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夢屋 胡蝶  作者: 真鶴 黎
第三夜 右目にさよなら、左目に光を
17/88

#3

 夜の妖街は賑わっている。その中で、望は小さな影を追う。小さな身体が人混みに紛れながらも、望はその背を見失わないようにと走る。小中高とずっと陸上部だったが、大学生になってから走る機会がめっきり減り、大して走っていないにも関わらず息が切れだす。

 目が見えないのなら、どうにか追いつけるか。そう思う望に反して、速さは直人の方が格段に上。目が見えないと言う話が嘘のように、直人はすいすいと人混みの中を駆けて行く。転んだり、ぶつかったりせずに走る姿に本当は目が見えているのではないかと疑うほどだ。ひらりひらりと身軽にかわしていく姿に望は焦りを感じる。


「直人君、待って!」


 望がそう呼んでも彼は振り返ることもなく、足を止めない。時々、妖怪たちにぶつかりそうになりながらも、望は直人を追い続ける。夜とは言え、夏場は暑い。人間界の夜よりは涼しいのだが、走っているからか、汗が流れる。額の汗をぬぐいながら望は走る。

 直人が大通りから小道の方へ曲がる。望もそちらに曲がる。妖怪たちの姿がぐんと減り、直人の姿がよく見える。目が見えない状態の人混みの中を駆け抜けた彼は、障害物の少ない小道ではスピードが上がっている。足も速ければ、体力もあるようだ。


「直人君!」


 望は再び彼の名前を呼ぶ。すると、直人がわずかにこちらを振り返る。しかし、足は止まらない。むしろ、速くなる。裸足の彼に迷いはないようだ。

 どれほど走っていただろうか。どんどん大通りから離れていき、足音しか聞こえないような場所まで来てしまったようだ。望の知らない場所だ。

 周たちから、あまり小道を一人で出歩かないように、と言われたのを思い出す。人間界と一緒で、大通りから離れた道になればなるほど、通る者も減り、場合によっては悪者に捕まってしまう恐れがあるとのことだ。常盤街は比較的治安のいい街だそうだが、それでも一歩外れれば危険だと言う。だからこそ、早く直人の手を取り、大通りの方へ戻りたいところだ。


「……待って、直人、君」


 望の喉がひゅうひゅうと音を立て、声にならない声になってしまう。暑さもあって、足や身体が重くなってくる。直人との距離も離れていき、これ以上離れてしまったら見失ってしまう。

 少し眩暈がする。こんなことなら、大学でも陸上を続けるのだったと後悔し始める。周の元で夢についての情報を集めたいと思って部活やサークルに入らなかった。あまり人とわいわいするのは得意ではないため、いいやと思っていたのだが、こんなことになるなら。


「直人君……」


 くらっと視界が揺れ、望は足を止める。ふらふらしながら二、三歩歩きその場に座り込む。頬を伝う汗を拭い、直人が走って行った方向を見つめる。人通りの少ない路地裏のようなところだ。灯もほとんどなく、頼りになるのは月明りのみだ。

 肩で息をしていた望は背後からの視線に背筋が凍る。

 否、上だ。勢いよく下降してきた鳥が望の真横を通り過ぎる。


「……っ!」


 吹きつける風は生暖かい。


「何だ? 何でこんなところに人間が?」


 バサリ、と羽ばたく音がする。翼の持ち主は鋭い目を爛々と輝かせている。その目が十もあり、望は息を詰まらせる。


「これはまた、可愛らしい迷子だなあ」


「なあ。女子がこんなところでどうした?」


 人間大の鷲のような姿の妖怪が望を見下ろしている。いかにも猛禽類という姿の彼らは望を品定めしている。


「……」


 喉の奥から鉄の味がする望は何とか呼吸を整えて立ち上がる。わずかにふらつきながらも望は真っ直ぐ彼らを見据える。


「……あなたたちは?」


 望の掠れ声に鳥の妖怪たちはクスクスと笑う。


「見てのとおり、妖怪さ」


「迷子なら、案内してやろうか?」


 この辺りは詳しいんだ、と翼で道の奥を指す。その目はどう見ても獲物を狙う強者の目だ。

 警鐘が鳴る。逸る心臓は走ったせいか、目の前の彼らのせいか。望は冷静になれと自分に言い聞かせるように呼吸をする。


「いいえ、結構です」


 望はそう言い切って彼らの横を通り抜けようとする。頭の中で警鐘は鳴り続けている。

 関わってはいけない。彼らの目は獲物を狩る猛禽類の目だ。五羽もいれば望を簡単に連れ去ることができてしまう。その気になればこの場で息の根を止められてしまう。あの鋭い爪で捕らえられたら、逃げられない。

