私もいただこう」
「あれ? 私にしか見えていないのかな?」
「放っとけばいいですよ、茜さん」
子供のような取っ組み合いをしている二人を放置し、望は魚の揚げ物をかじる。
「望ちゃん、ひどいよ」
助けて、と周が三人の方に手を伸ばすも望は知らんぷりをする。
「知らない。人の誕生日に取っ組み合いする二人が悪い」
あまり誕生日を盾にこのようなことを言うのは気がひける。しかし、ヒートアップして場の空気が乱れることを避けたい望は仕方なく言う。すると、効果があったのか、二人は大人しく元の場所に座る。
「すみませんでした」
「ごめんなさい」
杏介、周は頭を下げる。まったく、と望は茜と直人に目配せすると、二人とも呆れたように笑った。




