#2
金や赤の炎がパチパチと音を立てながら輝いている。星のような輝きは徐々に大きくなり、菊の花を咲かせる。しかし、時間が経つと、その菊の花もはらはらと花弁を落としていき、最後は赤い玉となる。深紅の塊は先ほどまでの威勢はどこへ行ったのかと思わせるほど静かに燃え、ぽとり、と呆気なく落ちて消えてしまう。
線香花火。すぐに消えてしまう菊の花を惜しく思う。望は落ちた紅玉が燃え尽きた地を見つめる。
「あら。直人君、大丈夫?」
望の隣で同じように線香花火を見つめていた直人が船を漕いでいる。彼の線香花火もまた燃え尽きてしまっている。
うとうととしている直人に声をかけた茜は直人の肩を軽く揺らす。
「……まだ…………あそ、ぶ……」
「もう声が寝てるよ」
ふにゃふにゃとした舌足らずな声に茜は眉を下げる。
初めての夏祭り。直人はずっと興奮していた。目を火花のようにキラキラと輝かせながら、露店に目移りしていた。人混みの中を歩いたことも原因だろうが、あれだけはしゃいでいれば疲れが出て当然だ。
こくり、こくり、と揺れる直人の身体に合わせて兵児帯も揺れる。金魚の尾のような帯をひらめかせながら直人は歩いていたのだ。
「直人君、今日はもうお風呂入って寝よう? 明日も午後からお仕事だし」
茜は直人の肩を再度揺らす。
「やだ。……あそぶ」
「遊ぶって言っても、もう半分寝てるよ」
ゆっくりとまばたきをする直人の意識は朦朧としている。翡翠色が溶けだしてしまいそうだ。
「花火のセットはまだ残ってるし、また今度にしたら?」
望は縁側に置かれた未開封の花火セットを見やる。たくさん種類があって面白いね、と周が三セット選び、購入した。二組開けて、残りは一番大きなセットのみ。未開封なら、今日全て遊びつくす必要もない。また後日、遊ぶことができるのだ。
「うー……」
今にも倒れ込みそうな直人を間に、茜と望は苦笑する。
直人は祭り最終日に間に合うよう、勉強を詰め込んでいた。祭り最終日までには必要最低限の調合ができるようにと杏介から座学を、棗や茜たちからは実際に薬の調合を教わっている。実技の方は覚えが早いのだが、座学、とくに、文字の読み書きで苦戦しているらしい。とは言うものの、露店の文字をスラスラと読めていたため、かなり努力したのだろうと望は思う。
そんな直人にとって、今日は久しぶりに羽を大きく伸ばせる日だ。初めての祭りということもあって、朝から落ち着きがなかった。夕方になり、浴衣を着た直人は茜と望の着付けはまだか、とずっとそわそわしながら待っているほど、直人は楽しみにしていた。そして、いざ、祭りに行くと目をキラキラと輝かせながら楽しんでいた。
その姿を知っている二人からすると、はしゃぎ疲れて睡魔と闘う姿がとても微笑ましい。今日という日が楽しく、まだまだ遊びたいと思う気持ちもわかるのだ。
「直人君、聞こえてる?」
茜が尋ねるとこくりと直人は頷く。船を漕いでいるのか、茜の声に応じたのかわからない。
「はい、今日のところは終わりにしましょう」
茜が手を叩くと、直人は目が覚めたのか首を横に振る。
「そんな……」
遊び足りない、と隻眼が訴える。
「まだ花火のセットはあるし、今日はおしまい。私たちも終わりましょうか、望ちゃん」
「はい」
「えー」
ぶー、と口を尖らせる直人に茜は小さく笑う。
「何も、思い出は今日だけではないよ。これから先、直人君には思い出がいっぱいできるのだから、わざわざ一日に思い出を詰め込まなくてもいいでしょ? 遊び足りない気持ちもわかるけど、また一緒に遊べる日があるのだから、今日は終わりにしよう。ね?」
幼子に言い聞かせるように茜は言い含める。
「……」
直人はちらっと望を見上げる。
翡翠色の瞳が望をじっと見つめてくる。右目に眼帯をつけている直人は目元に何かつけていないと落ち着かないらしい。また、傷を見られるのも気になるとのことで眼帯をつけるようになった。
「私も茜さんの言うとおりだと思う。また一緒に遊ぼう」
「……一緒に遊んでくれる?」
「もちろん」
「ふふ、今度は周さんと杏介さんのお二人も最後までつき合ってもらわないと」