 早く抜け出そう。そう決めて早足になる望だが、大きな翼が行く手を阻む。金色の目が望を睨みつける。


「だーめだね。人間のお嬢さんがここを一人で歩くのは危ないからなあ」


「通してください」


 直人はどこへ行ったのか。あれだけ迷いなく走ることのできる彼なら、もう遠くへ行っていそうだ。直人の消息を掴むこともできず、下手すると直人が危険な目にあってしまう可能性もある。早く合流しなければならないのに。


「だから、俺たちが案内してやるって」


「お気持ちだけで結構です。通してください」


 望が一歩踏み出すと、ざっと周りを囲まれてしまう。大きな翼が鳥籠のように望を囲い込む。


「……邪魔です。通してください」


「お嬢さんよ、ここは妖街だぜ? 郷に入っては郷に従え。俺たちのルールに従ってもらわないと」


「人間は妖怪の案内を受けろというルールでもあるのですか? 聞いたことがない」


「あるのさ。俺たちの中ではな!」


 刹那、彼らは大きな翼をはばたかせると、風が吹き荒れる。


「……っ!」


 バタバタと風がうるさい。身体が浮いてしまいそうなほど強い風に望は目を開けられない。上手く呼吸もできない。


「さあ、お嬢さん、ついてきてもらおうか?」


 ニヤリと一羽が不敵な笑みを浮かべる。中々の上玉だ。彼女を上手いこと使えば金になる。

 鳥妖怪がほくそ笑んだときだった。ピュッと鋭い何かが翼を叩く。鞭で打たれたかのようなその痛みに、背後を振り返る。

 緑の鞭。しゅるりと蔦が望めがけて伸ばされ、手を絡めとる。


「お姉さん! 生きてる!?」


 渦巻く風の向こうから少年の声がする。薄っすらと目を開けた望の目にくすんだ若草色が飛び込む。


「な、お……くん……」


 ぐん、と手を引かれ、望は風の渦を抜け、鳥妖怪たちの間を通り抜ける。


「何だ、ガキ!」


 鳥妖怪たちの脚には蔦が絡みつき、望を追おうにも蔦に引き戻される。


「あっぶね……。お姉さん、大丈夫? 逃げよう」


 直人は望の手の蔦を外し、手を引いて走り出す。望はつまずきそうになりながらも直人に手を引かれて走り出す。


「待ちやがれ!」


 鳥妖怪の翼から繰り出された鋭い風が二人の足元をすくう。直人は受け身を取るも、望は為す術もなく、そのまま転んでしまう。


「もう、うざったいな!」


 直人は鳥妖怪たちに手を伸ばす。すると、建物の壁を這っていた蔦が意思を持ち、二人に向かって飛んでくる鳥妖怪たちの脚に絡みつく。が、彼らの翼から放たれる鋭利な風によって蔦が切られてしまう。

 鳥妖怪の鋭利な爪が立ち上がる時間のない二人にめがけて飛びかかろうとする。

 危ない。そう思った望は直人を抱きかかえる。

 そのときだった。焦げ臭いにおいがすると同時に、道が明るくなる。橙色の灯火が建物の壁を照らす。


「なっ……!」


 鳥妖怪たちの飛行の軌道が逸れる。翼を見れば、赤々とした炎が羽を燃やそうとしている。


「あっつ!」


 ある者は地に降り立って地面に身体をこすりつけ、ある者は上手く着地できずにそのまま地面に激突する。


「はは、無様だねえ」


 その声の主の髪は手元の炎の色を受けて杏子色が際立っている。赤みを帯びたその金色に望は掠れた声で彼を呼ぶ。


「杏介さん……」


「二人とも、大丈夫か?」


 炎に苦しむ鳥妖怪たちの背後から堂々と歩く杏介は二人の元に歩み寄る。炎に悶え苦しむ鳥妖怪たちを横目に見ながら、杏介はカラン、カラン、と下駄の音を響かせる。


「あーあー、せっかく可愛い恰好してるのに、汚れちまったな、望」


 直人とお揃いじゃないか、と杏介は呆れる。いつもきちんとまとめている望の髪は乱れ、着ているブラウスも砂埃にまみれている。咄嗟に手をついたのか、掌に擦り傷ができている。