そう言って茜は事務所の二階を見上げる。二人は晩酌をすると言って途中で抜けてしまったのだ。恐らく、いつものあの部屋で晩酌をしているだろうと茜は開け放たれた窓の向こうに目をやる。さすがにどんちゃん騒ぎといった様子はなく、静かだ。
「やくそく」
「うん、約束」
「指切りげんまんしようよ」
茜が言うと、三人はそれぞれの小指を絡める。指切りげんまん、と茜が言うと直人も茜の後に続くようにたどたどしく言う。
「よし! じゃあ、直人君、今日はもう寝ましょう」
「うん……。あ、かたづけ」
「ううん、片付けはこっちでするから」
「茜さん、直人君をお願いしていいですか? 私が片付けをするので」
「うーん……。そうだね。直人君、連れて帰るね」
満月医院の薬師の何名かは寮に住んでいる。茜と直人もその内の二人だ。このまま日輪で世話になってもいいのだが、寝間着は寮の部屋だ。取りに行くのも手間なため、このまま帰ってしまおうと茜は決める。
「直人君、寮に帰って、お風呂済ませて寝ようか。せめて着替えよう」
茜はうとうととしている直人の肩を軽く叩く。
「んー……」
「ほら、望ちゃんにご挨拶」
「ん? ……あいさつ?」
呂律が回っていない。望は小さく笑うと、直人の頭を撫でる。子供特有の柔らかな髪が手に馴染む。
「直人君、おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
直人は半分目が閉じた状態で望に手を振る。腕に力が入っていないのか、すぐにだらりと下がってしまう。
そんな直人の手を茜は握る。体温が高く、まさに眠いと身体が訴えているようだ。
「望ちゃん、片付けお願いね。火、気をつけて」
「はい。茜さんも、おやすみなさい」
「うん、おやすみ。杏介さんと周さんによろしく」
茜は二人がいるであろう部屋を一瞥する。そして、直人の手を引いて茜は歩き出す。じゃあね、と縁側に上がってからまた振り返った茜は手を振る。茜に倣うように、直人も小さく手を振るのに望も手を振る。もう少しだよ、と茜が直人に声をかけながら戻っていく様子を見送った望は後ろの花火を見つめる。
片付けを任されたのはいいが、どうすればいいのか。バケツにビニール袋をセットし、その中に水をいれた。そこに燃え尽きた花火をいれていった。
妖街には意外と人間界の物が溢れている。バケツにセットされたビニール袋は全国チェーンのコンビニのものだ。
妖街のゴミの分別はどうなっているのか。望の地元や下宿先のルールでは、ゴミの種類によって業者が回収する曜日が決まっている。妖街もそうなのだろうか、と思った望はとりあえず杏介に尋ねることにする。その前に望はビニール袋を持ち上げ、近くに落ちていた木の枝で袋に穴をいくつか開ける。穴から水が漏れ、ビニール袋がしぼんでいく。
水が抜けきり、ビニール袋の口を閉じ、とりあえずバケツに戻した望はバケツと手燭を持つ。少し湿った風に炎が揺れる。縁側の沓脱石の隣にバケツを置き、草履を脱ぐ。脱いだ草履を揃え、二人がいるであろう二階の部屋へ向かう。先日、直人と周と望の三人で話をしたあの部屋だ。
暗い階段を上がり、例の部屋へ向かうと、ちょうど杏介と鉢合わせる。
「お? 花火終わった?」
盆に酒瓶をのせた杏介は、すん、と鼻をすする。望の身体に火薬のにおいがまとわりついている。
「はい。花火の片付けをどうすればいいのか、お尋ねしたくて。ビニール袋の口は閉じて、すぐ捨てられるようにはしたのですが」
「十分。ありがとな。茜と直人は?」
「直人君が眠そうだったので、一緒に帰られました。二人によろしく、と」
「そうか。まあ、あれだけはしゃげば眠くなるわな。糸が切れた人形のようにぱたってどこかで倒れてないといいけどな」
杏介の言うとおりになりそうだと望は思う。風呂を済ませてから自室までの廊下でぱたっと倒れやしないかと望は心配になる。よく子供は電池が切れたかのように突然寝落ちすると聞くが、まさにそんなことになりかねない。
「何、茜や他の薬師もいるんだ。落ちてる猫を拾うみたいに部屋まで運んでくれるだろうさ」
「落ちてる猫……」