「ほら、立てるか?」


 杏介は望に手を差し伸べる。望はその手を取ろうと手を伸ばす。

 刹那、杏介の背後を鋭い爪が狙う。危ない、と言おうとした望の言葉は、鈍い音によって飲み込まれる。上空から降ってきた影が蝶のようにひらりと宙を舞ったかと思ったら、その脚は鳥妖怪の頭を的確に蹴り飛ばしたのだ。


「……え?」


 杏介の背中を狙っていた鳥妖怪は壁に打ちつけられ、そのまま地面に滑り落ちていく。ドゴッと痛そうな音の原因である男がにやりと笑う。


「杏、後ろがら空き」


 鳥妖怪を蹴飛ばし、軽やかに着地した周は一息つく。結ばれた髪を翻した周はそのまま身構える。


「僕、非戦闘要員なんだけど」


「嘘つけ。その蹴り技、鈍ってるわけなけないだろうが」


 杏介は望の手を取り、引き上げる。その様子を後目に周はまだ炎に苦戦している鳥妖怪たちの様子を窺う。


「やだなあ、今は滅多に闘わないから。こういう荒事は杏の専門でしょ?」


「昔ほど暴れてないって」


 杏介は渋々ながら直人にも手を差し出す。しかし、直人は杏介の手を借りずに自力で立ち上がる。


「……ったく、可愛くない」


「自分で立てるから」


「あっそう。それだけ元気があるなら十分。……さて」


 杏介は振り返る。周が蹴飛ばした鳥妖怪以外に四羽。彼らはまだこちらに敵意を向けている。猛禽類の鋭い目が周と杏介に狙いを定めている。


「なあ、周。お前ら、夕飯は?」


「まだ」


「それじゃあ、焼き鳥にするか?」


 杏介はにやりと笑うと、狐火をその手に灯らせる。ビリビリと妖気と熱気が漂うと鳥妖怪たちの動きが止まる。明らかに怯えるその姿に周は構えを解く。


「焼き鳥か……。気分じゃないかな」


 周は腕を組み、鳥妖怪たちを見下ろす。まだ這いつくばった状態の彼らを見下すその眼光は鋭く、日頃の穏やかな表情が消える。


「去ね。彼に焼き鳥にされたくないのなら、ね」


 低い周の声に鳥妖怪たちは気を失った仲間をつれて逃げ去る。自慢の翼が痛むのか、飛び去らず、地を歩いていく。翼が役に立たないとは情けないなあ、と思いつつ、周は辺りを見渡す。彼らの仲間はいないようだ。静寂だけが広がる。


「……はあ。お前、そんだけ殺気立てるなら、現役だって」


 杏介に言われた周は、何のこと、といつもの穏やかな表情で応じる。軽やかな口調は普段どおりの声の高さになる。


「ほら、見ろ。こっちのガキ、怯えてるし」


 直人は望の後ろに隠れて様子を窺っている。空気が揺れるとはこのことだと直人は望のブラウスの裾を握りながら二人の動きを警戒している。

 空気が揺れるどころか、雷が轟くような空気だった。チャラチャラとした話しぶりに似合わず、殺気が凄まじかった。


「……あちゃー。ほら、今のは追い払うためにやったことだから。決して、二人に向けたものじゃないからね」


 あはは、と周は笑うも、直人は警戒したままだ。


「望ちゃんも、そんな顔しないで」


 望の顔も強張っている。周が望の前で殺気立ったことはほんの数回。夢の回収時に妖怪に襲われたときぐらいだ。


「……ちょっと、二人分の迫力があって」


 望は思わず二人から目を逸らす。周一人の殺気ならまだ感じたことはあった。ピリピリと肌を刺すあの感じがヘラヘラと笑っている周とどうにも結びつかなくて、いつも違和感を覚える。周の殺気に加え、杏介の殺気も加わると迫力がある。

 二人とも中々の力の持ち主。そう何度も耳にしていた。私は二人の足元には及ばない、と茜がこぼしていた。それを感じる日となった。

 望は深呼吸をすると、二人を見上げる。先ほどまでの殺気はどこへ行ったのやら、いつもの二人が心配そうに望と直人を見つめている。


「杏介さん、周、助けてくれてありがとう」


「どういたしまして」


 杏介はニカッと笑う。直人も望も擦り傷を作ってはいるものの、大きな怪我もなさそうで一安心だ。


「無事でよかった。さあ、事務所に戻ろうか。二人とも、歩けるかな?」


 周は優しく二人に微笑みかけた。

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