身体を冷やして風邪でもひいたら大変だ。祭りの次の日に風邪をひいたともなれば、祭りの楽しかった思い出に傷がつかないかと心配になる。
「ところで、周は?」
細い目の胡散臭い顔がない。声すら聞こえない。
「今日のあいつはよく飲んだから」
ほら、と杏介は部屋を見るように視線をやる。望がそっと部屋を覗き込むと、壁に寄りかかって眠る周の姿があった。行燈に照らされた顔は赤く、杏介が言ったとおり、よく飲んだのだろう。盆の上の酒瓶がそれを物語っている。
「ちょっとあいつのこと見ててくれるか? 多分、明日、あいつ二日酔いがひどいだろうから、薬と水持ってくる」
「そんなに飲んだのですか?」
「よく飲んだぞ。あいつが、酒飲んで泥酔するところ、久しぶりに見るぐらいには。様子見ててくれ」
「わかりました」
「悪いな。すぐ戻るから」
杏介は手を振りながら去って行く。その背を見送った望は静かに部屋に入る。ちゃぶ台は使われなかったのか、立てかけてあるままだ。窓から風が吹き込み、火薬のにおいをわずかに運ぶ。
望は周の前に腰を下ろし、手燭を置く。髪を下ろし、寝間着姿の周を見ると、風呂は済ませてあるようだ。
行燈に照らされる周の寝顔はいつもの寝顔と違う。居眠りしているときは子供のようにあどけない可愛らしい寝顔なのだが、今の周は気難しそうな寝顔をしている。
まるで、悪夢にうなされているような寝顔だ。眉間に力が入っているように見える。
「……ん」
周の瞼が震え、ゆっくりと目が開かれる。行燈の光を受ける瞳は焦点が合っておらず、ゆっくりとまばたきをした後、望の姿を捉え、顔が上げられる。
「……」
「周、大丈夫?」
ぼーっとして、焦点の合ってない瞳に望は軽く手を振る。赤い顔をして、潤んだ瞳の周は視線を彷徨わせる。
「杏は?」
腐れ縁の杏子色が見当たらない。一緒に酒を飲んでいたはずだ。
周の掠れた声に望はかなり飲んだのだろうと改めて思う。泥酔するほど飲まないと決めていると言っていた周が珍しいと思う。周が酒を飲んでこのような姿になるのを初めて見る。杏介も久しぶりに見るほどの酔いっぷりだと言ったぐらいだ。誰かの前でこうなるまで飲まないのに、今日はかなり飲んだようだ。
「片付けをして、薬と水を持ってくるって」
「そう……」
周はゆっくりとまばたきをする。目の前の彼女から火薬のにおいがする。まとわりつくそのにおいに外から聞こえていた三人の声が蘇る。
「花火、楽しかった?」
「うん」
幼い頃、駐車場で花火をした。幼心にキラキラと光る花火に目を奪われていたのを思い出した。祭りで上がる夜空の花火の音に怯えていたときもあったらしいが、迫力のある打ち上げ花火を見ると夏だなと思う。
「一番大きいセットが余って、残りはまた今度やろうねって約束した」
「そう。……よかった」
周は淡く微笑む。周と杏介は四、五本楽しんで切り上げてしまった。まだ残っているのなら、楽しみがある。湿気てしまう前に楽しみたい。
「周、眠い?」
舌足らずな話し方に、とろんと溶けてしまいそうな目が物語っている。
「ん?」
「お酒たくさん飲んだって聞いたし、見るからに眠そう」
直人と似たような状態だ。直人の場合は疲れが百パーセントだが、周の場合は疲れに加えて酒が入って眠いのだろう。
周も直人ほどではないがはしゃいでいた。杏介と射的の腕を試していたときはどちらも負けず嫌いなのもあって長いこと決着がつかなかった。二人の隣で、茜が余裕で一等をかっさらっていったのが面白かった。
女子二人と直人の護衛。そのような名目もあった周と杏介は常に周りを気にしていた。祭りの雰囲気を楽しんでいた疲れと、付き添いの疲れ。それに加えて酒ともなれば、このように眠気に勝てずにいるのも当然だ。ぜひとも、ゆっくり休んでほしいところだ。
「周、このまま寝るのは明日身体を痛めるよ」
この部屋には布団がない。布団を運んでくるか周へ与えられた客室に戻るかのどちらかだ。
周の様子を見るに、もうここで眠ってしまいそうだ。これは杏介から許可を得て、この部屋で一夜を過ごしてもらった方がよさそうだ。
杏介に確認をとろうと決めた望が立ち上がろうとしたときだ。周の手が望に伸ばされる。
「え?」
ぽん、と周の手が望の頭に触れる。優しく撫でるその手に望は身体が硬直する。
「あの、周?」
壊れ物を扱うかのようなその手、潤んだ眼差し、赤く染まった頬。思いがけない周の行動に望の思考が一瞬停止する。
空いている手が望の身体を抱き寄せる。望は周の熱い手から逃れようとするも、時すでに遅し。周はゆっくりと望にもたれ掛かり、肩に額を預ける。わずかに湿った周の髪が望の首筋をくすぐる。
「ちょっと」
頭を撫でていた周の手がだらりと下がる。周の熱が浴衣越しに伝わる。身軽そうな周の身体は意外にも重い。チャラチャラしていて忘れていたが、杏介曰く、周は武道の心得がある。普段、望にそのような姿をあまり見せない。夢の回収先で襲撃に遭うことは数回あったが、そのときは相手を眠らせて逃げることが多い。相手の隙を取るために蹴り技を繰り出すことはあったぐらいだ。先日の直人の件で見事な蹴りを見せたときにこの男は戦えるのかと改めて思った。
細身に見えるその身体にはちゃんと肉がついている。非戦闘要員だとあのとき言っていたが、鍛えられたであろう身体が望にのしかかっている。望は彼から離れようと無意識に周の肩に触れる。力の抜けた身体は重い。
「……ごめんなさい」
周の小さな掠れ声が望の耳に届く。切なく、寂しそうなその物言いだ。望は思わず周の肩に触れた手を止める。
「周?」
望が彼を呼ぶも返事はない。代わりにすうすうと寝息が聞こえる。
「……」
望の口から安堵の息が漏れる。
望は周の肩を押し、壁にもたれかかせる。悲しげな顔をして眠る周に胸が痛む。
ごめんなさい、とは一体どういう意味か。望に言ったのか、別の誰かに言ったのか。震える声で、怯えた口調の謝罪を受けるのは望ではない気がする。周が望に対して謝罪するようなことに心当たりがないからだ。
では、誰に対して言ったのか。
周の目から涙が一筋零れる。硝子玉のような彼の涙を望は初めて見た。望はその涙を指先で拭うと、ふわっと火薬のにおいがする。触れた頬はやはり赤く、熱い。
何か隠しているのか。周と過ごすようになって一年半が経とうとしている。多少は互いのことを知れた仲だと思っていたが、そうではないようだ。そもそも、生きている年数が桁違いなのだから、周について知らないことの方が多いと実感する。
この一年。直に一年半になろうとしている間柄、様々なことを話し、教えてもらった。好きなものや嫌いなもの、昔の話、夢の話、と望は聞いてきたが、それは周が生きてきた時間に比べればほんの一握りのこと。周が話していないことの中には望には言いたくないことがあるだろう。それならそれで無理に教えてくれなくてもいいと望は思う。
しかし、抱え込むのは違う。今日、酔い潰れるほど酒を飲んだ理由が抱え込んだ結果ならば、誰でもいいからその思いを吐き出して少しでも楽になってほしいと思う。杏介に言えたのならいいのだが、杏介にすら言えていないとなると心配だ。
チャラチャラしていて、軽口。いつも笑っている周の寂しそうな声を聞き、涙を見た。ごめんなさい、と謝罪の言葉を口にした。普段の姿とは真逆の周の姿に動揺している自分がいることに望は気がつく。
それと同時に、近づく足音に望は手燭を持ち周から距離を取る。
「お待たせ」
杏介が戻ってきた。
「あー、やっぱり、まだ寝たままか」
「……そうですね」
杏介は水の入ったグラスを置き、周の隣に座る。
「おーい、周。薬飲んどけー。せめて水飲んでから寝ろー」
杏介は周の頬を軽く叩くも、起きない。わずかに顔をしかめるぐらいしか反応がない。
「もういいや。望、今日は疲れただろう? お前も休め。風呂の用意してきたから。出たら教えて」
「はい。では、失礼します」
「おう。温まってこいよー」
杏介が手をヒラヒラと振るのに望は会釈をして部屋を出る。
「……」
望は首に触れる。首筋に触れた湿った髪と浴衣越しの熱を身体が覚えている。望は一息つきながら、望にとあてられた客室へ向かう。寝間着を取りに行くその足取りは妙に重かった。
火薬の苦いにおいを強く感じた。




